第4話 怪物と触手先輩【後】
「こいつっ! 先輩を返せ!」
ぼくは先輩を消化しようとしている怪物に向けて殺気を放ちました。
けれど、怪物は体内の消化活動にいそしんでいるようで、ぼくの殺気は無視されます。
「ははは、啖呵を切るからどれほどの人物かと思いきや、他愛のない坊主だったな」
のぞき穴から屋敷の主が満足げに言います。
「ほれ、お前も先輩とやらに続いて、早く喰われるがいい」
屋敷の主は自身の首から下げている犬笛のようなものを吹きました。
すると怪物は動きを止めて、赤い目をぎょろりとぼくの方に向けたのです。
どうやらこの怪物は犬笛で反応するように調教済みのようです。
「ギャアアアア!!」
怪物は咆哮をあげると、長い舌をぼくに向けて伸ばしました。
ぼくは触手先輩を怪物に喰われて怒っています。
片手を手刀の形にして、伸びてきた舌を一刀のもとに切り飛ばしました。
「ギャイイイイ!!」
切断面から粘液が吹き出し、怪物がバタバタと暴れ回ります。
その怪物の巨大な口を、ぼくは両手で掴み、強制的に閉じさせました。
「ギュルルルル!?」
閉じた口からもごもごと鳴く怪物です。
まさか、人間の格好をしたぼくが洞窟で育ったスライムだとは想像もつかないのでしょう。
ぼくの中には淫気が5割ぐらいしか残っていませんが、それでも、先輩の敵を討つために、全ての力を使おうと思ったのです。
ぼくは怪物の赤い目をじっと見つめてこう言いました。
「お前が暴れると、周りのお姉さんたちが巻き添えを食うんだ。大人しくしておいて」
けれど怪物には伝わらないようです。
頭をぶんぶんと上下左右に振ろうとします。
ぼくは振り飛ばされないようにぐっと踏ん張りました。
怪物とぼくとの力勝負です。
ぎちぎちと、怪物の巨大な口がきしみます。
怪物はどろどろと粘液を辺りにまき散らしているのですが、それがぼくの足場を悪くさせます。
ある瞬間、ずるりと足がすべり、ぼくは地下室の床に片膝をつきました。
体勢が悪くなったのを見て取ったのか、怪物は勢いよくぼくを天井近くまで振り飛ばします。
「うわあああっ!!」
吹っ飛ばされたぼくは盛大に叫びます。
天井にはどうにか当たらなかったものの、落下するぼくを待ち受けているのは、怪物の巨大な口です。
ぼくは絶望に体をかたくしました。
その時です。
ばっくりと開いた怪物の口から、突然大量の触手が現れたのです。
僕はその触手にしっかりと絡め取られます。
怪物の口からはなおも大量の触手が溢れ出てきます。
それは地下室全体を覆い尽くすほどの量でした。
「な、何だこれは!?」
屋敷の主がうろたえています。
「誰か、誰かこの触手を駆除しろ!!」
そう言うと主は後ずさりを始めました。
ぼくは安全な触手の海に守られています。
ほっと安心できる力強い触手の海の中には、鎖でつながれていたお姉さんたちも含まれています。
お姉さんたちは皆、触手の怪力で繋がれていた鎖を外されて、大切にその体を包まれています。
先ほどの水色の瞳のお姉さんも、安全な触手の海の中にいます。
「ざまあねえな」
「先輩!!」
ぼくは先輩の声を聴いて、感極まりました。
何と先輩は怪物の体内から大量の淫気を奪うことに成功したようです。
本来の触手の姿で、まだ生きている怪物をぎちぎちと巻き取ります。
「ギャアアア!」
怪物の目が充血して飛び出そうになっています。
ふと天井ののぞき穴に目をやると、屋敷の主が背を向けて逃げ出す姿が見て取れました。
「先輩! 屋敷の主が逃げます!」
ぼくの言葉に、先輩はにやりと笑ったようでした。
