第6話 先輩とユーリアさん
こんにちは、ぼくはスライムです。
必死の表情のエミーリアに助けを求められたぼくと先輩は、急いでバルターク家に駆け付けました。
彼女のお母さんの容体を診るためです。
ちなみに先輩は、この人間の姿でエミーリアのお母さんに会うのは初めてだそうです。
しかし自室のベッドで意識を失いかけて苦しそうな様子のエミーリアのお母さんを見た先輩は表情を険しくします。
「体力が急激に低下している。このままじゃ、この人はそう遠くないうちに息を引き取るだろう」
「そんな……」
ぼくとエミーリアは言葉をなくしました。
エミーリアのお父さんは今、領地視察の為に屋敷を空けています。
至急の知らせは届くでしょうが、彼が戻ってくる間にエミーリアのお母さんの容体が急変するとも限りません。
「お願い天使様、私、何でもしますから、だからお母様を助けて!」
エミーリアがぼくの服をぎゅっと掴みながら、今にも泣き出さんばかりの表情で懇願します。
「エミーリア……」
ぼくが困惑していると、先輩が決意を秘めた瞳でぼくを見て頷きました。
「俺がやる。相棒、お前はエミーリアと彼女の弟についていてやって欲しい」
「先輩、でも」
「俺が今まで溜めてきた実力はきっと、今、この時のために使うさだめだったんだよ」
そう言うと、先輩はてきぱきと部屋の準備をし始めました。
「相棒、この部屋には誰も入れるなよ。窓も扉も全て閉めきって、外からは完全に見えないようにする。他の人間を驚かせたくはないからな」
先輩は本来の触手の姿に戻って、エミーリアのお母さんの体を治療することにしたのです。
「先輩、わかりました。エミーリアと彼女の弟のことは僕に任せてください」
ぼくはエミーリアを部屋の外に連れ出しました。
「天使様、お母様は大丈夫なの?」
不安そうな表情でぼくを見るエミーリアに、ぼくは宥めるように声をかけます。
「グレゴル子爵は腕の良い治療師でもあるんだ。あの方にお任せすれば心配はいらないよ。お母さんは、必ず良くなるからね」
「本当に?」
エミーリアの大きな菫色の瞳には零れ落ちそうな涙が溜まっています。
それを見たぼくは努めて笑顔を作りました。
「ええ。それに、ぼくもついているからね。皆でエミーリアのお母さんが良くなるのを待とう。グレゴル子爵は、きっと、命に代えても必ずお母さんを助けてくれるから、心配はいらないよ」
ぼくはエミーリアの額に口づけをしました。
「さあ、君の弟のところへ行こう。それに、エミーリアが笑顔じゃなくちゃ、きっとお母さんは悲しむよ」
「天使様……」
エミーリアは腕を伸ばしてぼくの首に噛り付くようにして抱き付きます。
「きっと、きっとお母様は助かるのですよね? 天使様の言葉なら、私、信じます」
ぽろぽろと、エミーリアの瞳から涙が溢れます。
「だって、弟のアロイスにはお母様が必要だもの」
ぼくは、弟のことを想うエミーリアが可愛くて、思わずしっかりと彼女を抱き締めました。
そのあと、ぼくはごく自然に彼女の涙を何度も舐めとりました。
ああ、予想通り淫気が混じっていて美味しいです。
すると、エミーリアはきょとんとしています。
「天使、様?」
我に返ったぼくは、自分が今どんな行動をとったかに思い至り、はっとして腕を解くとエミーリアから2、3歩離れました。
「あ、え、エミーリア、これはその、親愛の情で」
「天使様」
「はい!」
思わず直立不動になるぼくを見たエミーリアは、なぜだか頬を染めました。
「私、天使様にだったら、何をされても良いですから」
「はぇ?」
変な声が出てしまったぼくに構わず、エミーリアは言葉を続けます。
「私は過去、天使様に命を助けて頂きました。だから、この命は天使様のものなのです」
「エミーリア……」
「天使様、こんな時ですが、私、天使様に告白したいことがあります」
ごくりと唾を呑み込んだぼくは、エミーリアの次の言葉を待ちました。
両手の指を胸の前でしっかりと祈りの形に組んだエミーリアは、綺麗な菫色の瞳に淫気を宿すとこう言いました。
「私は、天使様をお慕いしています。天使様、どうか私を貰ってください」
「エ、エミーリア、それはその……」
「私は天使様のお嫁さんになりたいのです」
ぼくはその瞬間思考停止しました。
固まって動かないぼくに対して、エミーリアは不安そうに瞳を揺らしました。
「天使様には、もう決まった方がいらっしゃるのですか?」
思わずぼくはぶんぶんと首を振ります。
「じゃあ、私をお嫁さんにしてくださいますか?」
しかし、その台詞にぼくは応えることができません。
ぼくは苦渋の色を浮かべます。
「エミーリア、その気持ちはとっても嬉しいよ。でも今は、お母さんが助かることだけを考えよう」
それを聞いたエミーリアはばつが悪そうな表情をとりました。
「あっ……ごめんなさい、私ったらこんな大変な時に何を言っているのでしょうね」
もじもじするエミーリアに対してぼくは我知らずほっとしました。
「きっと気が高ぶっていたんだよ。落ち着いたら、今の出来事は忘れてしまいましょう」
しかしぼくのその言葉に、エミーリアは鋭い表情を向けました。
