Unstable Relationship
「あのさ…これどういう事な訳?」
扉を開けて部屋の中を見た瞬間、哀月はほとほと呆れ果てた顔で言った。
いつものように仕事場である事務所に行き、いつものように事務所の扉の鍵を開けて、さあいつもの日常の始まりだ、今日は何か良い事がありそうだなぁ、なんて考えながら扉を押し開けてみると、そこはいつもの事務所ではなかった。
「…それはこっちが聞きたいな」
部屋の中にいたジャニスが、呆れ顔の哀月を振り返ると同時に睨みながら言う。そのぶっきらぼうな物言いはいつもの事なのではあるが、それでもいつも以上に棘が感じられる。
哀月は肩を竦めて部屋をもう一度見回し、更に呆れ顔を濃くした。無意識の内にため息も漏れていたかもしれない。
「怨みなんかは数え上げたらキリが無い程かってるから分かんねーよ。それにしても、よくこんだけ殺したなぁ」
その事務所は哀月の記憶によれば、小さいながらもしっかりとした応接間があり、こざっぱりとした、中々に居心地の良い空間であった筈である。しかし、今日に限っては違った。
華美な装飾は控えていたため、絵画や壷などのオブジェはほとんど置いていなかったのに、今この部屋には人間の死体が七体転がっていた。未だ血を流している様子を見ると、何処かから死体を運んで来た訳ではなく、ついさっき殺された様子だ。
「せっかく毎日こまめに掃除してたのによぉ...」
哀月は悲嘆に暮れて、頭を抱えてうずくまる。そんな光景を尻目に、ジャニスは無表情のまま哀月の横を通り過ぎ、彼が開けっぱなしだった扉から出て行った。
「って、オイ!」
哀月は慌てて振り返り、ジャニスを追って扉から出るが、すでに彼女の姿は無かった。
「あの野郎…殺すだけ殺して後始末押し付けやがったな」
仕方なく部屋に戻り、一人呟く。
「ったく、しょうがねぇなぁ…。この事務所結構気に入ってたのによぉ」
ブツブツ文句を言いながら、部屋を出て扉にカギを掛ける。そして、ポケットから出した携帯を操作しながら歩き出した。
そのきっかり10分後に、事務所があった建物が爆発した。
ーーー薄暗い部屋にスーツを着た男が二人いる。若い男と、その男よりも一周りは年上であろう男。
ソファに深く沈み込んで、退屈そうに書類を捲る男とは対照的に、若い男は椅子が用意されているにも関わらず、直立不動である。傍目にも恐縮しているのが分かる。
「何故七人も人員を割いてこんな事になったのか教えてもらいたいな」
ソファに沈んだままで、男は手に持った書類を目の前の机に放りなげた。若い男は更に恐縮しながら言う。
「…申し訳ありません。予想外の邪魔が入りましたので、当初の目的は達成出来ませんでした。しかしながら、当初の目的達成以上に支部長の喜ばれる事が判明しました」
「…なんだ?」
支部長と呼ばれた男は、直立不動のまま話す若い男を睨みつける。若い男は、その眼力に怯みながらも続ける。
「ターゲットが見つかりました」
「何っ!?」
支部長と呼ばれた男は机に手をつき立ち上がる。
「…何処だ?」
自身の気持ちの高ぶりを抑えるかの様に、絞り出す様に聞く。若い男はそのまま平静を装いながら言う。
「殺し屋哀月の所です」
ーーー全く今日はどうかしている。
事務所を派手に爆破してから、哀月は街をあても無く歩いていた。
哀月の身なりは派手で、真っ白なパーカーに黒の皮パンツ。髪はセットにどれだけ時間が掛かるのか、重力を無視したかの様に真上に逆立っている。更に濃いサングラスをしている為、表情は見えない。
いつもならば、こんな格好で街を歩いていても、誰一人話し掛けてなんかこないし、それ以前に、目すら合わせようとしないのだが、今日は違った。
「あんたが哀月さんかい?」
哀月は声のした方に無造作に振り返った。そこにはスーツを着ているが、明らかに堅気ではない雰囲気の男が二人いた。その男達の全身をざっと確認してから、今後の自分の予定が確定してしまった事に、哀月は内心うんざりしながら聞く。
「あんたらは?」
「ちょっと来てもらおうか」
スーツの男達は哀月の返答を待たずに街の裏路地へ入って行った。哀月も何も言わずに着いて行くことにした。
人の住む所は、巨大になればなる程裏の世界も広がっていくものだ。三人は綺麗に舗装された街中を外れ、普通の人ならまずは寄り付かないであろう場所に出た。するとスーツの男の一人が口を開く。
「悪いが目障りになったんで死んでもらう」
言うが早いか、スーツの男二人は懐から拳銃を抜き、哀月目掛けて発砲する。その動作には躊躇いなどは一つも感じられない。
(まったく、いい迷惑だ...)
