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崎野 司と

 僕は一ヶ月前に父を亡くした。

 父は息子の自分が言うのもなんだが、真面目で優しい性格だった。毎日の仕事で疲れていただろうに、家に居る時も笑顔を絶やさず、僕はかなり幸せな家庭に育ったんじゃないかと思う。

 時には叱られる事もあったけど、それは父の僕に対する愛情の裏返しだった。

 そんな父が突然死んだのだ。死因は刃物による傷口からの出血多量。そう、父は何者かに殺された。


 ある日、いつもは夜の七時には家に帰ってくる父が、夜中遅くになっても帰って来なかった。もちろん家族総動員で探し回り、警察にも連絡したが、結局見つからなかった。

 そして翌朝、殆ど人が通らない様な裏路地で、一人息絶えている父が発見された。


 それから今に至る一ヶ月間、警察の捜査も虚しく、犯人は見つかっていない。

 警察曰く、犯人の痕跡が何一つ無いらしい。そんな小説みたいな話が本当にあるのかと疑わしくも思うけど、担当の刑事さんは日に日に疲労が溜まってきている様子だし、捜査に手を抜くなんて事はしていないだろうと信じたい。


 父の死から一ヶ月経った今も、家族の哀しみが薄らぐ事は無い。こんな非道な事をする人間を許してはおけない。

 僕は、例え警察が今後何年経っても犯人を捕まえられなくて、もしも捜査が打ち切りになってしまったり、それこそ時効なんかになってしまったとしても、絶対に諦めないと誓った。


 僕、崎野(さきの) (つかさ)は、犯人を法で裁くより、復讐を選んだんだ。




「司~!つ~か~さ~!」


 あ、僕が呼ばれてたのか。夢中になって見入っていた本から声がした方へ視線を向ける。そこには見馴れた顔があった。


「アンタ何回呼んだら気付くのよ。もう…百回は呼んだわよ」

「ごめん、この本面白くて気付かなかった」


 流石に百回は呼んでないだろうと、苦笑いが漏れた。


「何ニヤニヤしてんのよ?どうせ司の事だから、百回も呼んでないとか思ってんでしょ?」


 更に苦笑いが濃くなってしまう。流石に今まで付き合ってきた、この三年間は伊達じゃないみたいだ。僕の表情から考えを抜き取るのなんて、もうお手の物みたいだ。


 この子の名前は(あおい)。僕の彼女だ。この子とか言っても、僕より一つ年上の大学生なんだけど。

 高校三年生の僕は、もう進路も決まっていて、特に学校に行く必要がない。だから、葵の授業が終わる時間を見計らって、いつもこの図書館で待ち合わせをしている。


「今日は何読んでたの?」

「ん、犯罪心理学の本」


 僕は今読んでいた本を、本棚に戻しながら応える。横に立つ葵の顔が微かに、曇ったような気がした。


「…そっか」


 そのまま俯いてしまう。

 あ、気遣わせちゃったかな、葵は結構心配性だからなあ。事件があってから、学校の友達もなんだか腫れ物に触るような感じで接してくるし、葵だけは普通でいてもらいたいんだけど。

 俯いた葵の手を取り、話し掛ける。


「もう一ヶ月も経ったんだから大丈夫だって。ほら、行こ」


 軽く手を引いても、葵は本棚の側から動かない。


「だって………司、最近ウチの大学の、変なサークルの人と何かしてるでしょ?」


 葵が僕の手を握り返してくる。


「あのサークル、ヤバいんだよ?なんか、麻薬とか売ってるって噂あるし、お父さんの事もあるだろうけど………」

「大丈夫だって。麻薬とかやらないし」


 僕は、葵に最後まで言わせずに、笑顔で返した。それでも葵は心配そうに、僕を見上げてくる。


「ほらほら、早く行かないと、せっかくのデートなのに夜中になっちゃうよ」


 少し強引に、葵の手を引っ張ると、葵も「そうだよね」と、少し笑顔になった。


「じゃあ、行こっか」


 そう言って、二人で図書館を出た。




 僕と葵は、今まで三年間も付き合っていながら、それ程喧嘩をした試しが無い。僕は父譲りなのか、学校でもそこそこ真面目な部類に入っていると思うし、葵もそれは同じだ。

 僕は葵が大好きだ。だから、僕がしようとしている事は、絶対に明かせない。


 復讐なんて、葵が許す筈も無い。

 葵が悲しむ姿も、見たくない。

 だけど、復讐を止めるつもりも、無い。


 葵と二人で、街をぶらぶらしてから、一緒に夕飯を食べて、葵を家まで送った。

 葵の両親はいまどきにしては中々厳しくて、大学生だというのに門限がある。いつも夜の十時までには、葵を家まで送らなくちゃならない。

 僕の父が殺されてから更に厳しくなった、と葵は言っていた。幾らこの国が他と比べて平和だといっても、物騒なニュースは後を絶たないし、ましてや身近な人間の父親が殺されたんだから、それはしょうがないのかもしれない。


 葵の家から、一人でぶらぶら歩きながら帰っていると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。


「司か?」


 通話ボタンを押した瞬間に、低い男の声が耳に響く。


「あ、今晩は。タケさん、何かあったんですか?」


 低い声の主は、最近葵の大学で知り合った人で、みんなからタケさん、と呼ばれている事ぐらいしか知らない。


「今からウチに来れるか?」


 この人と出会ったのは、僕が父を殺した犯人を捜し出してすぐの頃。

 とある知り合いから、「もし親父さんが通り魔とかじゃなくて、裏の世界の人に殺された可能性があるんだとしたら、あいつが知ってるかもな」と、言われて紹介してもらった。あの父に限って、そんな事は無いだろう、とも思ったが、一応出来る事は全てしようと思い直したのだ。

