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コミュニケーション

作者: 渡り烏

 ほとんど知られていないが、村から島に渡る道はもう一つある。

 川の流れの下になっているが、飛び石のように足場があり、足首を濡らすだけで島に渡ることができる。

 若いころはよく落ちたものだが、五十年も使っていれば慣れるものだ。

 無理に使うような利点はないが、本道と比べると獲物にも見つかりにくい。

 私はライフルの紐を肩にかけなおし、土踏まずで石を押さえつけながら、大股で次の飛び石に左足を伸ばした。




「カイ、来たぜ」

 単眼鏡を複雑にしたような機械を覗きながら、ケントが肩越しにカイを呼んだ。

 迷彩柄のペイントを施した顔を振り向かせ、カイは傍らに置いていた銃を手に取る。

「随分早いね」

 のんびりした調子で言いながら、カイは脱ぎかけていたギリースーツをかぶり直し、低い姿勢でケントに並ぶ。

 ケントは単眼鏡を目に当てたまま、風速計を取り出す。

「二時の方向、距離四百」

 ケントのアナウンスを聞きながら、カイは銃を構えて僅かに身じろぎした。左ひじ少し外へ開く。

 長い銃身を持つライフルを構えなおし、スコープをのぞき込む。世界が小さな円形にすっぽりと納まり、十字に区切られる。

 耳元でうるさいほどだった葉擦れの音が遠のいていき、右目に意識が集まる。

 近くの葉がスコープを横切ったのか、輪郭のぼやけた緑が視界を一瞬遮った。

 円形の景色の中で、緑を基調とした迷彩服の四人が言葉を交わしながら、ゆっくりと歩みを進めていた。

 四人一組のごく小規模な部隊、斥候なのだろう。道の端に寄って、茂みを縫うように歩いているが、とても隠れているとは言えない。

 彼らの前から二番目、肩に下士官の階級章をつけた、分隊長らしい兵士をスコープの中心に収める。

「西南西の風、風速一・二m」

 縦のメモリを中心から下へ一つ、横のメモリを彼らの進行方向へ三分の二程ずらし、彼の腰を照準する。

 肺の空気をゆっくりと吐き出しながら、僅かにズレた照準を微調整する。呼吸を止めたまま、引き金に指を巻き付けるイメージで引き絞る。

 銃声からやや遅れてスコープの中で男が倒れた。さらに遅れて、反対側の丘に反響した銃声が帰ってくる。

「うっし、ビンゴ!」

 カイだけに聞こえる程度に抑えられた声で、ケントが歓声を上げた。

 一呼吸してから、カイは体の力を抜いた。ボルトを引いて次弾を装填してから、双眼鏡で部隊の様子を確認する。全員が周囲を警戒しながら姿勢を下げ、腰から血を流す男を引きずり、素早く近くの茂みへ連れ込む。引きずられた血の跡が、後から茂みの中へついていった。

 カイは顔を伏せてからギリースーツのフードを少し上げ、迷彩柄の額に浮いた汗を拭った。銃身に留まったテントウムシをそっと指でつまんで、近くの葉に移す。

 カイが振り向くと、ケントは東の村へ双眼鏡を向けていた。作戦が開始されれば、煙突の煙の色で知らされるはずだ。

「どう? 合図はあった?」

「いや、ないな。煙突の煙もろくに見えねえよ」

「早く動いてくれるといいけどね」

 右手の近くに落ちた薬きょうを少し冷ましてから拾い上げ、ポーチにしまう。

 改めて双眼鏡で確認するが、四人が隠れた茂みに動きは見られない。おそらく、応急処置と狙撃手への対応でも話しているのだろう。

 死ぬような位置には当たっていないはずだが、障害は負うかもしれない。もちろん、一人で歩いて帰るのは無理だ。

 ケントが周辺の地図を草の上に広げ、胸ポケットから出したタバコで等高線をなぞっていく。

「敵さんが帰るようなら、移動しようぜ。二百メートルくらい先に、似た地形がある」

 言いながら、ケントはタバコを鼻に近づけ、火をつけることなく深く吸い込む。

 狙撃手の条件に、「タバコを吸わないこと」という項がある。煙を視認されることはもちろん、タバコの匂いは敏感な人間であれば、風向き次第で一キロ近く先からでも気づかれることがある。

 待ち伏せを前提としている狙撃手は、タバコを吸うわけにはいかない。

 とはいえ、戦場にタバコはつきものだし、民兵として徴収された彼らでもそれは例外ではない。

 狙撃に適性がありタバコを吸わないカイと、郷里が同じスモーカーのケント。彼らがペアになったのは、顔見知りで戦場でのストレスを和らげることが期待できたから。ただそれだけだった。

