1話
「ああっ、くそ!もう朝か。」
大学に提出するレポートを書き上げ、十助はそう言った。
「さっさと印刷して、家を出ないと授業が始まってしまう。」
そう言いながら十助は書き上げたレポートをプリンタで打ち出し、カバンに入れた。
土中十助は大学の化学科に通う理系大学生で今年で3年生だった。
「こんなことなら2週間前からデータ計算と考察以外の部分は書き始めておくべきだったな。」
彼は3年生になってレポートを書くのに時間がかかるため事前の準備が大切だとようやく分かってきたところだった。
「とはいえ他の授業もあるし、中々上手くいかない。単位も落とせないし・・・。」
「やっぱり、趣味とか捨てないとダメなのかな。就職とか考えると、いつまでもこんな調子じゃマズいか。」
彼の趣味はアニメやゲームといった、いわゆるオタクっぽいものであった。しかし、彼はそれらの趣味を抱えていては生活できないと思い始めていた。
「しかし、趣味に文句を言われたくなくて勉強していただけみたいな人生だったのに趣味を捨てる意味もあるのか?」
そんなことを考えながら十助は家を出た。
彼は今までの人生でそれなりの努力をしてきたつもりだった。しかし、それはかれにとってのそれなりの努力に過ぎなかったと大学に入って思ったのだった。
大学まで行けば周りはみんな努力をして勉強しているのは当たり前。その上で要領の良さや、コミュニケーション能力まで問われるのだと彼は気づいた。
オタクのような趣味の彼にとって自分なりの努力だけでは大学生活もその先の就職も壁があるのだと薄々感じていた。さらに年々記憶力等の能力的な衰えも感じる。
「とにかく、なんとか卒業を目標にしてそれ以降は後で考えよう。」
そう思いながら徹夜明けの体でフラフラと歩いていたところ・・・。
彼は車に轢かれた。
彼は気が付くと死んでいた。魂は神らしき者の前に行き、そしてそのものはこういった
「お前は死んだ、しかしまだ出来ることがある。」
「異世界に転生してその世界の魔王を倒すのだ、これは強制ではなく約束だ。引き受けてくれるか?」
(なんだかわからないがこのまま死んでも悔いが残りそうだな。)
「分かった。やる。」
こうして十助は転生することになった。
「トースケ、自分の部屋くらい自分で片付けなさい。」
トースケの母親はそう言った。
「はーい、(くそ、めんどくせーな)」
トースケは心の中でそう思いながら掃除を始めた。
十助は異世界に転生して普通に育った。名前はなぜか前世とほぼ同じでトースケ、現在10歳。
前世の記憶こそあるものの転生特典の様なものはあるように感じられない。魔王を倒せと言われたものの何をすればいいのか分からないので仕方なく普通に暮らしている。
この世界は前世と違ってファンタジーっぽい世界ではあるが、魔王がいるという話は今のところ聞いたことが無い。魔物はいる様だが害獣の様なものであるという認識だ。
(そろそろ何かしないと普通に暮らしているだけではなあ。)、掃除をしながらトースケはそんなことを考えていた。
掃除をしていると棚から何か落ちた。
(んっ?これは?)トースケは床に落ちたそれを拾った。
どうやらお札の様である。
「なんだ?これ。落ちたけど汚れてないか?」
トースケはうっかり袋に入ったそれの中を覗いてみた。
「うおっ!」
何かがバチっときてトースケは左目に何か痛みを感じた。その時は気にしてなかったが、視力が若干下がったような気がする
「何なんだ?これ。」
とりあえずそれを元の位置に戻してトースケは掃除を続けた。
掃除が終わったのちトースケはこのお札が何なのか母親に聞いてみた。
どうやらそれは母親が叔母から買ったものでホネスト教団というところで作られた魔除けのお札であるらしい。
(ホネスト教団か、そこには何かあるのかな?)
トースケはそんなことを思った。
魔王についての手がかりも何もないし、トースケは叔母に会ってホネスト教団について聞くことにした。
叔母の話によると、叔母はその教団の信者でホネスト教団ではみんなが誠実に生きれば世界は良くなるという教義の元で布教活動を行っているらしい。それだけでなく、その教団には秘伝魔法というものが伝わっていて誰でも修行をすれば魔法を使えるようになるという。
(魔法か、それが使えるようになれば何か分かるかも。魔王を倒すなら役に立つかもしれないし。)
そう思いトースケはホネスト教団に入信しそこで修行することにした。
ホネスト教団ではトースケは清掃や信者の案内などをしながら教義を学んだ。
教典を読んだり教団の教師から講義を受けたり王都から教主が来た時には説話を聞いたり。
そんなことをしている内に1年ほど経つと秘伝魔法の修業をすることになった。
ホネスト教団で修業をしている間に様々なうわさを聞いた。
ホネスト教団はこの世界に昔からあるダーマ教を元にした新興宗教であるが、同じダーマ教の新興宗教であるセイクリッド教団から敵視されていること。
セイクリッド教団はその強引なやり口で色々な悪いうわさがあること。
セイクリッド教団は教祖がダーマ教の一派から破門されているがなぜか金をばら撒き信者を集め、政治にも権力を持ち口出しするようになっていることなど。
トースケは
(セイクリッド教団ってやべーな関わりたくないな)
と思いながら、修業を続けていた。
秘伝魔法の修業をしている内にトースケは同じように教団で秘伝魔法を学ぶ人間と知り合いになった。
教団の中では「教団の先輩のような人格者になって布教をしていけば世界はきっと良くなる」というような意識の高い青少年が割と多く、特に親からの2代目信者にはそのような考えの人間が多い気がした。
トースケは適当に話を合わせていたが
(これにはちょっとついて行けないかもな。)
と心の中では少し思っていた。
とはいえ特に否定するような事でもないので気にせずに秘伝魔法の修業をしていた。
しかし、中には「教団の外は信用できないとか」
「先代教主が死んだ後に生まれた後輩は意識が低い」
とか言ってる2代目信者の若者を見て
(ああ、こいつやべー。)
と思っていた。と同時に
(セイクリッド教団ほどではないけど、ここもやべーのかも。)
と感じた。
修行の他にも図書館に行って本を読んだりもした。この世界にも星占いの様なものがあり、生まれた日の月の位置によって星座が決まりなんとなく性格や相性が決まるようだ。
他にもファンタジー世界の様な四元素の魔法の研究もされているようだ。
図書館以外にも劇を見ることも多かった。昔から劇はよく見ていたが、この頃は変人が3人の特異能力者を集めておかしなことを考えるのに主人公が付き合うという劇で同じ話を8回連続するとか、黄金の欲によって悪魔に支配された一族が魔女の気まぐれで何度も殺されながら真実を探すとかいう劇を観ていた。
トースケは
(なんか同じようなことを繰り返す話がやたら多いな、何だ?これ)
と思っていた。
また王都の方では長い間海賊劇が流行っていたようだ。
ホネスト教団の修業をしている時、トースケは以前やべー奴と思った2代目信者と話をすることがあった、トースケはその時に何か蛇のようなものが首や左頭部にまとわりつくような感覚に襲われた。その時からトースケは時々ざらざらしたものが首や左頭部を這うような感じがするようになった。