 しかし、タケさんの素性は全く分からないし、今まで家に呼ばれた事など無くて、ちょっと焦った。


「え、今からですか?」

「ああ。大学の側だからすぐ分かる。何分かかる?」


 困惑しながらも、必死で頭をフル回転させる。


「だったら三十分で着きます」

「分かった」


 短く言ったかと思うとすぐに電話を切られた。この人本当に怖いんだよな…。三十分で着くって言ったからには行かないとな。

 心の中で気合いを入れて、駅までの道を走り出した。




「…お邪魔します」


 タケさんに招き入れられた部屋は、普通のワンルームマンションの一室だった。

 周りを見渡すまでもなく、その部屋には小さな冷蔵庫と、床に直に敷かれた布団しかなかった。


「まぁ、座れよ。なんか飲むか?」


 タケさんは、小さな冷蔵庫の中から缶ビールを取り出して、僕に見せる。


「あ、だ、大丈夫です…」


 緊張してどもりまくりだ。


「そうか?」


 そう言って、缶ビールの代わりに、コーラを出してくれた。

 見掛けによらず、意外にいい人なのかな。見た目はほとんどヤクザみたいなんだけど。


 いただきます、と言ってコーラを一口飲んだ。タケさんは、缶ビール片手に、僕の向かいに座った。そして、唐突に聞いてきた。


「お前の親父、崎野 正って名前か?」

「え?はい、でも何で…」


 父の名前など言った事は無かったから、びっくりした。

 タケさんが煙草に火をつけながら言う。


「お前の親父やったのな、やっぱ通り魔なんかじゃなさそうだぜ。まだ確証は無いけどな」

「え?それって…」


 父は誰かに、殺されるべくして殺された、という事?


「知り合いのヤーサンに聞いた話しなんだけどな、信じらんねーと思うけど、この日本にも、殺し屋ってのがいるらしいんだ」

「…殺し屋?」

「ああ。その中でも、飛び抜けて腕利きの殺し屋がいる。…司、お前殺し屋って言ったら普通どんな武器を使うと思う?」


 唐突に質問されて、焦ったが必死で考える。


「拳銃…ですかね?」

「そう。普通はそう思うよな。こんな時代だし、拳銃なんて物は意外に簡単に手に入るんだ。けどな、その殺し屋はほとんど銃は使わないらしいんだ」


 タケさんは、煙草の煙を吐きながら続ける。


「勘違いすんなよ。銃が下手な訳じゃないんだ。けど、なんでかナイフ一本で終える仕事が多いらしくて、とにかく、近距離の暗殺では、日本どころか、世界一って噂されてるらしいぜ」


 父の死因は、刃物による傷口からの出血多量。


「その殺し屋と、父は何か関係があったんですか?」

「いや、関係なんかねぇよ。ただ、こっちの世界ではな、その殺し屋の挙動はかなり気になるんだ。だからどこの組も、その男の情報を探っている。その情報の中に崎野 正って人間が暗殺されるって情報があったんだよ。まぁ、もう殺されちまったけどな…」


