Master_and_Slave(2).log
どうでもいい話だが、アントニオは日没くらいに業務を終了して、詰所から出て行った。鎧と兜を装着したままの姿だったのでまだ絶賛残業中かと思ったが、宿舎で着替えるそうだ。
少女の身元引き受けについては別の衛兵に引き継いだ事を手短に話し、その後はいかに面倒な大残業だったかを散々愚痴り、俺の渡したチップで深雪の牡鹿亭へ飲みに行くんだと話していた。
こんな胸糞悪い事件の後なんか飲まずにやってられるかとぼやいていた彼の意見には賛成だ。俺も出来ることならそうしたい。
しかし少女も、状況を知らせる衛兵もこちらには来ない。待ちぼうけが何時間も続き、やがて夜も更け、街のあちこちで明かりが消えていく。店じまいの時間のようだ。
『マスター、厳しい事を申し上げます』
街の灯りが一つ、また一つと消えていく様子を眺めながら衛兵の連絡を待っていると、シアの声が頭に直接届いた。
(……大体想像が付くけどな。何だ?)
『マスターはあの少女をどのようになさるおつもりですか』
無感情のような抑揚を抑えた声色だが、そこには非難の色が見え隠れしている。AIのくせに芸が細かい。
(とりあえずは回復させて、当面は何か出来る事を探してやろうと思う。なるべく早急に社会復帰が出来ればいいが……)
『恐れながら申し上げます、マスター。難易度はかなり高いと推測します』
(……理由を聞こうか)
『彼女の奴隷紋を解析した結果、少なくとも10年前には刻印された物である事が判明しました。彼女はある意味、生まれながらの奴隷です』
生まれながらの奴隷。その言葉の重さに気持ちが沈む。もしかしたら彼女は、幼い頃から先ほどのような虐待を受けていたのかも知れない。
そうでなくとも、誰かに所有され、指示された仕事を行い、どうにか生きてきたのだろう。現代日本で甘やかされて育った俺なんかには想像も付かない、とても過酷な人生だ。
『ずっと選択肢の無い人生だったでしょう。働けば生きていける、働かなければ生きていけない。それ以外の希望も持てずに生きてきたある日、これからお前は自由だ、好きに生きろと放逐される……果たして、彼女に速やかな社会的自立が可能でしょうか?』
(それは……俺が何らかの生きる道を示してやるしか……)
『ハッカー……犯罪者としてしか生きられなかったマスターがですか? 自由には程遠いマスターがそれを示せるのですか? 亡き妹さんへの気持ちが先走り過ぎて、彼女の処遇をないがしろにしていませんか? それは大変に無責任な話ではありませんか?』
機械故の無遠慮な言葉のナイフが、一番触れて欲しく無い所に突き立った。苛立ちを抑えられずSIを取り出して地面に叩きつけそうになったが、どうにか堪えた。
SIに八つ当たりしてどうする。そこを一番後ろ暗く思っているのは俺だ。そこが一番の弱点だと分かってるのも俺だ。
それに、勢いだけで行動したのは紛れもない事実だ。冷静さを失って柄にもなく義侠心を見せてしまったのは、スパイらしからぬ軽率さだったと思う。
とは言え、図星を突かれたショックがまだ抜けない。俺はSIを握り締める力をゆっくりと緩め、大きく溜息を吐いた。
『お気に触ったのであれば謝罪します、マスター。しかし、これは大切な事です。人一人の人生を狂わせた事に変わりはないのですから、責任はきちんと取らなければなりません』
(……じゃあ俺はどうすればいいんだ? 生まれてこの方犯罪でしか食えなかった俺に何が出来るって言うんだ?)
『……可能性を示すだけで終わるのではなく、共に歩くのはいかがでしょうか。先を歩む者として明かりを灯しましょう。困難を共にしましょう。窮屈な道を歩いて来た者同士、肩を寄せ合うのは難しくないはずです』
共に歩く。そんな事を考えた事はなかった。解放し、回復させ、金を与え、道を提示すれば勝手に何とかするだろうと心のどこかで思っていた自分が恥ずかしい。
『長期的な計画になるでしょう。数多のマイルストーンを経る必要があります。しかし、そうして歩いた先には、彼女にとって真の自由な未来が待っているはずです。……魔導師としての』
(魔導師としての?)
