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香住と

 私は写真を撮るのが好きだ。よく街角のベンチに腰掛けて、カメラ片手に道行く人をパシャパシャ撮っている。

 陽気な外国人とかは、たまに私の姿に気付くと変な踊りをしたり、手を振ってきたりもする。

 写真はいい。嘘をつかないし、今そのままを残せるから。


 まぁ、日本人は基本的に内向的だから、私の行為を良く思わない人もいるみたいだけど。

 ああ、それに私の格好にも問題あるのかな?友達にはよくハデ過ぎるとは言われるけど。

 髪はブリーチとカラーで遊んでたら、今の色になっただけだし、この真っ赤なボンテージパンツは大のお気に入りだ。それにこの柄シャツだって、カラフルで可愛いし。


 私は周りの人に変わってるって言われる度に、二十歳の女の子はこんなもんよって言い返すけど、正直自分でも変わってるかなとは思っている。

 まぁそんな(自称)普通の二十歳の女の子な私は、今気になっている人がいる。

 とは言っても、腫れた惚れたじゃなくて、その人が何者なのかが気になっているんだ。


 ―――事の始まりは、私がいつもの様に街角のベンチで座って、スクランブル交差点の横断歩道を行く人々を撮っていた時だ。

 始めは何気なく数枚パシャパシャ撮っていた。すると、カメラのフィルター越しに私の眼に異様な人が入ってきた。


 多分二十代後半の男の人で、髪は真っ黒だけど、パンクバンドの人みたいに真上に逆立てて、上着はヤンキーが着る様な腕の所に炎みたいな、変な模様が入った真っ白なパーカー。

 更にパンツは今時どうなの?と思う様な、ちょっとツヤの入った革パンツ。


 そして、その男の人の隣には綺麗な金髪の女の人。

 冷めた様な顔してるけど、顔立ちは驚く程綺麗でハーフみたいだ。金髪が異様に似合っている。女の人は多分二十代前半ぐらいかな。


 とにかく、その二人を見た瞬間、私はシャッターを切りまくった。(後で数えると、二十枚も撮っていた)

 始めは男の人の異様な格好や、女の人の綺麗さに反応したのかと思った。

 だけど、違う。この二人は普通の人が絶対に出せない様なオーラが出ているんだ。


 無我夢中でシャッターを切って、ふと顔を上げると、いつの間にか男の人がこっちを見ている。


「やばっ!」


 私は超高速でカメラをしまって、一目散にその場を後にした。


 あの時、無意識にヤバイと思った。何故かは分からないけど、逃げなきゃいけない気がした。

 そして家に帰ると、無性にあの二人の事が気になりだした。自分の家という安全な場所に帰ったからか、何故逃げなきゃ、と思ったのかも不思議でならなかった。


 そして、私は今自分の部屋の机で一週間程前に撮った、二十枚のその写真を見ている。


 私の名前は香住(かすみ)

 写真から彼らに出会った女。




 ピピピピ…ピピピピ…


「う~ん………」


 …眠い…。


 ピピピピ…ピピピピ…


「あっ!!!!」


 慌ててベッドから跳び起き、さっきから鳴り続けている携帯を取り通話ボタンを押す。


「香住!アンタ寝てたでしょ!!」

「ごめん!すぐ仕度する!!」


 言って、携帯を放り投げて慌ててクローゼットに向かう。

 やば。昨日例の写真を眺めてたら、気付いたら真夜中だったんだよね。十時に待ち合わせだったっけ。

 チラリとベッド脇の置き時計を見る。


「あぁ~!もう十時半じゃん!!」


 着替えの速度を早める。




「ごめん!待った…よね?」

「私より楽しみにしてたアンタが寝坊してどうすんのよ?」


 呆れ顔のこの娘は美樹。私と違って、至ってシンプリなジーンズにロンTで、髪も少し茶色いだけだ。軽くブローしただけで様になるから羨ましい。

 美樹も写真が大好きで、中学校の時から、変わり者と言われてた私にずっと付き合ってくれてる親友だ。


「じゃ、行こっか♪」


 今日だって一時間以上待たせたのに、いつもこんな風にサッパリ許してくれる。

 女の私から見ても、いい女って感じがする。


「今日マジ楽しみだね♪」

「うん…」


 今日は私の大好きな写真家の写真展が家の近くで開かれるので、結構前から美樹と一緒に行く約束をしていたのだ。


「どうしたの?あんなに楽しみにしてたのに、全然元気ないじゃん」

「えっ?!そ、そんな事ないよ。マジ楽しみだね♪」


 流石は五年以上の付き合いだ。美樹に隠し事は出来ない。


「そっか、ならいいけど。急ごっか」

「うん」


 それでも、無理には聞いてこない所が皆に好かれる所以なんだろな。やっぱりいい女。(笑)