 タケさんは、溜め息混じりの煙を吐き出す。


「何ていう名前なんですか?」

「殺し屋か?アイゲツだ。その呼び名以外は全て経歴不明だけどな。…お前、本当に復讐すんのか?」

「はい」


 もう決めた事だ。迷う事なんて無い。もしかすると、母や葵を悲しませる結果になるかもしれないけど。


「…まぁ、人が決めた事にとやかく言うつもりはないけどな」


 タケさんは、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


「けど、そう簡単には捕まんねーと思うぜ。それに、なんとか捕まえたとしても、返り討ちに合うのがオチだ」

「例え、僕が死ぬ事になっても構いません。…どうしても許せないんです」

「…そうか。まぁ、その殺し屋について、何か分かったらまた連絡するわ」

「ありがとうございます」


 言って、僕は立ち上がった。


「コーラ、ご馳走様でした」

「ああ、またな。…命は、粗末にすんなよ」



 タケさんがそんな事を言うのがあんまりに意外で、びっくりしたが、笑顔で返した。


「はい」


 僕はそのまま部屋を後にした。




 真っ白な道に赤い何かが、ぽつりぽつりと落ちている。

 …何だろう。

 まるで僕を導くみたいに、ずっと先まで続いている。

 周りも真っ白で、何も見当たらない。

 とりあえずその赤い何かを間近で見てみた。

 これは、血だ。

 一瞬、寒気が襲う。

 この先で、誰かが怪我でもしているのか。

 僕は無意識に、地面の血が続く方へと歩き出す。

 ずっと先の方に、何かの塊が見えた。

 僕は無性にそれが気になって、それの元へ走り寄った。

 地面にあった塊は血みどろの死体だった。

 しかも、瞳孔の開き切った目で見上げる顔は、僕にそっくりで…




 携帯のけたたましいアラーム音が鳴り響く。瞬間的に布団から跳び起きた。


「…夢か」


 例え夢だとしても、自分の死に様なんて見たくなかった。返り討ちに合うって事は、殺されるって事だ。

 今更ながら、その事実に気が付いたかのような思いだった。

 鳴り続けるアラームを止めて、時計を見ると十時。準備しなくちゃ。悪夢の余韻を引きずりながら、もそもそと布団から這い出した。




「ごめん、待った?」


 待ち合わせの公園のベンチに腰掛けている葵に声を掛ける。


「さっき来たとこだよ。てか、司っていつも時間ピッタリだよね」


 僕の姿を見て葵が笑いかけてきた。なんだか、葵の笑顔を見た瞬間に安心した。多分無意識の内に、朝見た悪夢をまだ引きずっていたんだと思う。


「よし!今日は倒れるまで遊ぶぞ~!」


 葵は立ち上がり、握りこぶしを空に突き出した。そんな葵の姿に、僕も自然と笑みが洩れる。


「倒れちゃ駄目だけどね」

「例えよ、例え。ほらほら、遊園地が私達を待ってるわよ」


 僕のツッコミに、笑って手をヒラヒラさせる。

 大学生にもなって、遊園地に行くだけでここまではしゃげるのは葵ぐらいじゃないかな。なんて考えていたら、今度は苦笑いになってしまった。

 けれど、葵とのデートは僕も楽しみには違いない。今日ぐらいは嫌な事を忘れて、楽しまなくちゃな。

 そう思い、葵の手を取って、遊園地へ向かった。




「やっぱり日曜は人が多いね」


 遊園地の中は、家族連れやカップルでごった返していた。


「ねぇねぇ、何乗る?やっぱ絶叫かな?」


 葵は大人しそうな見た目とは裏腹に、大の絶叫マシーン好きである。対象的に、僕は絶叫マシーンが苦手なんだけど…。


「司もそろそろ苦手分野を克服しないとね」


 言いながら、ニヤニヤとこちらを見てくる。


「………」


 僕は、あえて葵と目を合わさない様に視線をさ迷わせた。


「じゃ、まずはアレ行こっか」


 そう言って葵が指さした乗り物は、この遊園地で一番人気の絶叫マシーンだった。これはまずい。そうだ、僕は今は石像だ。石像なんだから、絶対ここから一歩も動かないぞ。

 と、僕の無言の抵抗も虚しく、葵に引きずられる形でその一番人気の(僕にとっては、地獄の)絶叫マシーンへと連れて行かれたのだったーーー


「ちょっと…休憩、しない?」

「しょうがないなぁ」


 息も絶え絶えな状態で僕が言うと、葵は明らかに、まだ物足りない、という顔をして言う。

 結局、ありとあらゆる絶叫マシーンに、五つも乗せられる羽目になった。

 失神するかと思った…。いや、失神した方が絶対に楽だ。絶叫マシーンなんて誰が考え出したんだか…。


「司、ほんとに顔色悪いね…。待ってて。ジュース買って来る」


 葵は、ベンチに力無く座る僕の返事も待たずに、小走りに人込みの中へ消えて行った。

 多分、僕は一生絶叫マシーンが好きになる事は無いだろなぁ…。なんて事を考えながら、ぼんやり人込みを眺めていた。

 するとその中に、一瞬見知った顔が見えた。あれ?タケさん…かな?

 一瞬横顔が見えただけなので確信は無かったが、その人はタケさんに見えた。あの厳つい人が、男一人で遊園地に来るなんて事があるとは思えない。


 なんだか胸がざわざわした。言い様のない不安感が身体を襲う。何かあったんだろうか。瞬間的にベンチから立ち上がり、タケさんらしき人を追おうとしたところで声を掛けられた。


「どうしたの?」


 勢いよく振り向くと、声の主は、両手にストローのささったジュースを持った葵だった。


「ねぇ、大丈夫?なんか凄い顔してたよ?」


 言われて、自分の顔が強張っていた事に気付く。


「さっき知り合いがいた様な気がしたんだ。…ていうか、そんなに変な顔だったかな?」


 葵からジュースを受け取りながら、努めて冗談ぽく言う。


「こーんな顔してたよ」


 そう言いながら、葵は空いた片手で器用に変な顔をして見せる。僕は吹き出して、笑いながら言い返す。


「そんなに変な顔はしてないよ」

「してました~」


 からかうように言ってくる。やっぱり葵と一緒にいると、なんだか落ち着くな。

 実際、タケさんの事はかなり気になってはいたけど、僕は葵とのデートを楽しむ事にした。




「あ~疲れた~」

「そりゃ、片っ端から乗ってたら疲れるよ」


 気付けばもう夕方だ。やっぱり楽しい時間は、過ぎるのが早い気がする。


「お腹空いたね。何か食べに行こっか?」

「そうだね」


 言った瞬間に、携帯の着信音が流れた。


「司の携帯じゃない?」

「あ、ほんとだ。誰だろ?」


 携帯の画面を見るが、それは知らない番号からの着信だった。


「もしもし?」

「司君か?」


 携帯から聞こえた声は、聞き馴染みのない男の人の声だった。


「えと、どちら様ですか?」

「タケが殺されたぞ」


 …え?タケさんが、殺された?


