第8話 ぼくとエミーリア
こんにちは、ぼくはスライムです。
突然のご報告、失礼いたします。
この度、ぼくは人間のエミーリアと婚姻関係を結ぶことになりました。
スライムのぼくが、14歳の美しいエミーリアの夫になるのです。
何だか背徳的な感じがして、とっても淫靡ですよね?
いや、ぼくが言いたいのはそのことだけではありません。
こうなるに及んだ事の経緯を、ぼくはユーリアさんから聞くことができました。
それは、やはり街の魔術師の仕業でした。
この魔術師は、元々バルターク家の仇敵から「バルターク家の没落に手を貸す」という大金報酬の依頼を受けていたのだそうです。
さらに、エミーリアが深淵の怪物の贄となったあと、権力闘争を勝ち抜いたバルターク伯爵からも巨額の報酬で同じ依頼を受けていました。
別々の家から二重の依頼を受けた魔術師は、自身がしでかしたこととは言え、ほとほと困り果てました。
それならいっそ、お互いで潰し合ってくれれば好都合だと考えた魔術師は、怪物を使った代理対決を画策することにしたのです。
バルターク家の仇敵には深淵の怪物を、そしてバルターク家には別の実力者を。
魔術師はバルターク家にあてがう実力者を探していたところ、偶然先輩に辿り着いたのだそうです。
先輩は今や深淵の怪物をも凌ぐ実力を持っています。
そして、そんな先輩を戦いに利用するには、相棒であるぼくをバルターク家に引き込むのが得策だった、ということだそうです。
守るものを天秤にかければ、おのずと先輩はバルターク家側に付くだろうとの考えでした。
ぼくはそれを最初に聞いたとき、怒りにわなわなと震えました。
魔術師の身勝手さと、策にはまっておめおめと捕まってしまった自分自身に対してです。
でも、なぜだか不思議とエミーリアやユーリアさんに対しての怒りの感情は湧いては来ません。
ユーリアさんはぼくの枷を外してくれました。
バルターク伯爵から命じられていたであろうにもかかわらず、です。
それはきっと、彼女たちが自分たちの居場所を守るために取った行動だということを感じたからだと思います。
それに、街の魔術師はユーリアさんと先輩の絆のようなものをまだ知らないのかもしれません。
なぜなら、もし魔術師が二人の絆を知っていたら、ぼくをおとりに使うなどというまどろっこしいことはせずに、ユーリアさんに対して何かを画策するはずです。
そのことをユーリアさんに聞くと、彼女は一瞬だけ切なげに顔を歪めたあと、こう言いました。
「グレゴル子爵は私の命の恩人よ。けれどそれでも、私はバルターク家の人間で、エミーリアやアロイスを守る義務があるわ。だから子爵には深淵の怪物と戦ってもらう必要があるのよ」
ユーリアさんにとって先輩を利用するのは身を切られるような思いだったのではないでしょうか。
現に、すでに先輩の正体を知っている彼女の拳は、痛みに耐えるようにぎゅっと握られていましたから。
ぼくは深呼吸したあと、こう答えました。
「わかりました。ぼくは、あなた方の条件を呑みます。その代わり、先輩の秘密は必ず守ってください」
こうして、ぼくのバルターク家の養子としての生活が始まりました。
先輩には、外出の許可をもらったぼくが事の次第を直に伝えに行きました。
先輩はしばらく黙ったあと、「そうか」と、一言こぼして、ぼくに向かってひとつ大きく頷きました。
先輩がいるグレゴル子爵家とのしばしのお別れです。
バルターク家での生活は、スライムのぼくにとっては初めてのことがたくさんありました。
伯爵の養子としての行儀作法や、領地や経営の知識、社交術などです。
緻密な人間のしきたりを学ぶことを楽しいと思う反面、ぼくはどうしてこうなってしまったのだろうと意気消沈しました。
確かに、人間の側からぼくのようなスライムと婚姻関係を結ぶということは皆無の出来事だと思います。
ぼくの想い人であるエミーリアの夫になることができるのは、とても喜ばしいことだと感じます。
ですが、エミーリアの本当の気持ちは一体どうなのでしょう?
