得てして真実はそんなもんである
「ひ、ひっ、姫野さん」
僕たちが教室に戻ると、服部が甲高い声を出して、ピンッと姿勢を整え固まった。斜め上の反応だ。
「ええっと?」
ブレザーの裾を引っ張りつつ、不思議そうに服部を指差す姫野さん。
「うん、あいつは無視していいから。単なる馬鹿だし」
エロイくせにピュアなんだよな。
「姫野さんが犯人?」
キョトンと雫が尋ねてくる。
「うん。犯人というかなんていうか……ある意味、被害者な気もしなくもない」
いや、完全に被害者か。勝手にノーパンキャラに設定されているわけだし。その挙句、服部の妄想の餌食になっているわけだしな。
「あの、本当にすいませんでした」
姫野さんは黒い髪を跳ねさせ、雫に大きく頭を下げる。
「うん? なんかよく分からないけど別にいいよ。うん」
こいつは予想通り過ぎるな。どこまでも適当なやつだ。あまりにも適当過ぎて、流石の姫野さんも苦笑してしまい、
『本当にいいのでしょうか?』
とアイコンタクトを送ってきた。僕はドキドキしながらも、
『ねっ、言った通り大丈夫だったでしょ』
と笑顔で返す。
「お前、何でそんなに姫野さんと見つめあってるんだよ。どういう関係だ?」
地獄の奥底から出されるような声が横から聞こえてきた。
「……もしかして、付き合ってるのか? いや、もうそれを超えて、あんなことやこんなことを終えたのか? おい、約束はどうなった。初夜を一緒に迎えるという約束はどうなった!」
僕の襟元を掴み、服部がブンブン体を振ってくる。
当然のことながら、そんな気持ちの悪い約束はしてない。それに、初夜を一緒に迎えるという言い方は色々と語弊があるだろ。ホモと勘違いされかねん。
「どういうことなのかなぁ? 良介」
甘すぎる、優しすぎる声に、僕と服部は同時に雫を見た。
笑顔だ。最高の笑顔なのに、怒りマークが額に何個も浮かんでいる。
「どういうことって、どういうこと?」
「姫野さんとあんなことやこんなことをしたの? へぇ~。そういう関係なんだぁ。別にいいのよ。良介が誰と付き合おうと、良介の勝手よね。うん、別に私には関係ないわよね。うん、幼馴染の私になんてなんの関係もないよね……」
雫は笑顔のまま、呪文のようにぶつぶつと唱える。これだけは言っておこう。僕は無実。清廉潔白、水のようにさわやかな人間だ。呪われるようなことは何もしていない。
「えっと、あの姫野さん? どうしたの?」
何故に体がプルプル震えているの?
「えっと、もしかして怒ってる? 違うよ、あれは服部の冗談だからね。そんなに怒らないで」
「別に怒ってなんかいません」
なら、何でそんな涙声なのかな。しかも、顔が赤信号になっているけど。そんな、姫野さんの横でまだ、雫がぶつぶつと何かを唱えているし。……地獄だ。
「なぁ、みてみろよ。姫野さんの胸が……」
こんな状況で服部は何を言い出すんだ。顔がエロイことになっているぞ。
「はぁ~、まったくお前は何でいつも?!」
むっ、胸が体の震えに共振して、ゆさゆさと、上下左右へと暴れ回っている。無意識に涎がでてしまうほどだ。
「良介、生きててよかったな」
「ああ、ここは天国だ」
僕と服部は目を合わせることなく、一点を凝視し続けた。惑う女子二人のためらいを気にすることなく。
「それで、何で姫野さんは立ち聞きなんてしていたんだ?」
ようやく全員が落ち着いたところで、服部がこう切り出した。残念なことに姫野さんの胸は震えることなく、どしっと構えられている。それをチラチラと横目でみる服部。
「えっと、すいませんでした。屋上に行ったら、私の名前が聞こえてきたので、つい気になって」
「ああ、そうなんだ」
服部はあの時の会話を思い出したのか、苦い声を出した。ホントに申し訳ない。……僕は何もしてないけど。……ちょっとエッチな妄想しただけでさ。
「……昼休みに姫野さんの名前なんて出したっけ? というより、何の話したっけ?」
一人状況が呑み込めず、天を仰いで必死に思い出そうとする雫。こいつのペースで行くといつまで経っても話が進まないので、無視することにしよう。
「まあ、あれだよ。色々と誤解というか、タイミングが悪かっただけだよ。いつもなら教室で食べるんだけどさ。今日はちょっとね」
「タイミングが悪かった? あの、手紙がどうのこうのというお話ですか?」
「うん。誰かから悪戯なような手紙を貰ってね。まあ、そんな重要なものでもないから」
何か気になることがあるのかな? 姫野さんが怪訝そうな顔で首を傾げた。
「……どうかしたの?」
「いや、私にも見せてもらえませんか、その手紙」
「えっ、いや、いいけど」
やっぱり、何か気になることでもあるのかな?
