6話
「東の大国との貿易協定でオーガ=イグジットの予言が現実になるかもしれませんね。」
トースケはオーガ=イグジットという名前に聞き覚えがあった。
オーガ=イグジットというのはルート教の2代目教祖で神掛かりにより神からの予言を書き記すという事が一部で有名だったようだ。
ホネスト教でも聞いたことがあり、アスラ亭でも話題に挙げる者がいたため覚えていた。
ルート教というのは150年ほど前にできた宗教でダーマ教やヤズト教に比べるとそれほど古くはない。神(創造主)を信仰しているがダーマ教の一部を教義に取り込んでいたりしていて、よく分からない宗教である。
予言は、多くの人が連行され閉じ込められ大戦争が起こるというようなものだった。
(アスラ亭で聞いた魔王教の計画とやらにも貿易協定でどうたらとかいうのがあったな。)
しかし、貿易協定は何度も話題に上がるが交渉が難航しており、結ばれる気配はなかった。
やはり必ずしも全てが当たるわけでは無いようだ。
「次の世界の話をしましょう。」
どうも今の魔王教などが片付いた後の話の様だ。
「魔法に代わるエネルギーがありますが、魔法物質を売って支配したいために魔王教が隠しています。それらが出てきますがそれは終わるまでまだお預けです。」
その他次元上昇などで色々なことが変わるようだ。面倒なので省略する。
「魔王教の仕組みから抜け出そうとしても、途端に路頭に迷う。決して抜け出せない『石屋』の仕組みです。」
石屋の仕組みとは石造りの建物に閉じ込められたように決して抜け出せない仕組みという意味の様である。
「この星から出るには今の肉体のままでは無理です。」
(そりゃ、生身でこの星から出るのは無理だろうな。)
「この星から出たければ死ぬときに衣食住への執着を捨て、愛の波動を10000まで上げることですね。」
「波動を上げるには太陽の光を浴びる、体を労わる、笑う事、愛でること、とにかくハートが喜ぶこと。愛とは愛でる(めでる)こと。」
(またスピリチュアルみたいになってきたな。この星から出るのは良いとしても
一体どこへ行くんだよ。)
「人間は少しくらいの予知ならできるそうです。心を澄ましておく必要がありますが。」
(何が起こるか頭では分からなくても、心に従って動くようにすればいいという事かな?)
「占いは人を支配するための物です。占い師は魔に弄ばれている者。」
「愛とは支配とは逆。」
「魔王教が好む獣の数字666とは人と獣の間の神が支配しやすい者。
獣は616、神は369。」
「現在が始点は当然、現在にある者は過去にもある。」
「始まりは、終りであり表は裏であり起点は常に今は当たり前」
「今在る者は過去にも在り過去に在る者は今も在る」
「『人間とは”在り続ける為に在る者”想い在るが故に在る者”であるが故に
その存在に焦がれ 慈しみ 尊くも儚き者。
生まれた瞬間から亡くなる事を約束された者 故にその儚き瞬きが一層輝き
在り続ける者の為に在る者。
その想いの形なる者。故に”愛すべき者”汝は人なり。』」
「この言葉を読まれた方は 記録して下さい。いつか必ず役に立ちます。
人を創った方々からの祝辞です。」
(なんか勝手に全部終わったような話になってるような。一応メモはしておくが。)
「目念姿容、一度見た者は必ず心のどこかに残る、心の片隅に留められたなら、必ず必要な時に反応できる。但し素直な心が必要」
「それから、私たちの会話を聞いていた方々へ、あなたがここへ来たのは必然です。」
(これだけ人を作ったものからの祝辞とか言ってるんだから、そりゃ周りに伝えようとして話してるんだろうな。しかし、必然というのは誰に対してどの程度必然なんだ?自分みたいに必死になって聞いてる人間がいっぱいいるのか?)
