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第7話 ぼくとバルターク家

 こんにちは、ぼくはスライムです。

 この前、天気が良かったので先輩の屋敷のバルコニーで本来の姿になったら、小鳥に水溜りだと思われてつつかれ、何となく複雑な気持ちになりました。

 さて先日、ぼくはエミーリアと重要な約束をしてしまいました。

 それは彼女に「お母さんの病気が治ったら大切なことを話す」というものです。

 そしてエミーリアのお母さんであるユーリアさんは今、先輩の懸命の治療で無事に回復して元気になっています。

 ああ、どうしましょう。

 いよいよ僕の正体をエミーリアに話す時が来たようです。

 それとともに、エミーリアを真に救ったのはぼくではなくて触手先輩だということも伝えなければいけません。

 ああ、あとは、エミーリアから奪った真名は、ぼくが望めば彼女に返せるのだということも……


「相棒、お前、エミーリアに馬鹿正直にべらべら話すつもりじゃないだろうな」


「先輩!」

 いつの間にかぼくの背後にいた先輩に驚いたのもつかの間のこと。

 ぼくは、先輩はやっぱりぼくの心が読めるようだと感動しました。

 妖しい色気を持った黒髪の少年の姿をした先輩は、やれやれと言う風に片眉をあげると、ふと真剣な表情になりました。

「そうだ相棒、お前、以前に俺が戦った深淵のやつのことを覚えているか? 酸のよだれを垂らしていたデカブツだ」

「忘れるはずがありませんよ! あいつのせいで先輩は絶体絶命の危機におちいり、エミーリアは心的外傷を負ったのですから!」

 息巻くぼくに、先輩は険しい顔をしてこう言いました。

「やつが、ついにあの洞窟から出たそうだ。今度はエミーリアだけじゃなく、バルターク家自体が危ない」

 目を見開いたぼくは事態の深刻さに息を呑みます。

「なっ……! そんな! やつは日の光を恐れていたはずでは?」

「バルターク家の仇敵きゅうてきの人間どもが仕組んだんだそうだ。そいつらは、闇夜に乗じてやつをおびき出したらしい。さらに厄介なことに、街の魔術師がやつに人の姿を与えたのだそうだ」

 エミーリアのお父さんであるバルターク伯爵はまたも苛烈な権力闘争の渦中にいるようです。

 可憐なエミーリアを容赦なく深淵の怪物の贄に捧げた仇敵です、今度は確実にバルターク家全員を狙ってくるでしょう。

「ちなみに、先輩はその情報をどこから入手したのですか?」

 いぶかしげに聞いた僕に対して、先輩は事も無げに言います。

「ああ、街にいる魔術師からだ」

「え……魔術師って、その、まさか」

「深淵のやつを人型にした魔術師からだが」

 ぼくは仰天しました。

「えええっ! それって敵じゃないですか!」

 驚くぼくに、先輩は肩をすくめます。

「まあ、俺の触手一本とこの情報を交換したから安いもんだったさ」

「先輩……そんな、身を削ってまで……」

 先輩は本当に怪物なのでしょうかと時々思います。

 いや、れっきとした怪物なのですが、その慈愛の心や自己犠牲の精神は人間が持っている高潔なそれのようです。

 だからこそ、ぼくは先輩を尊敬していますし、先輩は永遠にぼくの憧れなのです。

 そんな眼差しで見つめていたからでしょうか、先輩はふとぼくを見ると、苦笑いをしました。

「相棒、お前はいささか純粋過ぎるきらいがある。俺はお前が思っているような『お綺麗さ』は持ち合わせていないぜ。淫気摂取の為に多くの女を抱くし、自分の大切なものしか守らないしな」

「でも、そこには節度と慈愛があります! 先輩はご自分を過小評価し過ぎなんです!」

 勢い込んでぼくが言うと、先輩は真顔になったあとに笑みを浮かべました。

「まあ、お前みたいに物事の綺麗な部分を信じるやつがいるっていうことも大切なのかもしれないな。特に人は、信頼する人物からの期待に応えようとして『投影された理想の自分』に向かって頑張ろうとするからなあ」

「じゃあ先輩は、限りなく人に近い怪物なのですね!」

 きらきらとした視線でぼくがそう言うと、先輩は片手をひらひらと振りました。

「勘違いするなよ相棒、俺はただ自分が生きたいように生きているだけだ」

 そうやって謙遜する先輩もまた素敵だとぼくは思いました。



 表面上は何事もなく過ぎていった日々でした。

 それはまるで不気味な沈黙であるかのように感じました。

 エミーリアから告白されたあと、しばらくバルターク家の屋敷を訪れるのを控えていたぼくは、この度久々に足を運んでみました。

 エミーリアのお母さんであるユーリアさんへの、快気祝いの品をたずさえて、内心ドキドキしながらぼくはバルターク家の門をくぐりました。

 屋敷の玄関から中に入ると、すぐにエミーリアが迎えてくれました。

「天使様!」

 エミーリアはいつもと変わらずぼくに抱き付いてくれます。

 ぼくは、最初は戸惑いながら、しかし次第にしっかりとエミーリアを抱きしめました。

 ああ、エミーリアから香る淫気が濃くなっています。

 ぼくは少しばかりくらっとしながらも、エミーリアに頬擦りをします。

「天使様、会いたかった、天使様っ」

 エミーリアがますますぼくに抱き付いて……って、あれ?