 お喋りも程々に、私達は写真展が開かれている会場に急いだ。




 昨日の晩、あの写真を見ていて気付いた事がある。

 例の綺麗な女の人は、どの写真をみても無表情は変わり無いんだけど、男の人の方が怖いと感じた。

 どの写真を見ても、笑いながら女の人に話し掛けているんだけど、眼だけは笑ってない。


 更に、最後に撮った写真。

 ちょうど私の方を振り向いた瞬間の写真だけど、それまでの笑顔とは打って変わって、とても冷めた顔をしている。

 これは私の気のせいだと思うけど、私が写真を撮っている時、始めから私に気付いていて、ピタリと私の方を見た気がする。

 流石にあんな街中の雑踏で気付くとは思えないんだけどな。


 しかも、見られた瞬間『殺すぞ』って言われた気がした。

 それこそ私の勘違いだろうけど、何か得体の知れない恐怖を感じたのは確かだ。


 一体何者なんだろう…。


「…すみ………香住?」

「………え?」


 完全に物思いに耽っていた。


「ちょっとアンタ本当に大丈夫?さっきから、私が何言っても、うんだのはぁだのしか応えないし…」

「あ、ごめん。大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけだから」

「まぁ、大丈夫ならいいけど…」


 駄目だ。考えてもキリがない。とりあえずあの写真の事は置いといて、今日は美樹と写真展を楽しまなくちゃ。

 そう思い直し、美樹に話し掛ける。


「そういえば、美樹の年上の彼氏は最近どうなの?」


 言った途端、今度は美樹の顔が曇る。やばっ、まだ仲直りしてないんだ…。


「ここ最近は、全然連絡も取れないんだ…」


 美樹には年上の彼氏がいる。どんな人なのかとか、何故か全然教えてくれないけど、最近はうまくいってないらしい。

 二十年間彼氏が出来た事の無い私は、こんな時何を言ってあげればいいか分からない。


「だ、大丈夫だって!多分仕事かなんかが忙しいんだよ。すぐ仲直り出来るよ」

「うん。そうよね…」


 大失敗だ。こんな話題振るんじゃなかった。


「あ、ほら会場見えてきたよ」

「…まぁ、ウジウジ考えてもしょうがないし、写真展楽しもっか!」

「うん!」


 こんないい娘を悲しませるなんて許せない。私もさっさと切り換えて、今日は美樹の言う通り写真展を楽しまなくちゃ。




 ーーー凄い。


 私は会場に入ってすぐに見た一枚目の写真を見て息を飲んだ。

 その写真は何の変哲もない、どこか異国の農村の風景だったが、何故かそう思った。

 写真の中の風景はどちらかと言うとほのぼのしているし、撮り方もその風景に合わせた綺麗な物なのに、何かが違う。

 強いて言うなら、写真を撮る人の人間性が出ていると言えばいいか。


 その写真を過ぎて行く人達は、綺麗ねとか、この写真の撮り方は~、だとか言っているけど、違う。

 何かもっと暗く深い気持ちが伝わってくる気がする。


 ふと気がつくと美樹が居ない。どうやら一枚目から写真に見入ってしまった私を置いて行ってしまったらしい。

 慌てて周りを見渡した私に男の人が声をかけて来た。


「君、この写真が好きなの?」

「え?」


 後ろから声をかけられたので慌てて振り返ると、そこにはボサボサの頭で妙に病的な感じの男の人が立っていた。

 というか、本当に病気なんじゃないかと思うほど頬はこけて、ガリガリに痩せている。

 …なんかどっかで見た気がする。


「あっ!!」


 思わず声が出てしまった。見た瞬間は何この人と思ったが、よくよく顔を見てみると、今見入っていた写真を撮った人、憧れの田辺章一ではないか。

 雑誌などのインタビューで顔写真は何度も見たのに、一瞬誰か分からなかった。