 彼らが最初の戦場で小さいながら確実な成果をあげた時。訓練の時には悪態をつくだけだった鬼教官殿が、不慣れな労いの言葉をくれた。

 初戦の活躍が偶然ではないと周囲が気づき始めたころ。彼らは上等な装備を支給され、職業軍人に混じって前線に配置されるようになった。

 最初の戦場が遠くなってきたころ。彼らは民兵のために用意された、上から三つ目の勲章を胸につけることを許された。

 そして今日、彼らは本隊が到着するまでの間、単独で敵の足止めを任されていた。

「にしても、あんな小さい村にそんな価値があるかね?」

 ケントは姿勢を低くしたまま、双眼鏡を東に向けた。

 木々の間から遠く見えるのは、町の中で唯一高い建物である教会の塔と、まばらな煙突の先端だけだ。

 距離は二キロほどだろうか。木々に遮られて見えないが、途中に川が一本、橋が一本ある。

 西にも同じように、小さな田舎の村とその途中に川が一本、橋が一本ある。

「多分、ここの上流も下流もしばらく橋がないからだよ。簡単に橋が架かるほど細い川でもないしね」

 彼らがいる場所は一種の中洲となっている。中洲を挟む東西の川は合流すると幅1キロほどの一本の川になり、数十キロにわたって橋は架かっていない。

 そして、この川が古くは国境として、今では二つの派閥の溝として、東西を隔てていた。

「まあ、俺たちにはそんなに関係ねえよ。どっちにも動かねえしな」

 ケントは肩をすくめて、タバコを胸ポケットにしまいなおした。

 双眼鏡を両手で支え、敵の逃げ込んだ茂みを円の中に収める。

 風にそよぐ草木以外に、動いているのは穴から顔を出して、耳を動かしている野兎だけだ。

「お、ウサギか。帰りに捕ってくか?」

「今でも捌けるかな? 昔はよくスープにしてもらったけど」

 カイはギリースーツに身を隠したまま、双眼鏡で左右を見回した。

 けが人を抱えている以上、あまり無理はしないだろう。だが、あの程度の少人数であれば、けが人を置いて姿を隠しながら移動することも可能なはずだ。

 大きく迂回することにはなるが、この中洲には起伏が多く、丘のような地形は他にもある。それらを遮蔽物とすれば、あるいは――

 思考の隙間に混じった雑音に気づけたのは、周囲の異変に敏感な、牧童としての習慣故だった。

 かすかに響いたのは、小枝が踏み折られる音。金属の触れ合う音。押さえられた、荒い息遣い。

 カイは腿に下げていた拳銃を抜きながら、カイの動きに反応したケントは肩に下げていた近接戦用のサブマシンガンを構えて振り向いた。

 同時に、動く茂みに向けて引き金を引き絞る。

 先に一発、それに続いて無数の銃声が後を追う。

 至近距離からばらまかれた弾丸は、衝撃だけを防弾着の内側に伝え、肋骨と内臓を激しく突き上げた。

 息を詰まらせて後方に倒れこんだ二人の迷彩服を組み伏せ、それぞれ手にした銃でこめかみを殴りつける。白目をむいた二人の体が下草の上にぐったりと伸びる。

 二人は顔を見合わせて立ち上がり、大きく肩で息をついた。急に暴れだした心臓をなだめようと、胸に手を当てる。

 ようやく呼吸が落ち着いてきたころ、二人は顔を見合わせ、二つ並んだ敵兵を見下ろした。

 狙撃手を倒すのに近距離から攻撃を加えることは一つの有効なやり方だ。それを防ぐ意味も込めて、観測手と狙撃手はペアを組む。

「……すぐに、移動した方がよさそうだな」

「そう、だね」

 二人は顔を見合わせてから、そろってぐったりとしている敵兵に視線を落とした。


   *


 私が川を渡り切ったあたりで、丘に銃声がこだました。幾度も跳ね返ってくる音は、聞きなれた猟銃のものではない。

 既に戦闘が始まっているのだろうか。それにしては銃声は一発で、応戦する音は聞こえてこない。

 私よりも一足先に、斥候が行っているとの話を聞いたことを思い出す。

 私は肩に猟銃をかけなおし、けもの道をたどって中央の道をうかがえる場所まで移動した。

 途中、早口に言い合う声が聞こえ、足をそちらへと向ける。声は抑えているようだが、声は小さくすれば聞こえにくくなるわけではない。あれでは、狩人には向かないだろう。

 茂みの隙間から覗くと血の気の引いた顔で横たわる一人の兵士と、手当てをする三人の兵士が目に入った。

「おい、止血を手伝ってくれ!」

「どこから撃ってきやがったんだ?」

「そんなこと分かるかよ。くそ、これじゃあうかつに動けねえぞ」

 私が茂みをかき分けて近づいても気づく様子がない。

「おい」

 私の声に反応して、三人が同時に銃を手にして振り向く。腰が引けているのは、民兵だからだろうか。

 両手を上げて敵意がないことを示してから、姿勢を低くして彼らのもとへ近寄る。

「だ、誰だ? ここは――!」

「これから戦場になるらしいな。撃たれたか」

 一人の兵士が真っ赤に染まった布越しに、倒れた男の足の付け根あたりを抑えている。

 戸惑っている兵士は放っておき、布をめくって傷口を確認する。血を吐き出している傷口は斜め前方、やや上から撃たれたものらしい。

「一人では動けそうにないな。……地図はあるか?」

「え、ああ、ある。おい、あんた誰なんだ?」

「あっちの村のものだ」

 受け取った地図を開きながら、血の滴をたどって撃たれた場所を確認する。

 中央の道。敵はまだいないと油断していたのだろうか。あの道は村人同士の行き来のために使われているものだ。この島のほとんどどこからでも見通すことができる。

 撃たれた位置を地図で確認し、射線を想像する。

 三つほど適した位置があるが、傷口の角度からすれば場所は絞られる。

「撃ったのはここだ」

 今いる地点とは反対側の丘の中腹、地図には書かれていないが背の低い松が生えている。