「嫌です。私の気持ちは嘘偽りなんかじゃありません。私、天使様のことが大好きですから」
ぼくはエミーリアの真剣な表情にたじたじとしました。
彼女の心は今この時も大人になる為に成長しているのです。
曖昧にごまかすことは難しいのだと、ぼくは思いました。
「エミーリア、そう言うことなら、ぼくも君に大切なことを話すよ。ただし、それは君のお母さんが元気になってからだ」
「はい、わかりました。でも、天使様、ひとつだけ私のお願いを聞いてくださいますか?」
「いいですよ。どんな願い事ですか?」
そう言うとエミーリアは切なげな表情を浮かべました。
「お母様が良くなるまで、ずっと抱き締めていてくださいませんか?」
エミーリアから、緩やかな淫気を感じ取ります。
「お安い御用だよ」
ぼくにとってはエミーリアの淫気を摂取できるので願ったり叶ったりです。
それに、ぼくの本当の姿を見せたら、きっと彼女はそんな申し出を言うことすらなくなるだろうと思いました。
だから、今だけは優しい夢に浸っていようと、ぼくはエミーリアの手を取りました。
「さあ、弟のアロイス君のいる部屋に行こう。そこで、アロイス君と君を見守るから」
目的の部屋に行くと、使用人のお姉さんが会釈して迎えてくれます。
ぼくはエミーリアと一緒にソファーに座ると、彼女を自分の腕の中に囲いました。
すぐに身を委ねてくれるエミーリアに対し、言い知れない幸福感を抱きます。
ふと、ぼくは気になって先輩がいる部屋に意識を飛ばしました。
すると、ベッドの上で本来の姿を取った先輩が、一糸まとわぬ姿のエミーリアのお母さんを治療しているのが見て取れました。
先輩からは真剣さと、慈愛のようなものでしょうか、そんな波動が伝わってきます。
先輩の蠢く触手は、淫靡にエミーリアのお母さんに巻き付いています。
「ユーリア、生きろ、生きてくれ」
先輩の心の声がします。
先輩はエミーリアのお母さんの名前を心の中で何度も呼んでいるのです。
やがて先輩の触手とユーリアさんの体がだんだんと融合してきました。
点滴のように、先輩の触手がユーリアさんの肌を傷つけずに幾つも体内に入っていきます。
それとともに大量の活力が内外からユーリアさんに注ぎ込まれます。
その光景はひどく神聖なもののように思えて、ぼくは図らずも覗き見をしてしまった自分を恥じました。
でも、なぜだか惹き付けられる光景で、ぼくは視るのを止められません。
どれぐらい時間が経ったでしょうか。
ようやくユーリアさんの呼吸が安定してきました。
それでもまだ先輩はユーリアさんに活力を注ぎ続けています。
先輩は、一時的な回復ではなく、ユーリアさんの体内から病自体を完治させようとしているのです。
先輩の活力が少しずつ枯渇しているのを感じます。
死の淵から人間を呼び戻すのは並大抵のことではないからです。
ぼくは冷や冷やしながら見守りました。
やがて、ある時ユーリアさんの体の内外から先輩の触手が一斉に解かれました。
どうやら治療が終わったようです。
ずるずると収縮して人の形をとった先輩は、のろのろと服を着ると、傍にあったソファーに倒れ込みました。
(先輩……? 大丈夫ですか?)
ぼくは先輩に思念を送ってみました。
(終わったぜ相棒。早いところこの屋敷を出よう)
先輩が思念を送り返してくれました。
ぼくは、いつの間にか腕の中で深く眠ってしまったエミーリアを彼女の部屋に連れて行き、寝かしつけると、使用人のお姉さんたちに後を頼んで、先輩を抱えてグレゴル家の屋敷へと戻ったのです。
屋敷に戻るや否や、先輩は淫気摂取の為、お姉さんたちを全員呼んで部屋に籠りました。
先輩は現在旺盛に大量の淫気摂取に精を出しています。
ぼくは先ほど眠っているエミーリアから、こっそり淫気を摂取したので、それで良しとしました。
元気になったエミーリアのお母さんであるユーリアさんは、バルターク伯爵家にとってはまさに太陽のような存在だったようです。
完全に回復したユーリアさんが微笑むたびに、家の中が、花が咲いたように明るくなったとのことです。
エミーリアのお父さん、バルターク伯爵は先輩とぼくに多大な感謝の気持ちを抱いたようです。
バルターク伯爵家は近々グレゴル子爵家にお礼をするそうです。
また、ユーリアさんはエミーリアにこんなことを話したそうです。
「私ね、眠っている間、懐かしい、とても大切な夢を見ていたのよ。若い頃の夢よ。楽しかったわ。優しくて、あたたかくて、とても気持ちが良かったの。グレゴル子爵に感謝しなくてはね。それと夢現に、私はとても懐かしい人の声も聴いたのよ。その人は私に生きて欲しいと言ってくれたわ。そして私は今でも、その人に対して幸せになってもらうことを願っているの」
エミーリアはユーリアさんに聞いたそうです。
「その人とお父様と、どちらが素敵だったの?」
すると彼女はこう答えました。
「エミーリアも大人になったらわかるわよ。二人を比べることなんてできないわ。どちらも、私の人生にとって欠かせない人たちだから。ただ、私は、今のお父様のことがとても好きよ。それは嘘偽りのない心よ」
そう言って笑うユーリアさんはまるで愛欲の女神・ヴラスタ様のようだった、とのことです。