10 すれ違う命と語りあう命
メイティ視点です。
長い、かも。
ニズは朝早くに起きて自分一人で支度をすると、領内の主要な村とか街とかを回って事情説明と挨拶に行く、って言い出した。
勤勉過ぎる。
どういう経緯で何があったかちゃんと説明しますよ、税を急に上げたりしませんよ、って村々に言って回って安心させてから、今度は王城に行って引継ぎとかをちゃんと済ませるつもりみたい。それで色々と状況が確定したら、改めて挨拶して回ると、ニズは言う。
真面目過ぎる。
このひとをいらないって言うなんて、王城のひとたちはどうかしているんだろうか。
絶対におかしい。
わたしはとても欲しいのに。
そんなことをぶつぶつ呟きながら、朝ごはんを食べているニズの腕にしっぽを絡ませていたら、少し体温の上がったニズにしっぽをほどかれた。
残念。
同じ席で食べているミアさんとヘリオスさんと護衛のひとたちと御者のひとの全員が、わたしたちの方を見てなんだかにこにこしていた。
ご飯はみんなで作った。
ミアさんが危なっかしい手つきで包丁を持とうとしたのをヘリオスさんがしゅばっと取り上げていたり、御者さんが周りとの身分差に怯えていたりしたけど、みんなが何よりも驚いたのは、ニズが料理できることだったみたい。
というより、この中で一番くらいに上手かったかもしれない。ヘリオスさんと二人並んで、手つきが慣れていた。
護衛のひとたちも料理はできるけど、そんなに繊細な料理はしないと笑っていた。肉を引きちぎって、焼いた石と混ぜて、塩をかけるのがかれらの流儀なんだとか。
このお屋敷はニズの持ち物だけど、もう十年以上中には入っていなかったらしい。取り壊すのも面倒だから、管理人の老夫婦に任せて、たまに近況を手紙で聞いていただけだったと言っていた。
だから材料も道具も古いし、壊れているものばかり。
野宿のためにミアさんたちが持ってきていた道具と材料を使って、火は護衛のひとりが魔法で点けて、古いテーブルを引っ張り出してきて、埃を払って、その場にあったお皿を並べて食べている。
とても和やか。
わたしはここにあるくらいの肉じゃ足りないから、あとで狩りに行こうと思う。ちゃんと狩りをしていい森とかを聞いて行くから安心してほしい。
もし獲物が見つからなかったとしても、ここに来る前に大きな羊を一頭丸ごと食べてきたから、一月くらいなら大丈夫。
何か食べたいという、気分の問題だから。
脂の乗った小動物が何かいないかな、この近くにはどんないきものが住んでいるのかなって妄想していたら、ニズと目が合った。
『そういえば、ニズはわたしのこと、怖くないの?』
一度も怯えられなかったから考えていなかったけれど、わたしは羊を丸呑みするワームだ。
人間も丸呑みできる。
というより、人間の方が呑みやすいかも。硬い蹄が無いし。
「それなのですけど、確か、メイティはセム=リム王国の国王陛下を見かけたことがありますよね?」
あの強そうだったひとだ。
ニズの姿は見えなくてとても残念だったことを覚えている。
『わたしが一撃必殺されそうな怖いひとだ』
「……ああ、一目見ただけで分かるんですね」
ニズは呆れたように言う。
やっぱり、とでも言いたげだ。
「あの人、何かがあるとすぐに手が出るんです。脆い人の器と、強すぎる魔力が反発しているせいだとは思いますが、殴るつもりは無いのに殴ってしまったなんてことをするんですよ」
それは大変。
だからニズ離れをさせないといけないってニズは思ったんだ。
『わたしより強いひとが身近にいるから、わたしなんて怖くなかったんだ?』
「まあ、そういうことかもしれませんね。全て、使いようですし」
いくらそうでも、普通はそう簡単に割り切れないと思う。
だからやっぱりわたしはニズが好き。
こんな素敵なひとを好きになったわたしのことを、もっと好きになれる。
とてもいい循環だと、我ながら思う。
朝ご飯を食べた後、ニズは出かけていった。
付いていきたかったけど、こんなに太くて長いワームが隠れられるような茂みはこのあたりには無いし、相談所の護衛のひとが二人付くって言っていたから渋々諦めた。
というより、ニズに真剣な顔で懇々と説得された時に、顔が近過ぎて頭がおかしくなりそうだったから認めてしまった。
一応、体調は戻っているみたいだし、午後の日が沈む前に帰ってくると言っていたから仕方ない。
でも、ニズが帰ってきたら、仕返しに、しばらくは絡みついて離れない所存だ。
