Ixias.log
夜も明けやらぬ早朝、俺は穴倉を出発した。センス・ユーティリティで目的地をAR表示にし、その方向へ歩いていく。
マテリアライズでは生物を作れない。モディファイ・クオリアは良く知らない物を作れない。車や自転車、馬やラクダ等移動手段の工面は不可能だ。
こんな事なら機械工学や機械修理を学んでおけば良かったと悔やんだりしたが、それも最初だけ。歩くだけの圧倒的に暇な旅路が、俺から無駄な思考を削り取っていく。
森森湖森森森山山山山森森森森草原草原森山山……と言った感じの地獄の単独ハイキング。標高が高い部分では雪が積もっており、なかなか寒い。
急ぐ旅でもないとゆっくり歩いているが、正直な所、飽きてきた。
シアに念話で俺がかつて使っていたスマホから吸収した音楽ファイルを脳に直接送ってもらっているお陰で、何とか退屈を凌いでいる。やはりEDMは良い。テンションが上がる。
用心の為に作っておいた剣鉈も出番が無い。時折シアが危険な生物の反応を読み取っては教えてくれる。事前に避けられるのに、無益な戦闘を好んでする訳がない。
腹が減ったら食事を用意し、暗くなるまえに焚き火とテントを準備して、眠くなったら眠る。警戒はSI任せだが、一度も起こされる事はなかった。
そんな旅程をこなし、俺は三日目の昼過ぎにイクシアスの街へと辿り着いた。
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『マスター、街に入る前にいくつか注意事項があります』
高い石造りの城壁が近づいた時、シアが念話で話しかけて来た。
「何だ、何かあるのか?」
『このまま進むと門番がいます。街に入る為には身分証を提示し、入門税として銀貨2枚を払う必要があります』
「それは安いのか、高いのか……まあ、分かった。それはいい。身分証なんて持ってないが、どうするんだ?」
『身分証の提示を求められたら、当機を見せて下さい。身分証読み取りの魔道具が出てきたら、当機をかざして下さい。欺瞞用の情報を送信します』
思ったよりもハイテクな装置を用いているようだ。いや、それよりも戸籍の管理をきちんと行えるくらいには技術力……と言うよりも魔術力? が高いのだろうか。
それに読み取り装置でSIを出しても問題ないのであれば、SIの様な装置がある程度普及していると言う事だ。スマホと同じアプローチで開発されたとは思わないが、それでも技術の粋を結集した製品である事に変わりは無いだろう。
しかしこんな出入り口でスキャンと言うと、俺はどうしても電車の改札口を想像してしまう。
「まるで交通系ICだな……入門税もそれで払えるなら便利なんだがな」
『各ギルドの口座があれば可能です』
「……ハッキングでどうにか出来ないのか?」
『魔力路を辿って口座データベース用の魔道具にアクセスする必要がありますので、すぐにと言う訳にはいきません。ギルド側のダブルチェックに引っかかります』
あまりゴソゴソやってても怪しまれるだけか。変に警戒されるよりは、きっちり金を払った方がいいだろう。
俺はポケットから魔力で作った小銭入れを取り出し、支払いに備えた。
「じゃあしょうがないか。他に何かあるか?」
『今まではマスターただ一人だったので問題ありませんでしたが、この街にはかなりの人数がいます』
「ああ、そうだな」
『念話は喋らなくても念じるだけで呼びかけが可能です。今までの様に独り言を呟いていると不審者として見られる事でしょう』
じゃあ何だ、俺はこれまでの旅路ではずっとぶつぶつやってたって訳か?
それどころか、あの穴倉や遺跡でもずっと独り言を喋っていた訳か?
……本当に一人で良かった。
(こうか?)