 …こんなに痩せてなかったと思うけど、病気なのかな。

 実際周りを行く人達は、この写真展の主役がいるというのに、まったく気付かず通り過ぎていく。

 まさかいきなり初対面で病気ですかとも聞けず、憧れの人が目の前に居る事に緊張しながらも聞いてみた。


「この写真…何を思って撮ったんですか?」

「これは僕の一番のお気に入りなんだ」


 田辺章一は言って写真を見た。


「君は普通の人とは違う眼を持ってるみたいだね」


 言いながら私に視線を戻す。よく分からない話の流れに戸惑ってしまい「いえ…」しか言えなかった。

 そんな私の思いを知ってか知らずか、田辺章一は滔々と話す。


「周りの人達は、僕の写真を見て綺麗だ美しいだと言ってくれるけど、それは本当のところ僕の写真を正当に評価してくれているとは僕は思っていない」

「…」


 黙って聞く。


「本当は被写体は何だっていいんだ。それこそレンズカバーをしたまま真っ暗な写真を撮ったっていい。ただそこに僕の狂気を写せれば」


 確かに、この写真には得体の知れない、まさにこの前あの交差点で写真を撮った時と同じ様な恐ろしさと、同時にそれでも見ずにはいられないかの様な雰囲気がある。


「狂気…ですか」

「そうさ。人は誰でも心の内に狂気が潜んでいる。ただそれを前に出すか出さないか、の違いでね。僕の場合は写真を撮るのが好きだから、その狂気をフィルムに納めているだけの話なんだ」


 私は初めて田辺章一の写真を見た時から、他の写真家とは何か違う物を感じていた。

 でも、狂気って…。

 何も言えずに黙っていると、スーツを着た女の人が田辺章一に話し掛けた。


「例の件であの方がお見えです」


 話しぶりからすると、どうやら仕事の話しみたいだ。


「分かった。すぐ行く」


 田辺章一はそう言って私に振り返って


「全ての人が君の様に、僕の写真を見る眼があればいいんだけどね。じゃあまた」


 と言って踵を返して歩いて行った。


「…変な人だなぁ」


 私は思わず呟いて、何気なく田辺章一の後ろ姿を見ていた。

 すると、いきなり横の通路から女の子が飛び出して、田辺章一の腕を掴んだ。

 えっ!?何事??

 二人の男女が何か短く言い合った後、女の子の方が泣きながら走って行った。


 …って、美樹!?今泣きながら走って行ったのは間違いなく美樹だ。どうしたんだろう?てゆーか、美樹ってば、田辺章一と知り合いなの??え?なんで??

 頭が大パニックを起こしながらも、とりあえず展示会の人込みをかき分けて美樹を追った。




「はぁはぁ…」


 膝に両手をついて肩で息をしても、日頃の運動不足で落ちた体力は回復しない。


「はぁ…美樹どこ行ったんだろ…」


 人込みを抜けている時に美樹を見失ってしまった。顔を上げて会場の入口の周りを見渡してみても、どこにも美樹の姿は無かった。


「まったく最近の若い子は足がはえ~な」

「うわぁっ!!」


 いきなり真横から声がしたので、変な声を出してしまった。恥ずかしい…誰だろ?

 横を向くと背の高い男の人が、さっき私がしていたみたいに周りをキョロキョロ見て…


「あぁっ!!!」

「よ、孔雀女♪」


 そう言って片手を挙げる男の人は、この前の交差点の写真の人じゃない!


「く、くじゃくおんな?」


 いきなり現れて、訳の分からない事を言われて頭が混乱している。


「あんたの頭と服」


 言われて、私のカラフルな出で立ちが孔雀みたいだ、と言われた事に気付いて、何故か無性に恥ずかしくなった。


「まったく、いきなり街中でパシャパシャ写真撮られてたから、また誰かに狙われてんのかと思って撮ってるやつ見たらカラフルなガキんちょだし、そのカラフルガキんちょがこんな所で追っかけっこなんかしてるし、何してんの?」