ワームソファにしか座れないように、ニズの座っていた椅子をこそこそと仕舞い込んでいたら、ヘリオスさんに同類を見る目で見られた。
なんだか微妙な気持ちになる。
ヘリオスさんはミアさんの前ではかっこいい風だけど、ミアさんの意識が無い時はかなり残念なひとになっている。あと、変態臭がする。
とてもいいひとだけど。
夕暮れが近づいた頃にはニズがちゃんと戻ってきたから、しっかりワームソファの刑に処した。
少しだけわたしの体内の魔素みたいなものをいじって体温を上げておいたら、ニズが背もたれ部分に寄りかかって、頬を寄せてきたから、驚いて心臓が止まりそうだった。
何でもない風に装って喋り続けていたら、ニズは最終的にわたしの胴体に抱きついてきた。そのまましばらくその体勢でいて、それから、名残惜しそうにワームソファから降りて夕食の手伝いをしに行った。
あれは反則だと思う。
ニズを見送ったあとで、思わず鼻から火花が出たくらいだ。
そうしてまた、ヘリオスさんに激しく同意の視線を向けられた。
翌日も、ニズはまた出かけていった。
付いていけないわたしは、屋敷の壊れた石壁を積みなおしたり、邪魔な木を抜いたりして、庭と畑を整備しようと頑張っている。
ニズがこれから住むなら、人間が住みやすくする必要があると思う。
わたしは草をなぎ倒して進めるけれど、細い足を二本しか持たない人間だったら、ここを歩くのはとても難しいだろうから。
そういうことをしていいかとニズに聞いたら、無理をしないでくださいね、と言われた。こだわりは無いし、管理を任せていた老夫婦にも確認を取っているから、好きに変えていいらしい。
そういう伝達が素早くて確実なところは、ニズの能力だと思う。
ぴすぴす、火花を吹きながら、何度も畑を往復する。
わたしの体は、大きさに見合ってかなり重い。だからわたしが上を移動するだけで、高く茂り過ぎた草たちがなぎ倒されて、耕しやすくなる。
そこを、暇を持て余した護衛さんたちが耕す。
暇過ぎるから、と獣の姿になって、見つけてきたくびきを自分からはめて耕しているひともいた。
力を持て余してしまうから、こういう重労働の方が楽らしい。
屋敷の隣にあった畑がある程度ふかふかになったところで、遅いお昼を食べる。
わたしは、つかまえた野鼠を三匹くらいおやつに食べた。近くの森でいいものを食べているのか、脂がしっかり乗っていておいしかった。
それ以外のひとたちは料理したものを食べている。
料理できるニズがいないから、煮込んだだけで味気ないとぼやいているひともいた。
ヘリオスさんは、味付けは苦手だと言っていた。
大体食べ終わった頃に、近づいてくる蹄の音を聞いた。
痩せてはいないけれど、太ってもいない馬で、だいぶ疲れている音だ。
音が軽いから、乗っているひとはかなり小柄なひとか、もしくは女性だと思う。
やがて近づいてきた姿は、やっぱり馬に乗った女性だった。
真っ直ぐにこの屋敷までやってきて、飛び降りると、わたしたちの方へやってくる。
「お嬢様がどこにいらっしゃるか、知りませんか!?」
大きな太いワームが寝転んでいて、いい汗をかいた獣人たちがお昼を食べている。
そんな状況なのに、そのひとは怯みもせずにそう聞いてきた。
「あー…お嬢様ァ? そのひとってェのは、どんな見た目だァ? もしや黒髪で黒目の…」
「そうです! そのお嬢様です!」
ニズを訪ねてきたみたいだ。
応対した熊の獣人さんに対しても、驚いていない。
このひとは顔が熊だから、かなり人間とは違う見た目なのに。
牙があって発音しづらいのか、結構なまりもある。そもそも話せないわたしが言うことじゃないけど。
「いま出かけてるがなァ、じきに戻ってくらァよ。日暮れまでにャ、な。そういう嬢ちゃんは、何しに来たんでェ?」
「何って、もちろんお嬢様に会って、…会って、………あ、謝るためです…。って、あなたたち、い、一体何者なんですか!?」
あまりにも気が急いていて、わたしたちの見た目の違いに気付いていなかっただけみたい。
「……きゃっ!? へ、蛇!」
わたしには、そもそも気付いていなかった。
叫んで後ずさったその女性は、でも、そんなに怯えていないみたい。
見た目で無条件に怖がっているというよりは、わたしが毒を持っていたり、襲ってきたりしないかということに怖がっている。
だから、頭を女性から遠ざけて、しっぽだけをゆっくり近づけてみた。
女性は逃げずに、警戒した目でわたしを見ている。
女性が恐る恐る差し出した指先に、しっぽの先っぽがちょこんと触れたから、挨拶をした。