哀月は拳銃が抜かれる前に既に動いていた。スーツの男達の拳銃から発射された弾丸は、哀月が立っていた場所の壁に穴を開ける。
まさか避けられるとは思っていなかった二人は、焦りを隠し周りを見渡す。
「…何処に行った?」
「焦るな。あいつは絶対に逃げたりはしない」
スーツの男達はお互いの背中を合わせて辺りを窺う。
「まぁ迷いが無いってとこは悪くはないんだけどさ、ちょっと遅いよね」
コンクリートに囲われた空間に哀月の声が響く。
「何処だ!?」
「ここだよん」
スーツの男達が焦りを濃くした瞬間、哀月は二人の真横に立っていた。人間業とは思えない速さに恐れをなしたのか、二人組の片割れが小さく悲鳴を漏らす。
哀月は別段急ぐ様子もなく、愛用のナイフを握り男達の片割れの喉を裂いた。ぱっ、と血が舞い、男は地面に崩れ落ちる。
「…貴様っ!」
一瞬相方の死に気を取られたもう一人の男は慌てて拳銃を構える。
「だから遅ぇって」
言いながらも哀月は、喉を裂いた流れのまま、もう一人の男の拳銃を持っている指を残らず切った。
「ぐッ……」
右手の指が無くなった男は左手で右手首を握り呻く。
「じゃあな」
哀月はそう言うと、残された男を殺した。哀月の真っ白なパーカーには、血は一滴も着いていなかったーーー
「てゆーか、マジありえねぇよな!」
ファミレスで5人前の定食を平らげながら、哀月は向かいに座る男に言う。
「なんだ、もうそんなに来たのか?」
向かいに座る男は、哀月の食べっぷりに呆れながら言う。
「初めは女が絡んで来て、毒盛ろうとしやがるから殺して、そん次は車が歩道に突っ込んで来るだろ?更には野郎が二組直接だぜ?事務所のも合わせたら今日だけで五回は死んでるよ。……てか何?沢田さんもしかしてなんか知ってんの?」
沢田と呼ばれた男は短髪の頭をかき、髭を触りながら笑う。
「その事で忠告する為にわざわざ呼び出したんだがな。片っ端から片付けるとは、全く相変わらず手間の掛からないヤツだな」
「自分以外信じるな。全て自分でやれ。あんたがオレに言ったんだろ、沢田さん」
哀月も食事の手を止めて笑う。
「そんな沢田さんも四十歳かぁ~。…老けたよね」
「ばぁかやろう。まだ三十八だよ。つーか、オレの事なんざどうでもいいんだよ。…お前最近何か派手な事したか?」
沢田は笑い顔を正し、真剣な眼を哀月に向ける。哀月は構わずいつものヘラヘラ顔で返す。
「なんでも屋の方は最近ホームページっつーの?あれ作って結構手広くやってるよ。まあ、大体が猫ちゃんの捜索とかなんだけどな。殺しの方は…まあ、足がつく様な真似はしてないよ」
「………そうか」
沢田は相変わらず真剣な顔だ。
「哀月…お前Jに狙われてるぞ」
「J……だって?」
哀月の眼に物騒な光が宿る。沢田も真顔を崩さず言う。
「確かな筋の情報だ。何故かは分からんし、ある意味今更って気もするが、お前を殺そうとしているのは確かだ」
「ハッ。生っちょろいヤツばっかり寄越しやがって。オレを舐めてんのかよ」
「哀月、お前がJにでっかい借りがあるのは知っている。けどな、絶対に一人で先走るなよ」
沢田は眼光を更に鋭くしながら釘を刺す。哀月は先程眼に宿っていた物騒な光が嘘の様に、いつものヘラヘラ顔に戻して言う。
「わぁ~かってるって。なんせ相手は世界規模の暗殺組織だ。そんなに心配しないでも、こちとら個人経営なんだから、尻尾も掴ませてくれないよ♪」
