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ダニエルの小さな冒険

「すぅぅぅぅ」

 大きく息を吸ってー。

「っはぁぁぁぁ~」

 はい、吐いてー。

「すぅぅぅぅはぁぁぁ~」

 深呼吸ー。

 何度かそれを繰り返して、肺の中に溜った淀んだ空気をようやく追い出すことに成功した。今日は母に頼まれて、母が忘れた書類を勤め先まで運んだのだが、何度やってきてもこの場所はダニエルには優しくない。それでも母は、いずれダニエルもここで働くことになるのだと言って、慣れさせるためにたまに呼びつける。

 顔見知りの門番はダニエルにはいつも顔パスで、今日もまた「坊ちゃんお使いご苦労さん」と笑って飴をくれた。門番は優しいので好きだが、食べられない物を笑顔で受け取るというのも、案外面倒くさいものだ。門を抜けて出てきた建物を振り返り、ダニエルの青い瞳が見上げるのは、周囲を高い塀に取り囲まれて、その塀の外とは全く違う世界観を醸し出す世界遺産。大聖堂、広場、ガラスのピラミッド、和解の道――――。

 今日もまた母の勤め先は観光客で一杯で、つくづく従業員通路を使用できることだけは感謝する。門番に貰った棒付きの飴を取り出してみると、黄色い包装紙がかけてあって「スターフルーツ&ウィスキー」と書いてある。それを見て、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉を学習した。

 高い高い塀を抜けて、母の仕事場から出るとそこは見慣れた街並みだ。歴史がありながら近代的で、目の前の大路は車がたくさん通りかっている。ここは、この市内およびこの国の中心地だ。ダニエルはまだ10歳くらいの少年で、子供の姿である彼はこの街並みに埋もれてしまいそうだといつも思う。それでも母は「あなたは立派になるのよ」と言って、母譲りの黒髪を優しく撫でるので、何となくそうなのかなーと思っている。母がそう言うのにはちゃんと根拠もあって、ダニエル自身既に100年以上生きているから、一応わかってはいる。今は子供の容姿だから、せめてあと100年経ってもう少し大きくなったら、その時から彼はこの仕事場にやってきて、祖父と共にこの国を支配する。その際、母は引退するようだ。

 ダニエルの目に母は美しく、祖父もまた同性からしても憧れを持つくらいに素敵で、自分もいずれ素敵な身内の様になりたいと思う。父親は死んだと聞かされたから知らないけれど、美しくて優しい母と、溺愛してくれる祖父と共に暮らしていて淋しいと思ったことはなかった。たまに母の友達と言って美少女に出会う事もあったりして、その美少女に初恋をしたりしたものだが、彼女には恋人がいるという事で敢え無く玉砕した。まぁ初恋と言う物は、往々にして適わない。

 自分が何者であるかと言うのは、本当に子供だった頃から知っている。自分の役割が何であるかと言うのは、20歳を過ぎた頃に聞いた。自分の運命がどこにあるかと言うのは、言われなくてもわかった。ダニエルはこの国の、世界中の支配者になる為に育てられ生きている。家族は優しくて大好きだけど、何となくそう定義されていることに不満を持ってしまうのは、視界の中に映り込む、景色と遜色なく過ぎゆく人間たちが、ダニエルよりも短い人生の中で人生を謳歌し取捨選択していく――――その自由さを羨んでしまう。

 それでも、母や祖父に反抗する気にはなれないし、きっと自分には家族を捨てる事なんてできないだろうと思う。それに、王位を手に入れるという事も、それなりに魅力は感じている。ただあの地域の空気が非常に重いので、それがネックになっているからこう言った戸惑いを齎すのだろうとも思っている。

 大路を出て歩く、帰ったら何をしよう。今日は雨が降りそうだから、お洗濯物を取り込んでおかなきゃ。雨が降るなら菜園にお水を撒く必要はないな。あぁ、ウラディーミルがお腹を空かしているかな。

 考えながら歩いていたのだが、今日のスケジュールは全部おじゃんになった。

 歩いていると突然、真っ黒のハマーがドリフトしながらカーブを曲がってきて、猛スピードでダニエルの元に直進してきた。暴走車かと思って身構えていると、ダニエルの前に来て急ブレーキを踏んだ。出てきた2人の男がダニエルを捕え、暴れもがくダニエルに車の中から銃口を向けられた。