「な、なんで――?」

「ここは下の道から見れば茂みだが、草があまり生えていない。木も生えていて影になりやすいし、他の場所と比べて平らな地面がある。待ち伏せにはいい場所だ」

 三人の兵士が判じかねて顔を見合わせる。

 倒れていた一人が、仲間の手を借りて、顔をしかめながら半身を起こした。

「チャールズとカールで行ってくれ。マークは俺が動くのを手伝ってくれ」

「いいのかよ、ベント」

 元々知り合いなのか、軍隊にしては階級を感じさせない口調の問いかけに、ベントと呼ばれた兵士は出血と痛みで青い顔でうなずいた。

「その爺さんはあの村の猟師だよ。村に来た時にシカを振舞ってただろ。それと、伍長な」

 振舞ったわけではない。他の村人に分けようと解体したところを、軍隊に体よく持っていかれただけだ。

 物は言いようか。

「茂みを通って右のけもの道を辿れば、死角にはいったまま向こうの丘に着ける。行くなら急げ。獲物が待つことはない」

 二人の兵士が顔を見合わせてうなずき、そっと背後の茂みに消えた。

「マーク、肩を貸してくれ」

「了解です、伍長殿」

 どうにか肩を借りて立ち上がった、民兵の伍長と目が合う。

「後ろのけもの道を左に辿れ。川の中に飛び石がある。一人が渡れば、どうにでもなるだろう」

「ああ、わかった。くそ」

 私は後ろから聞こえる了解とうめき声を置いて、右手の斜面へ足を向けた。

 茂みに入り、けもの道から外れてなだらかな斜面を登る。

 二人の奇襲が失敗した場合、相手が動く位置はおおよそ検討がつく。

 中央の道と、狩場の両方を狙える位置を目指して、私は柔らかい土を踏みながら丘の中腹を目指した。




 カイとケントは二人を担いで斜面を下り、小舟に乗せて川に流した。

 発見される可能性を減らすために、二人が中洲へ来るときに使ったものだが、順調にいけば帰りは必要ない。もし失敗しても、装備がなければなんとか泳いで渡れるだろう。

 船が転覆する危険もあるが、敵相手にそこまでは構っていられない。

 本来ならば殺してしまう方が賢明だが、一度殺さなかった相手にとどめをさすのは、さすがに気が引けた。

「よし、それじゃあ移動す――のわ」

 ケントがバックパックを背負いなおしたところで、後ろへのけぞった。

 バックパックの中ほどに低木の枝が引っかかっていた。

 荷物を下ろそうともがくが、妙な体勢になっていることもあって、うまくいかない。

「ちょっと待って」

 カイはナイフを抜き、荷物に引っかかった枝の先端を切り落とした。振り上げたナイフに自分の顔が映った一瞬、民兵になる前よりも老けた自分と目が合った。

 カイはナイフを鞘に納め、しばらく黙ったまま、川の流れを見つめていた。やがてケントを振り返り、荷物を背負いなおす。

「ケント、やっぱり予定を変えよう」

「なんだよ、移動しないのか?」

 ケントの言葉にうなずいて、カイは自分たちが下ってきた斜面を見上げた。

「向こうもこっちと同じように、民兵を集めてるんだろ?」

「まあ、多分な。兵隊なんていくらいてもいいだろ」

「なら、向こうの村の人間もいるかもしれない」

 カイの言葉に、ケントは顎に手を当てた。

「かも、な。俺たちよりここに詳しい奴がいても、おかしくはない」

 狙撃手同士が戦場で勝負をした場合、使用される弾丸は大抵一発のみだ。

 先に相手を見つけた側が、一発で勝負を決める。

 隠れている相手を見つけることは容易ではないし、狙撃手の使う銃は連射に向いていないためだ。

 この中洲は道を挟む丘と丘の距離で約八百メートル。狙撃手であれば、問題なく狙える距離だ。

 もし相手に地形に詳しい狙撃手――あるいは観測手がいるとすれば、この勝負は二人にとっては非常に不利なものとなる。

 だが相手の狙いを外し、彼らの本隊が到着するか、夜まで長引かせることができれば、勝機はある。

 ケントはしばらく顎に手を添えて考えていたが、やがて肩をすくめてうなずいた。

「引き返して様子を見るのもあり、かもな」

 ケントとカイがうなずき合った時、一発の銃声がこだました。




 私が目指していたモミの木の下に到着したとき、銃声が響いた。ライフルのそれではなく、もっと軽い連続した音だ。

 耳を澄ませていたが、その後に何か戦闘を思わせるような音は聞こえてこない。首尾よく狙撃手を倒したのか、それともやられたのか。どちらにせよ、確認することはできない。

 私は銃を肩から下し、背負っていた愛用のリュックサックから、緑のシートを取り出した。

 地面に二枚重ねてシートを敷き、上に周りから集めた枯葉や下草を乗せる。

 銃身に草や蔦を巻き付け、シートの間に潜り込む。

 荷物もシートの下に引き込み、双眼鏡でシートの隙間から周囲を見回す。

 狩りの際によく利用する箇所をいくつか確認するが、まだ移動した様子はない。

 奇襲が成功でも失敗でも、私のやることが変わるわけではない。

 銃をいつでも構えられる位置に置き、視界を妨げない程度にシート引き寄せて位置を調節する。

 シート越しに伝わる地面の凹凸に合わせて姿勢を調節し、土の形に自分を重ねる。

 虫を下敷きにしてしまっていたのか、腿の辺りでもぞもぞと何かが移動していった。動き方からしてムカデだろう。

 ふと、視界の端で何かが動いた。視線を右へ向けると、木立の隙間から自然のものとは色合いの違うものが動くのが目に留まった。

 方向からして、『向こう』の兵士だろう。橋を渡ってすぐの辺りで何かを探しているように見える。

 おそらく、本隊を通す時のために、丘の裏側を通って島の反対の端へ行く道を探しているのだろう。人数からすれば斥候だろうか。だが、道はけもの道があるだけで、少人数ならばともかく部隊を通すのは難しい。