「ったくよ、何度お前のそのヘラヘラ顔に騙された事か…」
沢田は苦い顔を作りながらも笑っている。
「ま、オレももう少し探ってみるから、お前はしばらく大人しくしてろよ」
「おいおい、沢田さんはもう堅気なんだから、そんなのはこっちに任せとけって。大体な、オレだっていつまでもガキじゃないんだぜ」
哀月も笑う。
「下手にガキの頃を知ってるから放っとけないんじゃねーかよ。とにかく、また連絡する」
そう言って沢田は席を立ち、ふと思い出した様に聞く。
「…子猫はまだ生きてるか?」
「元気すぎて困ってるよ」
哀月は全く困っていない顔で返す。
「そうか。大事にしろよ」
「沢田さんまで親父みたいな事言うなって…」
「ははっ。組長もお前を見てたら心配なんだよ。またな」
沢田はそのまま店を出て行った。
「まったく、心配性だらけだな…」
残された哀月は、一人呟いた。
ーーー今日は厄日だ。
哀月を置き去りにして、さっさと逃げて来たジャニスは考えていた。
あいつに関わるとろくな事が無い。一昨日なんて、逃げた猫の捜索なんかに付き合わせやがって。大体あのなりで何でも屋とか、どう考えても無理がありすぎだろうに。今日は今日で、朝からタダ働きだし。ああそうか、厄日なんかじゃ無い、あいつが疫病神なんだ。
今ジャニスの目の前にはスーツを着た男が三人いる。先程哀月の前に現れた二人組と同じ様な雰囲気の男達だ。
朝から事務所に七人来て、その後歩いていたら何かの勧誘のふりをして近付いて来た怪しげな男を殺して、次はこいつらだ。本当にろくでもない疫病神だ。
ジャニスはとりあえず相手の出方を見る事にして、あえて何も言わなかった。
「…ジャニスだな?」
三人組の真ん中の一人が前に出て言う。
「いや、正式にはJ01…だな?」
ジャニスの顔が強張る。しかし、相手にはそれを悟られないように一瞬で隠す。そして一つの事を決める。
こいつらは確実に殺さなければならない。
「資料通りの別嬪さんだな。そのブロンドは自毛か?」
「おい、無駄口は慎め。J01、悪いが一緒に来てもらうぞ。…理由は分かっているだろう?」
向かって右側の男が、真ん中の男を制して言う。ジャニスは相変わらず何も言わない。
三人組の男達は互いに頷き合い、懐に手を入れながら一歩前に出た。
それは一瞬だった。三人組が一歩踏み出したその瞬間に、ジャニスは靴から細身のナイフを二本取り出し両側の男に投げた。そして、そのナイフが男達の喉に刺さるより速く、ジャニスは真ん中の男の後ろに回り込み、愛用のナイフで残った男の喉を切る。スーツを着た三人組は、仲良く同時に崩れ落ちた。
「J……か」
三人組の死体の側でジャニスは呟くと、急ぎ足でその場を去ったーーー
「それで…あの日から一週間か?」
「まったく、何処ほっつき歩いてんだかな」
ついこの前盛大に爆破された事務所と殆ど同じ様な部屋で哀月と沢田が向き合っている。哀月はソファーに深く座り、目の前のテーブルに足を投げ出して、のんきに煙草を燻らせて呆れている。沢田は対象的に難しい顔だ。
「あんな無愛想な子猫でも一週間も見ないと調子狂うぜ。なんだかんだ言っても、一応毎日顔は出してたからな」
「まったく連絡がつかないのか?」
「つーか、アイツ携帯持ってねーし。今時ありえねぇってな」
哀月は思い出した様に笑う。