『そのお話は後日、本人を交えてゆっくりとしましょう。……どうやら聴取が終わったようですから』
詰所の入り口を見遣ると、女性の衛兵に連れられて少女が出てきた。服こそ新品のワンピースだが、オルバに傷つけられて出来た痣が痛々しい。
俺がそちらへ近づくと、少女はおどおどとした目つきでこちらを見、落ち着かない様子で一歩後退った。
衛兵は俺に向き直り、一例する。
「イザークさんですね、アントニオから引き継ぎは受けております」
「ああ。……その子は何と?」
「身元引き受けに関しては、積極的と言う訳ではありませんが、承諾しました。まあ、彼女も行く所がありませんから」
「そうか……」
積極的ではないと言う所に、少しだけ胸が痛む。俺の元に来たい訳ではない。ただ、一人では生きていけないから仕方なく。彼女にとってこの選択は、奴隷としての生き方の延長線上なのだ。
「戸籍登録は一週間以内に、身元引き受け人の登録は二週間以内に手続きを行ってください。身元引き受け人の登録時に、借金ではないお金で金貨10枚を提出する必要があります。各ギルドで発行する収入証明書も用意してください」
「金貨10枚……結構多いんだな」
「登録が終わって二ヶ月後には金貨9枚と銀貨8枚が帰って来ますよ。登録料ではなく、ちゃんと養えるだけの収入や蓄えがあるかどうかを確認する物ですから」
金貨10枚は今すぐに用意出来る金ではない。俺の今の手持ちは銀貨4枚に五角銀貨1枚、銅貨や鉄貨が数枚だ。
何らかの資金が必要ならギルドの口座をハッキングしたり、こちらでもスパイ活動をすればいい……そう思っていたが、考えを改めた。
役所に払う金は、この子が新しく生きていくために必要な金だ。生まれ変わる為の三途の河の渡り賃だ。人からくすねた汚い金であってはならないと思う。
金に貴賎も清濁もない、金はあくまで金であって何があっても価値は変わらない、ただの数字……それが俺のモットーであったが、今回はそれを封印する。
これから一生汚い金に手を付けない訳じゃない。今回だけだ。人生で一度くらいは真っ当に働いてもいいはずだ。
しかしそうなってくると、この世界における生活基盤が何一つ無い事に一抹の不安がある。
収入は無い、蓄えも尽きそう。そんな中余分に一人抱え込もうと言うのだ。綺麗事を抜かしているような状況ではない。それは分かっている。
見切り発車が過ぎたとつくづく思う。反省はしているが、後悔はしていない。
「それではイザークさん、この子をお預けします。……それともう一点」
「……何だ?」
「この子は奴隷ではありません。非合法に束縛を受けていましたが、今は解放され、自由の身です。彼女の尊厳を損なわないように、しっかり守ってあげてください」
「ああ、約束する」
衛兵に背中を押されて、少女が歩み出た。歩き方がぎこちないのは痛みのせいだけでは無さそうだ。猫背でこちらの様子を伺う様に、信用や信頼は感じられない。
「そういえば、この子の名前は?」
「……それが、話したがらなくて……分からないんです」
衛兵は困ったように答えた。俺は申し訳なさそうな表情のまま何一つ喋らない少女を見て、心の中で呟いた。
(これは前途多難だな)
『決めたのはマスターです、腹を括って下さい』
……シア、独り言にまで律儀に返答する必要は無いんだぞ。
—◇—◇—◇—◇—◇—◇—◇—◇—
深雪の牡鹿亭に帰るまでの間、少女と会話する事は一度もなかった。
俺の後ろをよたよたと追いかけてくる少女の為に歩く速さを緩めていたが、それでも距離が開いてしまう。仕方なく時々立ち止まって調整する。
回復薬が投与されているので、移動に支障がない程度には回復しているはずだ。それでも足元が覚束ないのは多分、アントニオも危惧していた身体的な障害のせいだろう。
夜も更けると気温が下がる。薄着一枚ではかなり寒い。少女には外套として使えそうな布を被せているが、歩くのが遅いのはそのせいもあるのかも知れない。
宿の受付に少年はいなかったが、その変わりに背が高く全体的にひょろっと長い中年男性と、酔っ払いと化したアントニオがいた。
鎧兜を脱いだ彼をアントニオだと認識出来たのは、SIのAR表示のお陰だ。身分証を魔力で遠隔スキャンしたのか、名前や年齢、所属や住所までしっかり記載されている。
がっしりとした筋肉質な肉体に明るい茶髪、剽軽さはあるが整った顔立ちが酒のせいで真っ赤になっている。
俺の後ろを追いかけてくるボロボロの少女を見て中年男性が訝しげな顔を向けたが、アントニオの説明のおかげで納得してくれたようだった。
何でも、アントニオがこんな時間までこの宿に残っていたのは少女の件をこの中年男性……宿屋の主人のハンスさんに説明する為だったとか。
本当はしっかり飲み食いしたかっただけなんじゃないかと思うが、今はとてもありがたい気持ちだ。やはりアントニオはいい奴だ。
「事情は分かりました、人数が増えても宿代は変わりませんのでご安心ください」
「ああ、そこらは昼にいた男の子から聞いている。この子の名前は……今の所は分からない」
「代表者の名前さえ分かっていれば大丈夫ですし、事情が事情ですからね。私どもでも何かお手伝いが出来ればいいのですが……」
「そうだな、とりあえず……部屋での魔術の使用を許可して欲しい」
「……ああ、そういう事ですか。本来は部屋での魔法の使用はご遠慮頂いておりますが……事情が事情ですからね。あまり強い光を放ったり、大きい音がする魔法はご遠慮ください」
傷を治す魔術の存在は、魔術リストで確認している。光ったり音がするかは使った事が無いので分からない。分からないなら分かる者に尋ねるのが一番早い。
俺はシアに念話で問い掛けた。
(シア、魔術の使用でその辺りの懸念はあるか?)