『そうです。これで会話内容を他人に察知されません』
(……それも早めに教えて欲しかったがな)
『直ちに必要だとは思いませんでしたので』
いい性格してやがる、スマホの癖に……と毒突こうとした時には、そびえる城壁の足元……城塞都市イクシアスの門へと到着していた。
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「こんな時期に旅人とは珍しいな、寒かったろう?」
暇そうにしていた門番は俺の姿を認めると、こちらへと歩み寄って来た。
「ああ。手と尻が凍るかと思ったよ。お陰で酒もすっからかんだ。手続きをしてもいいか?」
「ああ、身分証はあるか?」
「ここに」
酒なんて作りもしなかったし、一滴も飲んではいないのだが、嘘も方便だ。俺はSIをポケットから出し、門番に見せた。
「お、ビブリオ・マキナか。まさか魔導師サマだったとはな」
「よしてくれ、そんな大層なモンじゃない。幸運だっただけさ」
「遺跡かダンジョンで拾ったクチか? ちゃんと役所で魔力パターンの更新はしたかい? 時々忘れて前の持ち主の情報が出る事があるからな。そうなりゃ別の身分証を出すか、牢屋で一晩ご宿泊だ。分かるだろ? さ、これにかざしてくれ」
門番が持ってきたややスモーキーなガラス板にSIをかざすと、煌めく光の集まりが文字となり記号となった。門番はそれを確認し、読み上げていく。
「エラー無し。犯罪歴も無し。名前はイザーク、27歳の……ん? 何だ、ギルド登録してないのか? 一つも? 口座も持ってないのか?」
「ああ、持ってないんだ。いっそこの街で登録するのも悪くないかなと思ってな」
「なるほどねぇ……しかしいつも現金払いだと不便だろ?」
「そうでもないさ。こういう事も出来る」
俺は小銭入れから銀貨を三枚取り出して、そっと門番に握らせた。
「余った分で仕事終わりにでも一杯やりな。こんな寒い所で立ちんぼだ、そのくらい許されてもいいだろ? その変わりと言っちゃ何だが、オススメの宿屋を教えてくれないか」
「何だ、話の分かる奴じゃないか。確かに現金のやり取りは口座振替にない温かみがあるよな。心付け、有り難く頂くとするよ」
俺は門番から「深雪の牡鹿亭」と言う、安い割に飯が旨い宿屋を紹介してもらい、街へと入った。
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発達した技術は魔法と見分けが付かない、と言ったのは誰だったか。元ネタが誰の言葉なのかは当然知らないが、ハッカー仲間の中では確かst@rm@nが言っていた気がする。
確かに、技術を持たない者からすれば、高度な技術は魔法と変わりないだろう。それは分かる。俺も自動運転の車を見た時は魔法だと思ったモンだ。
では、もし実際に魔法があれば、そして適切な進化をしていれば、地球の発達した技術と見分けが付かないのだろうか?
俺は、その答えはYESだと言える。きっぱりと宣言したっていい。
何故なら、今俺はその「発達した地球技術と遜色の無い、高度な魔法技術」を見せられているのだから。
そこかしこを闊歩する人々を見ると、地球よりも多少文化レベルが落ちると言わざるを得ない。一般人に混じって戦士や狩人、魔法使いや騎士の姿を見かける。彼らがコスプレに見えないのは、一般人の格好が現代的ではないからだろう。
だが、この街の景色はどうだ。見た感じはイギリスやイタリアのようなヨーロッパ然とした街並みなのだが、A世界にある技術製品と遜色ない代替品が、至る所に見受けられる。
街灯が何本も道に沿って建てられ、商店の物と思われる木製のドアは客を出迎えるように勝手に開き、スチームパンク系の映画にでも出てきそうな二足歩行の乗り物が何台か動き回っている。
やや遠い所にある時計塔には大きな街頭ビジョンが設置されており、何やら広告を流している。
そしてそれらは全て、WCEで干渉が可能だった。まだ実際に全て試した訳ではないが、少なくとも街灯と木製の自動ドアはこちらの操作で勝手に開けられた。
本当にここは異世界なのか? 何か間違った進化をした地球のIFの姿ではないのか? そんな思いがぐるぐるも頭を巡って、到底落ち着ける物では無かった。気分は正しくお上りさんだ。
(凄いな、この街は。余りの事態に頭が追い付かん)
『大丈夫です、すぐに慣れますよ。それよりも、先程はお見事な対応でした』
(門番の事か?)
『はい、挙動不審な様子を見せていたらどうなっていたか分かりませんでした。演技がお得意なんですね』
(演技の一つも出来ずにスパイなんて出来るか)
そう言えば、一つ気になる事を言っていた。門番がSIを見て言った「ビブリオ・マキナ」。多分B世界で開発されている、もしくはされていたスマホを指すんじゃないかとは思うのだが……
(ビブリオ・マキナとは何だ?)
『ビブリオ・マキナはこの世界の魔導書です。遺跡から出土した古代の魔道具から着想を得て作られました。当初は電子辞書程度でしたが、利便性を追求した結果、今では対応する魔道具との非接触での通信が可能になりました。AIは非搭載です』
(……もしかして、お前もビブリオ・マキナなのか?)
『SIはスマートフォンでも、ビブリオ・マキナでも、どちらでもありません。但し、双方の特性を兼ね備えております。SIは地球の情報処理のアプローチで魔道具の技術を利用した場合のテストケースとして開発されました』
(じゃあお前やお前の仲間をどう呼べばいいんだ?)