 加えて、軍の命令で罠も仕掛けられている。通ることは可能だろうが、効率的ではない。

 互いに偵察用の無人機を警戒して妨害電波を出しているため、人員を割いて偵察を行うしかない。結局、人がカギを握ることは時代が変わっても、あまり変わらないのだろう。

 放っておいてもいいが、警戒心を持たせることも必要か。私はゆっくりと銃をシートの隙間から突き出した。

 狩りをする際に使っているもので、手入れを欠かしたことはない。いつも通りに重さが、呼吸をゆっくりとしたものへ変えていく。

 軍からも銃は支給されている。だが、プラスチックと金属だけでできた銃は、どうにも手になじまない。スコープも距離が測りづらいだけだ。

 銃身の延長線上と先頭にいる兵士を重ね、距離を測る。

 いつだったか、村の家畜を荒らしていたオオカミを撃った時もここからだった。

 私の村の斥候より隠れ方を心得ているようだが、あそこは低木の茂みを迂回するために、若干だが木の陰から出ることになる。

 茂みの動きからして、数秒の後に先頭の一人が射線に入るだろう。

 肺からゆっくりと息を抜きながら、相手の鼓動にリズムを合わせるイメージで、引き金を引き金に指を巻き付ける。

 息を吐き切るのとほとんど同時に、視界に現れた人影に向けて引き金を絞る。

 肩と腕に伝わる衝撃に、銃身が僅かに跳ね上がる。かすかに焦げ付くようなにおい。

 銃声と木霊が交わったところで、銃口の延長線で周囲を警戒していた兵士が、下半身を弾かれたように倒れる。

 狙ったのは右足の根元付近。死にはしないが、完治しても障害が残るかもしれない。うまくすれば、もう戦場に出る必要はなくなるかもしれない。

 私は肩口を上ってきたムカデを払いのけ、弾丸を込めなおした。飛び出た薬きょうは拾っておく。

 再度移動すると予想した場所を確認するが、移動した様子はない。

 今どきは服装や化粧で景色に溶け込むため、発見が難しいとも聞く。だが、この狭い小島の中で、植生の違う植物があれば、気づかないはずはない。

 見つかった獲物がその場を動かないことがあるのだろうか。現在いる場所は位置がやや悪く、間にある木のせいで元の狙撃場所を見ることはできない。

 いずれにしろ、私が動くとすれば夜だ。夜であれば、相手も狙撃はできないだろう。

 夜になり翌日へ仕切り直しとなるか、昼の内にどちらかが相手を発見するか。

 シカやウサギを狩るようにはいかないようだ。




「あらら、こっちの偵察もやられたみたいだな」

「もう少し悔しそうにしなよ。僕らのせいでもあるんだから。それで、誰だった?」

「ヘインズだよ。死んじゃいねえし、いいだろ」

「ああ、あの……じゃあ、いいね」

 元の狙撃地点に戻って周囲を確認していたケントの横で、カイは銃を組み直してから、双眼鏡であたりを見回した。

「相手は見つけられそうかい?」

「ざっと見た限りは、いないな」

 ケントは双眼鏡を左右に振り、周辺をざっと見回すが、小隊などがいる様子はない。

「じゃあ、向こうも狙撃手かな」

 カイも同じく周囲を見回し、狙撃のポイントとなりそうな地点を探していく。

「多分な。じゃなきゃ、見えない軍隊だ」

「そんなの、相手にしたくないね」

 相手が狙撃手であることはほぼ確実になったが、面倒ごとが減るわけではない。むしろ、厄介ごとが確定しただけだ。

 カイは自分のバックパックを一瞥し、首に提げたペンダントを引き出した。体温でほの温かいそれは、ケントが「弾除けだ」と冗談交じりにくれたものだ。

 つるりとした表面に触れていると、不思議と気持ちが安らぐ。

 敵がいる状況は普段と変わりない。だが、狙撃手がこれだけ近くにいるのは、おそらく初めてのことだ。

 敵がどこから見ているか分からないというのは、やはり気分のいいものではない。もちろん、自分たちがいるのはそのプレッシャーを与えるためでもあるのも、また事実だが。

 カイが首筋でペンダントに触れているのを見て、ケントがにやりと笑った。

「なんだよ、不安なのか? 撃たれた時のための弾除けだろ」

「いいだろ。撃たれないに越したことはないんだから。少し、見張りを頼んだよ」

「はいよ」

 ケントは返事をしながら鼻を親指ではじくように擦る。ケントが緊張しているときにやる癖だった。

 カイは腹ばいのままじりじりと後ろに下がり、丘の影に体を隠すと、ギリースーツを脱いだ。

 額に張りついたこげ茶色の髪を払いのけ、汗を拭う。

 カイはナイフを使って周辺の草を静かに切り取り、ギリースーツに差し込んでいく。

 人の目は、普通に考えられている以上に敏感な器官だ。皮膚が反射した光から、狙撃手が位置を見つかることも多い。

 そのため、顔にはペイントを施し、銃身に黒炭を塗って草をかぶせるし、双眼鏡はガラス面の反射を防ぐため、ひさしの部分が非常に大きなものを使う。

 また、既成のギリースーツは周囲の環境と若干色が違うため、違和感を覚える場合がある。そのため、場所に応じて都度スーツを自作する狙撃手もいる。

 彼らはそこまでは行わないものの、ギリースーツにその場所の植物を絡める程度は行っていた。

 本来であれば事前にやっておくべきものだが、到着直後の地形の確認中に敵が姿を見せたため、狙撃を優先させた。

 緑の毛糸を多くぶら下げたような作りのスーツに、丁寧に草を編みこんでいく。

 生地の裏側からも茎や葉を差し込んで立体感を作る。試しに持ち上げてみると、それは一つの茂みのように生きた気配をまとっていた。

「よし。ケント、いいよ」

「了解。俺もやるか」

 カイがスーツをかぶりなおしてケントの横に並び、入れ違いにケントはゆっくりと下がる。

「ふう、見つからないためとはいえ、この暑さはどうにかなんねえかな」

 文句を言いながら、ケントは周囲の枝や草を摘み取り、編みこんでいく。

 カイの見下ろす中洲には、これといった変化はない。先ほどの狙撃された味方の部隊はあれ以上の攻撃は受けていないようだった。

 相手の狙撃手もこの中洲を警戒させるために動いているらしかった。

 そもそも、この中洲は中央の道を除いて部隊が通れるようにはできていない。丘の裏側を移動していくことはもちろんできるが、罠が多い。二人が現在の位置に来るまでの道にも、動物に対して使用するらしい罠が多数仕掛けられていた。

 こちらの指示で仕掛けられたもの以外に、相手が仕掛けたもの、本来狩りのために仕掛けられたものが混在しているのだろう。

 山道によほど慣れていない限り、それらを回避しながら移動するのは現実的ではない。

 また、見通しの利かない場所では、待ち伏せの危険性もある。

 罠と待ち伏せ。この二つは少人数で部隊を相手にする際の常套手段だ。

 なんの準備もなくそこまでの危険を冒すことは出来ないし、昼間に遮蔽物のない川を渡ればいい的だ。

 だから、制圧の方策を整えるまでの間、現在の場所にこれ以上危険を増やさないことが、カイとケントの派遣された理由だった。

「よっし、完成っと」

 ケントはスーツを持ち上げて完成度を確かめ、取り出したタバコのにおいを嗅いだ。

 胸いっぱいに少し甘い、香ばしい匂いを吸い込み、スーツをかぶりなおす。

 スーツの上を這い上っていたムカデを指で弾き飛ばし、ケントは自分の汗と青臭い匂いに肩をすくめて、カイの隣に戻った。




 この地方の夏は乾いていて、そこまで暑さを感じることはない。だが、それも上下でシートに挟まれていれば別だ。

 私は出しておいたハンカチで額を拭った。柄の少ない灰色の表面に少し引きずったような水玉模様ができる。

 最初の銃声以降、敵に動きは見られない。撤退したか、山の裏手に移動したかどちらかだろう。

 彼らがこちらの背後にたどり着く可能性もあるが、おそらくこの周辺は避けて通るはずだ。

 元々狙撃地点として選ばれていたこの周辺には重点的に罠が仕掛けられている。

 もし通ろうとしても、罠を除去している間にこちらが先に気づくだろう。

 結局、向こうの狙撃手の位置は把握できていない。移動していないのか、よほどうまく隠れているのか。

 いずれにしても私にできることは現状残っていない。

 私は支給された棒状の包みを破り、中身をかじった。

 麦のような穀物の食感と、ピーナッツや大豆らしい豆の味。腹を膨らませるためだけに作られた味だ。よく噛んでから飲み込んだが、もみ殻でも噛んだようなざらつきが残る。

 とりあえず一袋を食べ、ビニールにストローだけつけた容器から水を飲む。

 ひどい食事だ。狩りの時には肉も食べられるのだが、煙やにおいを出すわけにもいかない。

 たまたま視界に入ったウサギの巣らしい穴に、ウサギのあぶり肉の香りが口に広がる。

 鳥に似た淡白な味で、臭みもない。焼いても、スープにしてもうまい。

 この島はそもそもの構造から、動物がいることは少ない。

 植物は豊富だが、わざわざ川を渡ってくるほどではない。周辺にも植物はいくらでもある。

 だが、動物を追い詰めるのには格好の場所だった。

 一度川を渡らせてしまえば、罠のある丘と中央の道がこの島のほとんどすべてだ。一人が待ち受けていれば、逃げられる心配はない。

 加えて、ウサギなどの小動物はこの川を渡ってはこの島から出られない。橋に鳴子のような楽器と柵でも仕掛けておけば、兎は豊富な餌と外敵のいない環境で簡単に太っていく。

 普段はそれぞれの村が協力して狩りを行い、謝肉祭の季節には獲物の大きさを競い、放っておいたウサギは冬の間の貴重な食料になる。

 だが、ここ一年ほどは村の行き来はほとんどなくなり、一か月ほどは左右の村ですら緊張が高まり、狩りは行われていない。

 どちらが勝つにしても、早く終わらせてほしいものだ。

 食後のためか徐々に大きくなる眠気を感じて、私は姿勢を変えて目を閉じた。



 夜光の時計に視線を落とし、ケントは傍らで寝息を立てているギリースーツの茂みに声をかけた。

「カーイ。交代してくれー。おーい、姫ー」

「時間かい?」

 カイがギリースーツをずらして空を見上げると、すでに空は夕日を地平にしまい、濃紺へと変わり始めていた。眠気を払うために水筒のコーヒーを一口すする。

「ああ。代わってくれ」

 眠気を感じさせない声のカイに、欠伸をかみ殺してケントはうなずいた。

「ありがとう。じゃあ、移動の準備だけよろしく」

「了解、っと」

 ケントは自分のバックパックを引き寄せ、代わりにカイのものを手渡す。

 カイは自分のバックパックからプラスチック製の箱を取り出し、中からやや大型のスコープを取り出した。細長くスマートだった先のものに比べ、ずんぐりむっくりとして、機械的な印象が強い。

