11 百年の幸せと果てなき未来
わたしはニズの帰りを待ちながら、丘の上で夕日を睨みつけている。
日が沈むまでに帰ってくると言っていたけれど、なかなか日は沈まないし、ニズも帰ってこない。
ならば。
わたしはより大きく、重くなった体でいそいそと丘を滑り降りて、川をばしゃばしゃと横断して、谷の方へ向かうことにした。
狙い通りに、そろそろ日が沈みそうになる。
ここで待って、日が沈んだ瞬間にニズに文句を言ってやるのだ。
角が生えてからは、ニズに触れてもらわなくても話すことができるようになったから、馬で半日以内の距離くらいなら離れていても話せる。
わーわーとうるさく頭の中に呼びかけてやろうと思っている。
声も出せるけれど、どんどん大きくなった牙が邪魔であまり上手く話せはしない。
牙のことを意識し過ぎるとかゆくなってきて、ニズに甘噛みしそうになるからやめておくことにしている。
でも、ニズは触れないと話せなかった間の癖が残っているみたいで、必ず触ってくる。
とてもいいことだと思う。
ごーごーと火花を吹いて待ち遠しい気持ちを抑えていたら、日が沈む前に、ニズがやってくるのを感じた。
わたしの逆鱗を飲み込んだニズは少し人間じゃなくなっているから、魔素の動きとかで感知できるのだ。
ニズの方も、わたしの居場所くらいなら感知できるはず。
あいかわらず魔素の操作は苦手みたいだけど。
茂みをかき分けて現れたニズは、ちょっと呼吸を荒くしていた。
竜に近づいたと言っても、やっぱりニズは運動が苦手なまま。その気になれば国王さんの本気の一撃から一回逃げられるくらいの速さと体力はあるはずなのに、ニズはニズだから、山歩きだけでこうなる。
だから、わたしを連れていけばよかったのに。
そう思ったら、ぼっと鼻から火花が吹き出た。
「…メイティ、山火事は起こさないでくださいね…? それ、もう火花とは言えない火力ですから」
『すねているから素直に聞かない』
ふいっとそっぽを向く。
わたしの前までやってきたニズが、首部分に腕を回して抱きついてきた。
目が合いそうになったから、またふいっと顔を逸らせば、ニズの手の甲の痣が目に入る。
わたしの鱗とそっくりな痣を見ていたら、思わず和んでしまった。
「今日で山を下るのはやめますから」
そう呟いたニズの声は、少しだけ寂しそうな色を含んでいる。
『国王さんの子供の子供は、無事に乗り越えたの?』
国王さんが死んで、王妃さんが子供を支えて王座に付いて、育った子供が王になって子供を産んで、国王さんの子供の子供が王になって、それからまあまあ時間が経ったと思う。
「ええ。セム=リム王国という名はなくなりますが、形は残ります。これから先のことにまで、私のような旧世代が関与すべきではないでしょう。助言を少々した程度とはいえ」
ニズはわたしの胴体に寄りかかって座って、くすりと笑った。
「それにしても、メイティはいまだに『国王さんの子供の子供』と呼ぶのですね。もうじき孫もできる年齢ですけど」
ニズはそう言うけれど、呼び方を改めるつもりは全く無い。
まだ人間として生きていた頃のニズ、つまりは侍女さんがまだ生きていた頃のニズに初対面を果たした時、国王さんの子供も、子供の子供も、それぞれ両方がニズに色目を使ったから、あいつらはわたしの中ではずっと子供なのだ。
別に、でっかい蛇、気持ち悪い、と両方から言われたことを根に持っている訳じゃない。
だから、後から謝ってきても、許してやらないのだ。
まあ、侍女さんが死んでから、ニズは人間を完全にやめてこの山奥に住んでいるから、もう会う機会もなくて、許しようもないけれど。
成長しきってしまったわたしが里に下りたら大惨事になるし、仕方ない。
ちょうど今、日が沈んだ。
わたしは最近重くなってきたように感じる頭を持ち上げて、ニズの顔を正面から見ることができるように動く。
成長しきった鱗は硬くなってびっしりと生えているから、少し動きづらい。今なら、あの時、国王さんが放った刃がまともに当たったとしても、刺さらないかもしれない。
もう国王さんはいないから、分からないけれど。
『ニズ、そろそろだと思う。もしかしたら明日かもしれないし、十年後かもしれないけど』
終わりが近づいている。
わたしとニズとで共有した命の、終わり。
わたしは、竜としては短命ということになるけれど。
ニズは、鱗の痣が刻まれた腕を伸ばして、わたしの鼻先に触れた。
段々と赤みのかった紫に色が変わっていったニズの瞳。いまや縦に裂けた瞳孔で、ニズは静かにわたしを見つめてくる。
「いつでもいいですよ、メイティと一緒なら」
日が沈みきった空には、星がいくつも、ちかちかと瞬き始めていて、その輝きがニズの瞳にも映り込んでいた。
きっとわたしの瞳にも、星が映っているのだろう。
きらきらとした輝きに魅せられて、わたしはニズの瞳を覗き込む。
そんなわたしに、ニズは小さく笑った。
東方のとある国に、冷血宰相と呼ばれる人物がいた。
その通り名からは想像できないことに、彼女は国王と王妃から敬愛され、生涯を母国のために尽くし、周辺諸国の平和をも導いたとされている。
だが、一つの謎がある。
彼女の代で途切れた家系図の通りに読み解くなら、彼女は百三十余年を生きたことになるのだ。
記述間違いではないかと言われているが、魔術と神秘に満ちていたというその時代ならば、あり得たことなのかもしれない。
その真偽のほどは分からない。