7.異世界ステーション
緩やかなステップを上り、道幅に合わせたように広い入り口をくぐる。
エントランスは天井まで吹き抜けになっていて、前方にも待合室のような場所なのだろうか、テーブルや椅子、ソファなどが並ぶ広いスペースが広がっていて、とても開放感がある。
左右を見れば、曲線的な天井の、充分に広々とした通路が、ずっと先まで続いているのが見える。
床はライトグレイ、壁は前方のスペース以外は象牙色の、いずれも光沢があって紋様は見えず、石材とも違う印象の、何となく不思議な感じの素材で出来ている。
外から見た建物の印象は、窓などが見当たらないせいか、ただのっぺりとした感じだったが、内側は壁に大型モニタと思しき、動きのある案内板のようなものが埋め込まれていたり、左右の通路には壁と一体化した座席のようなものが突き出していたりと、何となく近未来的な感じがする。
とはいえ、その通路に点々と並べられている観葉植物の鉢は元の世界のホームセンタで売ってそうなものだったり、前方のスペースに並ぶテーブルなどはアンティーク調でレトロな感じだったりと、全体としてはちぐはぐな印象も受ける内装だ。
そういったものがよく見えるのは、天井付近でぼんやりと光っている光源のおかげだろうか。まるで宙に浮いているように見える光の球は、それほど強い光を発しているようには見えないのに、構内はとても明るい。これは未来的というより、ファンタジー的な印象だ。
唯一毛色が違う前方の壁――全面に風景画が描かれているように見える――が気になるので、ナツを抱え上げて、そちらへ近付いてみる。
すると、その景色に変化が見えた、というか、そこに映っていたのは、外の光景のようだと気付く。壁だと思っていたのは、ガラス、或いはそれに類する素材だったようだ。
角の部分にしか枠が無いために気付くのが遅れたのだろうけれど、ちょっとした体育館ほどの広さはあるスペースの壁三方ともが、それぞれ天井付近までの大きな一枚のガラス張りとは、普通思わないだろう。
正面の景色は、何も無い平原の向こうへ、左右から現れてずっと向こうへ延びていく線路が見える。
左右へ目を向ければ、少し離れたところにプラットフォームが見えて、線路はそこから延びている。けれど、列車の姿は見当たらない。
外は暗くなり始めているのに、中の景色が反射して映っていないのも、ガラスのような素材だと気付くのが遅れた原因の一つかも知れない、と、景色を見ていて、ふと思い付いた。
不思議だな、とは思うけど、さほど驚きは無い。モンスターやら魔法やらといったものがある世界では今更だろう、と、冷静な自分がいる。既にこの世界に順応してきたみたいだ。
「ようこそ、旅人さん」
後ろからそう声を掛けられて、まず後ろの足元を見てしまったのも、そのせいだろうか。
そして実際、私に声を掛けてきたのは、尻尾と耳の周りのライトブラウンが特徴の、茶白トビ猫だった。
耳と耳の間に、駅員さんが被っているような帽子のミニチュアが、ちょこん、と乗っていて、そのかわいさに思わず口元が緩む。
手元も緩んだか、ナツが前足でグッと自分の身体を持ち上げて、私の腕から抜け出してしまった。
「列車の出発は明日になりますので、まずはこれから、お二人に宿泊して頂くお部屋へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
そう言って歩き出したかわいい駅員さんと、その後を無警戒に追いかけるナツのかわいさを堪能しながら、私はその後を付いていった。
駅舎の入り口から見て左側にあった通路(案内板にはそちらへ向かう矢印の横に【10】と表示されていた)を少し進むと、右手側の壁が途切れた。
結構広いそちら側への通路の先に見えたのは、レトロな雰囲気の改札が並んでいる様子。残念ながら、他の駅員さんは見当たらない。あの改札の向こうが、先ほど見たプラットフォームなのだろう。その先から、さらりと、外の空気を感じた。
そういえば、ここまで券売機などは見当たらないけど、切符はどうしたら良いのだろう? なんて疑問も浮かんだが、列車が必要な人の前にしか現れないなら、切符は必要ないのかも知れない、なんて推察をしてみる。
そのままそこを素通りすると、少しして、次は右手に階段が現れた。
「お部屋は二階に用意してございます。足元お気を付け下さい」
駅員さんはそう言って軽快に階段をひょいひょい、と上っていき、ナツと私もそれに続く。