『開発プロジェクト名はデウス・エクス・マキナでした。開発コードは頭文字からDEM。当機はDEM-01とされていました』
いつも思うが、何でアトロポスの連中はそんな拗らせたネーミングセンスをしてるんだ? 一部の若者がよく罹患する精神的な病を持病にしたまま大人になったような感じだ。
(……どうする? 今からでもそう呼ぼうか、DEM-01?)
『もしその呼び方を継続するのであれば、WCEとセンス・ユーティリティと魔術データベースをロックアップします。解除条件はマスターからの心のこもった謝罪とします』
(……やめとこう、リスクが高い)
シアと下らない話をして、ようやく気持ちの整理が出来た。俺は門番に教えてもらった宿屋を探して、あちこち歩き回った。
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大通りでクレープの様な菓子を売る店の角を曲がり、しばらく進んだ所にある三階建ての大きな建物。
門番に教えてもらった深雪の牡鹿亭は、看板こそ古びていたが、立派な佇まいの宿だった。丁寧に使われたのが見て取れる。重厚なドアは客を待ち侘びるように開きっぱなしになっていた。
中に入ると、カウンターには少年が一人。宿帳の確認をしているようだった。人が入ってきた事に気付いた少年は、俺に笑顔を向けて出迎えてくれた。
「ようこそ、深雪の牡鹿亭へ! 申し訳ないけど、酒場はまだ開いてないんだよね。泊まりかな?」
「ああ。一人分お願いしたいんだが、いいかな?」
「ウチは一部屋ごとの料金だから、何人でも銀貨4枚だよ。冒険者の集団とかが多いからね。仲間とか友達とかいないの? 人数で割ったら安くなるけど」
「いや、気ままな一人旅さ。さっき門番からここが良いって勧められてね」
「今日の門番って言ったら……アントニオさんかな? ウチによく飲みに来るんだよ。紹介してくれた分、ツケから引かなきゃなあ」
俺と雑談しながらも、少年はテキパキと仕事をこなしていく。部屋の鍵を用意し、宿帳とペンをこちらに向けてきた。
「じゃ、ここに名前書いて。文字は書ける人? 代筆いる?」
「いや、大丈夫だ。……これでいいかな?」
「イザークさんね。はい、じゃあコレ部屋の鍵。代金は先払いだよ」
俺は鍵を受け取り、小銭入れから五角形の金貨をカウンターに置いて、訪ねてみた。
「これで泊まれるだけ泊まるって出来るかな?」
「え、本当に? 今の時期は空いてるから別に大丈夫だけど……そしたら12泊だね、銀貨2枚のお返しっと。食事代は別料金だからね。朝と晩は酒場が開いてるから、食べてってくれると嬉しいよ」
「分かった、適当な頃合いにお邪魔するよ」
「部屋はそこの階段登って右の突き当たりだから。湯桶が必要だったら、早めに言ってね。じゃ、どうぞごゆっくり」
俺は少年が指差した階段を登り、指定された部屋のドアを開けた。多人数での利用を勧めるだけあり、部屋の広さはなかなかの物だ。日本で言えばファミリープランの洋室を少し広くしたくらいだろうか。
確かに古びてはいるが、心を込めて手入れしてきた事が窺える家具がバランス良く配置されている。大きめのベッドが二つ、ソファが一つ、丸テーブルに椅子が4つ。確かに大人数で泊まる事が想定されている。独り身には少し広すぎる。
寝具も最上級と言う訳ではないが、品質が良い。少なくとも、穴倉に放置されていたベッドや旅の間お世話になった保温シートや寝袋とは比べ物にならない程上質だろう。今日はよく眠れそうだ。
(なかなか良い部屋じゃないか)
『はい。冒険者向けの宿にしては質がいいですね』
(冒険者……そういや冒険者って、何だ?)
俺は疑問を素直にシアにぶつけた。
『この世界の就業形態の一つです。冒険者ギルドに寄せられた依頼を受注し、一定の成果を納める事で報酬を得る請負業務を行う者を指します』
(なるほど……それは俺でも就業可能か?)
『はい。登録は比較的容易に出来ます。この街にも冒険者ギルドはあるはずです。後で寄ってみますか?』
(ああ、街の構造を覚えるために一通り周らないといけないからな)
景色を眺めようとカーテンと窓を開けると……何やら表が騒がしい。人々のどよめきと怒鳴り散らす男の声。何か問題事でも起きたのだろうか。
騒ぎなんて物は、俺みたいな人間が情報や金を稼ぐには持ってこいのイベントだ。特に人の後ろ暗い部分が原因であるなら、尚の事だ。
俺は急いで部屋を出て、宿の外へと飛び出した。