「…何の冗談ですか?てか、あなた誰なんですか?」

「冗談なんかじゃねぇよ。タケはお前が探してる男の情報を掴んだんだよ。多分、その口封じじゃねぇか?」


 横に立つ葵が、心配そうにこちらを見ている。


「な、何でそんな事知ってるんですか?」

「とにかく、沢田って男が何か知ってるらしい。死ぬ覚悟があるんなら、そいつの所に行きな」


 そう言って教えてくれた場所は、都心部から少し外れた町にある古着屋だった。


「あなたは、大丈夫なんですか?」

「オレもちょいやべぇよ。いいか、引き返すなら今だぞ」


 言い終わると同時に、電話が切れた。

 タケさんが、殺された?アイゲツという男の情報を掴んだから?そんな馬鹿な…。

 通話が終わり、画面の暗くなった携帯を見つめ続けながら、何故か全身の震えが止まらなかった。




 あれからずっと、身体の震えが止まらない。

 必死で話をごまかして、葵を家まで送り届けたが、その間も、その後、自宅の自室に落ち着いてからも、全く止まる気配が無い。


 …嘘、だよな?


 実際、タケさんがどういう人生を歩んで来たのか知らないし、確かに羽振りはいつも良かったみたいだけど、どんな仕事をしているのかも、全く知らない。

 だけど、タケさんは絶対に誰かに頼る事は無かった。それは、タケさんが、今まで自分の身は自分で守ってきた、という事に他ならない。そんなタケさんが、殺されたという。


 震えがどんどん激しくなる。いきなり、死、というものが間近に迫って来たみたいだ。

 僕は父の復讐という物を、心のどこかで楽観的に考えていたのかもしれない。なんとかなるだろうって、そんな風に簡単に、自分の心を整理した気になっていたんじゃないのか。

 父が殺され、タケさんも殺された、次は僕の番だ。


「…命は、粗末にすんなよ」


 タケさんの、最後に聞いた言葉を思い出す。


「いいか、引き返すなら今だぞ」


 そして、タケさんの仲間であろう男の人の言葉が頭に響く。


 ああ、そうか。あの人達は分かっていたんだ。僕がまだ復讐するという事の意味や、それに付随する現実に気が付いていないのだと。

 もしかすると、僕が言っていた事はただの子供の夢物語で、本当に復讐なんてする筈が無いと思われていたのかもしれない。


 ああ、もう開き直るしかないんだ。沢田という人に会いに行こう。

 どうせ僕はただの高校生だし、出来る事には限界がある。アイゲツに会ったら殺されるかもしれない。いや、絶対に殺されるんだ。

 例えアイゲツを探すのを止めたところで、もうターゲットにされているかもしれないし、僕は逃げも隠れもしない。


 身体の震えが止まった。追い詰められて、やっとの事で覚悟が決まるなんて、やっぱり僕は子供だ。




 ーーーそこは、都心部を外れているとはいえ、かなり賑やかな場所だった。辺りは薄っすら暗くなり始めていて、仕事上がりで家路を急ぐ人や、買い物を楽しむ人達で溢れている。そんな華やかな町の一画に、ぽつんとその店は佇んでいた。


<古着&アクセサリーショップ アーミー>


 小さな看板には、そう書かれていた。店構えは小さいが、取り付けられた窓から見える店内には、所狭しと洋服が吊られている。

 時間が遅いからか、または繁盛していないのか、店内には買い物客の姿は見当たらなかった。僕の目的を考えれば、その方が好都合だ。意を決して、店の木製の扉を押し開けた。


「いらっしゃ~い」


 店に入ると、奥の方から陽気な男の人の声が聞こえて来た。僕はとりあえず、洋服を見る振りをして、店内を歩き出した。そうしながら、店全体を眺めていると、店の奥から店員らしき人が出て来た。