 金色の髪が風に靡いて、煙草をくわえた口元が歪む。片方だけ残された隻眼の、セレステブルーの瞳が鋭くダニエルを捕え、眉間に銃を突きつけながらその男は笑った。

「よぉダニエル坊ちゃん。俺らと遊ぼうぜ」

 その男の視線と銃口に、その男の雰囲気に、一瞬で体の力が抜けた。何故だかその空気に囚われてしまったかのように身動きが取れなくなって、その隙を突かれて車に押し込まれた。

「おい、出せ」

「ヤー」

 ダニエルを乗せたハマーは猛然と市内を抜けていく。暴れても押さえつけられて身動きが取れないことを考えると、彼らも人間ではないのだと知る。それもおかしな話だった。ダニエルは勿論、他の種族だって母たちや政府によって管理されているというのに、同じような種族で誘拐事件が発生するなんて考えられなかった。

「あの……あなた誰ですか?」

 尋ねると隻眼の男は笑った。

「はは、随分躾の行き届いたお坊ちゃんだな。そのダッセェ格好もママのお仕立てか。おい、服屋行け服屋」

「あいよー」

 ダニエルが着ている服は子供向けブランドの最高級品で、上品にあしらわれたフリルとかぼちゃの様なショートパンツが人気のデザインだ。結構自分でも似合っていると思うし気に入っているのだが、この男には気に入らないようだ。ハマーは真っ直ぐ商店街の方に向かっていき、それを見ていて忘れていたことを思いだした。

「じゃなくて、あの、なんですか? あなた誰ですか? 僕を誘拐してどうするんですか?」

 助けを求めようにも、ダニエルから母と祖父には連絡できない。本来ダニエルは、その潜在能力は祖父を上回ると太鼓判を押されている。しかしながら、血が濃すぎるために神聖なものをより受け付けない。二人の勤め先はダニエルには強力過ぎて、テレパシーが突破できない。助けを求められない以上は、自分で何とかするしかない。見ず知らずの吸血鬼、しかも4人の大人に捕えられてしまって、すぐに車から逃げ出せるとは思えない。ならば、今は情報を集めておかなければならない。

 ダニエルはそう考えて不安でいっぱいになりながら聞いたというのに、やはりこの男は笑ってしまった。

「オイオイ、僕って! お前ホントッ可哀想にな、お前」

「もー! 僕の質問に答えてくださいよ!」

 ムキャーと文句を言うと、大笑いされた。笑いながら隻眼の男がダニエルの肩に腕を回して、自己紹介を始めた。

「俺はぁ……えーっと、あっ偽名考えてなかった。えーと、あぁ、アダムでいいや。アダムって呼べ」

「堂々と偽名って言う人初めて見ました」

「まぁいいだろそれは。で、俺もコイツらも」運転席や後部座席の仲間たちを指さした。「お前と同じ吸血鬼」

「僕と同じと言うのは、どういう意味ですか?」

「おっ、鋭いなお前。流石」

「流石ってどういう意味ですか? あぁもしかしてあなた方、同じ血統と言う事ですか? おじい様とお母様を御存知なんですか?」

 隻眼の男――――アダムの表情が僅かに固まって、仲間に振り返った。

「おいおい、なんかこの怖さってスゲェデジャヴじゃね?」

「久々にな」

「なんつーかもう、流石としか言いようがねーな」

 苦笑しながらアダムがまたダニエルに視線を戻した。

「知り合いっつーか、知らねぇ奴のガキ誘拐しねーだろ。お前の事も調べたし」

「よく調べられましたね? 僕の事は戸籍にも載ってないし、最重要機密なのに」

「まーな」と笑ってアダムが言った。「この100年、ずっとお前を探してた」

「えっ?」

 驚いて目を丸くすると、アダムは青い目を細めて悪戯っぽく笑った。

「まぁいーじゃねーか、そんなことはよ。今日は俺らと遊ぼうぜ」

「えっ遊ぶって……」

「遊ぶんだよ」

 誘拐なら身代金だとか脅迫だとかそう言う物を予想していたのに、連れてこられたのはアダムの言った通り。まず最初に連れてこられたのはカジュアル系の服屋で、子供服を何着も試着させられた。アダムは最初にダニエルが着ていた服を「オラやるよ」と店員にあげてしまって、高級ブランドの子供服を貰った店員は喜んだが、ダニエルの格好は180度センスの違ったものになった。