「...え...いや...」


 開いた口が塞がらない。眼は濃いサングラスをしてるから分からないけど、この前写真を撮った時の様な、身震いするような恐怖はこの男の人からは感じなかった。

 いきなりの再会(?)にビックリしたけど、あまりの雰囲気の違いに拍子抜けして、私は聞いてみた。


「…あなた、何者なんですか?」

「ははっ。いきなり失礼なやつだな。わたくし、こういう者です」


 確かに初対面の人にする質問じゃないけど、男の人は気を悪くするでもなくポケットから名刺を差し出してきた。


「…なんでも屋KANATHUKI?この名前カナツキさんって読むんですか?」

「いや、アイゲツだよ。つーか、あんたさっき走って行った子と知り合い?」

「…友達ですけど」


 …やっぱりこの人なんか怪しいな。


「じゃあそこのサテンでお茶でもしよっか?あ、因みにナンパじゃねーよ。オレ年上好きだし」


 …あ、怪しすぎる。


「まあ、なんだ。なんとなくあんたは知ってもいいんじゃないかと、思うんだよ」

「!!」




 …結局気になってついて来てしまった。


 入った喫茶店は外側はひっそり目立たない感じだったのに、内装は木製の机やカウンターで、暖色系を使ったなかなか綺麗なお店だった。


「まぁ好きなの頼みなよ」

「あ、…はい」


 この哀月という人は美樹の事を何か知ってるみたいだ。直接本人に聞きたいけど、美樹ってば携帯切ってるみたいだしな…。

 ぼんやりメニューを眺めていたら店員さんが注文を取りに来た。哀月さんはブレンドコーヒー。私も慌ててアイスコーヒーを注文する。


 店員さんが去っていくと、私は周りを見回した。今座っている席は、このお店でも奥まった所に作られたボックス席で、他のお客さんからはこの席の様子が分からない様になっている。


「あの…」

「あんたはあの子とどれぐらい仲いいの?」


 こちらから質問しようと思っていたのに、先手を取られてしまった。


「オレが思うにあんたら俗に言う親友ってやつだろ。オレ人間観察好きだから、そうゆうの分かるんだよね♪」

「あ、はい…」


 美樹は私の唯一の友達。変わり者の私といつも一緒に居てくれる大親友だ。


「あの、美樹何かあったんですか?」

「あの子は今晩死ぬよ」


 …は?美樹が死ぬ?

 この人は何を言ってるんだろう?

 今日あんなに元気だったのに。


「な、なんでですか?!」

「オレが殺すから」

「こっ!?」


 殺す?


「なんで!?」


 訳が分からず語尾が熱くなる。


「それが仕事だから」

「し…ごと…?」


 …美樹が殺される?この人に?


「オレは仕事は確実にこなすよ。だからあの子は確実に死ぬ。だけど、あんたは親友なんだからいきなりあの子がいなくなったりしたら悲しむだろ?だから教えてみた」


 意味分かんない!いきなりこの人なに言ってんの!?

 …そういえばこの人仕事って言った。


「仕事って事は誰かに頼まれたんですか!?」

「そうだよ。流石に誰かは言わないけど」


 私は堪らず席を立つ。バッグから財布を取り出して乱暴にお金を置く。


「タチの悪い冗談です!失礼します!」


 テーブルを離れる瞬間にチラリと見えた哀月さんの顔は、少し笑ってる様に見えた。




 小走りに歩道を抜けながら考える。


 多分哀月さんは本気だ。なんでも屋ってのも怪しいし。それに、哀月さんはあれ以上何も教えてくれないだろう。

 …だったら私が動かなきゃ!ついには走りだし、美樹の家を目指す。




「美樹帰ってますか?!」


 美樹の家のチャイムを押して、出て来た美樹のお母さんはいきなり問われて驚いた様だったが、私が美樹の親友だと知っているので、心配気に聞いてきた。


「美樹になにかあったの?」

「あ、いえ…」


 勢いで来たはいいけど、何をどう言ったらいいのか。


「帰りにはぐれちゃって、携帯も繋がらないんです」


 美樹のお母さんは少し考えてから、にっこり微笑んで言う。


「もしかしたら美樹も香住ちゃんの事捜しまわってるのかもよ?」

「そ、そうですね…」


 駄目だ。こんな訳分からない状況で説明なんて出来ない。


「上がって行く?多分待ってたらそのうち帰ってくるでしょ」

「あ、いや、私もう少し捜してみます」


 そう言うと、ぺこりとお辞儀をして美樹の家を後にした。




「ダメだ…」


 夜の公園のベンチに座りうなだれる。時間はもう十時半だ。

 哀月さんは今晩とは言ったけど、時間は言わなかった。もしかしたら美樹はもう…いやいや、弱気になっちゃ駄目だ!でも......

 うなだれてぼんやり地面を見ていた私の視界に人の足が入ってきた。


 誰?


