Demonic_Wolf(2).log
2020/01/11 キャラクター名のミスを修正しました
(さあ、もう痛くないだろう? 山に帰れ。そして人間を襲おうとしないでくれ。また同じ目に遭うだろうからな)
俺の念話を受けて魔狼は……全く動く気配がない。近付く素振りも立ち去る様子も無く、ただただこちらを見つめている。
敵意こそ感じないが、その存在感は非常に強い。俺達の目の前に現れた時の、絶望を駆り立てる恐怖の象徴のような物とは違う。
生き物としての格が野生の動物とは全く違う、何なら神聖さすら漂わせている銀色の大狼。それが襲いかかるでもなく、ただただそこに存在している。これは存外、心臓に悪い。
(おい、聞こえてるか? どうした?)
念話で呼び掛けても返事が帰ってこない。せめて何らかのリアクションが欲しい。
(……シア、念話が死んでるのか?)
『いいえ、チャンネルは開いたままです。対象の意識が途絶したり、会話を拒絶されると自動でチャンネルが閉じる仕様です。なので少なくとも意識があり、なおかつ会話する意思もあると思われます』
(じゃあ何故応答しない? シカトされてるのか?)
『……分かりません、魔狼のスキャンを行います』
シアが魔狼の状態を解析してる間も、魔狼から目を離さない。睨み合いと言うほど剣呑な物ではないが、俺はSIと特殊警棒を握ったままで警戒を続けた。
沈黙を破ったのは、長いこと俺の呼びかけを無視し続けた魔狼の方だった。
『……長いこと……長いこと、悪夢を見ていたようだ』
その穏やかな思念からは、敵意や害意が全く感じられない。今も中空を見つめている視線は虚ろではあるが、理性の光が見える。
『何が始まりだったかは、分からない。もはや覚えてすらいない。癒ぬ傷はいつまでも痛み、私の心を蝕んだ。視界は常に赤に覆われ、いつしか思考も殺す事と食らう事のみに囚われていた。……あるいは、誰かが殺してくれないだろうか、と』
不意に、魔狼の目がこちらに向けられた。極大のサファイアを思わせる深い青色の瞳が俺を真っ直ぐに射抜いた。
『私は狼だが、この世界の理は知っている。私が生きて救われる道は既に無く、死ぬまで苦痛と憎悪に苛まれ続けるしかない事も。……おそらく私を殺せる者も、簡単には見つからない事も』
基本的に皆、自分の魔力にしか干渉できない。例外もあるにはあるが、そのほぼ全てが高度な魔術であり、気軽に使える物ではない。
それは人間に限った話ではなく、生き物であれば何者も逃れることの出来ない摂理だ。
『だがお前は、私を救ってくれた。呪いの様に食い込む魔力の軛から解き放ってくれた。癒える事の無い傷を立ちどころに癒してくれた。私の心に寄り添い、声をかけ続けてくれた。誰でも出来る事ではない……いや、誰にも出来ない事だ』
ふと見ると、魔狼の目からは涙が止めどなくこぼれ落ちている。俺は動物の生態はサッパリだが、狼も泣くのか? それともこいつが特別なんだろうか?
『私は狼だ。野を駆ける只の獣だ。しかし獣とて恩に報い徳に謝すだけの心はある。しかしどうすればお前への恩に報いる事が出来るのか分からない……受けた恩が大きすぎる。私はどうやって返したらいい?』
(いや、恩返しとか別に望んではいない。このまま帰ってくれれば……)
『命を、そして心を救ってもらった恩だ。ならば命を以て、心を以て報いるのが道理だ。違うか?』
(そうだな、命の借りは命で返してくれたらいい。俺達はこのまま帰るから、放っといて……)
『やはり私の命を、この身を全て捧げる事でしかこの恩に報ずる事は出来ない。私はこれよりお前の……いや、主殿の忠実な僕として生きていく事を誓おう』
(……なあ、俺の話を聞いてるか?)
『勿論。主殿とその後ろの雌どもを集落にお連れする事が私の最初の仕事だと言うことだろう?』
(聞いてないだろう、お前! 俺の話を! これっぽっちも!!)