「相棒、あいつはお前に任せた! 行って来い!」
「はいっ!」
ぼくは先輩の触手に見送られて、のぞき穴から外に出ました。
ガラの悪い人間たちは、地下室からとっくに逃げ出していたようです。
趣味の悪いごてごてと飾られた馬車に、屋敷の主は乗り込んでいます。
ぼくは一気に間合いを詰めると、主の首根っこを掴んで引きずりおろしました。
御者は主がいようがいまいがお構いなしに馬車を発進させます。
みるみる遠くに離れていく馬車を見ながら、主は悪態をついたあと、ぼくに向かってこう言いました。
「なっ、何が望みだ、言え! 金か? 女か? 地位か?」
ぼくが答えないでいると、今度は首にぶら下がった犬笛を狂ったように吹く主です。
「くそっ! 金と時間と女をつぎ込んだんだ、怪物よ、さっさとわしを助けに来い!」
しかし、屋敷からは何の応答もないようです。
ぼくは可哀想なものを見るような目で主に視線を送りました。
「そんなもの、もう効果はないよ。だってあなたのペット、今頃死んでるからさ」
ぼくの冷静な声を聴いて、はっとした主はみるみる絶望の表情を浮かべました。
「そんな……わしの、わしの生きがいが……」
「悪趣味な生きがいだったね。でももうそれも今日で終わりだよ」
ぼくは慈愛を込めた眼差しで主を見ました。
「冥土の土産に、情けをあげる。あなたが一番欲しかったものは何? ぼくに教えて」
ぼくを見た主は、藁にもすがるような表情でぼくを見ました。
ぼくの姿があっという間に変わっていきます。
そして、現れたのは、妖艶な愛欲の女神・ヴラスタの姿だったのです。
「おお……わしが捧げた愛欲の数々がヴラスタ様に届いたのだな……!」
ぶるぶると震える主は、おぼつかない手で服を脱ぎ始めました。
「ヴラスタ様、どうかその御身でわたくしの滾りをお鎮めください」
この主は不遜にも、女神と抱き合いたいと思っているようです。
しかし、ぼくは無言で笑顔を向けると、ズボンを脱ごうとしていた主の首をおもむろに片手で掴みました。
「があっ!?」
上半身裸の主が、女神に片手で吊り上げられています。
ぼくは主の息の根を止める勢いで首を締め上げました。
「ぐおおおおっ!」
程なくして屋敷の主は白目をむいて失神したのです。
「なんだ、意外とあっけなく落ちたな」
そうつぶやいたぼくは青年の姿に戻ると、気を失った主を連れて屋敷に戻ることにしました。
屋敷からは、怪物を倒した先輩が、今度は綺麗なお姉さんたちからまとめて淫気を摂取している様子が伝わってきます。
もちろん、お姉さんたちの心と体の傷を癒しながらですが。
さあ、ぼくも早く行って淫気のおこぼれにあずからなくては!
久々に先輩の超絶な性技が見られると、ぼくはわくわくして屋敷へと戻ったのでした。
そののち、とある黒髪の少年がとある貴族の養子になりました。
貴族は早々に、養子にした黒髪の少年に家督を譲り、自身は耄碌しているため、郊外にある閉鎖療養所で残りの生涯を過ごすことになりました。
その貴族は療養所で「わしは愛欲の女神・ヴラスタ様から寵愛を受けたのだ! ここで大人しく過ごしていれば、かならずやヴラスタ様が迎えに来てくださると約束してくださったのだ!」と触れ回っているようです。
その黒髪の妖しい色気をまとった少年は、15歳ほどの見た目に反し、ひどく大人びた様子をしているようです。
また、その貴族の屋敷には、見目麗しい女性たちとその家族が使用人として暮らしているとのことでした。
女性たちとその家族は、生き生きとして幸せな様子をしていたとのことです。
その少年貴族の名は、ルドヴィーク・グレゴル子爵と言いました。