「はい、この手紙何だけど」
僕は鞄から茶封筒を取り出し、中の一枚の手紙を姫野さんに差し出した。それを姫野さんが手を伸ばして受け取るとき、腕が胸に当たり、プルンプルンと両おっぱいが震える。
「おおお!」
興奮した服部が変な雄叫びをあげる。
「えっ、……ちょっと」
服部の視線に気づいた姫野さんは急いで胸を隠した。その仕草もまたエロくて、服部はさらに食い入るように胸をみつめる。
「ああ! 思い出した。姫野さんはノーパンという話だよね。そうだよね」
雫がいきなり大きな声を上げ、僕に同意を求めてきた。このタイミングで振るんじゃねぇ。
「違います! ノーパンではありません! ちゃんと穿いてます」
大きな声で否定する姫野さん。そして、服部はそれを二マニマと凝視する。セクハラ以外のなにものでもない。
「そんなに見ないで下さいよ!」
それに気づいて、忙しく否定する姫野さん。
「ノーパンじゃないの?」
「違います!」
「ええなぁ、胸は」
姫野さんは馬鹿とエロを同時に相手にし、いささか疲れてきたのか、うずくまってしまった。
「ごめんね、姫野さん。こいつらのことは気にしなくていいからさ。お前もいい加減にしとけ、服部。それ以上は通報案件だぞ」
「見ているだけならセーフだろ!」
「お前の存在は公序良俗に反しているから、存在自体がアウトだ」
それに、そこまでガン見していたら、流石に何かの法律に引っかかるだろ。
「存在自体が公序良俗に違反するって、何かエロイ響きない? それはそれで悪くないかも」
こいつはもう駄目かもしれん。
「ねえ、姫野さんは何で屋上に来たの?」
唐突に雫が問う。
「えっと、お昼ご飯を食べようと。……いつも、昼休みは屋上にいるので」
もう勘弁してくださいと顔をあげ、姫野さんが答えた。
「へぇ~。……一人で?」
雫の純粋な疑問に、僕はハッとした。姫野さんを見てみると、苦虫を噛み潰したような表情をしている。
そういえば、彼女は一人で屋上に来ていた。それに、休み時間に誰かと会話をしている姿を見たことがない。いつもポツンとそこに座っていた。容姿端麗、学業優秀の彼女のことを憧れと、エロイ視線でみる男はたくさんいる。だけど、もしかしたらだが、そんな彼女に一線を引いてしまう、気を使ってしまう同性も多いのかもしれない。
「……よかったら、明日から姫野さんも一緒に弁当食べない? ほら、僕たちも、明日からも屋上使いたいしさ。一緒にね」
咄嗟にでた言葉だった。いや、何にも考えずに出した言葉だった。僕は10歳の誕生日の時に、選択することを放棄した。人間であるためにどうしても悩みはする、でも選択はしないことに決めた。だから、それっぽい言葉をさっと出すのは苦手ではない。いや、得意になったというのが正解なのかもしれない。
「私もですか? でも、ご迷惑なのでは……」
姫野さんは、ムチムチな太ももを包むスカートの上に拳を置き、モジモジしている。
って、手紙がグチャグチャになってる……。
「そんなわけあるか! むしろ、一緒に食ってください! お願いします!」
服部が椅子の横に立ち、体を90度に折り曲げて礼をした。お前にしては素晴らしい行動だ。
「そうだよ、人が多い方が楽しいよ。だから、姫野さんも一緒にお昼食べようよ。ねっ」