『初めまして、わたしはメイティ。ニズのつがい』
「は、初めまして…。私はマーガレット・キール。ニ、ニズって、お嬢様のこと、よね?」
『そう。あの、優しくて強くてかわいいけど寒がりなニズのこと』
そう言ったら、その女性の感情が大きく、驚愕に揺れた。
どうやら、目を見開いてのけぞったみたい。
「わ、私はお嬢様の侍女よ! あなたは、お嬢様の何なの!?」
『ニズに恋してるワーム。ニズも少しはわたしのことが好きみたい』
女性は、うう、とか、ふうううっ、とか唸っているのか威嚇しているのかよく分からない声を出す。
とりあえず、すすすと頭を近づけてみた。
屋敷にいる侍女の行き先を決めないといけないのだとニズが悩んでいたから、きっとこのひとのことだったんだろう。
ニズの感情が揺れていたから、ニズにとって大切な人なのだと思う。
「あなたは、お嬢様を一人にしないのね!?」
『わたしは今百歳くらいだけど、まだ半分も生きていないから、わたしがニズに置いていかれてしまうと思う』
「そういうことじゃないわ! ま、まあ、お嬢様より長生きっていうのはいいことだけれど。あなたは、一生お嬢様の心の傍にいられる!?」
『わたしはニズに触るとニズの感情が分かるけど、ずっと傍にいられるかどうかは断言できない。だから、傍にいたいと思う。それと、ニズはあなたのことを心配していたから、あなたも傍にいて欲しいと思う』
「ん、んんん! 仕方ないわ、あなたのことを認めてあげるから、一生お嬢様の笑顔を守りなさいな! もちろん私もお仕えするけれど!」
びしっと指を突きつけられたから、ぴしっとしっぽを突きつけ返してみた。
そんなこんなでニズの侍女さんが加わったけれど、やることは計画と同じ。
一緒に庭木を整備して、掃き掃除をして、崩れた石をできるだけ積み直す。
侍女さんは、庭の木の配置とか抜くべき草とかに詳しかったから、仕事がはかどった。
侍女さんがいなかったら、わたしたちが適当にほぼ全部を抜いているところだったから、危ない。
ちょうどよく疲れた頃にニズが帰ってくる音がした。急いで川に飛び込んで体を綺麗にしてから素早く蒸発させて、ニズのお迎えに行く。
今日も、ニズは馬車酔いで足元がふらふらしている。
仕方ないから、と言い訳しながら、しっぽを腕に巻きつけて支えた上で、わたしの胴体に引き寄せて体重を預けさせる。
とても軽い。
「すみ、ません…。道が荒れていて、振動がきつかったので……」
それならいくらでもわたしに寄りかかってきていいから、ワーム車椅子でも何でも任せてほしい。
人間の体に触れるときの力加減はもうばっちり学んだ。
「お、お嬢様っ! わた、私っ!」
侍女さんの叫び声に、ニズの感情が大きく揺れる。
ゆっくりと振り向いたニズは、表情だけはいつも通りに、内心ではかなり驚いていた。
「……あの、メイティ、これはどういう状況ですか…?」
護衛の獣人さんたちと汗を吹きながら走ってきた侍女さんに、困惑が隠せないみたい。
小声で聞かれたから、堂々と答えた。
『ニズへの愛を語る状況。わたしと侍女さんの愛が試されている』
「すみませんが意味が分かりません」
ニズの戸惑いをよそに、侍女さんは近づいてきて、ニズに話しかける。
周囲では護衛さんたちが、肉体労働で深まった仲ゆえに、侍女さんを励まして、応援している。
ニズはますます困惑して、わたしはそんなニズの腰にしっぽを巻きつけてご機嫌になる。
「お嬢様、使用人失格だっていうことは分かっているんです! ですけど、ですけど、アルと、ハンナが、あの、あ、会えなかったのに、わ、私は、えと、その、」
とても難解な発言だ。
ニズをここまで困らせるのはなかなか難しいと思う。
「お、お嬢様が、さ、さ、さ、……寒いですし、そ、それだけじゃなくて、その!」
「再就職先にめぼしいところが無かったのなら、こちらで働いてもらうこともできますが……。あの商会よりも好条件の仕事では無いですけども」
ニズはあんなに頭がいいのに、侍女さんの言いたいことは理解できないみたい。
たぶん、ニズが寂しがるって言いたかったはず。
「お嬢様の傍でお仕えできるなら、それが最高の仕事です!」
熱意のこもりまくった返事に、ニズが引いてる。
そんなに好かれるようなことはしていない、とか、ニズが小さく口の中で呟いたのが聞こえた。
『それなら、わたしは侍女さんよりもニズに愛を語る』
そう決意を語れば、ニズは目をしばたいた。
