第3話:毒蛇
祭を筆頭に夕方の街並み走っていた未央達は、何時しか人気のない路地を通っていた。
路地の道幅は狭く、現在では一列になってゆっくりと歩いている状況だ。
道の両側にはフェンスが設けられており、その網目状の壁の向こう側には造り掛けの建造物が多く並んでいる。
共和町は昔、自然の多い田舎町だったそうであるが、今から約30年ほど前に、当時の町長が大掛かりな住宅街建設を計画し、街の発展を促そうとしたことがあるのだ。
しかしそれには共和町に存在する多くの自然を伐採しなければならなかったため、市民による反発が大きく、その結果このように中途半端な状態で残された建物がこの街には多く存在するのである。
「一体どこまで続くんだよ」
「もう少し行った所だよー」
未央が先頭を歩く祭に声を掛けると、そんな辺りの雰囲気とは真逆の明るい声が返ってきた。
その言葉の通り、次の曲がり角を曲がると開けた空間に変わり、彼女達の目の前に今まで立ち並んでいた家とは言えないような鉄の建物とは違った建造物が姿を現した。
全体的に赤茶けた壁と屋根を持ち合わせた、古びた印象を受ける通常の家より5倍近く大きな建物だ。
工場かと言われればそうも見えなくもないが、それにしては窓が多く、3階建てくらいの高さはある。
「ここは作業員の宿舎も兼ねた作業所でね、『毒蛇』もここを隠れ家の一つとして使ってるみたいなんだよー」
作業所なる建物を見上げていた未央と浩司に説明する祭の横では、輝義が手に持ったカメラで建物を撮っている。しかし不良グループに見つからないようにする為なのか、フラッシュを焚かずに行っているので、この薄暗い中で写るのかどうか微妙である。
「ふーん……んで、ここにヘルメッターってのは来るのか?」
「さぁ?」
「さぁって、オイ」
未央の何げない質問に祭は酷く曖昧な答えを返してきた。これには流石に声を荒げたくなったが、この場で大きな声を出すのは不味い。なので苛立ちの感情をふんだんに表に出してツッコミを入れる。
「まぁまぁそんな怒んないでよ。ミオちゃん顔は可愛いんだからそんな般若みたいな顔してたら台無しだよー?」
「誰が般若だ」
未央に睨まれても涼しい顔をしている祭は、未央の怒りゲージの上昇に更に拍車を掛ける。
可愛いと言われるのも何だかカチンとくるが、逆に般若と言われればもっと腹が立つ。
もういっそこの場で殴り飛ばしてやろうか……。
「まぁ落ちつけよ未央。あくまで可能性としてここに来るかも知れないってだけで、必ずここに来るってのはまずないだろ」
「そりゃあそうだがよ……」
しかしそこで二人の間に浩司が割って入り、未央を宥めてきた。
確かに浩司の言い分も最もで、祭は「もしかしたらここに来るかも知れない」と言う理由で動いているだけであって、何も確信があって動いている訳ではないのだ。
「ま、気長に待ってみようよ。来なければ来ないでまた今度待てばいいんだからさ」
「……こりゃ随分と先が長くなりそうだな」
はにかみながらそう言う祭に、未央は溜め息混じりにぼやく。
一応未央と浩司は、祭たち新聞部の手伝いと言う形で同伴している。そのため彼女等がどう行動しようが、未央達はそれをとやかく言う権利はないのだ。
その辺りは短気である未央も理解しているし尊重もしている。こちらとて態々こうして同伴させてもらっているのだから、この義理には従わざるを得ないのだから。
「物分かりが良くて助かるよー。ミオちゃんってそういうところは律義なんだね~」
「うるせぇよ」
ニコニコと笑みを浮かべながら、未央の意外な一面に率直な感想を漏らす祭に、笑顔を見せられた本人は眉を顰めながら目を逸らす。
しかし、目を逸らした先には如何にも人相の悪い見知らぬ男が立っており、こちらと偶然にも目が合った。
「うるせぇのはお前等の方だ」
そして一言、男が訝しげな表情でそれだけ言うと、携帯電話を取り出して画面を見ずに手早く操作する。
やがてパチンと閉じてズボンのポケットの中に入れてから数秒すると、宿舎から複数の人影がぞろぞろと現れる。
いくつかの人影の手には、鉄パイプやバット、メリケンサック等の得物が携えられており、彼等に通報したであろう目の前の男が未央達に問い質す。
「てめぇ等、何しに来やがったんだ?」
「……あっちゃー、見つかっちゃったね」
「あっちゃーじゃないですよ! どうすんですかこの状況!?」
頭を抱えながらも呑気な声色でぼやく祭に、浩司がそれとは真反対の鬼気迫る勢いでツッコミを入れた。
