2.モンスター
森を切り拓いて通したのであろう道を歩いて、どれほど経っただろうか。
右を見ても左を見ても、木々。飽きと疲労感をそれなりに感じる頃になって、ようやく森を抜けた。
そして、視野が開けてから少し歩いた時、“それら”は現れた。
「カノッ! 左ッ!」
そんな鬼気迫るナツの声に弾かれるように、左側を見る。
私は一瞬、“それら”を小柄な人の集団だと思った。皆、二足で歩いていたからだ。
だけど、すぐにその考えは消えた。
遠くからでも分かる、その、ぎょろりとした眼。
顔の色が緑がかっているのも、光の加減というわけでは無さそうで。
その額には、真ん中に、或いは左右に、短い角のような突起が生えている。
体にはボロボロの布きれを纏い、その両端から生えている腕は細く、地面に触れようかというほどに長い。
そして手には、その腕よりも太い棍棒のようなものや、錆だらけの剣のようなものを携えていて。
その異様な風体は、簡単に言ってしまえば、テレビゲームに出てくる小鬼のモンスターのようだった。
そんな訳の分からない存在が、確かにそこに居て。それらが、道を外れた向こうから、こちらにゆっくりと迫ってきていた。
ナツは毛を逆立てんばかりにそちらを睨み付け、威嚇する姿勢を見せている。知らない人間にもあまり警戒心を露わにしないナツなので、それはとても珍しい姿だった。
そういった現状をしっかり認識すると、遅れて恐怖がこみ上げてくる。急いで周りを見回すが、別の小鬼や他の化け物の姿は無いのが、せめてもの救いだった。
「何あれ!? ナツ、どうするの!?」
「……カノは、ボクが守るッ!!」
ナツはそう叫ぶやいなや、弾丸のように飛び出す。それは、先ほどまでよりもさらに鋭い動き。
まだかなり開いていた距離が、あっという間に詰められていく。
だけど。
いくら小鬼が小柄だとはいえ、猫のナツとの体格差は明確で。
それはまるで――。
――カーブの向こうから突然姿を現した、バス。
そのスピードは、カーブを曲がるには速すぎて、その車体が傾ぐ。
バランスを崩したまま中央分離帯へ突入したバスは、こちら側に、倒れ込む。
その視覚情報を、脳がはっきりと理解した時には、もう遅く。
その巨体の前に、私達の乗る軽自動車は、あまりにもちっぽけで――。
「いやぁぁーーーっ!!!」
無意識に発した自分の叫び声に、フラッシュバックはかき消える。
――! ナツは?!
歯を食いしばって、いつの間にか固く閉ざしていた瞼を開いて、目の前の光景を、ナツの姿を確認する。
モンスターまであと僅かまで間合いを詰めるナツに、小鬼はその手の剣を、思いの外に素早い動きで振りかぶった。
――絶対にやらせない!