困っているみたい。
「……メイティもマーガレットも、今日はどうかしてませんか…」
ニズの声が疲れていたから、困らせることはそろそろやめる。
きっと、ニズが困るのは大事なひとに対してだけだから、特権を行使しているみたいで嬉しくて、思わず調子に乗ってしまう。どうでもいいひとに対しては、淡々と対処するはずだから。
でも、困らせ過ぎるのはよくない。それも、馬車酔いでふらふらしてるニズを立たせたままなのは。
侍女さんとわたしとは小さく頷きあう。
それから、わたしはニズを持ち上げて、突然浮き上がったのに驚いてニズがしがみついたところをしっぽで支えながら、今のところわたしとニズが使っているホールに連れていく。
侍女さんは素早く動いて、お湯をわかしに行った。あとでお茶を持ってくるつもりなのだと思う。
そうやってニズを一旦休ませた後は、夕ご飯の準備になる。
みんなで、昼間から煮込んでいた肉を火から下ろして、硬いパンを切って、机を拭く。
侍女さんは、最初は全員参加制に驚いていたけれど、案外すぐになじんでいた。
わたしはできることが無いから、ニズの座る場所に待機しておく。
それから始まった夕食中に、ニズにせがんで肉を少しもらったけれど、やっぱり味はよく分からなかった。
肉を煮込んでも、肉っぽくなくなっておいしくないと思う。肉じゃない他の味が色々混じっているのもよく分からない。
正直なことを言うと、肉を口元に運んでくれる時にニズの顔が近くなるだろうから、それを狙っただけ。
あと、ニズが食べきれなそうな様子だったから。
ふわふわした気持ちでニズを見つめて肉をほおばっていたら、口の端に付いた欠片をニズの指で拭われるなんていう、思わぬ仕返しにあった。
ニズが無自覚なのがとても恨めしい。
翌日も、またニズは出かけていった。
付いていくと主張した侍女さんもまた、この前のわたしと同じように、近距離説得を食らってあっさり落ちていた。
ニズが出ていってしまった後で、一緒に畑を耕しまくって、不甲斐ない己への憤激を共に整理した。
とても作業がはかどった。
それはさておき、今日を含めてあと二日で、主要部へのニズの訪問は終わるらしい。それが終わったら王都へ向かおうと思っているけれど、もしかしたら向こうから猪みたいな男が来るかもしれないから、彼を引き留める重要な仕事をしてほしいとニズに頼まれた。だから、やる気に満ちて待ち構えつつ、掃除もする。
そうしたら、本当に来た。
今、ちょうど平原を爆走してやって来る馬車がある。
まさに猪みたいな猛進。
古いこの屋敷が不穏に揺れたくらいの速度でやってきた簡素な馬車は、屋敷の前ぎりぎりで止まると、すぐに中からひとが出てくる。
最初に馬車から飛び降りて着地したのは、あの時と同じひと。
馬車から一番に飛び降りるのが好きなのかもしれない。
慌てて出て行ったミアさんが対応してくれている。
「アル……っと何でもない。えー、こちらはー、その、どなたのお屋敷ですかね?」
「え、ええと、その、ニザーム・アルセイラ様のお屋敷です。わたしたちはニザーム様に用事がありまして訪ねてきたところを、泊めていただいている者です」
片方は元聖女様で元王女様。片方は現役の王様。
エプロンを掛けて手を拭いながら話しているミアさんに、土と埃まみれの国王さん。
お互いに身分とかを述べてはいないから、国王さんの方は自分が国王だと知られていないと思っているはず。
とにかくとても不思議な光景だと思う。
これに、野菜を素早く切っていくニズを並べれば完璧かもしれないなと思いながら、近くの木陰で眺めていた。
一応、獣っぽい外見のひとは全員隠れることにしている。
少し会話をした後に、とりあえずニズが今いないことを知った国王さんたちは、屋敷で待つことにして、玄関の方へ近づいてくる。
その瞬間に、すごく嫌な予感がした。
その予感に従って、自分にできる限りの速度で横に飛ぶ。
わたしがぶつかった木々が激しく揺れて、地面に突き刺さった刃が小さく振動しているのが見えたけれど、そんなものに意識をやっている場合じゃない。
刃を投げた張本人の国王さんは、わたしを怖い目で睨んで警戒している。
他のひとたちを後ろに庇って完全な臨戦態勢だ。
わたしは、とにかく攻撃を察知するために、体の隅々まで感覚を行き渡らせる。
このひとの一撃がまともに当たれば、わたしの胴体は両断されかねない。
とても怖い。
死ぬ、死ぬ、と頭の中の一部が警戒を訴え続けているのを聞きながら、自分の今の状況も確認する。
