ジャニスと
「はぁはぁ…はぁ…。撒いたか…?」
「それは気が早いんじゃないかな」
男が私を振り返り、驚きの表情を浮かべる。こいつは私が背後にいる事を全く予期していなかったのか、世の中そんなにも甘くはないんだがな。
大体、撒いたかと聞かれたから答えたのに失礼な顔だな。
「クソッ!死ねっ!」
クソはどっちだ。下手くそなナイフ振り回して。男のナイフをかわして再度後ろに回る。
それで、いつもの様に男の首に愛用のナイフを入れる。
動脈ごと気管も切ったら、ひゅっというような変な声を出した。続いて勢いよく血を吹き出す。
…やはり前から切らなくて正解。暫く呻いた後、倒れた男は死んだ。
………あぁ、やっと出て来やがった。
人にばかり仕事押し付けやがって…。
「終わった~?」
このヘラヘラした男は私の相棒。
…と、こいつは思っているようなんだが、私としては、この世界で一番鬱陶しい男、しかし腕は立つ。
名前は哀月。それしか名乗らない。
真っ黒な髪を重力に逆らって立てて、黒いタンクトップに真っ白なパーカーを羽織り、黒い革パンツを履いたイカれた男。いつもどこに潜んでいるか分からない。
今もいつの間にか真横にいやがった。
「見れば分かるだろう」
「やっぱジャニスは仕事がはえ~わ」
哀月のこの軽口はいつもの事。いちいち付き合っているとそれこそ時間の無駄でしかない。しかし、ヘラヘラしてるくせに、眼だけは絶対に笑わない。
「もう帰るぞ」
軽口にいちいち付き合ってられないし、私は踵を返して歩き出す。
「おいっ!ちょい待ってよ~」
哀月が言いながら、携帯を取り出した。多分さっきの男の処理の電話だろう。あの男はどこかに沈められるか、埋められるか、焼かれるのだろう。まぁ私には知った事じゃない。
今更人を殺す事に躊躇いなんかも無い。私はそういう風に育てられた。
私の仕事は殺し屋。
名前はジャニス。
哀月に貰った名前だ。
「まぁ楽な仕事だったな♪」
今回お前は何もしてないだろう。まあ、いつもの事なんだが。
「ジャニスも何か頼めよ?」
私の前のテーブルには水しか置かれていないが、哀月の前にはズラリと軽く五人前はあるだろうメニューの皿が並んでいる。ファミレスに入るなり、片っ端から持って来い、なんて馬鹿な頼み方をするのなんてこいつぐらいだろう。
「別にいらないよ」
ぶっきらぼうなのは、多分生れつきだ。
「そっか?」
言ってまた食い始める。一体この男の細い身体に、何故こんなにも物が入るのか。
………携帯の音だ。
「もし~?………あぁ?なんだそりゃ!………分かった。気を付けるよ」
哀月に眼だけで聞いてみる。
「なんかオレ狙われちったみたい♪」
またヘラヘラした顔で突拍子も無いことを言う。更に眼で聞く。
「なんかさ~、さっきの男から盗った情報が組絡みだったみたい」
ため息が出る。
「お前は情報の出所や内容も確認しないで仕事を引き受けるのか?」
「ん?知ってたよ」
更にため息が出る。やっぱコイツはアホだ。私も真っ当な事をしている人間ではないが、こいつは私など遠く及ばない程のアホだ。
「事務所に帰って、ちゃんと始めから説明しろ」
食べる事がそんなに大事なのか、顔も上げずに手だけひらひらさせる。
こいつのいい加減さは今に始まった事ではないが、面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。後できっちり絞ろう。
「ってな訳よ♪」
ひとしきり話し終えた哀月は、事務所のソファにもたれながら煙草をふかしている。
この街にはデカいヤクザが二つある。その一つの赤竜会が今内部で派閥争いをしているらしい。
それを知ったもう一つの宮家組が今がチャンスと、赤竜会を潰そうと内部の情報を集めていた訳だ。
要するに、ウチに仕事を頼んだのが宮家組で、今哀月を狙いだしたのが赤竜会だ。まあ、宮家組に加担した訳だから、狙われるのは当然だ。
「依頼に来たヤツも普通な姿を装ってたけどな。オレも一応ヤーサンよりかは裏で生きてるし」
普通ならこの日本でヤクザより裏があるのかと思うだろうけど、そこは納得出来る。
「で?お前はどう出るんだ、哀月?」
「別に。ふつ~~に依頼を遂行させて、お金たんまり貰うだけだよ」
…何を考えてるのかさっぱり読めない。
「まぁ情報の受け渡しは日付が変わって深夜3時半だ。その展開次第かな~」
言いながら煙草を灰皿に押し付けて、そのままソファに寝転がる。
「ジャニスも寝とけよ」
言われる迄もない。
全く哀月の人遣いの荒さには毎回ため息が出る。依頼品の受け渡し場所の廃倉庫に居るのだが、かれこれ待ち合わせの時間から30分は経っている。
プロなら取引の時間に遅れるのは有り得ない事だが、それ以前にアホの哀月は何処に行ったんだ。
車の音だ。…来たか。
「ご苦労さん。早速渡してもらおうか」
廃倉庫に入って来たのは明らかに堅気で無い、スーツを着た男たちだ。全部で5人。
今喋った男は、雰囲気から察するに、幹部クラスだろう。人を遣う事に慣れた感がある。
「金は?」
「ほらよ!」
言いながらアタッシュケースを滑らせてこちらに寄越す。同時に疑問が生まれた。
普通なら受け渡しはもっと慎重にする筈だ。金を持って逃げられるかもしれないのだから。それとも、哀月はそんなに信用されているのか?