『一部強い光を発する魔術があります。防音・遮光の結界魔術がありますので、他の宿泊客に迷惑はかかりません』
(なるほど……それなら心配はいらないか)
シアと相談していると、随分とキラキラした視線をこちらに送っているアントニオが唐突に俺の手を取った。そして周りに関係者以外誰も居ない事を確認すると、小声で囁いた。
「……イザークさん、アンタもしかして、回復魔術が使えるのか?」
「あ、ああ。ビブリオ・マキナの補助があればな。それがどうかしたか?」
「今、治癒師が人不足なんだ。非正規でもいい、うちに来ないか?」
「あー……その、身元引き受けの登録時の金、一気に払えるだけの収入はあるか?」
俺がそう聞くと、アントニオは途端に真顔になり、俺の手を離した。
「イザークさんの就職がうまく行くよう祈っておくよ」
この世界にもお祈りメールのような文化があるとは思ってもいなかった。A世界ではもらった事がなかったので、ある意味新鮮な気分だ。
そしてアントニオ、引き際があまりにも良すぎるが、衛兵ってのはそんなに給与面の待遇が悪いのか?
—◇—◇—◇—◇—◇—◇—◇—◇—
宿屋の主人とアントニオに就寝の挨拶をし、部屋へと戻る。痛々しく階段を登る少女に手を貸してやりたかったが、不用意に近づいて怖がらせてもいけない。
飽くまで急がず、少女がついて来るのを待った。
少女が部屋に辿り着いたのを確認し、俺は部屋に鍵をかけた。
ポケットに手を入れ、SIを取り出した時……少女が初めて口を開いた。
「あ、あの……旦那、さま」
「旦那様はやめてくれ、俺は君の旦那でも主人でもない。君も奴隷じゃないんだ」
「で、で、でも、わ、私……私は何も出来なくて、あの……一人で……生きていけないから……お、お金も、お金もよくわからなくて……あの、ここ……も、わたし……あの、隅っこでもどこでも置いてもらえたら……って」
少女が何かを訴えかけようとしているのは分かった。しかし元来人と話すのが苦手なのか、それとも話す事さえなかったのか、どうにも要領を得ない。
多分、色んな感情や恐怖や不安が渦巻いているのだろう。まずはそこから解きほぐしていかなければ。
「シア、どうせ一緒に暮らすんだ。いずれバレる。念話は解除だ」
「かしこまりました。それがマスターのお望みであれば」
SIから流れる声に少女が驚き、あたりをキョロキョロと探るように見回す。声の主がどこにいるのか分からず、少女はさらに怯えを強くした。
「ど……どこかに人が隠れて……?」
「この声はこのビブリオ・マキナから出ている。分かりやすく言うと、このビブリオ・マキナには魂の様な物が入っていて、人と会話が出来るんだ。仲良くしてやってくれ……ってのも難しいだろうけどな」
「ビブリオ……っ!? 魔導師、さま!?」
これまでにない驚愕と怯えを露わにした少女は電気が走ったかのようにびくりと跳ねると、地面に額を叩きつけるような勢いで土下座のようなポーズを取った。
平身低頭で畏怖の念を表すポーズはどの世界も同じなんだなと変な感想を抱きながら、俺は膝立ちになって少女の肩に手を置いた。
「畏る必要はないよ。俺は魔導師じゃない。言ってしまえば見習いみたいな物だ」
「で、でも! わ、わ、わたし魔導師さまって知らなくて……ご、ご無礼を……」
まだ何もされていないのに、酷い怖がられ様だ。一ミリも顔を上げようとせずに震えている。これでは話も出来ない。
「シア、ちょうどいい。今のうちに魔法で治してしまおう。ドクターの所見はどうかな?」
「生体スキャン、完了しています。外傷の他、魔力回路が異常を来しており、その為いくつか身体的障害を誘発しています。魔術データベースから最適な回復魔術を選択します。」
シアの放った回復魔術と言う言葉を聞いた少女ががばりと飛び起き、部屋の外へ逃げようとする。が、ドアまで辿り着けない。見えない壁に阻まれている。
SIの画面を見ると、指示もしてないのに結界魔法を張っていたようだ。頼もしい奴だ。必死に逃げようとする少女へシアがいつもの無感情な声で告げる。
「防音・遮光を備えた物理障壁は既に詠唱完了しています。どこに行こうと言うのですか?」