ほんのわずかにかすったところは、鱗が何枚かはがれてしまっていて痛いけれど、動けないことはない。
わたしと国王さんが睨み合って、場が膠着したところで、奥からヘリオスさんが慌てて飛び出してきた。
国王さんの殺意はヘリオスさんにも向かうけれど、綺麗に正装したヘリオスさんを前に、少し殺意が薄れたみたい。
すぐに獣人とばれるような姿のひとは隠れておこう作戦があっさり崩れ去ってしまったので、屋敷に残っていた護衛の獣人さんたちも全員出てきて、国王さんに向かって必死で弁明している。ミアさんと侍女さんは硬直状態からゆっくり戻って、怯えながら国王さんに訴えている。
わたしも木陰から全身をゆっくり出して、しっぽをゆらゆら振って敵意が無いことを全力で示してみた。
ちなみに国王さんは、ニズはわたしたちがいることを知っているんだと言ったら案外すぐに納得した。
というより、考えることを放棄したみたい。
「俺は! 馬鹿だからな! アルセイラの考えることなんて分からねー! お前らが本当にアルセイラとつながってるのかも分からんが、俺が自分で考えて動いても失敗するだけだもんな!」
自棄になって叫ぶ国王さんと、その後ろで背中をさすっている王妃さん。
ますます不思議な光景になった。
それからは、そこにいた面々と、国王さんと王妃さんとその護衛さんたちの全員で、薄いお茶を飲んでニズを待つことになった。
衝撃的なことに、国王さんはなぜだかわたしに触らなくても言葉の通じるひとだった。
特別神に愛されていたり、英雄の資格を持っていたりするとそういうこともあると聞くけれど、まさか本当にいるとは思わなかった。
「俺はな……アルセイラに酷いことを言っちまったんだよ…」
『酷いこと』
「何を、ですかっ!?」
「ああ。人間の心が無いとか、そういうことをな……」
とても心当たりのある言葉だ。
それなら、冷徹野郎とか非人間とか言ったのもこのひとだろうか。
「そんな訳ないわっ!」
『ニズは、優しくて強くてかわいいのに』
侍女さんが、わたしの隣で怒りの叫びを上げる。
わたしはぷすぷすと怒りながら呟く。そしたら、国王さんは、ひょえっとか変な声を上げた。
「……かわいい、だと? ……い、いやいやいや、優しいのと強いのは分かる。た、確かにその通りだな? でも、……かわいい、か? ってか、ニズ? それってあいつの愛称とか何かなのか? というか、あいつとどういう関係なんだ?」
国王さんは長い間ニズの傍にいるっていう特権を享受した恵まれたひとなのに、まったく分かってない。
王妃さんも、護衛でやってきたひとたちも、ぽかんとした顔をしている。王妃さんと護衛さんたちはわたしの声が聞こえていないからだけど。
仕方ないから、みっちりニズのかわいさを講義してあげることにする。
「いや、かわいさの講義と言われてもな…?」
『まず、ニズは足音がかわいい」
「……はあ?」
『転んだりつまずいたりしないように慎重に急ぎ足で歩いているのがかわいい。急いでいるとそれを忘れそうになって、慌ててもう一回慎重になるけど、それでも速度は落とさないところもかわいい』
「な、なるほどっ」
「……なんじゃそりゃ。まあ、あいつは運動全般苦手だしなぁ…」
侍女さんは納得しているけれど、国王さんの言葉を聞いたら、頭の中でむわむわした気持ちが広がった。
しっぽの先がひりひりするような気持ち。
『ニズは、わたしに…………むっ!』
いま、ちょうどニズが帰ってきた。遠くの方からニズの乗っている馬車の音が聞こえてくる。
何を言いかけていたのか自分でもよく分からないけれど、とにかく中断して扉に突進する。
うねうねばたばたしながら扉をすり抜けて、埃の舞っている廊下を滑って、やってくる馬車を待ち伏せした。
わたしが動き出したのより少し遅れてヘリオスさんが、さらにもう少し遅れて国王さんも走り出してきたけど、わたしの方が先に陣取った。侍女さんは、今になって身分差を思い出したみたいで、国王さんよりもかなり後ろに立つことにしたみたい。
でも、国王さんの反応速度は、人間としてはおかしいと思う。獅子の獣人のヘリオスさんに次ぐっていうのは普通ならありえない。
馬車が屋敷の前で止まったら、馬を驚かせないように後ろからゆっくり近づいて、馬車の窓を覗き込んだ。
やっぱり、ニズは中でしんなりしている。
わたしを見てドアを細く開けてくれたから、しっぽを滑り込ませてニズの腕に巻きつけた。
「いのしし、きましたか……?」