「この事務所の場所が分からないって事は?」
「それは無い」
即答した後に今度は苦笑しながら続ける。
「オレもアイツもお互いの事は何も知らない。本名だって過去の事だってな。だけど、なんでかな?仕事に関わる事は分かっちまうんだよな、お互い」
「…いい相棒だな」
父親のように呟く沢田に、哀月は鼻で笑うだけで取り合わない。代わりにわざとらしく顔をしかめて言う。
「アイツがどっかで野垂れ死のうが、殺しに嫌気がさして逃げようがどっちでもいいけどな、今回は中途半端すぎて寝目覚めが悪いよ」
「まったくだ。しかも立て続けに事件があった日から連絡が取れないなら何かあると考える方が普通ってもんだろうな」
沢田は相変わらず難しい顔で言いながら、哀月がテーブルに無造作に放り投げていた煙草の箱から一本抜き取る。
「……沢田さんってば、実は貧乏なの?」
「そうそう。足洗って店を開いたはいいけど、古着とアクセサリー屋なんてそう儲かるもんじゃないしな」
言って、これまた哀月のジッポを拝借して火をつける。そんなわざとらしく貧相に振る舞う沢田を見て、哀月はほとほと呆れた様子で、尚且つ笑いを堪えながら言う。
「よく言うぜ。いつ遊びに行っても超満員じゃん。」
「店が狭いんだよ。それに今時の若いモンのセンスもよく分からん」
煙を吐きながらそう言う沢田は、四十手前にも関わらず、いつもなかなか洒落た服を着ている。今日はラフに黒系で統一しながらも、ハットだけは真っ白な小さめのテンガロンハットをちょこんと乗せて、小粋なオヤジといった風体である。
オレなんかよりよっぽどたちが悪い狸だぜ、と内心苦笑しながら哀月は煙草を灰皿に押しつけて、新たな煙草に火をつけながら言う。
「多分アイツもJと何かしら関係があるんだろうな。何にせよアイツが居ようが居まいがオレのやる事に変わりはないよ」
「何で若いモンは、こう血気盛んなんだかな。ほらよ、持ってけ」
哀月は無言で沢田が放ったA4サイズの茶封筒を見て、続けて沢田の顔を見る。
「Jのこの辺の支部の情報だ。流石に本部までは割り出せんな」
「助かるよ」
哀月はそう言って茶封筒を開け、中の資料にざっと目を通す。
「それに書いてあると思うが、お前Jにスカウトされる予定だったみたいだな」
「全部うちの子猫ちゃんが殺しちゃったけどね。まあ、内部に入れたら捜すのも楽だったんだけどな」
「カタキ…か」
沢田はことさらゆっくり言って、煙草の火を消す。哀月は資料に目を通しながら苦笑して言う。
「そんなんじゃねーって。単にオレが許せないだけだよ。大体、相手の顔も知らないし♪」
「何だっていいさ。けど、何故スカウトからいきなり抹殺に変わったかは分からんな」
「アイツらは邪魔になったからって言ってたぜ。ま、常套句だけどな」
まぁな、と言いながら沢田は哀月の煙草を抜き取り火をつける。そんな沢田を呆れて見ながら哀月は言う。
「………沢田さん、煙草奢ろうか?」
ーーーそこは喧騒の嵐だった。
何処だ?だの、捕まえろ!だの建物全ての人間が、檻から逃げ出した猛獣か何かを怯えながらも追い回している様な、異様な雰囲気だ。
(質が落ちたな)
ジャニスは無数の追っ手から身を隠しながら、一人観察していた。
確かに世界規模の暗殺組織<J>は、今も裏の世界で確固たるシェアと力を持っている。しかし、恐らく代替わりによる内部抗争で、かなりの幹部が入れ代わったように思える。