 正直僕は、その店員を見た瞬間ぎょっとした。

 髪は真っ黒ながら、どうやってセットしているのか、真上に逆立っている。中に針金でも入っているんじゃないかと疑ってしまうぐらいに、綺麗に逆立っている。

 更に、ちょっとテカテカ光った革製のズボンに、とても固そうな、工事現場の人が使う安全靴みたいな革靴を履いて、真っ黒なシャツの上に、真っ白なパーカーを羽織っている。

 顔立ちは陽気な感じだが、余りにも鋭い目付きで、僕は咄嗟に顔を逸らしてしまった。


 あの人が沢田って人なら、ちょっと嫌だなと思いながらも、声を掛けるきっかけが掴めず、洋服を選ぶ振りをしながらチラチラ見ていると、その店員が近付いてきた。


「なんか探してんの?」


 言って、ニカッと笑い掛けてくる。なんだか赤ちゃんみたいな笑い顔で、僕の中の毒気を一気に抜き取られてしまいそうになる。


「いや…別に…」


 普段こんな場所に洋服を買いに来たりしないので、少し焦る。


「今日は結構いい服が入ってんぜ~。なんせ、昨日沢田さんが外国から買い付けて来たばっかりだもんな」


 店員はそう言いながら、色々な洋服を見せてくる。どうやらこの人が沢田って人じゃないみたいだ。

 少しがっかりしたが、そのお陰でリラックス出来たのか、さっきまでの緊張が嘘の様に、普通に聞いてみた。


「今日は沢田、さんは居ないんですか?」

「何?君もしかして、常連さんだった?」


 店員が焦った様に聞く。


「いや、この店は初めて来たんですけど…」

「良かった~。沢田さんってば、いきなり、オレは海外旅行で疲れた。お前が店やっとけ。ちなみに客足を一人でも遠ざけたら、殺すぞ。な~んて言うからビビッちゃってさ」


 店員はヘラヘラ笑っている。


「店員さんは沢田さんと友達なんですか?」


 僕の質問に、店員は困ったように顔をしかめる。


「友達、ねぇ…。そんな事言ったら、その瞬間に殺されちまいそうだな。まぁ、なんだ…知り合いだよ」

「じゃあ、店員さんはアイゲツって人、知りませんか?」


 この店員が、沢田って人と個人的な知り合いだったら、もしかしたら知っているかもしれない。


「知ってるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の鼓動が高鳴った。


「店員さんは、アイゲツって人とも知り合いなんですか?」


 また店員は困った顔をする。


「知り合い…。う~ん、まぁそんな感じかな」

「じ、じゃあ、どこに行けば会えるか分かりますか?!」


 遂にアイゲツって人の足取りが掴めたという興奮で、語尾が熱くなる。


「…てか、何でアイツの事探してんのか知らねーけど、止めといた方がいいぜ?」


 店員は眉をしかめて続ける。


「君、高校生だろ?そんなに若い内から踏み込んでいい世界じゃないんだよな、アイツがいるとこは」

「…アイゲツって人が殺し屋という事は知ってます。僕の父が…殺されましたから。それに、僕に協力してアイゲツって人を探してくれていた先輩も殺されました。だからってのは変ですけど、死ぬのは怖くないです」


 一気に捲し立てた。自分でもびっくりする程すらすら言葉が出てきた。そして今度は物怖じせずに、真っ直ぐに店員の目を見る。

 店員もこちらの真意を探る様に見てくる。目が合っていた時間は一分も無かった筈だけど、ほんの少しの時間で僕の全身は、汗でぐしょぐしょになってしまった。


 店員は小さくため息を吐き出すと、唐突にヘラヘラした顔になり笑って言う。


「オレは、死ぬのは怖いけどな」


 言いながら、視線を外して洋服を綺麗に棚に戻していく。


「アイツに会って、どうすんの?」

「…出来るなら、殺します」


 気のせいかもしれないけど、その時店員は、小さく笑った様に見えた。


「じゃあ、今日の深夜三時にここに行きな。一応アイツにも伝えとくよ。アイツも気が向いたら行くと思うぜ」


 そう言って、レジの横に置かれていた紙切れに、さらさらと地図を書いてくれた。

 そこは確か港で、コンテナとかが沢山置かれている所だったように思う。


「まぁ、もし現れなかったら、気が向かなかったんだな、とでも思いな」

「分かりました。色々ありがとうございます」


 僕はもう一度地図を確認して、紙切れをポケットに突っ込んだ。


「…もし、生きていられたら、今度はここに買い物に来ます」

「ははっ。まぁオレは店員じゃねぇから、普段は居ないけどな。そん時は沢田さんによろしくな」

「はい。じゃあ帰ります。仕事の邪魔してすみませんでした」

「ああ、またな」


 そう言って店員が手を振ってきたので、僕も手を振り返して店を出た。




 吐き出す息が白い。

 店員に教えてもらった場所に座り込み、一人ぼんやり海を眺めている。あれから、かなり時間があったんだけど、僕は店から真っ直ぐこの場所に来て、ずっと海を眺めていた。

 携帯を開いて時間を確認すると、ちょうど三時。


「崎野 司か?」


 携帯を閉じた瞬間に、左横から突然男の声がした。人がいるとは思ってもみなかったので、慌てて振り向く。


「な…なんで?」


 僕の視線の先には、今日会ったばかりの古着屋の店員がいた。彼は腕を組んでコンテナに背を預けながらこちらを見ている。


「オレを探してたんだろ?」


 古着屋で会った時の印象では、目付きこそ鋭かったが、ヘラヘラしていて陽気な人に見えたのに、今はその面影は一つも無い。


「じ、じゃあ、貴方がアイゲツ…?」

「何の用だ?」


 アイゲツは全く微動だにせず、真っ直ぐにこちらを見据えている。はっきり言って、予想外な展開と、目の前の人の印象の違いに、僕は頭が真っ白になっていた。


「何の用だ?」


 アイゲツは全く抑揚の無い声で同じ質問をする。僕は我に返り、立ち上がる。


「父の仇の、貴方を…殺します」


 情けない事に、声が震えている。声だけでなく身体全体も震えていたが、心の中で激しく喝を入れた。


「…使いな」


 言って投げて寄越したのは、大振りのナイフだった。馬鹿みたいな話だけど、僕は今この時まで、人を殺す気でいたにも関わらず、何一つ武器を持って来ていない事を思い出した。

 慌ててそのナイフを拾って、目の前の男を睨む。


「どうした?…来いよ」


 アイゲツの挑発に、弾かれた様に走り出す。


「うわぁぁあぁぁぁっ!」


 二人の距離が残り一歩という所でアイゲツが動いた。両手でしっかり握ったナイフは躱され、アイゲツの拳が僕の鳩尾に刺さる。続いて、屈んでしまった僕の顔面を思いっきり打ち上げた。