『さっきまで一緒にお茶を飲んでいたけど、いまは外で待っているみたい』
国王陛下って言う気力が無いからって、いのししって省略するあたり、ニズも結構変だと思う。
大したことではないかもしれないけど、ニズは手紙を届けた後から、陛下って言わなくなった。国王陛下、もしくは猪としか呼んでいない。
もしかしたらニズのけじめなのかもしれない。猪はやっぱり変だけど。
そんなことを考えていると、ニズはわたしのしっぽを手繰り寄せて、枕みたいに抱きついて顔を寄せてくる。
「…あいたくないです」
『会わなくていいと思う。あんな怖いひとからは逃げるべき』
曇った窓硝子にぺたりと張り付いて、もう片方の窓硝子もわたしの体で塞いで、くたっとなっているニズを、わたししか見ることができないようにしている。
「こわい…? あのいのしし、またなにかしたんですか」
隠れて平穏に済ませようとしたのが安直だったかもしれないけど、わたしの頭のあったところを正確に貫こうとしてきたのは非常に怖かったし、あんな簡単に投げただけなのにわたしの鱗を何枚か持っていったのには恐怖を感じる。
これでも、そこそこ危険な草原地帯で百年くらい生きてきた身なのに。
そんなことをつらつらと言ったら、ニズの表情が消えた。
「……メイティ、もう大丈夫です。馬車酔いも治まったので降りていいですか」
ついでに口調も変わった。
まだ少し萎れているけど、そんなに無理はしていないみたい。だから、もう少しニズと話していたかった気持ちを一旦引っ込めて、馬車の扉から離れて待機する。
そうして、降りてきたニズにしっぽを差し出して支えてみたら、ニズが少し笑ったのでわたしも嬉しくなった。
「…アルセイラっ! すまなかった、お前にあんなことを言った上に、お前の状況を考えようともせっ」
叫びながら走り寄ってきた国王さんに、振り向いたニズは水が一瞬で凍りそうな声で言った。
「すみませんが、どちらさまでしょうか」
ぴしっとその場で固まった国王さん、ついでに王妃さん。
それに中てられたミアさんと侍女さんも、隣で硬直していた。
ニズは氷点下の声音、無表情で続ける。
「王城の管理責任を放棄して辺境へ遊びに来るような国王陛下の知り合いなど、私にはおりません。もしその目的がしがない臣下への謝罪なのだとしたら失笑ものですし、自分の言葉に責任を持てない人物など、私なら恐ろしくて国王に戴いていられませんから、どちらにせよ私の中ではそんな国王などあり得ませんが」
ニズも結構怖い。
さっきの刃が放たれた瞬間の悪寒と張り合うくらいの、刺さるような冷気を感じる。
言葉でぐさぐさと刺されて、国王さんの心が瀕死になっているのが、触らなくても分かるくらい。
でも、そうやって国王さんを一方的に威圧しているようでいて、実は言動の端々に優しさが見え隠れしているところは、とてもニズらしいと思う。
こぶしを握りしめて歯を食いしばっていた国王さんは、それでも口を開こうとするみたい。
「……すまなかった」
ニズは目をすがめて、頭を下げる国王さんを見ている。
その視線は、猛禽類とかが鼠の首に爪を立てた瞬間の目とよく似ていた。
そんな目で、国王さんを蔑むように見ていたニズは、ふと、息を吐く。
「……はぁ。よくこんなところまで二日で来れますね」
圧の消えた声に、国王さんは恐る恐る、ゆっくりと顔を上げた。
隣で一緒に頭を下げていた王妃さんは、まだ頭を下げ続けているみたい。
「王妃殿下からの謝罪など受け取れませんから、どうかお顔を上げてください」
王妃さんはしばらく戸惑っていたけれど、国王さんが小声で促したことで頭を上げる。
「それで、訪問の理由は謝罪だけですか」
ニズの一言に、国王さんは、うっ、と小さく呻いた。
「その、アルセイラ。お前が……あなたがあれだけの仕事をして、俺らを支えてくれていたことを分かっていたはずなのに、あんな暴言を吐いて済まなかった」
緊張した様子で息を吸って、国王さんは続けるみたい。
王妃さんは、国王さんの隣に寄り添って、ニズに真っ直ぐな瞳を向けている。
護衛でやってきたらしいひとたちは、困惑した様子ながらもとにかく国王さんたちの後ろに控えている。
「それで、ぶしつけなことだとは分かってるんだが、どうか、もう一度城に戻ってきてくれないか? お願いだ、俺は、アルセイラがいないとすぐ途方に暮れちまう。城の他の奴らも、特に女官長あたりが、アルセイラの帰りを待ち望んでるんだ」
