6.◆約束の証
シオンたちがスハウゼン帝国に帰国した、次の日の朝であった。
シオンは片耳のエリザベスから貰ったピアスを触りながら、本を開いていた。
しかし心ここにあらずといったようで、文字を目で追ってはおらずただ開いているだけである。
エリザベスから貰ったピアスは煌めいていた。
元々綺麗ではあったが、エリザベスが魔力を込めてから、命を吹き返したような…本来の姿を取り戻したようであった。
魔力を込めることのできる魔法石というものは、中身が入っていなければ、空っぽの器に過ぎない。
魔力を込めることは中身を入れるということで、多少なりとも輝きや色などが変化するものだ。
そして魔力を込める人によって、変化やその度合いは様々である。
エリザベスの魔力が込められたそのピアスは、静かさ、落ち着き…そういったものは一切なく、自信に満ちた鋭い輝きを放っていた。
また幻想的で、見る角度や光の加減によって青い色が変わり、よく晴れた空のような澄み渡った青であったり、海の底のような深い青であったりという見え方をする。
ずっとピアスを触っているシオンに気付いて、ルスランは言う。
「ヴァレンテ令嬢から貰ったそのピアスとても綺麗ですねッ」
「!」
シオンはハッとしてピアスを触っていた手を離す。
そして動揺を隠すように、何でもないというように言った。
「ええまあ、まあそうですね。確かに、綺麗ではありますね」
「ちょうどそのヴァレンテ令嬢からお手紙が届いておりますよ」
「ああそうで…………」
ルスランがあまりにサラッと、天気の話でもするかのように言うものだから、シオンは聞き逃すところであった。
「!!??」
シオンはザッと立ち上がり、ルスランに詰め寄るように近づきその手紙を奪った。
「あッ!」
ルスランから手紙を取り上げると、シオンは急いだように、それでいて破れないように丁寧に封を切って、手紙を広げた。
*~*~*~*~
シオン殿下へ
よくよく考えれば、私はシオン殿下にピアスの片方をあげましたが、私はシオン殿下から貰っていませんから、約束は成立していませんでしたわ。
エリザベスより
*~*~*~*~
シオンは手紙を持つ手を震わせる。
「何て書いてありました?」
ルスランが暢気に聞くが、シオンはショックを受けて固まっていた。
「殿下! ねえシオン殿下あ!」
それからルスランがシオンの肩を揺さぶって呼びかけると、シオンはポツリポツリと話し出したのだった。
その後ルスランが話をまとめた。
「――――ええっと、もっと楽しい話を聞かせてくれる代わりに、甘いものをあげると約束をしたのですね? その約束の証として、ヴァレンテ令嬢が自身の魔力を込めたピアスをくれた、と。しかし、今届いた手紙で、ヴァレンテ令嬢はシオン殿下にピアスをあげたけど、ヴァレンテ令嬢はシオン殿下に貰っていないので、約束は成立していなかった、と書いてあったのですね?」
シオンは座って机に項垂れていた。
「よく知られている約束の証というのは、魔力を込めたものの交換ですから、本来はもう片方のピアスにシオンが魔力を込めてヴァレンテ令嬢に渡すはずだったのですよ」
ルスランの言葉に、シオンは顔を上げて言い訳をするように言う。
「ヴァレンテ令嬢は私にピアスを渡すとすぐに走り去ってしまったのですよ……。ああ私もピアスを貰ったことが嬉し…ゴフッ、しかし考えてみれば私だけ何もあげないというのはおかしいです」
「まあ、シオン殿下は人と関わることをしませんから、そういう事柄…約束の証とかそういうのには疎いですよね。そんなシオン殿下が、それほど落ち込むほどにヴァレンテ令嬢との約束を大切にしていたのですねえ」
ルスランがしみじみしたように言うと、シオンは否定する。
「そんな、大切にしている訳ではありませんけどね!!」
ルスランはそんなシオンの否定を無視して、フフンッと得意気になって言った。
「でもシオン殿下、簡単なことですよ?」
「は?」
シオンはどこか呆れの混ざった怪訝そうな面持ちで、ルスランの言うことだからどうせ碌でもないことでしょう、というような面持ちである。