 顔を上げると、そこには写真の哀月さんの隣にいた女の人がいた。月明かりに輝く肌は真っ白で、顔を縁取る金髪が透けてとても幻想的だった。そして美しかった。

 一瞬美樹の事も忘れて、今カメラを持っていない自分に腹が立った程に。


「…来い」


 それだけ言うと、女の人はスタスタ歩いていってしまった。はたと我に返り、美樹の事を思い出して慌てて女の人を追いかけた。




 車で連れて来られた先は、町外れの至って普通なマンションだった。でも、人がいる気配がしない。

 小綺麗なマンションなのに、誰も住んでいないみたいだ。


「こっちだ」


 金髪の女の人は、ぼーっとマンションを眺めていた私にそう言うと、またスタスタ行ってしまった。この女の人は車の中でも、終止無言だった。唯一、私が名前を聞くと『ジャニス』とだけ返ってきた。

 外人さんみたいな顔してるし、名前もジャニスなんだったら日本語喋れないのかな?なんて考えていた。


 と、ジャニスさんを見失うとこだった。私は奥の角を曲がっていく金髪の人を追って行った。


 ジャニスさんはマンションの三階まで階段で上がり、手前から二つ目の部屋に入った。続いて私も部屋に入ると、そこには哀月さんがいた。


「よぉ、孔雀女♪」


 そう言って片手を挙げる。何が起きるのか全く分からないこの状況で、哀月さんのそのヘラヘラした顔はなんとも場違いと言うか、なんと言うか。


「…美樹は!?」

「いるよ。そこに」


 言って哀月さんが部屋の奥を振り返る。そこには、眠らされているのか、ぐったりしたまま椅子に縛り付けられている美樹がいた。


「美樹!!」

「おぉっと、ここまで」


 美樹に走り寄ろうとした私を哀月さんの腕が止める。


「離して!邪魔しないで下さい!!」

「ならあんたもオレの仕事の邪魔しないでよ」


 キッと睨みつけると、そこには無表情な哀月さんの顔があった。


 …凍り付いた。

 邪魔するならあんたも死ぬよ?

 そう聞こえた。

 口からではなく、心で。


 座り込んでしまい、身動き出来なくなった私を置いて、哀月さんは美樹の側に行った。


「まったく、こういうのはオレの趣味じゃないんだがな」


 言って美樹を縛る荒縄の端を摘む。すると、更に奥の部屋へ続く扉ががちゃりと開いたかと思うと、ぬっと男の人が出て来た。


「準備は調ったね」

「!!」


 カメラを両手で玩びながら出て来たのは田辺章一だった。


「な…んで…?」


 私の声に田辺章一が振り向く。


「何故部外者がいるのかな?」

「オレの独断だよ。邪魔はさせないから気にすんな」


 哀月さんの言葉が聞こえていないのか、虚ろな眼を細めて私を見る。


「………あぁ、どこかで見たと思ったら、会場にいた君か」


 田辺章一に見つめられた私は鳥肌が立った。総毛立つ、とはこういう事か。哀月さんの眼とはまったく違う、でも人に恐怖を与える眼。狂った人間の眼だ。


「まぁいいか。始めよう」

「ちょっ…」


 必死で恐怖を払いのけ、立ち上がりながら叫ぶ。


「何するの!?美樹を返して!!」

「それは出来ないな。美樹は僕の物なんだから」

「ど、どういう事よ!?」


 田辺章一に近づこうとした私をジャニスさんがさりげなく遮る。が、構わず続ける。


「美樹は物じゃない!私の大事な親友なんだから」

「…ああ、そうか!君が美樹がよく言っていた香住って子か。なら知っているんじゃないのかい?僕は美樹の彼氏だよ」

「え...?」

「愛する彼女をどうしようと彼氏である僕の勝手だろう?」


 …これはヤバい。

 やっぱり全然普通じゃない。

 しかも彼氏なら彼女に何してもいいなんて、狂ってる。


「今日美樹泣いてたじゃない!女の子を泣かせる男なんて最低じゃない!!」


 田辺章一があごを撫でて考えるそぶりをする。


「美樹はカンがいい子だからね。今日の計画は絶対にばらしたくなかったんだ。美樹をビックリさせる為には多少冷たくしても、突き放す必要があったんだ。僕は嘘をつくのが苦手だしね」

「…何を、するつもりなのよ?」


 椅子に縛り付けて美樹が喜ぶハズなんてないのに、どうしてこの人はこんなに嬉しそうに話すんだろう?