国王さんの真剣な訴えかけにも、ニズは無表情を貫いている。
でも、足に少し力が入っていたり、手は変に握ったりしないように自然を装って下げていたりするから、ニズの感情も激しく揺れていることくらいは分かる。
でもそういう体重の移動とか筋肉の動きとかで感情を見るのは、動物の場合で、きっと人間は表情と声音で感情を見るのだと思う。
「言いたいことは、それだけですか?」
ニズは表情を動かさないまま、声だけは聞き取りやすくて穏やかな口調にして、国王さんに問いかける。
国王さんはぎゅっと唇を引き結んで、頷いた。
「分かりました、謝罪は受け入れません。その上で、王城に戻るか否かについては議論の必要性があると感じています。どちらにせよ一度王城へは伺って、このさきのことを話し合うつもりでしたから」
国王さんは、ニズの返事を聞いて複雑怪奇な顔をしている。
王妃さんも、まばたきの回数がとても増えていた。
「……ん? 許しは…しないけど、戻りは……ん?」
「いいですか、陛下?」
「お、おう」
「陛下の発言に、私は甚大な精神的苦痛をこうむりました。つまり、とても悲しかったです。なので許しません。それはさておき、女官長には謝って訂正しておきたいことがありますし、王妃殿下と陛下がお互いの勘違いを乗り越えた様子でいらっしゃるのは普通に嬉しいですし、わざわざ出向いてもらって必要だと言われるのが嬉しくないほど私は感情が凍ってもいません。また、一度役職を預かった者として、勝手に責任を投げ捨てるようなことは、私が私に許しません」
ニズが頑張って感情を伝えようとしているのがとてもかわいい。
それでも表情をあまり動かせないのは、きっと癖になってしまっているからだと思う。
ニズにとって、感情を見せるというのは弱みを見せるのと同じだったのだろうし。
思わずしっぽを巻きつけたくなるけれど、今は我慢する。
「ん、んん、つまり…?」
「遠方からかもしれませんが、何らかの形で陛下の補佐ができたらいいとは思っています。ただ、以前と同じ、半ば私の独裁のような状況はもうごめんです。王でもない個人に権限と責任とが集中し過ぎでした、あれは」
ニズが言い放ったら、国王さんはぐしゃっと顔を崩して、ほとんど泣き始めてしまった。
王妃さんが横で肩をさすってあげている。
「うっ、うう、俺は、短気で、馬鹿で、なんもできねえし、王の資格なんて無いのに…っ。こんなんでも、いいのか……?」
国王さんたちが連れてきた護衛のふたりは、なんだかもう悟りきったような顔をしていた。
これでこそ我らが宰相殿と国王陛下なんだよな、これで城も落ち着くかな、なんて呟きも聞こえる。
「陛下は別にそれでいいんです。それを言うなら、魔術も武術も馬術もできない私はどうすればいいんですか」
顔をしかめたニズがそう言ったら、国王さんはますます泣き出すし、王妃さんはニズにきらきらした目を向け始めるし、護衛のふたりは唖然とするし、なんだかとても不思議な光景になった。
それをヘリオスさんやミアさんや獣人の護衛さんたちや御者さんは遠巻きに見ていて、侍女さんは目をうるませている。
そろそろ痺れを切らしたわたしは、こっそりニズの足首にしっぽを近付けた。
気が付いたニズがしっぽを拾って握ってくれたから、握手を真似して左右に振ってみる。
ニズの華奢な指を感じるのもいいけど、もうちょっとがっつり巻き付きたい。
国王さんたちが感動に浸っている間に、ニズを取り囲もうとじわじわ移動していく。
「あ、あなた! 抜け駆けはよくないわ!」
侍女さんの叫びで、浸っていた国王さんたちが現実に帰ってきてしまった。
「…そういや、そのでっかい蛇はなんなんだ?」
『蛇じゃなくてワーム。名前はメイティ』
別に蛇と言われることに抵抗なんて無いけれど、国王さんにそう言われるのはなんだか嫌だ。
鱗数枚分の恨みもある。
「あー、メイティ? はアルセイラとどういう関係なんだ? かわいいとかなんとか語ってたが…」
『ニズはわたしのつれあい』
つがいというのは人種や性別のような区別に過ぎないけれど、つれあいになるにはお互いの同意が必要。
ニズは国王さんへの手紙を出したその日にはつれあいの契約、ニズ風に言うなら取引の内容確認と成立を済ませた。とても仕事が速かった。
つまり、わたしとニズは両想いなのだ。
背骨がさわさわしたから、ニズにきゅっと巻き付いてみた。
「へ? つれあいって……? ん? その蛇…ワーム? が、え?」
「ニザーム様は、真実の愛を見つけられたのですね!」