(未だに私を追っている処を見ると、やはり組織自体の力が落ちているな)
好都合だ、と呟き、ジャニスは単身建物の奥へ進んで行ったーーー
「こりゃ、分かんねーわなぁ」
頬をポリポリ掻きながら、哀月はその建物を、正確には建物にある看板を見ていた。
建物自体は小さな平屋で、この都心部には不釣り合いな木造で、そしてその看板にはこう書かれていた。
<犬猫、インコ何でも売ります!動物ショップ・ジャクソン>
「人間売ってんだから、確かに何でもだよな~」
などと呟きながら、店の横開きの扉をがらりと開ける。
「いらっしゃいませ~」
元気な若い女店員の声が狭い店内に響く。店内に客の姿は無い。哀月は周りのゲージに入った動物達には目もくれず、店の奥のカウンターへ真っ直ぐ進む。
カウンターには初老の男が座っていた。
「何かお探しかな?」
初老の男がにこやかに聞く。
「いや、今日は探し物じゃないんだ。それより、ジャクソン将軍は元気かな?」
それが合言葉だった。初老の男は笑みを消し、哀月の頭から足先まで睨む様に観察し、カウンターの後ろの扉のノブの部分に何かを差し込み、扉を開けた。
哀月が、どーも、と言いながら扉を抜ける時に、初老の男が聞いた。
「何かあったんで?」
「いや、たいした事じゃ無いんだ」
と、言い終わる前に、哀月は懐から小型の拳銃を抜き取り、初老の男の眉間を撃った。そして、男が倒れた音に気が付いた店員がこちらを向いた時には、その女の眉間にも穴が開いていた。
一瞬の内に人を二人殺した哀月は、無造作に懐に拳銃を仕舞い、扉をくぐったーーー
その頃ジャニスは、先程までの慌ただしさが嘘の様な、静寂に包まれた通路の曲がり角にいた。
その曲がり角から少し顔を出して奥を見やると、そこには更に通路が続き、その通路の中程にはなにやら重厚な扉があった。そして、扉の前にスーツを来た、恐らく護衛の人間であろう男が二人居た。
(さて、どうしようか…)
ジャニスは一旦身を引いて、突破のシミュレーションを思案していると、先程見ていた扉の方から声が聞こえた。
「お疲れさ~ん」
場違いな程陽気な挨拶に、隠れて思案していたジャニスはげんなりした。姿を見なくてもあんなアホな声はあいつしかいない。なぜこんな所にいるのか...。
もう一度曲がり角から覗いてみると、そこには案の定、扉の前の男達に話し掛ける哀月の姿があった。
警備の男達は明らかに不審げだ。恐らくこの区画は、その静けさからも分かる通り、普段は限られた人間のみが入れる場所なのであろう。
「…何の用だ?」
「何の用もクソもねーよ。そこ、どきな」
哀月はそう言い終わる前に、懐からナイフを出して一人切った。そして、もう一人のスーツの男に切り掛かろうとした瞬間に、不自然に手を止めた。
「貴様は何をしているんだ?」
背後からスーツの男を一人仕留めたジャニスは、無表情で眼の前の哀月を睨み、問い質す。
「お前さぁ、こいつらと一緒のような事しか言えない訳?」
「黙れ、哀月。手出しはするな」
ジャニスは、ヘラヘラ顔の相棒、哀月を睨みながら言う。
「手出しも何も、オレはここに用があるから来ただけだよ。お前こそ、こんなとこで何してんの?最近全然顔出さねーしさ」
哀月は、懐にナイフを仕舞いながら聞き返す。
「………」
二人は睨み合い、沈黙が訪れる。