 あたかも彼女に内緒でプレゼントを用意するかの様に。


「美樹の死をフィルムに納めるのさ」

「!?」

「最愛の人の死をフィルムに納める。これこそが僕の究極の作品になるんだ。」

「…そんな!殺される美樹の気持ちは考えないの!?美樹はあなたの事で凄く悩んで…」

「これこそが、僕の、最高の愛情表現さ」


 …やばいやばいやばい!とりあえず美樹を起こさなきゃいけない。でも美樹の所に行こうにも、ジャニスさんが廊下を塞いでいる。


「美樹!起きてよ!美樹!!」


 ありったけの声で叫ぶ。


「………ぅん…?」


 反応があった!!


「美樹!!」

「………か、すみ?」


 美樹がだるそうに顔を上げる。

 やった!起きた!!


「…え?やだ、何これ…!?」


 美樹は椅子に縛り付けられている事に気付き慌てる。そして、周りを見回す。


「…し、章一さん?」


 田辺章一の姿を見つけ、茫然とする。


「やぁ、美樹。気分はどうだい?」

「ちょ、これどうゆう事?何で私縛られて…」

「美樹!そいつヤバいよ!!美樹殺される!!」

「…え?」


 相変わらず茫然とした顔で、美樹は田辺章一を見る。


「今日は素晴らしい日だよ、美樹。これから君を殺してその姿を僕のフィルムに納めるんだ。それによって、僕と君の愛は永遠の物となるんだ」

「…私死ぬの?」

「ああ。だけどそれは永遠の愛の始まりなんだよ」

「美樹!!!」


 また美樹に走り寄ろうとして、ジャニスさんに止められる。くそっ!ジャニスさんこんなに細いのに、なんて力なの!焦りが濃くなる。


「章一さん……私の事まだ愛してくれてたの?」


 ………え?


「もちろんだよ。僕には美樹、君しかいないんだ。今日僕らの永遠の愛が始まるんだ」

「…良かった。」


 …何を言っているの?

 美樹、その人あなたを殺すのよ?