 僕は綺麗に吹っ飛ばされて、後ろにあったコンテナに背中をしたたかぶつけた。余りの激痛に、声も出ない。


「そんなんでプロ相手にしようとしてたのかよ?」


 相変わらず抑揚の無いアイゲツの声が響く。


「オレに殺されるぐらいなら、さっさと自殺でもした方が楽なんじゃねぇか?」


 僕はアイゲツを睨み付けて立ち上がろうとしたが、頭がクラクラしてしまい、また同じ場所に倒れてしまった。視界も定まらない、顎がガクガクしているみたいだ。

 誰がどう見ても力の差は歴然で、勝ち目が無い事は間違いなかった。それでも悔しくて叫ぶ。


「何で父さんを殺したんだよ!?タケさんだって…殺す必要は無かっただろ!」


 アイゲツはコンテナにもたれながら言う。


「タケさん?ああ、あのチンピラか。あいつは宮家組と繋がってたからな。職業柄、素性を探られる訳にはいかないから殺した」


 何でも無い事の様に、殺した、と言う。


「じゃあ父さんは…父さんは関係ないだろ!」

「………」


 地面に両手両膝をつき、顔だけ上げて叫ぶ僕にアイゲツが無言で近付いてくる。


「崎野 正、か?」


 アイゲツは、立ち上がれない僕と目線をあわせる様にしゃがみ、その感情の読み取れない目で僕の目を見る。

 間近でその目を見た瞬間、全身から冷や汗が噴き出したが、僕も負けじと睨み返す。


「人が殺される理由なんて腐る程ある。金銭トラブル、人情の縺れ、馬鹿な奴なら目があっただけで相手を殺す事だってある」


 アイゲツは目線をずらす事無く続ける。


「サラリーマンだったんなら、上司から厄っかまれていたのかもしれねぇし、部下に裏切られたのかもしれない」

「父さんに限って、そんな事…」

「無い、と言い切れるか?」


 言葉を遮られて、何も言えなくなる。


「何故お前はオレが殺した、と思う?死の可能性なんて、それこそ無限大なんだぜ?」

「で、でも…!」

「お前は素直過ぎなんだよ。言ったろ?ガキの来る世界じゃねぇって。大体、死に行く人間よりも、残される人間の方が辛いんだよ」


 一瞬、見間違いかと思う程のほんの一瞬だけ、アイゲツの目の色が変わった…気がした。

 そして、僕は同時に葵の事を思い出した。


「原田 葵、年齢十九歳。現在F大学一年。週に二、三回知り合いの経営する喫茶店にて手伝いをしている。家族構成は、父、母、弟。父方の祖母も健在、と。崎野 司とは高校生時代に部活で知り合う。すぐに意気投合し、交際を始め現在に至る。更に、崎野 司には話していないが、ひそかに結婚まで考えている」

「なっ………」


 アイゲツがスラスラと暗唱した葵についての内容は、僕が知る限り、結婚を考えているという所以外、何一つ間違っていなかった。


「これ、お前の彼女だろ?」

「なんで、そんな事…!?」

「素人調べんのなんて訳無いんだよ。オレには、お前もこの彼女にも、全く気付かれずに殺せるぜ。けどな、勘違いすんなよ?」


 茫然とする僕の目を見ながら続ける。


「オレは、お前も、この彼女も、お前の親父も、殺さない」


 ………え?お前の親父、も?父はアイゲツに殺されたんじゃないのか?

 巡る思考に自分で追いつけず、目と口をぽっかり開けたままの僕に、アイゲツは呆れたように言った。


「お前勘違いしてるみたいだけどな、オレはお前の親父なんて殺してねぇよ」

「で、でもっ!」

「オレは、お前の親父に仕事を依頼されたんだよ」


 言ってA4サイズの封筒を僕に差し出した。訳が分からないまま、とりあえず封筒を受け取る。


「中、見てみな」


 僕は言われるままに封筒を開けた。中には何かの書類が入っていた。


「その書類は、お前の親父の働いてた会社の裏帳簿と、インサイダー取引に関する情報だよ。何かの拍子にそれを見付けてしまったお前の親父は、社長に直訴したみたいだな」


 アイゲツは煙草をポケットから取り出し、火をつける。


「まぁ、真面目な人だったみたいだから、会社の不正が許せなかったんだろうな。それで、社長が折れないと分かると、警察に届け出る、と言い出したらしい」


 僕は黙って目の前の男の人の話を聞く。


「けどまぁ、運の悪い事に、その裏金の一部は宮家組に上納していた金だったんだよ。要するに、会社が裏でヤクザと繋がってたんだよ」

「…ヤクザ?」

「ああ。宮家組からしても、その帳簿をバラされるのは具合が悪かったんだよ。だから、お前の親父は殺された。警察に駆け込む前にな」


 信じられない程突飛な話だけど、この人が嘘を言っている様には見えなかった。しかも、僕の手元には、確かにその帳簿の記録がある。そしてなにより、父の性格だったら、自分の働く会社で不正があるなんて、断じて許せない筈だ。


「オレとお前の親父が出会ったのは、たんなる偶然だったんだけどな。その時は既にお前の親父は死を覚悟していたよ。それでオレに、もし自分が死んだ時はこの書類の処理と、家族を頼む、って依頼されたんだよ」

「けど、貴方は…殺し屋、なんでしょ?」


 アイゲツは口許だけで笑いながら言う。


「オレは何でも屋だよ」


 なんとも信憑性の無い言葉だったが、今は信じるしかなかった。


「だからオレはお前が特攻かけて死にに行くのを、黙って見過ごす訳にはいかなかったんだよ。例え依頼人が死んでも、まだ仕事は残っているからな。まぁ、宮家組のアホの下っ端が流したガセ情報に踊らされて、オレに会いに来たのは好都合だったけどな」