暫く睨み合った後に、ジャニスは哀月を完全に無視して横の扉を開けようとする。
「待てって。言ったろ?ここに用があるのはオレも同じなんだよ。…邪魔すんな」
そう言う哀月の顔は、いつもの真意が読めないヘラヘラ顔とは打って変わって、真剣だった。
「邪魔するならお前も殺す」
言った瞬間、哀月は先程仕舞ったばかりのナイフを抜き出し、本当にジャニスめがけて切り掛かった。
哀月のナイフ捌きは、もはや神業と呼べそうな程速い。
が、ジャニスも大人しく切られはしなかった。哀月のナイフがジャニスの喉元に届く寸前には、ジャニスのナイフも哀月の喉元にあった。
「流石はオレ様の相棒なだけはあるよな」
口元にだけ笑みを浮かべながら、哀月はジャニスを睨む。ジャニスは何も応えず、変わらず哀月を睨む。
周囲の緊張が高まり、一秒が永遠に感じられたその時、唐突に二人の横にあった扉が開いた。
「J01と互角とは、流石は殺し屋、哀月だな」
一人の男が笑みを浮かべ、拍手をしながら扉から出て来た。スーツを着ていても、身体は鍛え上げられているのが分かる。
「わりぃけど、オレは何でも屋だぜ。アンタがここのボスだな?」
哀月はジャニスを睨んだまま、扉から出て来た男に聞く。しかし、男は哀月の質問には答えない。
「私の下で働く気はないか?」
哀月は、ちらりと男の方を見て笑う。
「死人に部下は必要ないだろ?ちょっと今、順番決めてんだから黙ってろ」
言い終えるのが合図だった。哀月とジャニスは同時に飛びのき、着地と同時に再び切り掛かる。
自分を無視して切り合いを始めた二人に、男は呆気に取られて目が丸くなっている。
当の二人は、普通の人なら一撃で命を失う程の攻撃を、惜し気もなく振るい合っている。ナイフも蹴りも、空気を裂く音が聞こえそうな程である。
「貴様ら、ここが何処か分かってんのか!」
流石に我慢の限界に達したのか、男が叫ぶ。すると、男が出て来た扉から、銃で武装した護衛達が大量に出て来た。その護衛達は、哀月とジャニスを囲む様に位置取る。
「やれ!二人とも殺して構わん!」
男の怒声に、哀月達を囲んでいた輪が一斉に縮まるーーー
「………うぜぇ」
哀月がそう呟いた時には、二十人は居た護衛達は、一人も息をしていなかった。
一人取り残された男は、またもや呆然としている。当たり前ではあるが、自分が見た物が信じられない、といった顔だ。鍛え上げられた殺し屋が二十人も居れば、普通はどんな人間でも一たまりもない筈である。
しかし先程のほんの一瞬の内に、男の眼の前では、その殺し屋達が全て一撃で殺されていった。
一人は喉を裂かれ、一人は心臓を貫かれ、一人は投げられたナイフで眉間を突き刺され。男が信じられないと思うのも無理は無いのである。
ものの五分と掛からず二十人を殺した哀月とジャニスは、息すら切らせていない。
「あのさぁ、アンタ自分の立場分かってる?」
哀月に声を掛けられた事すら気付かないかの様に、男はわなわな震えている。そんな男の姿に構わず、哀月は続ける。
「こんな支部の支部みたいなとこのボスなんて、殺すのは訳ないんだよ。問題はオレか、この女か、どっちが始末を付けるかって事」
哀月は真顔で、なぁ、と言ってジャニスを見る。ジャニスも無言で頷く。
二人共、とても世界一の殺し屋の支部に乗り込んで、そこのボスを眼の前にしているとは思えない程の落ち着きっぷりだ。