とりあえず中身を確認すると、確かに予定通りの額が入っている。
疑問を感じながらも、金は確認出来た訳だから、こちらも物を渡さなければならない。上着の内ポケットから慎重にCD-Rを取り出すと、アタッシュケースの時と同じ様に床を滑らせた。
「確認しろ」
幹部らしき男は周りの男の一人にCD-Rを渡すと、渡された男は廃倉庫を出て行った。おそらく内容がでたらめでないか確認するのだろう。
「確認出来ました」
男が戻ると、幹部らしき男はおもむろにスーツに手を入れた。予想の範囲内とはいえ、ナメられたものだ。
「ありがとよ」
幹部らしき男が、言うと同時に拳銃を抜き取り私目掛けて弾を撃つ。
…やはりな。
弾が来ると分かっていれば、私には避ける事はたやすい。とりあえず背中にあったでかいコンテナの後ろに周り込む。発砲音のしない銃から吐き出された弾がコンテナに当たる。
ああ、全くもって面倒臭い展開だ。
「捜せ!絶対に生きて帰すな!」
物騒な事を言っている。情報さえあれば、もう用済みって事か。殺すから、金も戻ってくるって寸法だな。安直過ぎて、むしろ笑えてくるな。
男たちが走り回る音がする。
…さて、どうするか。
「おっまたせ~~♪」
―――この間抜けな声は…。
「なんだ、てめぇ!?」
「ハッ。貴様仕事依頼したヤツの顔も調べてなかったのか?」
コンテナからちょっと顔を出して見てみると、やはり哀月だ。
「取引は不成立だ。悪いけど宮家組の若頭さん、あんたには死んでもらうよ」
「なっ?!知っていたのか?!」
幹部クラスだとは思ったけど、まさか若頭とは。哀月の後ろの出入口から人が沢山入ってきた。
あれも堅気じゃないな。どういう事だ?
「宮家組がぁ!死ねや!」
「くそっ、赤竜会か!」
「若頭のタマとったるわ~!」
「若を守れッ!」
暑苦しい怒号が飛び交う。哀月の後に来たのが赤竜会なのか?と、いうか、哀月あんた赤竜会から狙われてんじゃなかったのか。いや、あいつに常識を期待するだけ無駄だな。
「ジャニス、行くぞ」
またいつの間にか私の真横にいる。ちゃっかり左手には、金の入ったアタッシュケース持っているし。
「また説明しろよ」
「わ~かってるって。とりあえず出るぞ」
哀月のバイクに乗せられて来たのは料亭。いや、なんだこの豪華な料亭は。
「なんだここはって顔してんな。ちょっと昔馴染みと待ち合わせしてんだ」
言いながら料亭の中へ入って行く。ここまで来てしまったのだから、仕方なく私も後に続く。
「遅かったな。心配したぞ」
「悪いね。一応ちゃんと撒いとかないと面倒な事になるし」
案内された部屋には60絡みの男と、若い20代中頃の男がいた。
「まったく親父も面倒な事ばっかりオレに押し付けるんだから」
「ま、腐れ縁の後始末だと思って勘弁してくれや」
哀月に親父と呼ばれた60絡みの男は豪快に笑った。
「で?その娘がお前さんが拾った娘か?」
「拾ったんじゃないよ。こいつからオレんとこ来たの」
…何でいきなり私の話になるんだ。
「まぁどちらにせよ大事にしているみたいだな。で?お前さんらデキてるのか?」
「ははっ、そんなんじゃねーって」
ニヤニヤしながら親父と呼ばれた男が聞くと、哀月は珍しく困り笑いで答えた。
「昔のお前さんに比べれば、今のお前さんは大分マシになったからな。これからも大事にしろよ」
「へぇへぇ」
コイツは私に今回の取引の説明をする気が無いのか。だんだん腹が立ってきた。
「しかし、今回は本当に助かった」
「いいって事よ。世話になった時期もあったしな。それより宮家組のアホ頭はちゃんとやったのかい?」
「はっ!たかが5人相手に取り逃がす程、ワシら赤竜会も堕ちちゃいねぇよ」
訳が分からない。たまらず聞いてしまった。