俺としては帰ってくれるだけでいい。そもそも下僕やペットの類が欲しくて魔狼を浄化した訳じゃない。スキルに魔獣使役があるのは覚えてはいるが、こんな仰々しいペットは正直手に余る。
もっとこう、小柄でいいんだ。せめて小鳥や子犬あたりから始めたい。こんなに大きいと宿にも泊まれないし、何より食費が高く付くだろう。うちは今、緊縮財政だ。
どうにかして断りたいと知恵を巡らせていると、シアが予想外の提案を持ちかけて来た。
『マスター、この魔狼を従魔にしましょう』
(おいシア、お前何言ってんだ!? どうやって飼うつもりだ!? 場所も金も無いんだぞ!?)
『この魔狼は既に全ての体組織が変質し、完全な魔獣と化しています。混ざり物でしたら不可能でしたが、この魔狼であればSIのストレージ内への収納が可能です。食事を摂取する必要もなく、魔力だけで生活出来るので、SIの内部貯留分で賄えます』
一瞬脳内に卵形のLCDゲームが思い浮かんだ。大昔、空前絶後の大ブームを引き起こした電子ペット育成ゲームだ。俺は実際に遊んだ事は無いが。
『何より、手駒は多い方がいいでしょう。今回のヨルガの花束の一件で理解されたと思いますが、人間は何らかの害意を持ってマスターに近づく可能性があります。決して裏切る事の無い手駒を幾つか抱えておく事は、いざと言う時の助けにもなります』
(確かに、それもそうだが……)
『これは推測ですが、騎乗動物として利用出来ると思います。馬ほど使い勝手の良い乗り物ではないでしょうが、生物の枠を超えた狼ですから、下手な駄馬よりは高性能かと思われます』
俺がこの世界に来て一番大変だったのが移動だ。あの穴倉からイクシアスまでの道のりは、道呼ぶにはお粗末な物だった。
A世界で言えば、発展途上国の僻地のような土を踏み固めただけの道だ。アスファルトもコンクリートも無い、凸凹の多い道しかなかった。
SUVやオフロードカーでもなければ走行不能だろうと言う酷い道もあった。車でなくてもバイク、ないし馬でもなければ長距離の移動は大変だ。
確かに騎乗動物は欲しかった。欲しかったのだが……
(本当に乗れるのか? こいつに?)
『主殿、私は問題無い。私の背中に乗り、一度指示を頂けたら疾風迅雷の素早さで目的地まで送り届けてご覧に入れよう。何なら馬車を引いてもいい』
(お前はお前で少しプライドを持つべきなんじゃないか?)
『私は主殿に仕える事にプライドを持っている、その邪魔になる些細な拘りは持たぬ事にした』
(もう従魔になった気でいやがる……しょうがない、分かったよ。従魔にしよう)
もはや根負けだ。どうせこいつは人の話を聞かない。シアの言う通り、有用性もあるしコストもかからない。それなら手元で好きにさせておいた方がいい。
(それで? どうやって従魔にするんだ?)
『従魔にする方法は、まず服従の意思を見せるまで対象を叩きのめします』
『私は既に主殿に服従しているのだが?』
(念話に入って来るな! シア、次だ次!)
『はい。では対象に名前を付けてください。その後の術式はこちらでやります』
(名前……名前か……hoge——)
『マスター、先に申し上げておきます。私の時の様に仮の変数から付けようとするのは流石に可哀想です』
俺にネーミングセンスを求めるのが間違っている。かと言ってアトロポスのネーミングセンスも見倣いたい物ではない。
オオカミ、英語で言えばウルフ……北欧の伝説にはフェンリルとか言う狼の化け物がいたな……いや、そっちはアトロポス側のセンスだ。
魔狼……魔狼なんだよな、魔狼、まろう……
(フィリップ……とか)
『何か由来があるのですか?』
(魔狼なんだろ? フィリップ・魔ー狼……なんてな)
昔一度だけ読んだハードボイルド小説の主人公の名前に引っ掛けただけのダジャレだ。勿論本気じゃない。
『マスター、先に申し上げておくべきでした。動物の見分けに明るくないのは仕方が無いと思うのですが……この個体は、メスです』
(……何だ、こいつメスだったのか? じゃあフィリップはマズいな、別の名前を……)
洒落も空振り、ツッコミも無い。その上メスに男の名前をつけようとしてしまった。
失態を取り返そうと無い頭をフル回転して名前を捻り出そうとするが、シアの声がそれにブレーキをかけた。
『申し訳ありません、マスター。性別に関する指摘が遅かったようです』
(ん? どうした?)