「み、美樹?!」

「…香住。今までいっぱいありがとね」

「美樹!!」


 頭が混乱して名前を呼ぶ事しか出来ない。


「…そろそろいいかい?」


 おもむろに哀月さんが美樹の横に立つ。美樹は恍惚として田辺章一を見つめたままだ。


「苦しまない様に頼むよ。美樹は僕の大切な人だからね」

「ああ、分かった」


 言うと同時に哀月さんが動いた。

 何も見えなかった。


 哀月さんがポケットに入れていた手を出したかと思うと、美樹の首から血が噴き出した。

 その瞬間を待っていたとばかりに、田辺章一は愛用のカメラでシャッターを切り続ける。

 美樹から出る血は、縛られた身体の代わりとでも言う様に田辺章一の身体にだけ降り注いだ。

 美樹は首を切られて苦しいはずなのに、愛おしい人を見るかの様に田辺章一を見続ける。


 私は動けない。

 今親友が殺された。


 なのに狂ったこの光景を、ただ見る事しか出来なかった。




 やがて、血を流し続けた美樹は死んだ。

 何故か涙は流れなかった。




「世話になったね」


 思う存分写真を撮った田辺章一は、哀月さんに向き直り礼を言った。


「金は確認出来てる。…これも仕事だよ」


 哀月さんは田辺章一を見ようとはせず、美樹の亡きがらを見ながら吐き捨てる様に言った。


「さあ、最後の仕上げも頼むよ」


 自分の愛する人を殺してまだ何かあるのか。次第に怒りが込み上げて来た。恐怖はもう無かった。


「…」


 すると哀月さんは何も言わずに田辺章一の首を美樹と同じ様に切った。

 田辺章一は清々しい程の笑顔で、美樹と同じ様に血を流しながら美樹の亡きがらに倒れていった。




 田辺章一がピクリとも動かなくなってからも、私は暫く二人の亡きがらを見ていた。


「狂ってる……この男も、美樹も………」

「まったく、こっちも後味悪すぎだぜ」


 私の印象ではいつも敢えてヘラヘラしている様に見えた哀月さんも、苦い顔で二人を見ている。


「あなたは…いつもこうやって人を殺してるんですか?」

「ああ」

「何で…?人を殺しても、何も思わないの…?」

「それが仕事だ。それに、そんな感情忘れたよ」

「何で…」


 今更涙が溢れてきた。もう美樹はいない。その事実が奥から込み上げてきて、堪らなく胸が苦しくなった。


「オレは愛情なんて興味ない。まして殺したい程好きだなんて意味不明だしな」


 哀月さんを見ると、まだ二人の亡きがらを見ている。


「だからこの二人はオレからすれば訳分かんねーけど......あんたは、大丈夫だろ?」


 サングラスを外しながら哀月さんが私に振り向く。

 二人の眼が合う。

 あんなに怖いと思ったその瞳は驚く程綺麗で、深い哀しみが見えた。


「あんたは狂うなよ」


 そう言われた途端に、更に涙が溢れて哀月さんの綺麗な眼はぼやけて見えなくなってしまった。

 この人はこんな狂った世界に身を置きながら、全く狂ってなんかいない。むしろ狂っているのは私達が普段生活しているこの世界の方だ。

 だから田辺章一の様な…美樹の様な人が生まれるんだ。


 この不思議な男の人に出会えて良かった。その思いを最後に、私は気を失った。




 美樹がいなくなってから一週間が過ぎた。

 あの日の翌日、美樹と田辺章一は警察に発見された。匿名のタレコミがあったらしく、警察が駆け付けてみると二人の遺体は寄り添って亡くなっていたらしい。

 哀月さんは一体どんな手段を使ったのかは分からないけれど、他殺という言葉は一切出なかった。


 そして私は今、久しぶりにカメラを持って街角のベンチに座っている。けれど、今日はまだ一枚も撮っていない。

 未だに狂った様に写真を撮り続ける田辺章一の姿が頭から離れない。


 …トラウマになりそう。


 何処か他人事の様に思っていると、いきなり真横から声がした。


「よ、元・孔雀女♪」


 突然の再会だったし、またまたいきなり真横から声を掛けられたので内心ではかなり驚きながらも、至って平常なフリをしてゆっくり哀月さんの方を向いた。


「その怪物みたいな呼び方、どうにかならないんですか?」

「事実を言って何が悪いんだよ?」


 あの日の哀月さんが嘘の様に、また出会った当初の軽い哀月さん(失礼かな?)に戻っていた。


「今の方が似合ってるぜ」


 そう、私はあの日以来頭を黒く染め、服装も至ってシンプルなジーンズにTシャツを着ている。

 前の格好(哀月さんいわく、孔雀姿)は、今思うと多分私なりの防衛手段だったんだと思う。自分の周りの世界に怯えて近寄らせない為の。


「てゆーか、あの日私どうやって自分の部屋に戻ったんですか?お母さんも、あんたいつの間に帰ってたの?とか言うし」


 努めて明るく聞いてみた。実際眼が覚めると朝になっていて、服装こそはそのままだったけど間違いなく自分の部屋のベッドで寝ていた。前日走り回ったお陰で、全身筋肉痛だったけど。

 哀月さんはニヤッと笑って(サングラスをしているので、相変わらず眼は見えないが)


「企業秘密♪」


 とだけ言って私の横に座りながら、私の手にあるカメラを見ながら言う。


「ちょっとそれ貸して」

「壊さないで下さいよ」


 冗談半分に言いながら、哀月さんにカメラを手渡す。


「このボタン押したら撮れる訳?」


 哀月さんは興味津々にカメラを眺めながら聞いてきた。


「この部分を回してピントを合わせて、そのボタン押すだけですよ」


 哀月さんは『ふ~ん』と言いながらレンズ越しに周りをキョロキョロしだした。

 私は何となしに、哀月さんがレンズを向けている方を見ていた。


 パシャッ


「え?」


 慌てて哀月さんの方を向くと、いつの間にか私にレンズが向いていた。


「脱・孔雀記念♪ってな」


 ニヤッと笑うと、哀月さんは『じゃあな』と言って私にカメラを渡し街の雑踏に消えて行った。

 …やっぱ変な人。手渡されたカメラをぼんやり眺める。全部見透かされている気がするなぁ…。

 哀月さんが行った方を見るが、もうあの奇抜な髪型をした変な人は見えない。多分もう会うことはないのだろう。

 それでも、私はあの人に出会えた事を忘れないと思う。


「ありがとう」


 誰にも聞こえない程の小さな声で言うと、愛用のカメラで彼が消えた方を撮った。





 了

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