 くらくらが止まりません。

 気持ちが良いのですが、人間の酩酊状態のようになってしまったぼくは、その場に膝をつきました。

「あ……え、エミーリア」

 エミーリアから思わず離れようとしますが、彼女はぼくの首にしっかりと抱き付いています。

 やがてエミーリアが僕を優しく床に押し倒しました。

「駄目、私、天使様から離れませんから」

「エミーリア、それは、どういう……」

 するとエミーリアはぼくの顔を上から覗き込むと、諦めにも似た表情で、しかし美しく笑いました。

「ある人から教えてもらったの。天使様の捕まえ方」

「捕まえ……」

「天使様、天使様には私の旦那様になってもらうのよ。淫気だってたくさんあげるわ」

 ぼくはめまいでぐらぐらとしながらも、驚きました。

 エミーリアが淫気のことを知っていたからです。

「どうしてそれを……!」

「私、天使様のこと、本当のことを知っているわ。だから、今は眠って、天使様」

 エミーリアがぼくに口付けをしてきました。

 エミーリアからの初めての口付けは甘く、さらに大量の淫気が口腔内に注がれます。

 ぼくは真名を奪ったものからの大量の淫気摂取というものは初めてだったので、そのあまりのかぐわしさに陶然としました。

 そうしてぼくは、すうっと意識を失ってしまったのです。





「う……」

 目覚めたぼくは、自身がベッドの上で、魔術のかせで両手を大の字に拘束されていることを知りました。

「何だ、これ……」

 その部屋はバルターク家の客間のようでした。

「起きたのね、天使様」

 艶やかに微笑ほほえむのは、ぼくの傍にあった椅子に座っていたエミーリアでした。

「今お母様を呼んでくるわ」

 そう言うとエミーリアはぱたぱたと走って部屋を出ます。

 程なくして、エミーリアが連れてきたのは、愛欲の女神・ヴラスタ様もかくやと思わせるような妖艶な淫気をまとったユーリアさんでした。

 エミーリアと同じ、亜麻色の髪に菫色の瞳のユーリアさんは、拘束されているぼくに向かって挨拶をしたのです。

「こんにちは天使様、いいえ、『初めまして』と言った方が良いかしら、『スライム』さん」

 その口から出てきたのは、僕の正体を正確に表す単語でした。

「ユーリアさんっ……!」

 思わずとがめるぼくです。

 しかし、傍にいるエミーリアはぼくの正体を聞いても、動揺している姿は欠片かけらも見受けられません。

 ユーリアさんは笑顔の下でこのようなことを言いました。

「あなたにはこれからバルターク家の養子になってもらいます。そののち、このエミーリアと婚姻関係を結んでもらいます」

「どうしてそんなことを……!」

「それは、このバルターク家の人間を守るためです」

 そう言ったユーリアさんは、まさしくバルターク家当主の妻の顔をしていました。

「ぼくはっ……ぼくは、あなたの仰る通り、ただのスライムなんですよ!? そのような者に大切なエミーリアとの婚姻関係を結ばせるとでも言うのですか?」

 この時点でぼくは自分の正体を、しらを切らずに二人の前で暴露しました。

 どんな経路か、既に知られていたであろうこととは言え、自分で正体をばらすのはかなりの勇気が必要でしたが。

「お願いです、逃げませんから、この枷を外してください。あなた方と対等に話がしたいんです」

 何かがおかしいと、ぼくの中で警鐘が鳴らされていました。

 あまりのことでびっくりしましたが、このような仕打ちには何か意図があるはずです。

 それを突き止めるべく、ぼくは二人に事情を聞いてみることにしたのです。

 しかし。

「枷は外せないわ。これは私の夫の意志でもあるの」

 ユーリアさんが言います。

 さらに。

「もしあなたが否と言うならば、グレゴル子爵の本当の姿を世間にばらすことになるわ。そうしたら、どうなるでしょうね? 怪物が人間に擬態して子爵をかたった罪として、大規模な討伐隊が組まれるでしょう」

「そんな……!」

 目を見開くぼくです。

 ぼく一人のことならまだしも、先輩にまで被害が及ぶとは。

 でも、ユーリアさんやエミーリアを見ていると、やっぱり何かがおかしいとぼくの中の深淵がうずくのです。

 洗脳されているわけではないのでしょうが、今までの彼女たちの姿を見続けていた自分からすると、違和感がぬぐえないのです。

 いくら平和ボケしたぼくでも、ついつい相手を美化しがちなぼくでも、これは変だということはわかります。

「あなた方に、その知識を吹き込んだ者がいますね?」

 ぼくは先刻気絶する前の、エミーリアとのやり取りからある種の確信を持って聞きました。

 ユーリアさんの表情は変わりませんでしたが、エミーリアがびくりと強張こわばりました。

「おそらく、それは深淵の怪物を人の世に解き放った魔術師ですね? このぼくの枷も、おそらくそいつの仕業でしょう」

 エミーリアの瞳が大きく見開かれます。

「エミーリア、この枷を、外してくれないかな? それじゃないと、ぼくは君を守れない」

 エミーリアの瞳が揺れます。

「お母様……天使様が……」

 不安そうにユーリアさんを見つめるエミーリアです。

 ユーリアさんはしばらく沈黙したあと、ふうとひとつため息をつきました。

「わかりました。エミーリア、天使様にもう一度口付けを」

「はい」

 エミーリアがベッドの上によじ登り、ぼくの上で馬乗りになります。

 ぼくの両頬に手を添えたエミーリアは、僕に対して二度目の口付けをしました。

 途端、大量の淫気が流れ込んできます。

 すると、ぼくの両腕を拘束していた魔術の枷が外れて、消え去りました。

 自由になったぼくはエミーリアをしっかりと抱きしめます。

 エミーリアの体は一瞬強張りましたが、すぐに安心してぼくに体重を預けてきます。

 そのまま腹筋を使って起き上がると、ぼくはエミーリアを抱いたままユーリアさんに事の次第を聞くことにしたのです。


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