言葉にするならそんな、意思とでもいうもの。そして、それを自分の手で“形”にできそうな、不思議な感覚。
次の瞬間。
ナツが飛びかかっていく先で、何かが上空へ勢いよく飛び上がった。
――いや。その“何か”は、ナツに向かって剣を振り下ろしたはずの、小鬼だった。
見上げるほどに高く打ち上げられた小鬼は減速して、一瞬の静止、そして、地面へと加速を始める。
きっと、その小鬼は自分の身に何が起こったのか解らなかったのだろう。もがくでも暴れるでもなく、そして着地の姿勢をとるでもなく、そのまま頭から、地面に落ちた。
同時に、何かが折れるような、何かが潰れるような、音。
その小鬼の身体の下に、緑色の液体が広がっていく。
――顔が緑色に見えたのは、血が緑色だったからなのか。
ぼんやりと、そんな感想が頭に浮かびかけて――。
「……ひっ!」
と、私は我に返り、目の前で起きたことの恐ろしさや気持ち悪さに、背筋が震えた。
だけど、突然の不可解な出来事に呆けていたのは私だけではなかったようで、他の小鬼達も、その地面に叩きつけられた小鬼を呆然と見つめている。
ナツも我に返ったのか、或いは最初から状況をしっかり認識していたのか、バッ、と後ろに飛び退いて小鬼達と距離を取る。
そのナツをよく見れば、ナツの周りを、光る透明な三角錐の何か、そう、言わば“バリアのようなもの”が囲っているのが見えた。
――そして、それを見た瞬間、それを発生させたのが私であると、何故か直感的に理解した。同時に、今度は意識的にそれを行えるであろう事も。
その感覚に、子供の頃に遊んだテレビゲームのことが頭に浮かんだ。そのゲームでは、戦いの中で技をランダムに閃いて覚えていく。そして、一度閃いた技は、次からは自分で任意に選択して使うことができる、というものだ。
私がそんな他愛もない思い出を自然と浮かび上がらせている間に、小鬼達も正気に戻ったようで、ナツや私に明確な敵意を向けながら、だけど先ほどとは打って変わって、ひどく警戒した様子で武器を構えた。
残る小鬼は、五体。
僅かな間、睨み合い。
そして小鬼達は、仲間を吹き飛ばしたナツよりも私の方が与し易いと判断したのか、ナツを迂回してこちらに向かってこようとする。
だけど、ナツが上手く距離を取りながら鋭い動きで牽制し、それを許さない。
私もナツの動きに合わせて、小鬼達から目を離さないように気をつけて、じりじりと間合いを離す。
そんな攻防が続くと、やがて小鬼の一体が焦れたようにナツに飛びかかった。
だが、その小鬼もナツの周りのバリアのようなものに武器を叩きつけた途端、勢いよく上空へ吹き飛ばされる。
今度は小鬼も状況を理解しているのか、空中でもがく様子を見せたが、最低でもビルにして五階分程度はありそうな高さから地面に叩きつけられて、やはり先ほどの小鬼と同様の末路を辿ることになった。
それを見て、最後尾に陣取っていた小鬼が逃げ出した。すると、それに気づいた残る小鬼達も、慌てるように走り去ってゆく。
その姿が森の方に消えてからも、暫く周りにも注意を払いながら警戒を続け、それでも何も起こらないことが分かってようやく、私は安心から、地面に座り込んだ。
「……何だったのよ……、アレは……」
「……ごめん、カノ。ここは思っていたよりも大変な世界みたいだ」
「みたいって……、解ってて連れてきたんじゃないの?」
「ごめん。でも、カノはボクが守るから」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、ナツも無事じゃないと意味ないんだからね」
「うん、大丈夫」
「……その自信はどんな根拠から来てるんだか……」
「カノのさっきの力があればボクがいなくても大丈夫だとは思うけど、絶対に油断はしないで」
「……ああ……、うん、大丈夫だと思うけど……」
さっきの力。確かにあれなら自分とナツの身は守れるだろうという根拠のない確信のようなものは、何故かある。だからといって、理屈で考えれば、あんな訳の分からない存在を前にすれば、絶対大丈夫なんて言い切れないし、恐くて油断なんて、したくたってできそうにない。
――そんな風に思っている自分に気付いて、苦笑いが浮かんだ。ここに来るちょっと前まで、私は、死ぬことなんてさほど恐くないような気がしていたはずなのに。
だけど、ナツを置いてはいけないと思うのは確かだし、こんな訳の分からない場所で死ぬのも、やっぱり受け入れ難い事だと思う。
「ねえ、ナツ。私達、ちゃんと帰れるのかな……」
「……それも、お仲間が教えてくれるかも知れない。行ってみよう」
確かに、ここで座り込んでいても進展はないし、いつモンスターが戻ってこないとも限らない。
「……よしっ!」
この先どうなるかなんて想像もつかないのだから、今は今できることを頑張るしかない。腹を据えるために、敢えて声に出して気合いを入れて、立ち上がる。
そして私達は、既に視界の向こうに見え始めている、ナツのお仲間がいるという場所に向かって、再び道を歩き始めた。