「説明しろ」
私が口を開くと、親父と呼ばれた男は眼を見開いた。
「ははっ!やっぱ哀月!お前さんの傍に居る女ともなると普通じゃねぇわな!単なる金髪の可愛い娘かと思ったがな」
容姿も髪も生れつきだ。
「まぁな、まだ可愛いもんだけどな。ま、今回の事は実は全部オレと親父…赤竜会組長の仕組んだ事だったんだよ」
「ウチの若いのと、前々から欝陶しかった宮家組を両方叩くいい機会だったからな」
哀月と親父…いや、赤竜会組長の話によると、事件の発端は赤竜会の若頭が組長に反旗を翻した事から始まるらしい。
「手塩に掛けて育てた息子みたいなやつに裏切られるってのは結構堪えるもんだ…」
「大体やくざ者は仁義だ何だってこだわりすぎなんだよ。誰も信用しなけりゃいい。…オレみたいに?」
「そうはいかん。下のもんを家族と思えなけりゃ、デカい組は纏められん。」
そして、その内紛を嗅ぎ付けた宮家組が、赤竜会の情報を集めて何か企んでいる。と、この親父さんが知って、昔馴染みの哀月に『とりあえず自分の組の始末は自分でつけるから宮家組をなんとか出来ないか』と相談を持ち掛けたらしい。
「マジ一年以上会ってなかったから、いきなりウチに来た時はどんな厄介事かと思ったぜ」
「よく言うわ!ま、お前さんの頭のキレは相変わらずで安心したよ」
その後、哀月は赤竜会内の情報操作をして(何をどうしたかは謎だが)赤竜会の若頭が宮家組と手を組む様に仕掛けた。
「そっから産まれたのが、この親父派の情報って訳。アホの若頭はコイツを使って宮家組に近付くつもりだったんだな」
言ってポケットから例のCD-Rを出す。ちゃっかり回収していたのか。
「宮家組もそこまで阿呆じゃあないだろうからな。その情報だけ頂くつもりで哀月を雇ったんだろう」
「ま、オレが宮家組に情報流して、情報回収役を立候補したんだけどね♪」
要するに、赤竜会の若頭に宮家組と手を組む為に情報を流させたのも、その情報が宮家組に持ち込まれる前に宮家組に情報の存在を教えたのも、その情報を赤竜会の若頭から奪う作業も、全て哀月の仕業だった訳だ。
恐らく、取引の現場にわざわざ宮家組の若頭が出て来たのも、宮家組を弱らせる為に哀月がなにかしらの理由をつけたんだろう。
「宮家組も幹部が入れ代わる訳だから内部はゴタゴタになるだろうな。ウチにとっては組内の邪魔者を一掃して、立て直す時間が出来た事になる」
「でも、オレと親父の関係をずっと秘密にしてたのは正解だったなぁ。バレてたら、計画が全部おじゃんだ。全く、自分の天才加減に酔っちゃいそう」
「…お前のてんさいは、天の災いだろ」
「おっジャニス、上手いこと言うねぇ~♪」
もう今日だけで何度ため息が出たか数えるのも馬鹿らしい。赤竜会組長も呆れ顔だ。こいつは自分がどれだけトラブルメーカーか分かってないのか。
「なんにせよ、今回は本当に世話になった。心から礼を言う」
赤竜会組長が料亭のデカい机越しに頭を下げた。
「だから気にすんなって。オレだって親父の頼みでも、やりたくない事だったら断るしな」
「…何か面倒な事があったら、いつでも言いに来い」
「分かったってば」
また困り笑いをしながら哀月が手をヒラヒラ振る。
「そういえばさ、ずっと気になってたんだけど…その...」
「あぁ、コイツか?」
急に真剣な顔になった哀月に、組長が隣に座っている若い男を指す。
私達が入ってから一言も喋らず、ただ正座をして微動だにせず真正面を見ていたな。
「コイツなら大丈夫だ。この若さで使える。重宝してんだ。………もちろん口も固い」
「いやいや、そんなんどうでもいいんだって」
哀月はまだ真顔だ。若い男の眉が僅かに動いた。
………哀月の暴言は気にするだけ無駄だ。無意識無自覚なんだから。
