第1話 エミーリアとの出会い
こんにちは、ぼくはスライムです。
見た目は取り立てて特徴のない、透明でぷるぷるした種類です。
洞窟のくぼみで平たくなっていると、遠目からは水たまりに見えるようです。
ぼくは今日もこの深い洞窟の中でおっかなびっくり生きています。
人間がやってくると、イケメンの触手先輩の後ろに隠れながら、何とかやり過ごします。
ああそうです、ぼくの尊敬する触手先輩は本当にイケメンで博識で、そして紳士なんです!
女性の冒険者がやってくると、危険な洞窟の深部に行かないようにきっちり捕獲して何度も昇天させたあと、体を清めて、おまけに怪我や病気まで治してから安全な洞窟の外に寝かせるのです。
この前、触手先輩に「どうしてそうまでして人間の女性を助けるのでしょうか」と聞いてみました。
すると触手先輩は、ぽつりぽつりと過去の出来事を話してくれたのです。
「俺さ、とある人間の女性の胎から生まれたんだ。俺みたいな触手は、普通は駆除されても当然の害獣扱いを受ける存在なのに、俺を生んだその人は、何の酔狂か俺が大きくなるまで大切に育ててくれたんだ。俺の知識や経験は、皆その人から学んだものばかりだ。その人と生涯ずっと一緒にいたいって思っていたけれど、ある日、その人は街にお忍びで来ていた貴族に見初められたんだ。だって当たり前だろ? もともと綺麗だったのに、俺が毎日欠かさず愛していたんだから、ますます美しくなっていくのは自明の理だからね。あの人は迷っていたけれど、俺があの人の背中を押したんだ。『どうか人間と幸せになってほしい』ってね。この洞窟で別れるとき、あの人は涙を流しながら俺のことを愛してるって言ってくれたんだ。どのみち街中で見つかったら冒険者に倒される運命だったところを、わざわざこの遠く深い洞窟に捨ててくれたのだから、それだけでも感謝しているよ。だから、人間の女性には恩と情があるんだよ」
「そうだったのですか……以前触手先輩の恋人だった方が人間の女性だったからなのですね!」
ぼくがそう言うと、触手先輩は照れたように触手を振りました。
「恋人なんかじゃないだろうな。おそらく、あの人にとっては精々手慰み止まりだったろうさ。でも、快楽に溺れるあの人はとても美しかったよ。この俺が、見惚れるぐらいに」
そう話す触手先輩は、しばらくの間、懐かしいものを思い出すかのように切なく触手を揺らしたのです。
それからも人間の女性の淫気をたくさん吸収した触手先輩は、日に日に強さを増していきました。
ぼくは先輩の傍にいたからか、淫気のおこぼれを頂いていたようで、洞窟の浅い所で生息しているちょっとした相手ならば、怯えて逃げ出されるようになりました。
人間の淫気、特に女性のものは、ぼくたち怪物を強くするのです。
しかし洞窟の深部にいる怪物たちは、今でも恐ろしいです。
いくら触手先輩が強くなったといっても、深淵に棲む怪物たちはやはり桁違いなのです。
ぼくらなど、深淵の怪物にとってみれば塵芥にも等しい存在です。
だからこそ、ぼくはスライムに生まれてよかったと思っています。
恐怖を感じられる心と、あったかい気持ちになれる心を持って生まれてよかったと思っているのです。
なぜ今そんなことを思っているのかですって?
それは、触手先輩が今、到底勝ち目のない戦いを挑んでいるからです。
権力闘争に狂った人間の貴族の一人が、触手先輩の元恋人の子供を誘拐して、あろうことか深淵の怪物に生贄として捧げたのです。
その女の子は、触手先輩の言った通りお母さんを髣髴させるとても美しい女の子でした。
さらさらとした亜麻色の髪の毛、ぱっちりとした菫色の瞳は今恐怖をたたえています。
年の頃は14歳ぐらいでしょうか。
彼女の怯えた瞳に映るのは、おぞましい怪物たちが戦っている様子です。
ちなみにぼくはスライムなので、何にでも姿を変えることができます。
洞窟に来た人間は、ぼくにその人自身が見たいものを映すのですが、女の子がぼくに映したのは、白い翼の生えた美しい男性でした。
「天使様!」
そう言って、女の子はぼくにしっかりと抱きつきました。
ぼくはうろたえました。
涙ながらにぼくを見つめるその女の子はとっても素敵で、か細いながらもあたたかい体が密着しているせいか、ぼくの中に今まであった恐怖心がどこかに行ってしまったからです。
「君の本当の名前を、教えてくれるかな?」
ぼくはとっさに彼女の名前を聞きました。
真名を奪うと相手を支配することができます。
ところが女の子は、ぼくを信頼しきった瞳でこう答えたのです。
「天使様、私の名前はエミーリア・バルタークです」
その瞬間、彼女とシンクロする感覚がありました。
エミーリア・バルターク、それは彼女の真実の名前だったからなのです。
それとともに、かつてないほど、ぼくの中から力が湧いて来ました。
彼女ひとりぐらいならばわけなく抱きあげて、ぼくは翼を羽ばたかせて飛び立ちました。
ぼくの背後では、触手先輩と深淵の怪物が戦っています。
ああ、先輩の自慢の触手が、無残に食いちぎられていきます。
巨大な怪物は酸のよだれを垂らしながら、先輩を鬱陶しそうに踏みつけました。
先輩は力を振り絞って「早く行け!」と叫び、怪物の脚に残った触手を巻きつけます。
ぼくは必死で羽ばたきました。
腕に抱いた美しい女の子を守りながら、まばゆくきらめく洞窟の外へと飛び出しました。
深淵の怪物は朝の日の光を恐れたのか、洞窟の外には出てこようとしません。
ぼくはできるだけ遠くに飛びました。
そのあと、広大な森の一角にある、湖のほとりで一夜の宿をとりました。
ぼくの腕の中で、エミーリアは安心しきったように眠っています。
獣に侵害されない安全な高い木の上で、僕は翼でエミーリアを抱きしめました。
「君のお母さんの元恋人の代わりに、今度はぼくが君を守るからね」
次の日、エミーリアの記憶をたどって、彼女の屋敷に赴きました。
そこで出会った先輩の元恋人、エミーリアのお母さんは、話に聞いていたよりもさらに美しさを増した様子で、さらには乳飲み子を抱えていました。
それはやっとできた第二子、男の子だったようです。
ぼくを見たエミーリアのお母さんは、一瞬はっとしたような表情を取り、それからぼくの腕から離れて駆け寄るエミーリアを片手でしっかりと抱きしめました。
二人で泣いていたところ、エミーリアのお父さんも現れたようです。
ぼくに対して丁寧なお辞儀をしたあと、抱き合っている2人と、赤ちゃんを愛おしそうに抱きしめました。
ぼくは遠くからその4名の姿を見つめていました。
これが、人間の家族の姿なのだと、ぼくの心はあたたかいものでいっぱいになったのです。