 最初に着ていたツーピースで上品な雰囲気を醸していたのに、アダムに押し付けられたのは白にロゴプリントの入ったTシャツに青いストール、ゆったりしたグレーのケーブルニットカーディガンにデニムで、黒チェックのハイカットスニーカー。こんな格好をしたのは初めてで、母に見られたら怒られるのではないかと恐々とした。

 荷物を漁ったアダムが髪にワックスを吹きかけて、ぐしゃぐしゃとセットする。「こっちの方が似合うぞ」と鏡を見せられると、前髪を流されてサイドと一緒にヘアピンで留めてあり、トップにボリュームを持たせて筋が作ってある。今流行りのゆるカジ系になっていて、そんな自分を見るのは初めてだったから、すごく新鮮だった。

 似合う、とアダムも誘拐犯仲間も喜んで、何故か写真を撮られた。アダムは嬉しそうにして、彼の首にかかっていた革のネックレスを外してダニエルの首にかけた。

「お前にやるよ」

「えっ、いいんですか?」

「いいよ」アダムは優しく笑った。「お前の方が似合ってる」

「……ありがとう、ございます」

 そんな風に笑ってプレゼントされてしまうとなんだか恥ずかしくて、俯き加減でペンダントトップをいじっていると、笑ったアダムがセットしたはずの頭をグシャグシャと撫でた。それで頭は台無しになってしまったが、繊細で優しい母の手と違う、大きな掌のちょっと乱暴な感触が、なんだか嬉しくてこそばゆかった。

(でも、ダメだダメだ。騙されないぞ!)

 優しくされても相手は誘拐犯だ。こんなことで懐柔されてはいけないと自分を律したものの、それも束の間だった。

 次につれてこられた場所では、先程気合を入れ直した事などすっかり忘れて、とりあえず門のところで興奮してしまった。

「うわーすごい! 僕初めて来ました!」

「初めてかよ!」

「だってお母様が「あんなところで遊ぶのは、商業的戦略に騙されるバカとミーハーだけよ」とか言うから!」

「ハハハ」

 笑ったアダムがダニエルの手を取って歩き出した。

「ホラ行くぞ」

 相手は誘拐犯なのに、握った手が大きくて、背が高くて背中も広くて、あぁ大人の男の人はこうなんだと感慨に近いものを感じた。どうしてだかアダムと、目の前の遊園地にワクワクせずにはいられなかった。

 大人の男4人とダニエル。それは異様な光景だったらしく、見る人が振り返る。

「目立ちますね」

「お前がな。誰かさん似でイケメンだから」

 そう言うアダムも隻眼で、片目は包帯が巻かれているのですごく目立つ。だけどそれがなければとってもカッコイイんじゃないかと思ったし、何となく漂う雰囲気が、大人の色気ってこう言う物なのだと教えてくれた。

 コーヒーカップで目を回し、ジェットコースターで目を回し、その後遺症かメリーゴーランドでまで目を回し。その度にアダムたちは大笑いして、心配しながらからかってくる。

「大きな声で笑う物じゃないわ」

 とか

「人前ではしゃいだりなんかみっともないわ」

 とか

「バカな真似をするのはバカに任せておけばいいのよ」

 とか、そういう母の言う言語道断を当たり前のようにしてしまう男達を見ていると、母に対して罪悪を感じる半面、その笑顔の中に象徴されるものが「自由」であることに気付く。

「見て見て! ロッキーの耳!」

 一人がこの遊園地の有名キャラクター、ロッキーの耳を付けて振り返った。大の男がそんなキャラの耳を付けているのが可笑しくて、思わず失笑した。

「あははは!」

「似合わねーよバカ! 気持ちワリーなお前! フレディ、バカお前外せ!」

「笑いすぎて腹痛いんだけど! お前無邪気過ぎ」

「えぇー? つかアディひでーな。じゃぁこれダニーにやるよ」

「あはは、ふぇ?」

 笑っているとフレディと呼ばれた男がロッキーの耳を外して、ダニエルの頭にかけた。それを見たらまた笑いが巻き起こる。

「ハハ、似合うじゃん!」

「ダニー、可愛いぞ」

「やっぱダニーくらいの年ごろなら男でも許せるわ」

 いつの間にかダニーなんて愛称で呼ばれ始めて、何故だか可愛がられ始めた。さすがにオーバー100歳で可愛がられるのも少し複雑な気分だが、恐らく彼らの方が年上だし、彼らにしてみれば見た目も相まってやはり子供なんだろうなと思って、たまには子供気分を味わうのもいいかもしれないと考えなおした。