 言って、また口許だけで笑う。


「でも、貴方が犯人じゃないなら、僕は…例えヤクザが相手でも、行きます」


 まだ頭がクラクラしていたけど、なんとか立ち上がる。と、その瞬間、またしても鳩尾に衝撃が走った。


「人の話は最後まで聞け。殺すぞ?」


 僕が悶絶している上から、無情な声が響く。


「…ゲホ、ふ、普通に、呼び止め、て…ください、よ」

「黙れクソガキ。お前は俺にわざわざ家族を頼むと言ってきた親父の思いを無駄にする気かよ。それに、残された人間の辛さを誰よりも知ってんのはお前だろうが?お前には、生きる義務があるんだよ」


 そう言いながら、僕が落とした封筒から一枚の紙切れを抜き出して、こちらに差し出してきた。それは真面目で優しかった父の字で書かれた手紙だった。

 無言でその手紙を読む。そして、読み終わると同時に涙が流れだした。

 真面目な父の事だから、僕らを遺してすまないだとか、母さんを頼むだとか、そんな事が書かれていると予想していた。

 例えそんな内容だったとしても僕は泣いてしまっただろうけど、その手紙には、謝罪も、誰かに責任を押し付ける事も、何も書かれていなかった。

 ただ淡々と今回の事件の内情を書き、家族の今後の方針を書き、僕の行動を読んでいたのか、復讐の無益さをこれまた淡々と説いていた。そして、最後にはこう締めくくられていた。


「葵さんを大事にしなさい」


 正直、信じられなかった。父は葵と面識もあり、一緒に家族で食事をした事もある。だけど、父が僕に対して葵の事を何か言う事は一度もなかった。と言うよりも、話題にのぼる事すら無かったのに。

 そんな父が、最後に書いた言葉がそれだった。父が死んだと分かった時ですら殆ど泣けなかったのに、それを読んだだけで涙が止まらない。

 本当に枯れ果ててしまうんじゃないかと思う程だ。


「お前が復讐なんて考えなけりゃ、オレもわざわざ出ばるつもりも無かったんだけどな。下手に真相に近付いちまったから、お前にまで危害が及ぶ可能性が出ちまったんだよ」


 そう言って煙草の火を踏み消す。


「宮家組の奴らは、その書類の在りかに気付いてなかったのに、お前がちょろちょろ嗅ぎ回って宮家組の下っ端と繋がり持っちまうし。今回の事件の裏に気付いちまったら、次に狙われるのはお前だろ?まったく、面倒かけやがって」