しかし徐々に、もしかしたらルスランでも偶には何か思い付くかもしれませんし…といったような期待の色を持ち始めた。
ルスランは至って軽く口を開いた。
「――シオン殿下もヴァレンテ令嬢に何かあげればいいのですよ! ヴァレンテ令嬢がくれたピアスの同等となるものを、そしてシオン殿下の魔力を込めて!」
シオンはハッとしたように声を上げた。
「なるほどッ!!」
「良いアイディアでしょ? 殿下!」
「ま、まあ、それなりに良い案ですね」
名案だというように声を上げたシオンだったが、驚きを隠すようにそう言った。
しかしながら、人に何かをあげようなどと考えたこともないシオンには思い付きもしなかったようだが、これは結構ありきたりな提案ではないだろうか。
それからシオンは聞いた。
「えっと、ヴァレンテ令嬢から貰ったピアスと同等のものですね。アクセサリーですから宝石店でしょうか?」
「魔道具店で買うのがいいと思います。
約束の証ですから、普通の宝石ではなく魔法石でなければなりません。
宝石店でも魔法石は少し売っていますが、高度な魔法式の付与はできません。
魔法石に関しては魔道具店の方が専門です。
宝石店よりも品揃えが多く高級な魔法石が売っていますし、多彩で高度な魔法式を付与できますよ」
本来ルスランは有能である。
「なるほど分かりました」
シオンは立ち上がった。
「――それでは行きましょう!」
「えッ? 今からですか?」
「そうですよ」
「しかし今日の予定が……」
「後に回してください」
「ええぇ……」
今までルスランはシオンにこういう無茶なことをされたことはなかった。しかしまた今までにない、生き生きとしているシオンを見て嬉しそうに笑ったのだった。
「もう、分かりましたよ、フフッ」
その後シオンとルスランは皇宮御用達の魔道具店へと向かった。
魔道具店に着くと店主が出迎える。
「シオン殿下、ようこそいらっしゃいました。突然のことでとても驚きました」
ここに来る道すがらルスランが今から行くと魔道具店に連絡を取ってはいたが、魔道具店からすればとても急だったことだろう。
店主がシオンとルスランを奥のVIPルームへ案内すると、メガネを掛けたどこか野暮ったい男が待っていた。
「これはこの店1番の魔道具技術者です」
「シオン殿下の依頼を担当させていただきます。よろしくお願い致します」
「ええ、よろしくお願いしますね」
シオンたちが席につくと店主は聞く。
「えっと……、約束の証となるアクセサリーでしたよね?」
「そうです。約束をした者は本当に忙しない性質で、ピアスを片耳だけくれてすぐに走り去ってしまったのです。後になって忘れていたと言われまして……。遠くにいるのでもう会うことは当分無理なので、その者がくれた物と同等の物をあげようと思うのです」
「なるほど……」
「それで、どんな物がありますか?」
シオンが急かすように言うと、店主は小さな箱を取り出した。
「我が店にある最高品質の魔法石です」
店主が箱を開けると、輝くばかりの魔法石が綺麗に整頓されて敷き詰められている。
「おお! これは素晴らしい…!」
「ほう」
その美しさに2人は感嘆を上げた。
「どれも自慢の魔法石たちですよ」
店主はシオンたちの反応に満足げそうに言う。
その時だった。
「――あの!」
なんだかずっと落ち着かない様子の技術者がやっとというように口を開いた。
「なんでしょう?」
「そのピアス、見せていただけませんでしょうか?」
そうすると店主もおずおずと申し出た。
「すみません、私にも見せていただけませんか…?」
「ええ、いいですが…」
これと同等のものを作ってもらうのだからどうにしろ店主と技術者には見てもらう予定であるだろうが、今はまだこのピアスがその約束の証だとは言ってはいない。
それなのにどうしてこのピアスが見たいのだろうかとシオンは怪訝に思っているようだった。
「ありがとうございます!」
技術者はキラキラとした視線をシオンに…、そのピアスに向けた。
店主は感心したように言う。
「ありがとうございます! それにしてもこれほどのものを身に付けていらっしゃるとはさすがシオン殿下ですね」