『この魔狼が勝手にフィリップを自らの名前として認めてしまいました』
(は?)
魔狼に目をやると、実に誇らしげな顔で俺を見つめていた。我が意を得たりと言った表情だ。俺の気も知らないで、勝手な奴だ。
『申し訳ない、主殿。話は聞かせてもらった』
(話を聞いてたなら分かるだろ? フィリップは男の名前だ。女の名前を付けてやるから、それは破棄しろ)
『主殿からの初めての贈り物、何故捨てる必要があろうか? 私は男の名前であっても一向に構わない』
(俺が構うんだが)
『そもそも、名前の雌雄はどうでもいい。私にとって重要なのは主殿の僕として尽くす事であり、私自身の名前の意味に興味は無い。契約に必要であり、主殿から頂いた名である事のみに意味がある』
(……だったら別の名前でもいいのでは?)
『二番目では駄目だ。初めて頂いた名である事に意味がある。主殿が何と言おうと、私はフィリップ、フィリップなのだ』
冗談で付けた名を気に入られてしまうのは、俺としては心苦しい。しかしここまで強情な奴に諦めさせる方法が思いつかない。
あまり時間もかけられないし、どうせ便宜上な物だ。後で変更させる手段もあるだろう。
(こいつが諦めてくれない以上、しょうがない。シア、フィリップで行く。本人の意思だからな)
『……かしこまりました。プロパティを確認します。個体名:フィリップ、性別:メス、カテゴリ:神獣、種族:天狼、マスターに対して服従と崇拝の意思を持っています。従魔登録を行いますが、よろしいですか?』
(……ツッコミ所が多すぎてどこから追及すればいいのか分からんが……もういい。さっさと終わらせて帰りたい。頼んだ、シア)
魔狼……フィリップの姿が一度、強い光を放つ。その光が収まってよくよく見てみたが、何も変化が無い。
(……特に何も無いな、奴隷紋みたいなのは無いんだな)
『いいえ、見えやすい所に従魔の認識票を掲示しておく必要はあるのですが、身体に直接刻み込まなくても装飾具で代用出来ます。マスターにはドッグタグと首輪の作成をお願いします』
(マテリアライズで勝手に作っていいのか? 然るべき店で買った方がいいんじゃないのか?)
『このサイズの魔獣の認識票は取り扱いが無いと思います。特注になるでしょう。それに付ける魔獣が魔獣なだけに、一般的な品では耐久性に難があります。ならば、マスターが用意されるのが一番長持ちします』
シアの説明が終わると同時にウィンドウが開き、作成すべき品物の具体的な図面が表示される。この図面通りの物を作れと言うことだろう。
自分のイメージだけで作る方法には慣れたが、図面に合わせる方法は初めてだ。俺はいつものマテリアライズとモディファイ・クオリアで丁寧に魔力を操作し、ドッグタグと首輪を作った。
ドッグタグにはフィリップの名前と種族、そして俺の名前が刻まれている。首輪は艶やかな光沢を放つ革製だ。どちらも上手く作れたと思う。
(よし、フィリップ。こっちに来い、首輪を着けるぞ)
『おお……おお、これで私が主殿の僕である事を誰もが理解してくれるのだな? 何と誇らしく、嬉しい事か』
首を下げて首輪を着けやすいように調整してくれるのはいいが、澄ました顔をしたまま尻尾をブンブン振り回しているのはどこからどう見ても犬だ。
(誇り高い狼なら首輪ハメられて喜ぶんじゃない……よし、出来たぞ)
『何度も言うが、私にとって最大の誇りは主殿の僕でいる事だ。それ以外は些事に過ぎない』
やはりコイツは狼じゃないんじゃないかと思う。忠誠度が完全に犬だ。大きくため息を吐いて別の忠犬の存在を思い出す。レイラ達三名の女性冒険者だ。
確か、俺がフィリップを浄化するにあたって邪魔になるから隔離しておいたはずだ。ナイスアシストだと思うが、危険の去った今でも障壁を張っているのであれば、魔力の無駄になる。
(シア、あの三人娘はどうしてる? まだ障壁は残しているのか?)
『いいえ、浄化及び従魔化に伴い魔術サーキットのリソースが不足しましたので解除しております』
(じゃあ何でこっちに来ないんだ?)