雫は覗き込むように姫野さんを見て、優しい言葉を投げかけた。
そんな二人を見て、姫野さんは口をパクパクしている。
「そうだよ。だから明日から一緒にね」
「はっ、はい。よろしくお願いします」
笑顔の姫野さんに、僕たちの口角も自然と上がった。暖かい沈黙が流れる。
「ついでに、放課後雑談部にも入ってよ」
空気を読まず、心地よい沈黙を破る服部。
「放課後雑談部? いったい何をする部活なのでしょうか?」
「よくぞ聞いてくれた。いいか、女性のエロ……」
「えっとね、放課後に教室に集まって、色々と楽しくお喋りする部活だよ。まあ、本当の部活ではなくて、自称なんだけどね」
僕は服部の口を押え、それらしい説明をした。
折角放課後に姫野さんと一緒に居られるチャンスを、こんな馬鹿のせいでふいにするのだけは許せない。
「へぇ~。楽しそうですね。ぜひ、私も入れてください」
「もちろん。姫っちなら大歓迎だよ」
「勝手に変なあだ名をつけるなよ、雫」
「ええ、いいじゃない。姫野っちでいいよね」
「えっ、はっ、はい」
納得がいくのか、いかないのか、姫野さんは俯いてしまった。
やめるように説得したいところだが、無理だ。雫は一度決めたことは覆さないし、否定されるとスグに拗ねるので面倒くさい。
「えっと、それでね、今日はその手紙について話していたんだけど……」
僕はクシャクシャになってしまった紙を、ないし姫野さんの手をさす。
「えっ、あっ、すいません。グシャグシャにしてしまって」
「ああ、気にしないで。それで、読んでみてくれる」
「はい」
皺くちゃな紙をしっかりと開いて、姫野さんはじっくりと時間をかけて読んだ。
「……これはどういうことなんでしょうね。全く意味が分かりません。菅野君は身に覚えがありますか?」
そんな探偵のように聞かれると何か答えなくちゃという気持ちになる。……でも、
「まったくないよ。姫野さんは何か気づいたことない? 知っていることとか」
僕がそう聞くと、姫野さんは口元を一瞬ひくつかせた。そして、眉間に皺ができる。
思い当たる節でもあるのだろうか?
「……姫野さん? どうかしたの」
「えっ、いや、何でもありません。う~ん、よく分からないですね。きっと、悪戯ですよ。こういうのは気にしたら負けです。うん。きっとそうです。そうに決まってます」
自分に言い聞かせるかのように姫野さんが言った。そして、しわしわの紙を三つ折りにして、僕に返してきた。
「そっか、そうだよね。うん」
姫野さんの言う通り、あまり深く考えるのはよそう。
「姫野さんの入部を祝って、今からどこか行こうぜ。ボーリング、カラオケ、風俗、ゲーセン、映画、キャバクラどこでもいいぜ」
「いくつかおかしな選択肢が入っているぞ、エロ坊主」
「まあ、いいじゃねえか。それで良介はどこにいきたい?」
「えっ?」
どこに行きたいか? カラオケだったら個室だから、みんなで仲良く話しやすいかな。でも、いきなり個室だと姫野さんは息苦しさを感じるかも。風俗はなし……いや、ここでそういえば、笑ってくれるかな。……ダメだ。どれを選べば最良なのか全然分からない。
あの日もこんな感じで悩んでいたな。告白しようか、やめておこうかって。