「これあげる」

 耳をくれたフレディという男が耳をつまんで笑った。

「あ、フレディさん? ありがとうございます」

「敬語も敬称もいらないし。フレディでいいよ。敬語禁止ね」

「あ、はい……」

「はいじゃなくて」

「う? うん」

 戸惑いながらも少し勇気を出して返事をすると、「よくできました」と笑って肩を叩かれた。

 遊園地の中で大ハシャギして、アダムはフレデリックをプールに突き落とすし、食べられないくせにアイスクリームを買ってきたと思えば、エルンストがアレクサンドルの顔面めがけて投げつけたり、コーラの中にメントスを落として噴射させたり。そんな事をしても何にもならないし、本当にバカバカしいと思ったけど、心底楽しくて時間が経つのも忘れた。


 気が付くと、もう日が暮れようとしていた。それでようやく自分が誘拐されてきて、家の事も何もかもほったらかしだったことを思いだした。それでそわそわし始めていると、「帰るか」とアダムが手を引いた。

「ロッキーの耳、ママにバレんなよ」

 車の中でアダムが言って、途中で買った紙袋の中に押し込んだ。それで不思議に思って顔を上げた。

「え、帰るの? 僕の家に? 誘拐したんでしょ?」

「今日は俺らと遊ぼうぜって言っただろ」

 本当に遊ぶだけだったらしい。変な大人だと思うが、それだけだとは思えない。本当は何か目的があるのではないか、ではなぜ自分を帰してしまうのかと訝っていると、いつの間にやら屋敷に着いてしまった。

 青い屋根の大きな屋敷の前で車が停まって、見上げる屋敷には明かりが灯っていないからまだ母も祖父も帰ってきていない。それに一応の安堵を覚えて車から降りようとすると、アダムも降りてきた。

「あの、ありがとう」

 楽しかった。あんな一日を過ごすのは生まれて初めてだった。なぜアダムたちが自分を誘拐して、一緒に遊んでくれたのかはさっぱりわからないけど、彼らは誘拐犯だけどそれでも本当に楽しくて、また会えたらいいな、なんて思ってしまう自分がいた。

「ママには内緒にしてろよ」

 頭を撫でたアダムが優しく引き寄せて、頬にキスをした。それはまるで家族にするようなキスで、舞い上がりそうになるのを抑えるのに必死になった。

「う、うん。あの、アディ!」

 立ち去ろうとするアダムの背中に、なんだかすごく別れが惜しまれて思わず声をかけた。振り返ったアダムはやっぱり悪戯っぽく笑って言った。

「また誘拐しに来るから、待ってろよ」

 その言葉に、すごく嬉しくなって満面の笑顔で頷いた。

「うん!」

 車の中から手を振って去っていく誘拐犯たちに、大きく手を振って見送った。わくわくした、どきどきした。彼らはいつもとは違う日常へダニエルを連れて行ってくれる。

 それはまるで、アリスを異世界に導く白兎のようで――――。

(また誘拐しに来るから)

 アダムはそう言った。まるでちょっと悪い大人の友達ができたみたいで、とても新鮮で楽しくて、ドキドキワクワクして嬉しい。

(お母様には内緒)

 紙袋の中の耳、キャラクターのぬいぐるみ、訳の分からないオモチャ。

 詰め込んだ思い出は、母には内緒。

 紙袋の中に思い出と耳と初めてのワクワクをたくさんに詰め込んで、思い出に浸るセレステブルーの瞳は藍玉の様にキラキラと輝いた。ダニエルは緩む口元を抑えきれない顔をして、勢いをつけて玄関のドアを開けた。



 車の中でダニエルの笑顔を思い出して、アダムもまたニヤニヤしていた。それを見てエルンストもニヤニヤ笑う。後部座席から乗り出して、アダムの隣に座って覗き込んだ。

「ダニーは素直で可愛いな」

「そーだな」

「誰かさんのガキの頃にソックリだぜ」

「そーだな」

 返事をして窓の外を見つめた。夕日が沈んで宵の口、青から黒へと変遷を遂げる天空を見つめる、セレステブルーの瞳が揺らいだ。

「そうだな……見つかって、よかった……」

 100年経ってようやく見つけた。100年経ってようやく出会えた。だから何度でも、誘拐しに駆けつける。

 見つけてしまったから、もう逃がさない。

 100年の空白を埋められるまでは――――。





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