 それまでついていたものを外して箱に納め、スライド式の台座に新しいスコープを取り付けてボルトで固定する。

 続けて、銃身をサイレンサーと同化させたものに交換する。

 そうしているうちに空の色は深みを増していき、それに合わせて鈴の音を思わせる虫の声が森全体から響き始める。

 草木の間にしみいるように暗闇が広がっていき、星の瞬きを残すだけになった。

 物陰に隠れれば、自分の体もはっきりとは見分けられない。暗闇に目が慣れたとしても、狙撃は難しい暗さだ。

 カイは銃を構えてスコープのスイッチを入れ、のぞき込んだ。

 青と黒を混ぜたような景色が広がり、肉眼で見るよりは多少マシに見える。一通り中洲の中を見回し、変化がないことを確認する。

 スイッチを切って目を離し、小さく息を吐いて銃を下ろし、額を手のひらで拭う。

 視界から入る情報が減っていくのに反比例して、周囲の音が鮮明に響いてくる。

 吹きすぎる風や葉擦れ、ごそごそと何かが這い、耳元で草がかじり取られる音。

 一つの音楽と言っても差し支えないほど調和した響きが、全身を柔らかく包み込む。

 弱く光を放つ星々は月や町の明かりに邪魔されることなく、囁くような瞬きを繰り返していた。

 静かな囁きに包まれたまま、どれほど経っただろうか。わし座が地平線から天頂へ進む半ばほどで、調和した音の中に、異音が混じった。

 虫の羽音のようにも聞こえるが、もっと規則的で滑らかな音だ。

 カイは再度スコープのスイッチを入れ、銃口を空に向けた。

 ごく微かなモーターらしい音が、木立の向こうを緩やかに移動する。

 音を追ってスコープに映る景色を移動させ、行き過ぎた分を僅かに戻して、カイの手が止まる。

 青と黒の暗い色彩の中で、空中の五か所が黄色く鮮やかに色づいている。

 細部ははっきりとは分からないものの、どうやら低空を飛行しているらしい。

「ドローンかな」

 小さく呟いて膝立ちになり、息を細く吐き出す。無線式のものは妨害電波で使用できないはずだ。おそらく、有線式のものだろう。

 静かに動いていくドローンの少し前方を、速度を合わせて銃身で線を引いていく。

 肺の空気が抜けきるのに合わせて、柔らかく引き金を絞る。

 遠方の銃声を聞くような鈍い音が森を震わせ、何かが砕ける音が響く。

 地面に墜落する音を待たず、カイは手早く銃を担ぎ、脱いだギリースーツを丸めた。

「ケント、行こう」

「ん、了解。ったくもう少し寝かせろよな」

 銃声で目が覚めていたのか、ケントは文句を言いながらも素早くかぶっていたギリースーツをたたみ、バックパックを担ぎあげる。

 暗闇の中で銃口が噴くマズルフラッシュは良く目立つ。もし相手の視界に入っていれば、かなり正確な場所を知られる。

 そのまま、二人は静かに暗闇に紛れてその場を後にした。




 私が木々を縫って移動していた時、一発の銃声が梢を揺らした。

 かなり遠くから撃ったような銃声に、一秒ほどの間をおいて何かが地面に落ちる音。

 プロペラの音が途絶えている。プロペラ機が落とされたようだ。

 恐らく、狙撃手がいることを知ったどちらかが、索敵のために放ったのだろう。方角からして、私の村からか。

 だが、問題はどうやって狙撃したかだ。今日は新月があけたばかりの細い三日月しか出ていない。夜間に飛ばすのであれば、プロペラ機にも迷彩が施されているはずだ。星明りだけでは、梢の隙間からそれを発見することは難しい。

 何か別の方法を取っているということか。今どきは星の光でも昼のような明るさで見ることもできるそうだ。

 だが、ほとんど黒一色の夜の森の中では、明るく見えたところで飛んでいるものを撃つのは至難の業だろう。

 私は考えるのをやめて、足元に意識を戻した。どうせ考えても分かりはしない。気を付けて隠れたところで、撃たれるときは撃たれる。

 足元のトラばさみを避け、一歩先に仕掛けられていたもう一つのトラばさみは銃床でついて閉じておく。

 今度の狙撃で相手も場所を移動しただろう。移動には気をつける必要がある。

 移動する可能性があるのは三か所、そのうち、中腹にある一つは周囲に罠が多い。その地点は避けるだろう。どちらかと言えば鳥を撃つときによく使う場所だ。

 残り二つはどちらも頂上付近。茂みがあり、比較的平らな地面が確保できる。一方がやや低い位置にあり、茂みが薄い代わりに視界がより広く、狙撃には適している。私がシカ狩りの時によく使う場所だ。

 もう片方は低木が多く、隠れるのには適しているが、ぱっと見で見つけられるような場所ではない。あらかじめ知っていなければ使われることはないだろう。

 こちら側から双方を狙うには、丘の中腹に生えたオークの木が適している。

 木の幹が太く、下草や低木も多い。太い枝が張り出しており、場合によっては木に登っての狙撃もできる。

 朽ちかけた倒木を乗り越えようとして、違和感を覚えて傍らの茂みに視線を移す。

 暗いため見えはしないが、風や虫の動きとは違う、小動物の息遣いが微かに感じられる。

 低木の上からのぞき込むと、一匹のウサギが身を潜めていた。覗き込んだ私を見上げる目はどこか、。どうやら、トラばさみに足を挟まれているようだ。

 小型の犬ほどのやや大きな茶色い体は丸々と太っている。

 この夏の盛り、天敵のいない環境と豊富にある餌で太りすぎたのだろう。

 銃声に驚いて逃げようとしたときにでも挟まれたのか、後ろ左足が罠に挟み込まれている。

 私から逃げようとしても、足を抑えられたバッタのように体を伸びあがらせるような動きしかできないようだ。

 私は右足でウサギの頭を地面に押さえつけ、トラばさみを左右にこじ開けた。トラばさみは驚くほど簡単に左右に開き、ウサギの足には傷らしい傷もない。

 大方の予想はついていたが、もともと納屋で錆びついていたものか、昔仕掛けたまま劣化したものばかりのようだ。

 隣村でも軍ともめ事を起こさないために罠を仕掛けてはいるが、実際に人が踏み込んでもあまり効果はないだろう。

 そもそも、どちらの勢力が勝ったところで、私たちには大きな違いがあるわけではない。

 早くこの内戦が終わればいい。そうすれば、再び謝肉祭で火を囲うことも、隣村へ自由に行き来することもできる。

 私は捕まえたウサギを布の袋へ入れ、口を縛った。このウサギは、帰った後にでも食べるとしよう。




 至る所に仕掛けられている罠を避けながら移動し、迂回を繰り返しながら慎重に進んでいく。

 懐中電灯の明かりを手で遮って調節しながら、一歩一歩を確認して進んでいく作業は予想以上に時間を使い、想定していた数倍の時間を使って、二人はようやく目的地に荷物を下ろした。