俺が三人娘の方を見ると、彼女達は皆腰を抜かしてへたり込んでいた。目には明らかに怯えが宿っている。皆の視線がこちらに向いているが、恐怖の対象はフィリップか、もしくは俺か。
なるべく怖がらせないようにゆっくりと近づく。……が、一向に怯えた様子は治らず、より一層酷くなっていく。
接近した事で分かるが、彼女達の視線が俺ではなく、中空を見つめている事が分かる。俺もそちらを向くと……
「……お前か、フィリップ。五歩下がっておすわり、しばらく待機」
俺の後をフィリップがついて来ていただけだった。ビジュアルは大きく変わったものの、先程までおどろおどろしい姿で命を刈り取ろうとしていた魔狼が近寄って来たら、誰だって怖い。
しばらく離れておくように声で指示を出した。これはフィリップが俺の言葉を理解出来るかどうかのテストの意味もあるが、三人娘にフィリップが俺の支配下にある事を理解出来るようにわざと仕掛けた演出だ。
フィリップは俺の言葉を理解し、五歩下がっておすわりの姿勢で待機している。清々しいまでのドヤ顔だが、現状では素直でお利口さんな犬と大差無い。
「あ、あの……イザークさん、あの……魔狼は? 魔狼はどうなったんですか? イザークさんは無事ですか? 怪我は……怪我はしていませんか……!?」
レイラが体を震わせながら俺に尋ねる。よく見ればレイラの座り込んでいる地面は濡れそぼっており、失禁してしまっている事を如実に示していた。
しかしそれはレイラだけではなく、イルマもそうだ。アミエラはどうにか耐えたようだが、それでも震えを止められずにいる。
俺は鞄に手を突っ込み、いつものマテリアライズとモディファイ・クオリアでバスタオルを3枚用意し、さも鞄に用意していたかの様に取り出して一枚ずつ渡していく。
……いや、アミエラには不要だったが、念のためだ。
「ああ、浄化して従魔にした。こいつの名前はフィリップだ。もう人に危害を加えることはない」
「……は? え? 浄化? 従魔? 嘘でしょそんなの、何の冗談なの……?」
俺の言葉にいち早く反応したのはアミエラだ。彼女はフィリップが現れる前から俺に魔獣の危険性を説いていた。魔獣には詳しいはずだ。
だからこそ、あの状態の魔獣は手を付けられないほど凶悪で、倒すしかない事を理解しているのだろう。
「俺のディスペルは特別製なんだ、魔力の浄化に特化していてな。これくらいなら何とかなるんだ」
「だって、だってイザークさん、あれもう魔獣なんてレベルじゃないですよ? あの神々しさ……もはや伝説の神獣レベルですよ?」
『ほう、そこな娘は私を見る目があると見える』
(フィリップ黙って待機してろ、話がこんがらがる)
余計な茶々を入れるフィリップを手短に叱りつける。どうせ念話は三人には聞こえていないはずだが、俺の脳内の処理が雑になる。
「まあ、神獣だか何だか知らんが、見ての通り俺の支配下にある。もう俺達に危害を加える事は無い。さっさと逃げろと言ったのにこうして残っているとは……全く、聞き分けの悪い奴らだ」
緊張の糸が切れたのか、三人の顔がくしゃりと歪む。涙を零しながら俺にしがみついて嗚咽を漏らし、心情を吐露し始めた。
「だって! だってあたしイザークが好きなんだもん! 魅了の魔術とか関係ないもん!」
「分かってたんです! 酷いことを言ったのも私達を遠ざけて自分だけ犠牲になろうとしてたんだって!」
「嫌、嫌です! もうあんな事しないでください! 私達が守りますから! イザークさんの事、何があっても守りますから!」
またもや強力な締め付け攻撃が俺を襲う。せめて渡したタオルを使ってからにして欲しかった。俺のズボンが妙に湿り気を帯びていく。
『なるほど、流石主殿だ! メスを惹きつける力がこれほどまで強いとは思わなかった! やはり強いオスはそうでなくてはな、私も僕として鼻が高い!』
(フィリップ、頼むから助けてくれ)
『主殿、待機はもうよろしいので?』
(待機解除、接近を許可する!)
その後、急接近したフィリップに腰を抜かしたレイラ達が俺のズボンをこれでもかと汚損した事をギルドに報告すべきかどうか悩んだのは、ここだけの話だ。