「わ、わたし、お金ないです! 回復魔術、い、いっぱい、お金とられちゃう! 何も持ってないんです! わたし、何も! や、やだ! 死にたくない! 死にたくない、です!」
まるで借金取りから逃げるような怯え様だ。そんなに半狂乱になるほど回復魔術使いはヤクザ的なボッタクリを行なっているのだろうか。今度たかりに行ってみるのもいいかも知れない。金はある所にはあるのだ。
しかし、それは今はどうでもいい。汚い金には手を付けないと決めた事もある。今はとにかく、少女の治療だ。
「シア、魔術の選定は済んだか?」
「はい。マテリアライズで魔力体を生成し、保定します。センスジャックで痛覚を遮断し、エクストラヒールで全てのダメージを取り除きます。その間、彼女の魔力をSIにバイパスさせ、流量を調節。既に特定した異常を来している部分を治療し、リカバーとキュアをかけ、仕上げにピュリフィケーションで洗浄すれば術式完了です。シミュレートによると成功確率は99%以上、魔力消費はSI貯留分の67%です」
「よしドクター、術式開始だ」
「や、やめて、ください! おかね、おかね、ないのに! や、やだぁ!」
少女の暴れっぷりを見ていると、オルバなんかよりよっぽど酷い虐待をしてるんじゃないかと自分を疑ってしまう。ズキズキと痛む心に鞭打って、術式の開始を宣言する。
魔力体ですっぽりと少女を覆い、固定する。別にモディファイ・クオリアは必要ない。固めてしまえばいいだけだから。息は出来ているようで一安心だ。
エクストラヒールが発動し、少女の体が光を放つ。傷がとんでもないスピードで塞がり、痣が油汚れに洗剤を落としたかのように消えていく。この時点で既に彼女の痛覚は切られている。高度に発達した魔術には麻酔もいらないとは恐れ入る。
SIを持つ手に、今まで感じた事のない異質な何かが流れ込んでくる。多分少女の魔力だろう。術式が後半部分……彼女自身の魔力で身体に異常が発生しているのを治療するフェイズに突入している証拠だ。
視覚が魔力ソナーに切り替わる。こうして見ると、少女の体のあちこちにぼんやり映る影がある。魔力の異常のある箇所とはここの事だろう。
しかしそのぼんやりとした影は徐々にその数を減らし、最終的には一つも残さず消え去った。
「魔力の異常とは、流れの対流や逆流、閉塞によって起きます。そこで肉体が魔力に影響を受けて、変質します。野生生物が魔物化するプロセスと同様です」
シアが術式の解説を行なっている中、少女は骨の軋む音や筋肉を引きちぎるような音を発している。彼女自身も相当混乱しているが、痛みを感じている様子はなさそうだ。
「強めのキュアとリカバーをかけていますので、これまで正常でなかった部分が矯正されます。ただ、正常でなかった部分が余りにも多過ぎる為、骨や筋肉が大幅に組み変わり、激痛を発します。その為の痛覚遮断です」
現代日本でも出来ない荒療治だ。俺なら痛覚を遮断されても悲鳴を上げそうだ。
やがて少女を固定していた魔力体がディスペルによって消滅すると、少女はそのままへたりこんでしまった。
「大丈夫か?」
「え、えっと、あの、大丈夫、です……大丈夫じゃ、ない……けど」
抱え起こした少女は……とても美しかった。
酷い扱いで抜けたりボサボサになっていた髪も綺麗になり、白く透き通るような肌も傷一つ残っていない。
あれだけ腫れていてお化けのようだった顔もすっきりと治っており、年相応の可愛さがありながらパーツの均整がとれている。
少し離れていても届いていた、すえたような悪臭も、今ではすっかり感じられない。
思い出補正が掛かっていても、妹は……亜璃亜はここまで可愛くはなかった。別に亜璃亜を貶している訳ではないのだが。
「わ、わたし……なにもないです……ど、どうしたらいいですか……? な、何でもします……から」
「じゃあそうだな、名前を教えてくれないか」
「名前……わたし、名前……ありません。覚えて……いません。おいとか、お前とか……名前、呼ばれたこと、ありません」
その辿々しい言葉に、頭をハンマーでガツンと殴られたような衝撃を感じた。名前がない。そんな事があるのか? つまり彼女は今まで個人を認識する記号を与えられずに生きてきたのか?