「例えそいつがオレと親父の関係や、今回の事を誰かに話したって、そいつと話された誰かが死ぬ事になるだけさ」
尤もだ。私でもそうする。
「だから~!そんなくだらねぇ事じゃなくってさ!」
「何なんだ?哀月」
哀月が真顔で手足をバタバタさせている異様な光景に、堪らず聞いてしまう。
「メシは、まだなのかよ!?」
...こいつは一度誰かに殺された方がいいんじゃないだろうか。
料亭を後にして、事務所までの暗い路地を二人で歩く。
「はぁ~、食った食った♪」
あの後、この男は懐石料理をぺろりと平らげ『まだ足りねぇ』と呟き、私の分と、更には黙って座っていた若い男の分まで平らげてしまった。…化け物か。
「…よく考えるもんだな」
いきなり口を開いた私に軽く驚きつつも、哀月が答える。
「まぁね。こういう仕事してると、頭使わねーとすぐ潰されるもんな。昔はやりたい放題だったんだけどな~」
「今も昔も、やりたい放題人を殺していたら、すぐ潰されるだろ」
「…あのさ、ジャニス?お前オレの事を凶悪殺人者とでも思ってない?」
哀月は心外とばかりに、泣きそうな声を出しながらこちらを見てくる。
「違うのか?今はどうだか知らないが、お前は人を殺す事に躊躇などしないだろうし、かと言って殺人を楽しんでする快楽主義者でもない。ただ人を殺すのが得意で、必要だからする。そんな風に思っていた」
「………」
黙ってしまった。図星という事か。
それは...私と同じだな。
いや、違うか。
「ははっ。久々によく喋ると思ったら、深いとこ突きやがる。けどな、オレは殺し屋じゃなくて、なんでも屋なの」
「そうだな。私は殺す事しか出来ないがな」
「…なんか今日お前ヒネくれてねぇ?」
別にヒネくれている訳じゃない。いつかお前に言わなければならない事があるだけ。
「あぁっ!分かったぁ!」
しばらく黙って歩いていると、哀月がいきなり叫びだした。近所迷惑だな。なんなんだ。
「ジャニス、お前いつもオレが頭脳労働で楽してると思ってスネてんだろ?」
「はぁ?!」
やっぱアホはどこまでもアホか。
「馬鹿だな~。適材適所って言葉知らないのかよ?」
半笑いでそんな的外れな事を言われても、出るのはため息だけだ。
…たまには付き合ってやるか。
「今の話の流れはともかく、確かに毎回私が殺し役だの受け渡し役だのっていうのは納得いかないな。大体だ、お前もたまには殺しとかないと鈍るぞ」
普通の人が聞くと、『そうゆう問題じゃない!』と叫びそうだが。
「もう身体に染み付いちゃってるから大丈夫だよ」
と、返事もまともじゃない。
「けどな…」
いつもの調子で、ヘラヘラ冗談を言っていた哀月が、言いにくそうに切り出した。
「さっき親父が、オレの事昔に比べればマシになったみたいに言ってたけどな。…ジャニスも変わってきてんだぜ?」
いきなり何を言い出すのか。
「初めて顔を合わすなり、私を殺せ。だもんな。笑っちまったけど、あの頃のお前の眼は死んでたぜ」
……………。
「けど今は、たまにだけどオレのおちゃらけに付き合ったりするだろ?…変わったよ」
真っ白なパーカーのポケットに両手を突っ込んで、哀月が遠くを見る。昔を思い出しているのか。
「だからさ、ジャニスの過去なんて知らねぇし、この世界は過去はタブーだから興味もねぇけど………殺すしか出来ないなんて決めつけんなよ」
「…哀月が気にかける事じゃないよ」
私にはそれしか言えない。哀月が私のした事を知ったら、同じ事は言えないだろうから。
「さてっ!辛気臭ぇ話しはここまでにして、さっさと事務所帰って酒でも呑もうぜ♪」
「そうだな」
普段酒なんかには絶対付き合わない私に、哀月は驚いたように目を見開く。
その後で微かに笑って路地の暗闇に紛れた。
了