その間にも宿舎から出てきた男達が未央達を取り囲み、逃げられない状況にまで陥る。
「あっ! てめぇ、よくも昨日はやってくれたな!?」
「ん?」
取り囲む男達の中から、何処かで見た事があるような無いような奴が未央を見ると、血相を変えて叫んできた。
「あらら? ミオちゃんの知り合い?」
「いや、どっかで見たような気もするけど、全然知らねぇ」
見覚えがあるものの何処で見かけたのか思い出せずにいる未央に、祭が問い掛けてくるもやはり中々思い出せない。
「俺だ俺! 昨日工場でお前をナンパしてた……」
「あ、思い出した。あん時のザコか」
「ザコじゃねぇぇぇぇッ!」
男の発言によって、彼が先日自分に絡んできた一人だという事を思い出した未央が、何とも失礼な呼称で呼んで相手を叫ばせる。
「一体何のつもりでここに来やがった! まさかまたあのヘルメット男を呼ぶつもりか!?」
どうやら向こうは自分がヘルメッターの仲間だと勘違いしているようで、瞳に恐怖の色を見せながらほぼ叫ぶような形で未央に話し掛けてきた。
「ちげぇよ、今そのヘルメット野郎を……」
探してるところだ。と未央はここに来た理由を教えようと口を開いた。だが……
「おお、ご名答! ここにおられます未央様は何を隠そうヘルメッターのお知り合いでございます!」
「ハァッ!?」
突如、祭が訳の分からぬ戯言を吐き出してきやがった。
「そうそう、俺達に手を出したらただじゃ済まねぇぞ?」
更には浩司までもが祭の後に続いて言い出すが、未央はそこでようやく二人の言葉の裏に勘付く。
どうやらここらでブラフを立てて、こいらに手を出さないように言いくるめるつもりのようである。空気を読むことに関しては鋭い浩司なだけあって、祭の意図を一早く察することができたのだろう。
その成果もあってか、周りのゴロツキ達も次第に不安そうな雰囲気を出してくる。このまま上手くいけば、彼等も何も手を出さずに見逃してくれる事だろう。
「……で、何の用でここに来たんだ?」
はったりに騙されている不良達の中、一人だけ焦りを見せない男がいた。
江本ほどもある巨体に、右頬に負った大きな切り傷と言った、他の奴等とは一線を画した風貌の強面の男だ。
周りのゴロツキ達もその雰囲気に合わせて冷静さを取り戻し、先刻と同じく威圧的な態度を取り始めた。
「ヒデから聞いたヘルメットの奴を呼ぶにしても理由が分からんし、今からそいつを呼んでもその頃には……」
そう大男はヒデと呼んだザコ(未央命名)を一度視界に入れながら推測し、続いてこちらをジロリと睨んだ。見た目に反して随分と頭も回るようだし、こいつが「毒蛇」のボスだと考えられる。
そして、自分達の言っている事が本当だったとしても、連絡を入れる前に潰してしまえばそれまでだと彼の目が語っているのが未央には見て取れた。
その考えを察した他のゴロツキ達も、改めて各々に手にしていた鈍器を持ち直し、再び未央達に敵意を剥き出しにした目を向けた。
(……オイ、この後どうするんだよ。全然効果ねぇじゃねぇか)
(そんな事俺に言われても……千登勢先輩は何か思いつきませんか?)
(う~ん、私もこれ以上は思いつかないかな~。テル君はどうおも……)
未央から浩司へ。浩司から祭へとひそひそと即席会議が続き、今度は輝義に回そうかと祭が輝義のいたすぐ横へ視線を向けた所で……思わず固まった。
祭の異変に気付いた二人も輝義がいた筈の場所を振り向くと、そこには誰もいなかった。
周囲を見渡しても輝義の姿はどこにもなく、つまり結論からすれば……
「逃げたあぁぁぁぁぁ!?」
「何時の間に失せやがったんだアイツ!?」
「テルくぅぅぅん!?」
三人が各々に絶叫し、それを奇異な目で不良達が見つめている。
「何騒いでんだお前等……」
「いやだって、えぇ!? ここにもう一人いた筈なんだけど!?」
「俺がお前等を見つけた時から三人しかいなかったぜ?」
未央達を見つけた男が不審そうに訊ねてきたので、祭がワタワタしながらも説明すると、男はアッサリとした感じで輝義の存在を否定した。写真を撮り終えた後辺りから、未央達に気付かれる事もなく姿をくらましていたようである。
「あ、あんのヤロォ~……次会ったらぶん殴ってやる」
「ってかまず、この状況どうするよ? 俺達はともかくとして、千登勢先輩は抵抗とかもできなさそうだし、俺達だけで対抗するのも……」