「…ふ、ふざけるなっ!!」
男は堪らず拳銃を抜き取り、哀月目掛けて発砲した。
「オレに殺されたいって事ね」
目にも留まらぬ速さで男のすぐ脇に移動した哀月は、そう言うと、流れる様な仕種で男の喉を掻き切ったーーー
「貴様、どさくさに紛れて、私の獲物を横取りしたな?」
そう言うジャニスは、腕を組み、哀月を睨んでいる。鋭いナイフの様な視線を受けながらも、哀月は眼の前のパソコンをいじりながらヘラヘラして応える。
「な~に言ってんだよ?ありゃ、オレを狙って撃って来たんだから、オレが始末付けんのが筋ってもんだろ~?」
言いながらも、パソコンを操作する手は止まらない。
そこは、先程の男達が出て来た部屋で、奥には重厚な一人掛けのソファーに、更に重厚な執務机が置かれていた。
そして、その机の周りには、この建物の至る所に仕掛けられている監視カメラからの映像が映された、小型のモニターが多数置かれている。
「もしかして、皆殺しにしたのか?」
監視カメラの映像を見ながら、ジャニスが聞く。
「まぁな。悪いけど、いずれJは潰させてもらうつもりだからな。今日はその第一歩って訳さ♪」
陽気に恐ろしい事を言って、パソコンの手を止め、天井を仰ぎ見る。
「駄目だ~。やっぱ、こんな小さい支部なんかにゃ、な~んも情報なんて無ぇわ」
言って、重厚なソファーから立ち上がり、いまだにこちらを睨んでいるジャニスに向かって手を振る。
「さ、とっとと帰ろうぜ?腹減ってしょうがねーもん」
ジャニスは変わらず哀月を睨みながら、しかし、何故か言いにくそうに言う。
「貴様は…Jに借りがあるんだろ?だったら、何故私の…」
「ストーーーーップ!」
哀月は掌をビシッ、と手前に突き出し、笑いながら言う。
「確かにオレには、Jを絶対に潰さなきゃなんねー理由がある。けど、その理由を誰かに言うつもりは無い。それは言い換えれば、お前とJの関わりも聞くつもりは無いって事だぜ?それに、オレらの世界に、過去なんて物は必要無いだろ」
哀月に先手を取られて、全て言われてしまった形になったジャニスは、渋々ながら頷き呟く。
「…まぁな」
「だろ?だからとっとと帰ろうぜ。沢田さんにも、ちゃんと話しとかなきゃなんねーし」
「…私はあの男は苦手だ」
元々表情が豊かではないジャニスだが、この時ばかりは、かなり苦い顔をした。
「ははっ。そんな事言うと、あのオッサン悲しむぜ~。笑っちまうけど、アレで意外にナイーブなんだからさ」
「苦手な物は、しょうがない」
ムッツリとしながら言うその姿に、哀月の笑いが濃くなる。
「まぁいいさ。とにかく出ようぜ。………はい」
と、言って、哀月はジャニスに黒くて丸い塊を手渡す。
「…これは?」
「見りゃ分かんだろ?手榴弾だよ。ただ帰るのなんて勿体ないもんな。片っ端からやっちゃって下さい。あ、気にしないでも、この地下組織が陥没しても、上の平屋が落ちるだけだから」
ヘラヘラ顔で言って、何処から出したのか、更に大量の手榴弾を手渡した後、哀月は部屋を出て行った。
そして、十秒もしない内に建物に爆発音が響き渡った。
「派手好きめ………」
そう呟く内にも、爆発音が何度も響いている。ジャニスは、とりあえず手榴弾のピンを一つ抜き、後ろ手に投げながら部屋を出たーーー
「お前は馬鹿か!?」
広いファミレスの店内に、沢田の怒声が響き渡る。