「そんなにすごいものなのですか?」
ルスランが首を傾げて聞くと店主は大きく頷いた。
「ええ、溢れんばかりの魔力を感じますよ」
シオンとルスランはその言葉に思わずというように笑いを漏らすのだった。
「フッ、確かにすごい量の、規格外の魔力が込められていると思いますね」
「ああそうですね、フフッ」
それからシオンは多少強い口調で言った。
「これが相手から貰った約束の証です。これと同等のものをお願いしますね」
「こちらがそうなのですか!?」
「それはとても大切な約束なのですねえ」
店主と技術者は驚いたように感心していた。
シオンはまず技術者にピアスを渡す。
「絶ッ対に傷1つ、いや、指紋さえも付けてはなりませんよ!」
「は、はい!」
技術者が手袋をした手でそれを受け取って、小さい虫眼鏡のようなものでピアスを見る。
「こ、これは!!!???」
すると技術者は叫んで手を震わせる。
「お、おおお返しします!!」
そしてすぐさまシオンに返した。
シオンたちはそんな技術者の様子に驚く。
「どうしたのです!?」
「一体何が!?」
「シオン殿下、私にも見せてください!」
それから店主もそのピアスを見ると、同様にとても慌てた様子ですぐにシオンにそれを返した。
「それでどうしたのですか!? 早く教えてください!!」
「申し訳ありません、取り乱してしまって…」
「あまりに素晴らしいものだったので…」
シオンが問いただすように聞くと、店主と技術者は謝る。
「正直私にはこの魔法石が一体何なのか分からないのですが…、分かるか?」
店主が技術者に聞くと、技術者は答えた。
「ええ、吸収石ですよ」
「吸収石? それは……、相性が良かったということか?」
「はい、ものすごく良かったのだと思いますよ」
「――早く!! 説明をッ!!!」
シオンが切れ気味に言うと、店主と技術者はビクッとする。
ルスランはそれを見て苦笑した。
それから技術者はようやく説明を始めた。
*
「このピアスは防御の魔道具です。
魔法式は単純な防御の魔法式でよくあるものです。
ただこの魔法石は『吸収石』といって特殊なものですよ。
一見、よく売られている『守り石』です。私もそう思っていたのですが。
『吸収石』と『守り石』は本当に似ているので、よく間違えられるのですよ。
『守り石』というのは防御の魔法式を付けるのに適した魔法石です。
お守りとしては、そこら辺の露店に売っているものから、ものによっては宝石店の高級品としても売られています。魔道具店で防御魔道具としても売られています。
自衛のためにも使われますが、贈り物や友情や約束の証なんかでも使われたりします。
しかし、『守り石』ではこれほど多くの魔力を込められません。
というか、これほどの魔力を込めるなど、どの魔法石でも不可能です。
この『吸収石』は、相性が良ければ良いほどより多くの魔力を込めることができる特殊な魔法石です。
相性が良いものが見つかれば多くの魔力を込めることができて途轍もない価値になりますが、相性がいい吸収石など滅多にありませんから、普通はそれほど価値はありません。
ただ、この約束のお方は、奇跡的とも言えるほどの相性の良さがあったのでしょう。
だから、普通はこれほどの魔力を込めるなどどの魔法石でも不可能ですが、この魔法石の特殊性と奇跡の相性の良さによって可能だったわけですね。
それにしても相性が良いとしても、これほどの魔力が込められているなんて……」
*
技術者に続いて店主は笑って言う。
「殿下に騎士は必要ないでしょうね。
このピアスを付けていればどのような攻撃も通じませんよ、ハハッ」
「すごいですね殿下!!」
ルスランが無邪気な子どもの笑顔を浮かべる。
「ええ、私付きの騎士を誰にしようと悩んでいましたがこれで解決です」
シオンがそう言うと、ルスランは軽く頷いた。
「あ、そうですね! 良かったですね!」
「い、いや、このピアスの防御力の高さはこの私が保証しますが、ちゃんと騎士は付かせた方が良いと思いますからあの……」