「あの、魔導師さまも、わたしのこと、おいとか、お前とか、呼んでください。大丈夫、です。すぐに、お返事、します、ので……なんでも、します、から」
「……もし、良かったらだが」
「……はい?」
「君に名前が無いのなら……貰って欲しい名前がある」
少女が一瞬びくりと震えたのが、俺の手に伝わる。
「お名前……いただけるん……ですか?」
「ああ、君が嫌じゃなければな」
「……あの、お願い……します……あの、わたしは、別に、お前、とかでも」
俺は少女の目を見つめて、ゆっくりと、丁寧に語りかける。
「アリア。俺の死んだ妹の名前だが、君に受け取って欲しい。妹の分まで、幸せに生きて欲しい。どうだ?」
「アリア……いいお名前、です。いいん……ですか? 妹さんの、お名前で」
「いいんだ。それとも死んだ人間の名前は嫌か?」
俺が訪ねると、少女は被りを振って否定した。
「そんな……そんなこと、ないです。大事な、お名前……いただき、ます」
「ああ。俺もまた妹が出来たみたいで、嬉しい」
「えへへ……魔導師さまの、妹……ですか、おそれ、おおい……です。はい」
照れたように笑う少女……いや、アリアの頭を撫で、俺は首を横に振った。
「俺はマドウシサマではない。イザークだ。イザークと呼んでくれ」
「イザークさま……はい、よろしくお願いします、イザークさま」
ぺこりと頭を下げるアリアだが、その目はしょぼしょぼとしている。もはや夜と言うよりも夜半と言ったほうがいいだろう。眠気を堪えているのが目に見えて分かる。
「眠いか?」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ちょっとだけ……眠らせて……ください、すぐ働きます……から」
「……今日は嫌と言う程寝ていいぞ、もう奴隷じゃないんだからな」
「ごめん……なさい……ごめん……」
最後まで俺に謝り続け、アリアは眠りに落ちた。何だかこの子の闇に触れたようで、少しもやもやとした気分にさせられた。
「俺がどうにかしてやらないとな、まずは金か」
『明日は早めに冒険者ギルドに向かいましょう。私も依頼のサポートを致します』
眠ったアリアを起こさないようにか、シアは念話モードに切り替えていた。俺も口を紡いで、念話で応じる。
(お前、結構キツい事言う割には協力的だよな)
『マスター。私は機械であり、AIです。つまり私はマスターの忠実な奴隷であると言えます』
(忠実? ハッ、お前の様な反抗的な奴隷がどこにいる)
『僭越ながら、私はわがままや否定的な意見を申し上げる事はありますが、マスターの命令を拒んだ事はありませんよ』
(ああ言えばこう言う……まあいい、今後ともよろしく頼む)
『はい、よろしくお願いします』
(あと一つだけ言っとくとな)
アリアをベッドに寝かせた俺は、もう一つのベッドに身を投げ出し、照明の魔道具をオフにした。
(お前は奴隷じゃなくて、相棒だよ)
『……かしこまりました。ありがとうございます』
今日はショックを受けたり、考えさせられる事の多い一日だった。お陰でとても疲れており、俺もすぐに眠気に襲われた。
薄れていく意識の中で、AIのくせにやけに嬉しそうな、シアの笑い声を聞いた気がした。
これで一旦ひと段落……と同時に、書き溜めが完全に尽きました。
ここから先は自転車操業状態になるのですが、
色々と立て込んでおりまして、更新頻度がちょっと落ちます。
エタるつもりは無いので、のんびりお付き合い頂ければ幸いです。
ついでに言う話でもないですが、
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