「まぁまぁ、沢田さん。皆見てるよ。恥ずかしいって」
怒りに震える沢田の向かいには、相変わらずヘラヘラ顔の哀月が座っている。
「お前、これが黙っていられるか!あれ程言ったのに、一人で乗り込んで組織のエージェントを皆殺しにした揚句に、建物を残らず倒壊させただと?気違いとしか言いようがないぞ!」
人の目があるので、声のボリュームは落としてはいるが、余りの怒りに声が震えている。
「いやいや、ジャニスも居たし、たいした事無かったぜ?そろそろJも落ち目なんじゃねーかな?」
「そういう問題じゃない!」
沢田は怒りっぱなしである。
「オレや組長がどれだけお前に目を掛けていると思ってんだ。勝手に死ぬんじゃねーぞ」
「へ~~い」
哀月には、全く反省の色は無い。むしろ、自分は悪くないと開き直っているようである。
「何にせよ、これでお前はJの全支部から狙われる事になるだろうな。全く、こっちに皺寄せしてくんじゃねーぞ?」
「分かってるよ。てか、オレ的にはその方が好都合な訳だし」
沢田は呆れた様に言う。
「お前、どんだけヤバイか本当に分かってんのかよ。本当に全支部壊滅させる気か?」
「まぁね」
哀月は素っ気なく応える。沢田は溜め息を吐き、諦めた様に言う。
「確かにお前は、わざわざ人に頼る様なヤツじゃないからな。けど、何かあったらいつでもオレのとこに来いよ?」
「あんがと♪」
笑顔で言ってから、哀月は気まずそうに続ける。
「…あのさ、早速なんだけど、頼っちゃっていいかな?」
「…何だ?」
気まずそうにしている哀月を、珍しそうに見ながら沢田が聞いた。
「ごめん、財布忘れちゃった!J支部壊滅記念って事で、ここの勘定奢って下さい♪」
両手を合わせて、お願いの仕種をする哀月を見て、沢田は吹き出す。
「しょうがねぇなぁ」
しかし、笑いながら伝票を手に取った沢田の顔が凍り付いた。
そこには、とても二人で食事したとは思えない量のオーダーの数と、諭吉さんが軽く数枚飛んでいく勘定が書かれていた。
ファミレスから出て沢田と別れた哀月は、駐車場に停めてあったアメリカンのバイクに跨がった。
と、後ろから突然声がかかった。
「帰ったか?」
闇夜に紛れて突然現れたジャニスに驚く事無く、哀月は苦笑して振り向く。
「さっき別れたよ。てか、顔ぐらい見せてやれば良かったのに」
「言っただろ。苦手なんだ。それに、あまり他人に心配されるのは慣れていない」
哀月は肩を竦めて、おどけてみせながら言う。
「まぁ、沢田さんはオレの兄貴みたいなもんだからな。心配するのが仕事なの。意外に頼りになるし」
「まぁな」
ジャニスも肩を竦めると、そのまま静寂が訪れた。二人ともその静けさを楽しんでいるようだった。
思い出したように、哀月が切り出す。
「オレはいずれJを潰す」
ジャニスは何も応えない。
「それが例え、誰かさんの古巣だとしても遠慮はしないぜ」
哀月は探る様にジャニスを見ている。すると、唐突にジャニスは全く違う事を言う。
「今回の仕事は、報酬も何も無かったんだろ?………今日は奢る」
「なんだ?酒、付き合ってくれんのかよ?珍しい事もあるもんだぜ」
哀月は笑っている。ジャニスは相変わらずの無表情のままで、哀月の跨がっているバイクのタンデムシートにひらりと収まる。
「メットは無いから勘弁な」
そう言って、アクセルを開ける。二人を乗せたバイクは、夜の街に消えて行った。
了