 二人は罠の多く仕掛けられていた地点を避け、頂上付近にあるもう一つの候補地を選んだ。

 やや茂みが薄いが、その程度は迷彩でどうにでもすることができる。

 白み始めた東の空に呼ばれたのか、どこからか鳥の声が聞こえてくる。

「まったく、あんなに罠を仕掛けておくもんかね」

「仕方ないよ。あそこが狙撃に向いてるのは、誰が見ても分かるからね。僕らの村の方でも、あのオークの木の近くには罠を仕掛けておくように言ってただろ?」

「そりゃ、そうだけどよ」

 ケントは汗を拭いてから胸ポケットに入っていたタバコを取り出し、鼻に近づけ、顔をしかめた。

「くそ、湿気っちまったな」

「そういえば、なんでケントはタバコを吸い始めたんだっけ? モテたいから?」

 スーツの下で首を傾げるカイに、ケントはため息をついた。

「いつの時代の話だよ」

「でも、父さんも母さんも吸ってないだろ?」

 ケントの両親はどちらも学校の教師で、厳格というほどではないが、村の中では教育熱心な口うるさい二人だった。

 二人ともタバコは吸わず、酒はたしなむ程度、食事のお祈りと日曜の礼拝は欠かさない。初夜ももちろん結婚式の後、だったはずだ。

 そもそも、ケントは民兵に志願せず、町の大学へ進むはずだった。

「いや、あれでも親父は吸ってたってよ。結婚前にやめたんだと」

「あれ、そうだったんだ。全然そんな風に見えないけどね」

「プロポーズで、『タバコではなく君に依存させてほしい』って言ったらしいぜ」

「それは、なんとなく分かるかな」

 少し視線を上げた先でケントの父が気障なプロポーズをする様子を見て、カイは小さく笑った。

 静かにシートを敷き、腹ばいになったカイの横に、ケントが同じように腹ばいになる。

「もう少し寝ててもいいよ」

「もう夜明けだろ。それに、そのスコープ覗いてみたいんだよ。昼間しか見たことないからな」

「いいよ。暗いだけだけどね」

 ケントはライフルを受け取り、のぞき込んだ。黒と暗い青だけの地味な色合いで視界が染まる。

 音を立てないように慎重に銃身を巡らせていき、視界を移動させても、特に色の違う箇所は映らない。

「青と黒だけだな」

「まだ陽が出ていないからね。逆に昼間は赤と黄色ばっかりだよ」

「暗いだけで、あんまり面白くねえな」

 肩をすくめて、ケントはそのまましばらくあたりをなぞる様に見回した。

 徐々に空から深みが押しのけられていき、森からも夜の気配が薄れていく。

 顔を出した太陽に呼ばれた風が、湿った空気を押し流す。

「カイ、ちょっと変われ」

 張り詰められた口調にカイが振り向くと、ケントは銃を構えたまま一点を凝視していた。

 利き腕とは逆のまま銃を受け取り、慎重にのぞき込む。まだ青色の濃いスコープの像の中で、一点だけ鮮やかに色づいている。

 周囲に大量の罠を仕掛けられたはずの、太いオークの木。その枝の又になっている箇所、広がった枝の内一本から、オレンジと黄色に色づいたものがはみ出している。

 時折身じろぐように細かく動き、緩やかな膨張と収縮を繰り返している。

「オークの幹の又になってる場所か。でも、どうやって行ったんだろう」

 カイはライフルを構えなおし、輪郭の不鮮明な色の塊を凝視した。

「それで、敵か?」

「分からない。ほとんど木の枝に隠れてる。でも、あんな罠だらけの場所には人以外は行けないよ」

 口ではそういいながら、カイはライフルを構えたまま、引き金に指を添えようとはしなかった。

 幹からはみ出ている部分は多くが黄色く色づいている。だが、通常服を着た人間は緑色に近い色で映るはずだ。

 服が薄いことや、移動したために体温が上がっている可能性はあるが、周囲の幹も緑に近い色に変化しており、ある程度の時間はそこにいたことを示している。その時間、そこまで高い体温を維持できるとは考えにくい。

 だが、ネズミなどの木に登る小動物では、あそこまで幹の色を変化させることは出来ないだろう。

「どうなんだ、違うのか? もう日が昇るぞ」

 ケントは風速計などの補助器具を広げながら、空を見上げた。

 今装着されている、温度変化を移すサーモグラフィースコープは、夜間の狙撃に適した迷彩を施している。通常のスコープとは違い、太陽光を反射しにくい構造はしておらず、昼間に付けていれば、相手に場所を悟られる原因になる。

 太陽は丘の背後から上っているためすぐには問題ないが、明るくなればそれだけ発見される確率は高くなる。

 加えて、映る画像は気温が上がれば一面明るい色に変化してしまい、役に立たない。

 だが、スコープを付け替えることもできない。太陽は背後から上っている。場所は分かっていても、丘の影に隠れて正確な狙撃ができるとは限らない。

さらに、太陽が昇れば気温差による風の影響が出始める。確実を期すのであれば、これからの数分を逃すことは出来ない。

 ケントの焦りを肌に感じながら、カイはなおもしばらくスコープを覗き込んだまま、息をひそめていた。

 やがて、片目だけをケントに向けてから、ペンダントを撫でていた手を離し、引き金に指をかける。

「ケント、風向きは?」




 やはり、そこかしこに罠は仕掛けられていた。しかし、試しにいくつか作動させてみたが、どれもどうにか小動物を抑えておくことができる程度のものばかりだった。

 時折もぞもぞと動くウサギを肩から下げ、罠を避けながらオークの木へ向かう。

 ブーツを何度か罠に挟まれてから、私は到着した木の根元に横になった。

 雨の上がった翌日のような、微かににおい立つ落ち葉と土の香りは、死後に埋葬されたような奇妙な安らぎで私を包んだ。

 この場所は狙撃に適した地点の一つだが、あまりいい思い出はない。初めて誤射されたのは、ここだったはずだ。幸い、肩をかすめただけだったが、死んでいてもおかしくなかった。