ナツは若い頃に自宅の階段でよくやっていたように、前足同士、続いて後ろ足同士をほぼ揃えるように、ぴょん、ぴょんと一段ずつ飛び乗るように上っていく。
近年のナツは階段を利用する時はよじ登るようになっていたし、そもそも最近は階段を上っている姿を見ていなかった。だからナツのこういう元気な姿は見ていて嬉しくなるけど、同時に、この不思議な世界でなければこんな風に動けないことが、ちょっと切なくもある。
踊り場で折り返して上った先には、先ほどと同じような通路。駅員さんが進む左手方向には、内側の壁に黒い扉が見えた。
「今夜はこちらの部屋で御寛ぎ下さい。それと、こちらがカードキーですので、扉のスロットに差し込んでご利用下さい」
扉の前でこちらに向き直った駅員さんは、そう言って、いつの間にか咥えていた少し大きめの板ガムのようなものを私に差し出した。
「……その鍵、どこに持ってたんですか……?」
いくらこの世界に慣れてきたとはいえ、いきなりどこからともなく物が現れるとか、流石にどうやったのか聞きたくもなる。
「内緒です」
「…………」
内緒なんだ……。
取りあえず、唾液でぬちょぬちょとかいうことは無さそうなので、深く追求するのは諦めてカードキーを受け取る。
ドアノブの上にあるスロットにキーを上から差し込むと、ピッ、と音がして、続いてカチッ、とアンロックされた音がした。
キーを抜いて扉を押し開くと、庶民的なホテルのような内装を想像していた私は、不意を突かれたようになった。
開いた扉の先には、すぐに開放感のある空間。自宅のリビングダイニングで約二十畳だったはずなので、床面積的には同じくらいか。でも、こちらの方が天井が高く、家具も少ないために、それよりもだいぶ広く感じる。入り口から見て右手方向へ長い長方形の部屋で、正面には開け放たれたままの扉があり、その先にも部屋があるようだ。
ただ、壁に何も載っていない棚が何段も不規則に設置してるのが気になった。が、ぴょい、と、何の躊躇いもなくそこへ飛び乗ったナツと、そして、そのナツを見ても、さも当然のことのように気にしない駅員さんの様子から、それがキャットウォークなのだと理解した。……この世界、猫びいきが過ぎないだろうか?
「正面扉奥は寝室、並んで浴室がございます。お食事は先ほどの階段を挟んだ向こうのラウンジで提供いたしますが、いかがなさいますか?」
「行こう!」
駅員さんの言葉に、ナツがキャットウォーク中段から勢いよく飛び降りて即答した。
「……すぐに用意できますか?」
「はい、ご用意できます」
苦笑いで尋ねた私に、駅員さんは迷わず答える。
そうして、私は見るからにウキウキなナツを微笑ましく見守りつつ、ラウンジへ向かったのだった。
ラウンジは、入り口正面の空間ほどではないが結構広い。テーブルなどはかなり間隔に余裕を持って配置されている、正に寛ぎの空間といった様相だった。
正面奥にはカウンタがあるが、その向こうに人がいる様子はない。
カウンタ横には券売機のような物。近付いて見れば、食事の写真の下にボタンが付いている。ただ、そのボタンはやたら低い位置にもいくつかある。そこには写真の代わりに、デフォルメされた魚の絵や、骨付き肉の絵など。
――予想はできた。でも、私の心の片隅にはまだ、まさか、という思いも残っていた。だけど――。
「にゃっ!」
ナツは前足で迷いなくお魚ボタンをベシッ! と叩くと、椅子に、そしてカウンタに飛び乗る。……うん、予想通り、猫用の券売機だった。
尻尾をフリフリしながらも、背筋を伸ばして行儀良く待つナツの前には、ベルトコンベア。どうやって食事を運んでくれるのかと思ったら、そういうシステムだったか……。
そしてさほど間を置かずに、ベルコンベアが動き出して、猫用の食器が流れてきた。中身は――なんだ、ドライフードじゃん……。と、私はちょっとだけ期待を裏切られたような気持ちを抱えつつ、それでも、嬉しそうにがっつくナツの姿に和む。
――もしかしたら。ナツは、ご飯を食べられることだけじゃなくて、私達と同じように注文するという行為に浮かれている側面もあるのかも知れない。
そんな風に、何となくだけど、思う。
改めてナツを見れば、やっぱりいつも以上にご満悦の様子で。
まあ、こんなにナツが嬉しそうなら、頭に浮かんだ考えが正しいかどうかなんて、どうでも良いな、なんて思いつつ、私はカレーライスのボタンを押した。