国王さんががくがくと挙動不審になっている一方で、王妃さんの理解は速かった。
目をきらきらさせて、国王さんの手を握りしめている。
髪の毛がふんわりしていて、春のチョウみたいだ。
ニズはいつもの顔で、つまりは無表情で、特に何も言わずに国王さんたちを見つめているけれど、わたしの耳には小さな呟きが聞こえる。
真実の愛って……とか言いながら引いているみたい。
大丈夫、わたしは分かっている。
『ニズは、一度納得して結んだ契約は一生守るはず。わたしはニズに一生恋してる。だから、とても両想い。傍から見たら、真実の愛』
ぐぎゅっ、としっぽが握りしめられて、少しだけ痛かった。
ニズはこんなに軽くて細くて柔らかいのに、意外と腕力があったみたいだ。
ぴちぴちしっぽを暴れさせたらニズはすぐに離してくれたけれど、それはそれで残念だったから、すぐにもう一回握ってもらった。
契約ってなんだ、アルセイラに恋してるって、そもそもワーム…!?とかなんとか騒ぎ始めた国王さんと、乙女な顔でうっとりする王妃さんを後目に、ニズはまた途方に暮れている。
国王さんが連れてきた護衛のふたりは無の表情で空を見つめていて、獣人の護衛さんたちは侍女さんに突撃するようけしかけている。侍女さんは、ニズに向かって突進したい気持ちと、国王さんたちの前を突っ切る無礼とで揺れているみたいだ。
ミアさんはちょっと困ったような顔で微笑んでいて、ヘリオスさんは、そんなミアさんの髪が風ではためているのに夢中になっている。
「…………メイティ、これ、どうすべきだと思いますか」
困りきった声でそう聞かれたから、思いついた答えを言ってみる。
『駆け落ち宣言をする、とか』
身分差のある恋をしたら、人は駆け落ちするらしいから。
わたしは庶民みたいなもので、ニズは貴族だから、身分差はあると思う。それ以前に種族が違うけれど。
前に、ミアさんとヘリオスさんは駆け落ち寸前だったのだと聞いた。ヘリオスさんがミアさんのお父さんを暗殺から救ったから、その功績でつれあいになることを許されたのだとか。
人間の言葉では結婚と呼ぶらしい。
白い花の咲く季節に、白い教会で挙げた結婚式が素敵でした、とミアさんがうっとり語っていた。ヘリオスさんは、それよりもミアさんの方が美しかったとでれでれしていて、変態臭を隠しきれていなかった。
「それは混沌に追い打ちをかけるだけでは…? …ああ、そういえば聞き忘れていたのですが」
まだまだ静まらなそうな騒ぎを前に、ニズがわたしに身を寄せて聞いてくる。
わたしの耳なら全く問題無く聞こえるけれど、それは言わないでおこうと強く思った。
『なに?』
「メイティの性別はどちらですか? それとも、無いのでしょうか」
『まだ女の子』
「…まだ?」
ニズはもう子供が産める年齢になっているらしいけれど、わたしはまだ成長しきっていない。
もう少し大きくなる予定だと言ったら、ニズは絶句してしまった。
この大きさの方が好きなら、もう成長しないように努力しようかと考えていると、ニズがぽふんとわたしのお腹部分に顔をうずめてきた。
「……つまり年増ってことです、ね……知ってました……」
竜種は成長に時間がかかるから、わたしはまだ若輩者ということになる。
ニズは一生の内の半分近くを既に生きているらしいから、ニズの発言は合っているともいないとも言える微妙な領域。
ニズを慰めるべきかもしれないけれど、衝撃を受けているニズもかわいいからじっくり観察してしまう。
そうやっていると、この間ヘリオスさんに言われたことが頭をよぎった。
「…成長しきったとします。それで、メイティさんは耐えられますか?」
とても意味深で、曖昧な表現だったけれど、ヘリオスさんを見ているうちになんとなく意味が分かってしまった。
ヘリオスさんはしょっちゅう変態臭を漂わせているけれど、あれでも結構耐えている。いつも耐えている。隣にいるミアさんの無邪気な笑顔を守るために。
ニズは何をしてもたぶん怒りはしないだろうけれど、静かに引くと思う。
ちょっと欲望のままにニズに襲い掛かったとしても許してもらえるくらいに、なれるだろうか。
わたしは、もっとニズに好きになってもらえるだろうか。
わたしは、もっとニズを好きになれるだろうか。
ニザーム氏は現在三十代前半。
この時代のこの国での人間種の平均寿命(王侯貴族、富裕層)を六十くらいということにしています。七十生きたらかなり長生き。
十話では終わらなかった…。次こそこの話は完結します。