 ジンクスを信じる方ではないが、人を初めて撃った時もここに居たはずだ。使用する度に小さな偶然が積み重なり、最近では極力避けてきた。今更どうでもいいことだが。

 罠を探して左右に視線を配ると、蔦の合間に顔をのぞかせる、小さな赤い花が目の隅に映った。

 そうだった。帰ったらカレンの墓に花を供えてやらなければならない。そろそろ庭のベゴニアがそろって蕾を開かせるはずだ。

 息子たちが村を出た今では、彼女を想うのは私の役目だ。

 夢と眠りの間をゆったりとさまよっているうちに、腹の上でもぞもぞと動く感触で目が覚めた。

 腹に乗せておいたウサギが、朝の気配を感じて動き始めたらしい。陽が出るにはまだ少し早いが、狩りの準備をするにはちょうど良い時間だ。

 ウサギをオークの木の又の部分に置き、食事の準備を始める。

 とはいえ、この状況で火は使えない。二度焼きしたパンを、水筒に入れておいた塩気の強いコンソメスープに浸して、ふやかしたもので腹を満たす。

 オークの木から数メートル後方へ下がり、ゆるい斜面になったところにシートを敷いて体を隠した。顔が出る位置にあたりの枝や落ち葉を大雑把に積み上げる。

 私は陽が昇るにつれてにぎやかになり始めた小鳥のさえずりを聞きながら、朝の景色を眺めていた。

 向かいの丘から上る太陽が徐々に影と夜の境を薄くしていき、ゆっくりと朝と夜が入れ替わる。

 朝靄が漂い始めたかたわれどき、まだ夜の中にいる丘の中で、小さな光が瞬いた。

 一瞬遅れて生暖かいしぶきが顔にかかるのと同時に、やや後方の枝が折れ飛び、銃声が顔に触れる。

 生臭い鉄の匂いが顔を伝う感触を拭い、銃を構える。

 丘の影の中で一つの影が起き上がり、体を揺らした。影から何か植物のようなものが剥がれ落ちる。

 その近くで、巨大な苔の塊のような別の影が小さく盛り上がる。二人か。距離はこの島の長い側の半分ほどか。

 私は立ち上がった方に照準を合わせ、一瞬のためらいを抑えて、引き金を引いた。




 双眼鏡の中で何かがはじけ飛び、しぶきが上がる。

「よっし、命中!」

 ケントはいつも通りに声を潜めたまま、歓声を上げた。

 カイは何も言わずに銃を構えたまま動かず、息を殺している。

「おい、カイあれ」

 ケントが立ち上がり、右側――敵側の村を振り向いた。

 木立の上、朝焼けの中に緑色の煙が風に吹かれて東へと流れている。

「どういうことだ?」

「ケント! だめだ!」

 ケントがギリースーツを脱ぎ、改めて双眼鏡を向けようとしたその時、カイが弾かれた様に振り向いた。

「あれは人じゃない! まだ――」

 ケントの体が跳ね、斜面の方へ弾かれたように倒れこむ。遅れた銃声が幾重にも重なって、二つの丘に木霊した。




 一人が倒れ、もう一人が即座に再度姿勢を低くする。

 見えてはいるが、隠れるための工夫をしているのか輪郭があいまいに溶けている。

 このままの射撃も可能ではあるが、確実性は下がる。

 私はシートの下で少しの間考えを巡らせてから、シートを押しのけてゆっくりと立ち上がった。




 カイはケントが倒れる様子を見た瞬間、再度姿勢を低く伏せた。

 同時に、自分の行動が敵にどう映ったかを考え、鼓動が跳ねる。

 注意するためであったとはいえ、あれだけ急な動きをすれば、こちらを注視している相手が自分に気づかないはずはない。

 体から僅かに離れた銃を慎重に引き寄せ、構える。まだ青の強い視界の中で、先ほど撃った何かの生き物の血液らしい体温が点々と緑に色づいている。

 恐らく、自分の位置は相手に把握されている。だが、そのあとに続く狙撃がない。

 相手の考えが読めないままカイが別の熱源を探していた時、突然視界に黄色と赤の像が映りこんだ。

 ゆっくりと立ち上がったその姿は、青く細長いものをカイの方へ向けていた。

 瞬間的に肌が粟立つ感触に呼吸が乱れ、照準がぶれる。

 だが、予期した衝撃は一向に来ず、代わりに相手の妙な行動が目についた。

 銃から片手を離し、手のひらを上に指を軽く振り上げる動作を繰り返している。

 中学の教師が生徒を立たせる際に、やるような。

 相手はこちらを見つけている。だが、撃ってこないばかりか、こちらに立てと促している。

 ただ立てと促す相手を見つめ、引き金に指をかける。

 カイがその合図に従ってしまった理由は、彼にも説明できなかった。

 相手は照準を外しておらず、こちらも撃つにはまたとない好機だった。

 だが、それでもカイは温度で色分けされた、表情も見えないような曖昧な像の中でも分かる、皴の多い輪郭を疑う気にはなれなかった。

 ゆっくりと立ち上がり、ギリースーツを脱ぎ捨てる。




 立ち上がり、何かの被り物を脱いだその姿は、影の中でもその若さが伝わるほど幼さを残したものだった。

 私の息子たちよりもずっと若いだろう。

 被り物を地面に落とし、彼は銃を構えなおした。


 カイがスコープを覗き込んだ時、その老人は変わらぬ姿勢でこちらに狙いを定めていた。

 全身が縮んだような痩せたシルエット。彼の父よりもおそらく歳は上で、よく見れば背が丸みを帯びている。

 互いに弾丸を打ち込む準備をしたまま、時間だけがゆったりと流れていった。


 私はしばらく銃を構えたまま、青年と向き合っていた。

 老いた目には彼の表情は映らない。

 だが再度銃を構えても、彼は弾丸を撃とうとしなかった。


 スコープの向こう側では変わらぬ姿勢で銃を構えたまま、老人がこちらに狙いを定めている。

 カイも狙いを定めたまま、ただ、待っていた。


 やがて、太陽が丘を越え、二人の体を陽の光が照らし出した。


 私は小さく息を吐き、照準を合わせ、引き金に指をかけた。


 カイは小さく息を吐いて、照準を調整し、引き金に指をかける。


 木霊した銃声に、数羽のカラスが朝焼けの空へ飛びあがった。


「――以上だ。後で書類を持ってこさせる。明朝までにサインしておけ。……まったく」

 やたらに名誉負傷章ばかりを軍服にぶら下げた中年の曹長は、最前線が後退し続けていらしい頭部に軍帽を乗せ、靴音を高く鳴らしながら持ち場へ戻っていった。

 敬礼を解いて見送り、ケントは小さくため息をついてにやりと笑った。

「相変わらず、頭部戦線は負け続きみたいだな」

「やめなよ。あの人、その話してるとすぐ来るんだから。盗聴器があるって噂だよ」

「話しがやたら長いしな。痛ってて」

 ケントは肩をすくめようとして、顔をしかめた。

「ほら、大人しくしてた方がいいよ。体に穴が開いたんだからさ」