 言葉とは裏腹に、アイゲツの顔は微かに笑っていた。


「父は…何か言っていましたか?」

「何も。ただ書類と家族を頼むとしか言っていなかったぜ。…まったく、死を覚悟した人間ってのは強いな。どっかのクソガキな誰かさんとは違ってな」


 本当にその通りだ。父は死ぬまで立派だったのに、その息子の僕はなんて不甲斐ないんだろう。周りを見る事も無く、ただ自分の感情に任せて突っ走っていただけだ。

 落ち込む僕を見下ろしながら、アイゲツは古着屋で会った時の様な笑顔で言う。


「まぁ、後十分もすればカタが付くから心配するな。動くなよ」


 言葉の意味がいまいち理解出来ない内に、アイゲツは無造作に僕が落としたナイフを拾い上げた。

 そして、僕に背を向けた瞬間に視界からアイゲツの姿が消えた。


「あれ?」


 と、僕が口にしたと同時に何かが弾ける様な音が響く。それが何か分からない内に、さっきまでアイゲツが立っていた場所の地面に無数の穴があいた。

 拳銃?!発砲音はしなかったけど、多分拳銃だ。


「ぎゃあッ」


 突然誰かの悲鳴が聞こえた。その悲鳴を皮切りにするかの様に、この静かな港に次々と男の短い悲鳴が鳴り響く。

 数えていた訳ではないけど、多分二十回程悲鳴が聞こえた後にアイゲツがコンテナの隙間から出てきた。


「第一陣はこんなもんだろ」


 アイゲツの持つ大振りのナイフは赤く染まっている。しかし、真っ白なパーカーには一滴も血は着いていない。

 そんな現実離れした光景をぼんやり見ていると、今度は車が近付いてくる音が聞こえた。それもかなりの数だ。


「大将のお出ましかな?」


 にやりと笑うアイゲツの顔が、無数の車のヘッドライトに照らされる。


「こんだけいれば、天下の哀月様もおしまいだろ?」


 一台の車から降りたスーツを着た男がアイゲツに向かって言う。その後ろには、十台以上の車から、まるで蟷螂の子供みたいに沢山の人が出てきた。


「さっさと死んで書類渡しな」


 言って、アイゲツに銃口を向ける。引き金を引かれれば死ぬかもしれないというのに、アイゲツは全然気にしていないかのように突っ立ったまま口を開く。


「素人が何人集まったって同じだよ。ジャニス」


 言い終わる時には、拳銃を構えていた男の後ろにいた人達の中で、立っている人は一人もいなかった。暗くてよくは見えなかったけど、金色の何かが走り抜けたように見えた。


「なッ!?」


 拳銃を構えていた男が異変に気付き、咄嗟に振り返ろうとするが、その男の喉元にはすでに鈍く光るナイフがあてられていて、一瞬にして、見事に動きを封じられていた。


「流石はジャニスだな。オレ仕事が早い奴って大好き♪」


 さっき見た金色の何かは、金色の髪だった。更にその金色の髪の持ち主は女の人だ。

 その女の人は、男の喉元にナイフをあてたまま無表情で言う。


「私は軽口ばかりの男は嫌いだ」

「はいはい、知ってるよ」


 アイゲツは笑いながら男の前に立つ。金髪の女の人の持つナイフはいつでも男を殺せる位置にある。


「てめぇ、宮家組に手出してタダで済むと思ってんのか!?」


 身動き出来ないにも関わらず、男はアイゲツに向かって睨みをきかせる。


「それこっちの台詞だぜ。崎野を殺すだけならともかく、その家族には手を出すなよ。それしちまったらお前らはオレの仕事の邪魔したって事になるんだからな」

「ふ、ふざけんな!」


 アイゲツは呆れた様に言う。


「ふざけてなんかいねぇよ。とりあえずだ、お前をみせしめにするからよろしくな」


 言い終わると、アイゲツは右手に持ったナイフで男の首を切った。男は妙な声をあげたかと思うと、血を流しながらその場に崩れ落ちる。

 まるで自分の部屋でテレビのリモコンでも取るかの様な、余りにも自然な流れだった。


「ジャニス、悪いんだけどさ、コレ宮家組に届けといてよ」


 言って息絶えた男を指差す。


「貴様が自分で行けばいいだろ」


 金髪の女の人はアイゲツを睨んだ。が、一つ溜め息を吐いた後、面倒臭そうに男を担ぎ上げて殺された男達の車の一つに乗り込み、そのままどこかへ行ってしまった。

 目の前で起きた事なのに、まるで現実味がなかった。人が、こんなにも大量に殺されたというのに。


「悪かったな」


 アイゲツは僕に向き直り、一言そう言った。


「何が…ですか?」


 多分僕の顔はほうけた様になっていて、かなり間抜けな顔をしていたと思う。


「さっさとカタ付けたかったからな。お前と書類を餌にして、あいつら呼び寄せたんだよ。まぁ、どうせ死ぬつもりでオレに会いに来た訳だし、結局死ななかったんだから結果オーライだろ?」


 そう言って、ははっ、と笑う。


「そうですね…」


 僕は握りしめたままだった、父の手紙に目を落とす。


「さぁ~て、仕事も一段落した事だし、帰って酒でも飲もうかな〜」


 僕に背を向け、猫の様にのびをする。と、思い出した様に再度僕の方に向き直る。


「ああ、そうだ。もう大丈夫だと思うけど、もし何かいちゃもん付けて来るヤツがいたら連絡しな」


 そう言って僕に名刺を差し出してきた。受け取ったその名刺を見て、僕はちょっと吹き出してしまった。


「本当になんでも屋なんですか?」

「当たり前だろ?そこにちゃんと書いてあるだろうが」


 そう言うアイゲツの顔も笑っている。

 僕は立ち上がり、アイゲツの目をしっかり見る。


「父の仇を討ってくれてありがとうございます」


 そしてお辞儀をした。


「これも仕事だよ」


 アイゲツの声が聞こえて僕が顔を上げた時には、目の前にはもう誰もいなかったーーー




「………かさ、つかさッ!」


 ああ、僕が呼ばれてたのか。今読んでいた本から顔を上げると、そこには葵がいた。


「もう、何回呼べば気づくのよ。百回は呼んだわよ!」


 いやいや、百回は言い過ぎだろう。………って、何かデジャブが。


「ごめんごめん。小説って読み出したら止まらないよね」


 手に持っていた外国の小説を本棚に戻していると、何やら視線を感じて葵に顔を向ける。


「なんか…スッキリした」

「…何が?」

「司の顔」


 言葉を交わしながらも、葵はまじまじと僕の顔を見てくる。


「ちょっと、恥ずかしいよ」


 三年間付き合っているとはいえ、お互いの顔をこんな風にまじまじと見る事など無かったから、流石に恥ずかしくなってきた。


「昨日、あれからどこ行ってたの?いきなり用事が出来たとか行って、私を無理矢理ウチまで送ってさ」


 言って、わざとらしくちょっと怒った様な表情を作る。こういう顔をする時の葵は、本当は怒ってなんかいない。僕の事を心配してくれているのに、照れ隠しでこういう表情をするんだ。


「浮気でもしてたんでしょ?」

「まさか」


 軽く笑い飛ばした後にちょっと考えて続ける。


「ここ最近…色々あったんだ」

「うん」

「ちゃんと整理も済んだし、今日全部話そうと思って」

「うん」


 昨日あれから葵にどう話そうかあれ程考えたのに、いざとなると言葉が浮かばない。

 例えどんな言葉で伝えたとしても、僕が馬鹿な事をしていた事に変わりはないのだし、下手をすれば、葵を呆れさせてしまってフラれるかもしれない。


「お腹空いたね」


 言葉を探し続ける僕に、葵は笑いかけてきた。


「言っとくけど、司がばかでおっちょこちょいで、熱くなったら周りが見えなくなる事ぐらい分かってんだから」


 葵は変わらず笑顔を僕に向ける。


「けど、司のおじさんと同じで、曲がった事が嫌いで馬鹿正直な事も知ってる。だから…私は司を信じてるよ。例え良くない事をしてたとしても」


 泣きそうだ。多分葵は、僕が何をしていたか薄々気付いていたんだろう。

 なのに、僕を想って、僕を信じて………。


「顔、くしゃくしゃになってるよ」

「…うん」


 おもいっきり我慢しても涙が流れてしまった。死ななくて本当に良かった。葵を残して死ぬなんて、出来るはずもなかった。


「ほら、私お腹空いちゃったからどっか食べに行こ」


 言ってハンカチを渡してくれた。そして、どちらともなく手を繋ぎ、二人で歩き出した。






 了

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