第3話 怪物と触手先輩【前】
こんにちは、ぼくはスライムです。
ぼくは今、大いにうろたえています。
それは死の淵から逃れた触手先輩と感動の再会を果たした後のことです。
人心地ついたあと、おさわりOKな綺麗なお姉さんがたくさんいるというアダルトなお店に行くために路地裏に入ったところを、いきなり数人のガラの悪そうな人間に囲まれてしまったのです。
あっという間にぼくと先輩は狭い鉄格子付きの馬車内に連れ込まれ、どこかに運ばれてしまっています。
あまりに突然のことで、抵抗らしい抵抗ができませんでした。
本調子の先輩やぼくならば、絶対に人間なんかに捕まるはずはありません。
ただ、それだけ先輩の力は弱ってしまったのだということに、ぼくは愕然としてしまいました。
それに、もしも僕が先輩を抱えて飛んで逃げようものなら、「天使」として好事家の貴族に目を付けられて捕まるのが落ちです。
ぼくたちの正体は限られた人間以外には絶対に秘密なのですから。
さて、拉致された馬車の中にはぼくたちのほかに、妙齢の女性がひとり乗っています。
清楚な色気を持つお姉さんで、栗色の髪と、水色の瞳を持っています。
お姉さんは何かを諦めたようにぐったりとしています。
ガラの悪い人間の男たちが、そんなお姉さんにちょっかいを出しています。
服の上から太ももをまさぐり、二の腕を掴んで自分たちの方に引き寄せます。
男たちからは淫気が漂ってきて、幾分か力の足しにはなりますが、見ていて気持ちの良いものではありませんし、何より女性よりも淫気の質が良くないことの方が多いので、摂取できてもあんまり嬉しくありません。
触手先輩は無表情ですが、きっとそのはらわたは煮えくり返っていると思います。
先輩は今まで「大切な人間の女性を乱暴に扱うものではない」と、その背中で何度もぼくに教え示してくれました。
女性にはとことん紳士的に対応し、極上の快楽と癒しを提供する先輩はまさにぼくの憧れそのものです。
その先輩が動きたくとも動けないのでしょう。
意を決したぼくがお姉さんを助けようと一歩踏み出そうとしたとき。
「今はまだ動くな」
黒髪の妖しい色気を持つ少年の姿をした触手先輩が、ぼくの腕を掴み、ぼそっとぼくの耳元でささやいたのです。
ぼくは緊張していたせいもあってか、不覚にも驚きとくすぐったさで背筋がぞくりとしました。
「うぁっ、せ、先輩、ぼくの思考が読めるのですか!?」
頬を少し赤くし、ささやかれた片耳を抑えながら、ぼくは小声で先輩に詰め寄ります。
そんなぼくを、先輩は苦笑しながら押しとどめました。
「お前の思考はわかりやすいんだよ。それに、お前は俺の相棒だろう? 逆に俺の気持ちを汲み取るぐらいわけはないだろうからな。それとお前、今ので欲情しかけてどうするんだよ」
ぼくはさらに顔を赤らめました。
「あっ、すみません先輩、だって、今まで淫気が足りなかったから、少しの刺激にもうずうずしてしまうんです」
残念すぎる性質のぼくは、憧れの先輩の前であろうことか醜態をさらしてしまいました。
全くもって難儀な体です。
それに淫気が足りないのは先輩とて同じなのに、むしろ先輩の方が何倍も深刻な状態かもしれないのに、先輩はどこまでも飄々としています。
そんなところも格好良いなあとぼくは思います。
先輩の意志の強さを、ぼくも見習いたいです。
そんなことを考えていると、馬車はどうやら目的の場所に到着したようです。
「先輩、この馬車は一体どこへ辿り着いたのでしょうか?」
鉄格子の間から見えたのは小奇麗な外観をした屋敷でした。
でも、ぼくはすぐに良くないものを感じ取りました。
この屋敷には巨大な地下室があるということを。
そして、そこから大量の淫気が溢れ出てきているということを。
早速、ぼくたちと綺麗なお姉さんは、地下室に連れて行かれました。
そこにいたのは巨大な怪物と、それに捕らわれている数人の女性でした。
怪物はカメレオンとカエルを足して2で割ったような見かけをしています。
ただしこの怪物は、図体こそ大きいものの、あの洞窟に棲む深淵の怪物よりもはるかに実力が劣っているのが見て取れましたが。
しかしぬらぬらべとべととした外皮からは、この怪物が今までたくさんの女性の淫気と、男の肉体を摂取してきたことがうかがえます。
手ごわそうな相手です。
そして虜囚の女性たちは皆あられもない格好で、諦めの表情をして鎖に繋がれています。
地下室の天井に作られた巨大なのぞき穴からは、この屋敷の主が、にこにこしながらこちらを見ています。
屋敷の主は安全な場所から、女性の痴態と、気に食わない男たちが怪物の餌になる様を見物しているようなのです。
何と趣味の悪い主でしょうか。
鈍重な怪物は水色の瞳の綺麗なお姉さんにそのぬらぬらとした舌を伸ばしました。
体を引こうにも、お姉さんの後ろには先ほどのガラの悪い人間たちがいて、拘束しています。
屋敷の主が言いました。
「さあ、わしがお前を親の借金のかたに身請けしたのだ。わしに身を捧げるというのならば、その怪物からの責め苦は控えてやろう」
主は下種です。
「控える」とは「しない」と同義ではありません。
自分の欲望に忠実な屋敷の主のことです、お姉さんがもしもなにかミスをしでかしたら、嬉々としてこの怪物の慰み者にする手はずなのでしょう。
きっとお姉さんは下種な主と怪物両方にもてあそばれることとなるのでしょう。
と、そのときです。
ぼくの隣に立っていた先輩が、怪物に向けて殺気を放ったのです。
怪物はお姉さんを嬲る舌を止めると、カメレオンのような目を赤く光らせてぎょろりと先輩をロックオンしました。
殺気、これは先輩が怪物とタイマンを張るという合図を出したことに等しい行為です。
ギャアアと怪物が醜く鳴きました。
お姉さんに伸ばしていた舌をそのまま先輩の白磁のような肌に這わせます。
程なくして、先輩の肌は怪物の粘液でぐちゃりと汚れました。
先輩は無表情で、ドスの利いた声でこう言いました。
「……上等じゃねえか、この俺を喰らおうなんざ、千年早いんだよ」
先輩がぶちギレました。
先に喧嘩を吹っかけたのは先輩の方ですが、今はそんなことはどうでもいいみたいです。
先輩が怪物に両手を広げて挑発します。
「さあ、俺を喰ってみろよ木偶が。それともてめえは俺に『喰われる』のを恐れてんのか? あ? 腰抜けが女侍らして醜く肥えてんじゃねえよ」
びりびりと、先輩からはもの凄い殺気を感じます。
さすが、あの深淵に棲む怪物と戦っただけのことはあります。
先輩の精神力はあの戦いで確実に上がっているようです。
ぼくは先輩に畏敬の念すら抱きました。
しかし、淫気を随分と失ってしまった先輩はひと頃よりも格段に弱くなっているはずです。
一体どうやって怪物と戦うのでしょうか。
と、やおら怪物が先輩を舌で絡め取り、ばくりと一飲みにしたのです。
「先輩!!」
ぼくは思わず叫びました。
先輩が怪物に喰われてしまったのです……!!