 カイはケントと同じように巻かれた、左肩の包帯の位置を少し直した。消毒薬の匂いに混じって、少し甘ったるいにおいが鼻をつく。

 敵の狙撃手から銃弾は受けたものの、二人とも全治数週間程度の怪我を負っただけで、命に別状はなかった。

 応急処置をすぐに施したこともあったが、弾丸は肩甲骨を貫きはしたものの、医者が奇跡と呼ぶような位置を通っていた。

 互いに重要視されていたはずの中洲で死者は出ず、結果は負傷者が四人というささやかなものだった。

 それもそのはずで、結局あの中洲が本格的な戦場になることはなかった。

 カイたちが所属している政府の勢力は夜間に中洲を回り込み、川を利用して対岸に上陸、村の制圧に成功した。

 ケントの見た緑の狼煙は、その成功の合図に使われたものだった。

 伍長からは、カイとケントがあの位置に付かされたのは単に囮と牽制のためであって、そもそもあの中洲を利用する計画はなかった、と説明があった。

 成果を上げることは出来たものの、考えていることは相手側も似たようなものだったらしい。

 ほとんど同時に、中洲から二十三キロほど下った位置にある別の村が現政権側に占拠された。

 その村にも橋があり、首都に直結する道はないものの、森が多く隠れた状態で移動することには適している。

 二人が関わることがないまま、今回の作戦は痛み分けに終わっていた。

「でも、一応怪我をしたかいはあったのかな」

 カイは粗末なビニールの中に入れられた名誉負傷章を手のひらに出した。

 先ほどの伍長は作戦の成功を告げることと、もう一つ。彼らの一時帰郷の許可を伝えていった。

 彼らの民兵らしからぬ働きと今回の負傷を鑑み、故郷で心身共に万全の状態になるまで静養することが許された――という旨を必要以上に長々と立ったまま聞かされた後、二人は名誉負傷章を投げ渡された。

 カイは二段ベッドの下段に寝転がり、ただ鉄板を切り抜いて字を彫っただけの、名ばかりの勲章を目の前にぶら下げた。

「それにしても、よく二人とも生きてたな」

 勲章を鞄に投げ込み、ケントは片腕でベッドのはしごを登って上の段に腰かけた。

「なんで?」

「だってよ、直線で精々五百mとかその程度だろ? 普通外さねえだろ?」

 狙撃手の技術をもってすれば、二百m程度の距離であれば卵に百発百中で当てることができる。風の弱い早朝であればなおさらのことだ。

 負傷章に目を落とし、文字を指でなぞりながらカイは小さく息を吐いた。

「……多分、わざと肩を撃ったんだよ」

 ケントは取り出した負傷章を指でつまみ、目の前にぶら下げた。鉄臭い色合いに輝かしさは欠片もないが、戦死でもらえる二階級特進の襟章よりは、よほどましに見える。

「そうかもな。でも、やっぱりよく生きてたよ、ここまでもな」

 ケントは枕を軽くたたいて膨らませてから、ごろりとベッドに横になった。

 野営用のテントの埃っぽい地味な色の天井を、つま先で軽く蹴り上げる。

「まったく、なんでお前民兵に志願なんてしたんだよ」

「それはこっちが言いたいよ。僕はケントも志願するって聞いたから、志願したんだから」

 ケントは半身を起こして、カイを見下ろした。

「はぁ? 俺がわざわざ……いや、ちょっと待てよ。くそ、軍人連中にはめられたかもな」

 民兵の募集は突然やってきた。彼らは村を北部と南部に分け、それぞれ募集している旨を説明した。そして、志願を尻込みすることがいかに恥ずべきことかを熱弁し、ケントの住む北部では、南部の青年は全員が志願したと伝え、サイン済みの書類を見せられた。

「そうかもね。僕の方でも北部は全員が志願した、って説明してたし」

 そして、その日の内に必要な荷物をまとめ、訓練場に移動させられていた。

 田舎の村の中で疑問が広がるよりも早くことを進めるために、意図的に考える時間を減らしたのだろう。書類のサインも、役所の協力さえあれば簡単に用意できる。

 質を期待できない民兵の数をそろえるには、効率的なやり方だ。

「もう少し、早くこの話ができてれば、よかったかもね」

 しみじみとい言うカイに、ケントは肩をすくめて、痛みに顔をしかめた。

「変わんねえよ。どっちにしてもな。でもこれで――」

 ケントは伍長の持ってきた書類に、質の悪いボールペンで、書類からはみ出しそうな大きさのサインを勢いよく書き込んだ。

「――ここともおさらばだな!」



 私は庭に咲いたベゴニアの花で簡単な花束を作り、墓地に足を運んだ。

 『愛すべき想い出と共に』と記された、カレン・コールマンの墓の前で足を止める。

 この言葉を見るたびに、彼女のすらりとした立ち姿が目に浮かぶ。

 彼女はいつも通りにキスをして眠った翌朝、寝顔のまま息を引き取っていた。

 医者にも原因は分からず、急性なんたらというような曖昧な病名がカルテに書き込まれた。

 それは無数の命を摘み取ってきた私への当てこすりのようでも、彼女の自由さの延長のようでもあった。

 墓石の前にひざまずいて上を軽く手で払い、ベゴニアを手向ける。

 あの青年たちは無事に村に戻れただろうか。

 私は花を手向けたばかりの手を見下ろした。

 ごつごつと節くれだち、全体がやすりのようにざらついて、爪は木の皮のような奇妙な形にめくれあがっている。

 あの時、撃たれるのは私でもよかった。

 度重なる射撃のせいで右耳はよく聞こえず、銃の重さで右肩が下がっている。

 狩人らしく、昔から冬の蓄えや祝い事のために多くの命を摘んできた。

 時には、人を撃ったこともあった。それは事故であったり、村に放火した気狂いだったり、病に苦しむ病人だったが、引き金の重さに違いはなかった。

 だから、あの青年が私を撃つことをためらっていた時、引き金を引くのは私の役目だった。

 風にそよぐベゴニアにカレンを見て、私は目を背けた。

 『意外に優しい』という彼女の声が聞こえることはもうない。だが、言葉を交わすよりも、銃の先にいる相手のことの方がよく分かるような私には、それくらいで丁度いいのかもしれない。

 私は鈍く痛みを訴える腰を押さえて、ゆっくりと立ち上がった。両手を空に向け、全身を引き上げるように伸ばす。

 まだ午後も早い。今日は魚でも釣りに行くとしよう。

 引き金の重さを知らない連中に、肉を振舞うのは、あまりにも過ぎた贅沢だ。

 私はベゴニアの赤を目の端に見ながら、カレンの墓に背を向けた。

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