すると店主があたふたとそう言うのだった。
それから技術者が深刻そうな面持ちになって言う。
「しかし、魔法式をもう少し頑丈にする必要がありますよ。
これでは1ヶ月もたたずに、いえ、もしかしたら明日にでも耐えきれなくなって砕けてしまうかもしれません。それはすごい魔力が込められているのですから普通の魔法式で耐えられませんよ。早くなんとか――」
「――な、なんですって!?」
シオンは声を上げた。
技術者は言う。
「これは皇宮魔法師様にお願いした方がいいでしょう。
神具や結界…こちらのピアスなど、極めて強力などものに魔法式を付与することは、途轍もない実力を持つ魔法師でなければできません」
「分かりました」
シオンが頷くと店主が言う。
「魔法石については、…今日用意したものではダメですね。もっと……、これよりも遙かに素晴らしいものを探します」
「はいお願いします――行きますよルスラン」
「そ、そうですね。危うい状態ですから。
皇宮魔法師団に連絡をとってみます…ッ」
皇宮魔法師団には案外研究者気質の人が多い。
まあ研究気質であっても実力は確かだし、研究など興味がない人も普通にいるが。
だから皇宮魔法師たちは訓練場で己の腕を磨く人だけでなく、研究室に籠もって魔法の研究をしている人も結構いる。
シオンとルスランが皇宮魔法師団研究室へ入ると団長が出迎えてくれた。
団長もまた研究好きである。
団長はシオンを見た途端に…、エリザベスから貰ったピアスを見た途端に目を見開いた。
「これは……ッ!!!???」
そしてそれからぞろぞろと魔法師…研究者たちが集まってくると、ピアスを見てガヤガヤ騒がしくなってきた。
シオンはピアスを外した。
「これを治してください。貴方方が見れば分かるでしょうが、今の魔法式では不十分で、このままだと壊れてしまうそうです」
「これはいけない……!!」
室長は大切にそのピアスを受け取りまじまじと見ると、何人かの魔法師に何やら指示をして、そのピアスを魔方陣が描かれている机に置いて呪文を唱え始めた。
シオンとルスランが研究室の一角でお茶を飲みながら待っていると、一段落ついたようで少し経って団長がやって来た。
「これでひとまずは大丈夫です」
団長の言葉にシオンはホッと息を吐いた。
「フゥ…、それなら良かったです。いつまでに治せますか?」
「1週間はかかるかと……」
「分かりました。時間はかかっても構いません。それよりも完璧に治してくださいね」
「はい」
それからシオンは、エリザベスに約束の証としてそのピアスを貰い、しかし自分はまだ何もあげていないからあげなければならないことを話した。
「――ですから、あのピアスと同等のものを作らなければなりません。魔法石については魔道具店が探してくれるそうですが、魔法式の付与は貴方方にお願いしたいと思っています」
「分かりました! 必ずしも素晴らしい魔法式を付与してみせましょう!」
団長はとても楽しそうに、子どものようにキラキラとした瞳でそう言う。
「私の満足がいくものができれば研究費の予算を増やしましょう」
「ほんとですかッ!?」
団長はシオンの言葉にやる気を出してくれたようだった。
皇宮魔法師団研究室を出るとルスランは、いつもののほほんとした声音で聞く。
「シオン殿下、研究費の予算を増やすって、殿下のお小遣いからでいいんですよね? それとヴァレンテ令嬢にあげる約束の証を作るのにきっとすごいお金がかかると思いますけど、それも殿下のお小遣いからでいいんですよね?」
シオンはどもりながらも了承する。
「い、いい、い、いいですよ?」
ルスランをよく知るシオンなら分かるだろうが、どうして勝手に予算を増やすなどと言ったのだ…とか、エリザベスにあげる約束の証が大がかり過ぎる…とか、シオンの言動を批難している訳ではない。
むしろルスランは、今回のことも含めシオンのやることなすことに協力的である。
「殿下のお小遣い、きっとなくなってしまいますねえ」
「ッ!!!」
「あ、来月の僕の誕生日プレゼントはちゃんとくださいね!」
ルスランは満面の笑みをシオンに向けるのだった。