ルクソンは「周りの人も分からないことがあればオブセルバさんに質問すればいいですよ。」
などと言っていた。
なんだかオブセルバの話もひとまず落ち着いた様なので、トースケはオブセルバに質問をしてみることにした。
(とりあえず気になることか、そういえばホネスト教でもダーマ教創始者を魔王が襲い、それに打ち勝つとかいう話が合ったような。まあ魔王教とは関係なさそうな感じだが。)
「初めまして、オブセルバさんこんにちは。ダーマ教に出てくる魔王とは何ですか?ダーマ教の秘伝魔法とは何ですか?あと火と水の書とは何ですか?」
「ダーマ教の魔王は『気分次第』が凝り固まったものですね。」
(なんだよ凝り固まったものって、不定形の化け物か何かか?やっぱり魔王教とは関係なさそうだな。)
「それから火と水の書ですが、太陽と月の予言と同じく本物です。人間の行為を厳しく批判しています。」
「秘伝魔法については前に説明した通りです。」
トースケは普通に回答してもらえたのでお礼を言った。
「ありがとうございます。」
(話を聞いてたのは分かってるのかな。)
「それから、・・・」
オブセルバは続けた。
「あなたが何者なのか私には分かりませんが、・・・」
「まるで『鬼』のようです。」
(鬼?何のことだろう?)
トースケは返答した。
「鬼、確かにアスラ亭に来てから魔王教にブチ切れてたので、そうかもしれませんね。」
オブセルバは言う。
「鬼とは人が化かす物、化かしたまま死ぬと魔に取られる。まれに遺骸が残るが激情の赤鬼、冷徹の青鬼。」
「人間は相手を知れば拒否することも、いなすことも出来る。」
「人間、取られないと思えば取られないものです。」
(怒りに任せていると死ぬ時に魔に取られるという事なのかな?)
トースケはその日はそれで帰ることにした。
トースケは火と水の書を読んでみることにした。
なるほど、太陽と月の予言の補完的な内容に加えて、他にも色々な事が書いてあった。
しかし、それほど楽観的ではないにしても人間の行いを批判しているとまでは思えなかった。
(??どういうことか?解釈の問題とかでもなさそうだが??)
それはどうでもいいと思ったのでその辺にしておいた。
火と水の書を読むと凝り固まったものとは何か何となく理解できた。
凝り固まったものとはその土地の神の存在、気候、風土などからくる民族性のようなもので凝り固まったものによってその土地に住む人間たちがそういう傾向を示すという事の様だ。
例えば東の大国ならば「力善し」が凝り固まったもので、そこに住む住人は「力」を重視するようになるという感じだとトースケは理解した。
「力」を重視するとはいわゆるパワー、つまりは力の強いものが正義という傾向を示す。
なるほど東の大国は確かに力でごり押しするようなところがある。
そしてそれは魔王教を抜きにしても、神から離れる行為なので「悪」の本体なのであろう。
まあ神から見て何が悪なのかは不明だが、もちろん、強引に力でごり押し、戦争などで多くの犠牲者を出す行為は悪なのだろう。
「我善し」が凝り固まったものならばいわゆる自己中心的な傾向を示し、「気分次第」が凝り固まったものというのは気分次第で動くような性質を示す傾向になるのだろう。
縦と横という事も書いてあった。縦とは火、気、霊、陰などであり横とは水、物質、体、陽などである。
そして縦と横を組み合わせると十字になり力が出る、らしい。
火と水などは置いておいて、霊魂と肉体はその二つがあって初めて人間として力が出せるという事なのだろう。
魔王教などは逆十字のようだ、つまり逆さまのことをするので滅びの道を行くと思われる。
トースケはオブセルバに
「縦は火、気、霊、陰、横は水、物質、体、陽で組み合わせると十字で力が出るという事ですね。」
と言ってみた。
すると、それを聞いた近くの客が
「火は五角形、水は六角形に通ずるから縦や横とは違うね、中々いい線をいっているけど惜しい。」
と言ってきた。
(別に適当なこと言ってるわけじゃねえよ、火と水の書に書いてあったことを言ってるだけだ。大体、五角形とか六角形とかの方が適当じゃねえのか?)
トースケは少々イラっと来たが、
「火が縦、水が横というのは五角形、六角形などよりもっと根本的な話です。」
と言った。
オブセルバも
「その通りですね、火や水が縦や横というのは基本です。」
と言った。
そしてオブセルバがまた悲観的なことを言っていたので
トースケは
太陽と月の予言にも人間の「気」次第で悪を防げるみたいなことが書いてあったというと
オブセルバは
「あなたは真っ直ぐな人ですね、私にはあなたが何者なのかはわかりませんが。」
と言った。