序章 出会い
いったいどれだけ飛んだだろう。
吐いた息が白い筋になって後ろへ消えていく。
速いとはいえやっぱり空を飛ぶのはどうかしてたかな、と頭の片隅で思った。
「ルーク」
ちりんと鈴が鳴った。使い魔が首元につけている金色の鈴の音だ。少年は胸元に目をやる。白いマフラーの下、着込んだコートの襟の合わせ目から、白い猫が器用に頭を出した。エメラルドグリーンの瞳が月明かりに照らされてきらきらしている。
「あともう少しみたいよ」
「ああ…。ルーナ、中に入っとけ。外は冷える」
「はいはい。もう、命令口調はやめてよね」
ルーナは、レディに対する物の言い方がなってないわ、とぶつくさ文句を言いながらまたコートの中へ潜っていき、ルークの腹の辺りに落ち着いた。
「ギルバート」
進行方向を向いたまま、静かに名前を呼ぶと、跨っている巨体がピクッと動いた。黒い大きなドラゴンの、赤い瞳がルークを見ていた。
「少しずつ降下していく。小さな村しかないだろうが、普通の人間には見られないようにしておくよ」
ドラゴンはゆっくり瞳を閉じたあと、またゆっくりと開けた。了解の合図。ルークは手のひらをドラゴンの背中に当てたまま、呪文をつぶやいた。緑色の光を放つ魔法陣が浮き出て、消えた。
雲を抜けて大きな森を過ぎた頃、目の前には大きな雪山があった。目的地とうちゃーく!そうルーナが言った。
やけに山頂が尖っていること以外には、何の変哲も無い雪山に見える。平らな場所にギルバートが降りた。ルークはギルバートの背中から飛び降り、褒美の果物を荷物から取り出すと、ギルバートの口めがけて放った。美味しそうに食べている。
「ギル、戻ってきたら他の果物もやるから、ここで待ってろよ」
ドラゴンに括り付けていたリュックを外して背負いながらルークが声をかけた。ギルと呼ばれたドラゴンは、クルル、と喉を鳴らして返事をした。
「さて…」
ルークは雪山を改めて見上げた。
「おそらく山頂じゃなくてどこか中腹あたりだよな…」
「そっちの方向に歩いていけば洞窟があるみたいよ」
「さすが、魔力探知といえばルーナだな」
「そう思うなら、もっと私を敬いなさい?」
襟元からいつもの口癖を聞かされ、ルークはルーナに見えないように、少しだけやれやれという顔をした。
ルーナの示した方向に雪の上を歩いていくと、確かに洞窟があった。縦にルーク3人分、横に10人分といったところだろうか。かなり大きい。
「そんなに長い道のりじゃないから、飛ばし灯の魔法を使っても大丈夫よ」
「ああ」
ルークはぼそぼそと呪文をつぶやいて、右手を前に突き出した。手袋をした手の5本の指先それぞれに、赤い灯がポッと点った次の瞬間、洞窟の中に散り散りに飛んでいった。灯は頭より上の高さで壁に留まり始め、そのまま洞窟の奥まで照らしていった。
ルークはルーナを連れて奥へと進み始めた。
「これね」
ルーナが言い、ルークは足を止めた。先ほどまでとはまた別の寒さを感じるせいだろうか、いつもなら自分で歩きたがるのに、またルークの胸元から顔だけ出している。
洞窟に入ってしばらく歩いてきた2人は、(正確には歩いていたのはルークだけなのだが、)広場のように開けた場所に到着した。
目の前には、小さくした氷山のようなものがそびえていて、緑色に光っている。小さいといっても縦にルーク4〜5人分くらいだろうか。少なくとも、先ほどの入り口から運び込めるようなものではない。
「これ、氷じゃなくて水晶じゃないの?なんだってこんなに寒いのかしら?」
「いや…もとは水晶だが、さらに氷系の強力な結界魔法がかけてあるんだ。これはけっこう大変そうだな…」
ルークは指先がうっかり触れないように、巨大な水晶の足元に手をかざして分析した。
「魔力が出てる原因はこの中だな」
ルークは強力な魔法を使ってもいいように、茶色い布の手袋を、頑丈な黒い革のそれに替えながら言った。ルーナはルークの胸元からひょいっと飛び降り、距離をとりつつもまだ氷山をしげしげと眺めている。
「そう。なんだかいつもより大きい媒体みたいだけど…」
「とりあえず炎系で削ってみる」
ルークは右手を開いて前に突き出した。威力を調節するため、左手で右肘を掴み、右腕が真っ直ぐになるように支える。水晶の壁に向かって大きな炎が噴射された。魔法で出しているとはいえ、本物の炎なので熱い。先ほどまでの寒々しさが嘘のように、あたりはオレンジの光で包まれ暖かくなった。
「アンタ炎系ほんとに得意よね。今回ばかりは相性がよかったわ」
「…どうだろうな。俺の炎でも少しずつしか削れないみたいだ」
氷の結界魔法を施したのは相当な術者らしい。
「…それにしても、中に何の媒体を使ったらこんなに大きくなるのかしら?
「…」
なんだか嫌な予感がする。そう思った時、氷の表面が溶けてきて、中がほんの少し見えた。ルークは魔法を止め、氷柱に近づいて目を凝らした。
「ルーク?」
「…ルーナ、どうやら今回は、今まで見つけてきた媒体とは全く違うものみたいだ。」
ルークは荷物の中から布を取り出すと、氷柱の目線の高さの部分を拭った。
「…えっ!?」
「…」
そこには手があった。人間の手のように見える。
中にいるそのヒトは、まるで水に飛び込んだあと時間が止まってしまったかのように、そこに浮かんでいた。目は閉じられていて、ピクリとも動かない。生きているのか死んでいるのかもわからない。
あまりの出来事にルーナはしばらく固まっていたが、はっと我に返りルークに叫んだ。
「ルーク!早く!早く出してあげて…!」
「っ…ああ!」
先ほどまでの炎で氷の結界はほとんどなくなっていた。だが水晶の中にヒトがいる以上、巨大なハンマーで叩き割るわけにもいかない。
ルークは人に害のない炎で水晶を少しずつ削り溶かし、中にいたヒトを引きずり出した。自分の着ていたコートでくるみ、体が温かくなるように治癒魔法をかける。
心臓と、脳に特に熱がいくようにそのヒトの顔の前に手をかざした。そのヒトは、少女のように見えた。氷の中に入れられていたためか、肌も髪も、睫毛まで白い。
ルーナが駆け寄ってきた。
「どう…?」
「…息はあるみたいだな。封印されてたのか…?とにかく、これなら助けられそうだ」
「よかった…」
ルーナは心底ほっとした、というように大きく息をついた。
「とりあえずギルのところに戻って…」
ルークが言いかけたその時、少女の指先が動いた。白い睫毛がうっすらと開いた。
「…言葉はわかるか?ここがどこだか…」
「……」
少女はぼんやりした顔でルークの顔をじっと見た後、視線を動かした。ルークの服装、手、自分にかけられたコート…。
「…っ!?」
少女は両手でコートを掴み、さらにくるまった。ルークがかけたコート以外には一糸纏わぬ少女としては、ある意味当然の反応だ。
「…思ったより元気そうで何より」
ルークはほっとしたような、疲れたような、呆れたような、微妙な顔をして立ち上がった。
(作者あとがき)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。この女の子を中心にして、のんびりと続きの話も進められればと思います。