天使の擬態ならまだしも、スライムと結婚するということは並大抵のことではありません。
種族が違うので彼女との子供は望めませんし、養子になるとはいえ、ぼくは今のところ人間社会での後ろ盾はグレゴル子爵である先輩ぐらいしかいないのですから。
さらにぼくは、自身の口からエミーリアに本当のことを話せなかったことを後悔しました。
せめてもっと早く自身の正体を打ち明けていたら、エミーリアがぼくとのこのような結婚を決意することは無かったかもしれないのですから。
バルターク家を継ぐのはエミーリアの弟のアロイス君とのことですが、エミーリアにはぼくなんかよりももっと相応しい人間の男がいるはずです。
あまりにも突然に、自身の運命が決まってしまって、エミーリアは今どんな気持ちでいるのでしょうか。
ぼくは意を決し、エミーリアにこの結婚のことについて尋ねてみることにしました。
「エミーリア、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
書斎から出て来たエミーリアを、ぼくは呼び止めました。
彼女は肩からずり落ちそうになっていたショールを羽織り直すと、いつもと変わらぬ笑顔でぼくの呼びかけに応じます。
「なあに、天使様」
「ここじゃなんだから、どこか落ち着けるところへ行こう」
「じゃあ、私の部屋にしましょう」
エミーリアはぼくを自室へと誘います。
部屋に入ると、彼女が自室の鍵をがちゃりと閉める音が聞こえました。
眉根を寄せるぼくに対し、エミーリアはぼくを、その熱っぽい菫色の瞳でしっかりと見つめました。
「だって、天使様との時間を誰にも邪魔されたくなかったのだもの」
ぼくは、ただならぬ予感を抱きました。
なぜならぼくはこの一瞬で、今まで無垢で可愛らしいと思っていたエミーリアの「女」の部分を垣間見たからです。
「それで、私に聞きたいことって何でしょうか? まさか、私が天使様との結婚を後悔しているか、なんてことじゃありませんよね?」
まさにその通りの質問だったので、ぼくが言葉に詰まっていると、エミーリアは彼女に似合わない暗い笑みを浮かべました。
「天使様は、私の本気の想いを一度袖にされましたよね。私、本当はあの時絶望と怒りが内心に渦巻いていたのですよ。ご存知でした?」
ぼくは首を横に振ります。
「そうですよね、天使様は、いつでも綺麗なものだけを目にしていらっしゃるから」
思わぬ皮肉に胸がぎゅっと縮まる思いをしながらも、ぼくはエミーリアに声を掛けます。
「そんなことはないよ、エミーリア。ぼくだって汚いものは数えきれないほど見てきたよ」
そう答えるぼくに対し、エミーリアはふっと短く息を吐いたあと、顔の片側だけ笑みの形を作りました。
「あなたはまるで、穢れを知らない無垢な赤子のようです。恋を拒絶された人間の女など、どす黒い感情で窒息しそうになっているのが常なのですから、美しいはずはありません」
エミーリアの様子がおかしいことに気付いたのはそれからすぐでした。
彼女からは大量の淫気が流れ出ています。
しかも強制的に、です。
「エミーリア、君は魔術師にぼくを拘束するための術を掛けられていたよね? まさか、その術をまだ誰にも解除してもらっていないのでは……」
ざわり、と、エミーリアの亜麻色の髪が揺らぎます。
淫気が彼女を取り巻いているのです。
これは恐らく、術の副作用か何かなのでしょう。
しかしその光景は、怪物であるぼくにとってはとても魅力的に映ります。
ぼくはふらりと彼女に近づきかけ、我に返り今度は一歩後ろに下がりました。
「ねえ天使様、あなたは私にお詫びをして頂く必要がありますよね」
「どういうこと?」
できるだけゆっくりと、彼女を刺激しないように、ぼくはエミーリアから遠ざかります。
「夫婦の秘め事についての知識はあるつもりです。それに、淫気の摂取方法についても」
「エミーリア……」
「天使様、いいえ、スライムさん、どうか私を貰ってください」
はらり、と、エミーリアの肩にかかっていたショールが床に落ちました。
ふらふらとエミーリアが、ぼくの腕の中におさまります。
思わず抱きしめた彼女からは、大量の淫気が溢れており、それは直接ぼくの肌を通して摂取されていきます。
ぼくは半ば恍惚としながらも、必死に理性を保とうと努力しました。
ぼく腕の中では、エミーリアがぼくの背中にしっかりと腕を回しています。
「ねえ、スライムさん、私、最近体がとても疼くのです。さっきまで書斎で調べていたのはこの疼きを鎮める方法なのです。そしてこれを鎮められるのは、今ここにいるあなただけです。あなたなら知っているのでしょう? どうすれば私を助けられるのかを」
エミーリアは堪え切れなくなったのか、まだあどけない瞳から官能の涙をぽろぽろと零しました。
「天使様お願いです、私を、助けて」