握り拳を作りながら怨嗟の籠った愚痴を溢す未央に、今の危機にどう対処するべきか浩司が額に油汗を滲ませながら話し掛けてくる。
浩司も未央ほどではないものの、一応荒事にはそれなりに対処はできるだろうが、小柄で如何にもデスクワーク派な祭には、この事態をどうにかする術を期待するのは難しいだろう。
「まぁそこの金髪の女には借りがあるしな。ちょいとばかり付き合ってもらおうか? お仲間がどうなっても良いってんなら暴れてもらっても構わねぇがな」
「……分かったよ。いくらでも付き合ってやんよ」
リーダー格の男の安い挑発に乗る事もなく、未央はそう了承の返事を返すのだった。
時間を少し巻き戻し、安藤仁と千登勢檀蔵が校内に入った頃……。
生徒指導室へと向かっていた仁は、すぐ横を歩く千登勢に今回の事件についてどう推測しているのか訊ねていた。
「千登勢さんは今回の事件に関わってるっていう女の子と、ヘルメッターがどう関わってると思いますか?」
そう聞いてみると、千登勢は一拍置いてから自身の推測を語り始めた。
「……俺が思うに、偶然鉢合わせしただけだろうな。ヤツが昔の奴と同一人物だったらって話だが、あいつは女にだけは絶対に手を出さなかったからな」
「ポリシーとか、そう言ったもんですかね?」
「多分な。まぁ男だったら普通は女を殴らんだろうが、俺はそう思ってる」
千登勢がまだ新米だった頃、当時世間を騒がせていたヘルメッターもまた、今回の事件と似たような犯行内容だったそうだ。
暴走族、ヤクザ問わず、何らかの暴力沙汰が起きる場所へ突如として現れては、その場で制裁を下す。しかし、相手が女性であればそのまま何もせずに姿を消してしまうのだそうだ。
当時の警察も何度も追跡を試みていたようだが、どういう訳か毎回悉く巻かれてしまうのだとか。それ故ヘルメッターの正体は、実は幽霊なのではないかと噂される程にまで世間にその名が知れ渡った。
だがそんな噂も、いつしか時間と共に忘れ去られ、今となっては知っている人間は相当限られてきている。
初めからそんなのは実在しなかった。きっと誰かがでっちあげた作り話にしか過ぎない。
そんな考えが広がって行き、興味を持つ人間も少なくなった昨今、今になって再びその噂が広まり始めたのも必ず何かしらの理由がある筈だ。
当時の警察が何の手掛かりも掴む事が出来なかった怪人物ヘルメッター……。自分の世代になった今、そいつの尻尾を掴めれば千登勢のような年長組の引っ掛かりもなくってようやく解決できるだろう。
別に手柄を得ようとかそういうやましい気持ちは仁には一切なく、ただ単純に千登勢に安心してほしいだけだ。
この人には色々と世話になってるし、これくらいの手伝いはしてやりたい。それが今の仁を動かす動力源である。
「あれ? ひょっとして安藤君?」
「ん?」
廊下を黙々と歩いていると、若い男性の声が仁に掛けられ、思わず振り返る。
そこには白衣を着た優しげな面持ちの好青年が立っており、こちらをキョトンと見つめていた。
仁も同じくキョトンとしながら、記憶の海に沈んでいるであろうこの青年の記憶を探り始める。
「あ、もしかして泰人か!? 久しぶりだな!」
やがて探り当てた仁は、白衣を着た青年、高峰泰人とは高校時代からの友人である事を思い出し、顔を綻ばせて泰人に話し掛けた。
「高校以来だね。ところで、どうしてここに?」
泰人も気付いてくれた事が嬉しそうに相槌を打ち、仁に人畜無害そうな優しい面持ちで訊ねてきた。
彼とは高校卒業以来あってはいないが、その屈託のない笑顔は昔のままで、何一つ変わっていない。唯一変わっている点と言えば、学生服から白衣へと変わっているくらいだろう。
「ああ、実はな……。ちょっとした事件絡みで金髪の女子高生を探してるんだ。誰か心当たりはないか?」
内容を大まかに噛み砕いて訊ねると、泰人は「金髪の女子……」と一言反芻したのち、考えるような仕種を始める。
その表情はどこか言い淀んでいるようにも見え、何か知っているのではないかと仁に期待を持たせる。
「……僕の知っている限りだと、やっぱり神田さんかな? ちょっと問題起こしてそうな感じとかするし」
「その生徒が今どこにいるか知りませんかね?」
泰人は仁の期待通りの情報を呟き、それをすぐ近くで聞いていた千登勢は泰人の前へ出て事情聴取を始めた。
「えぇと、確か祭っていう2年の生徒と一緒にヘルメッターを探す……とか聞きましたけど……」
「何!? それは本当か!?」
泰人の発言を聞いた千登勢が、突然鬼気迫る勢いで泰人の両肩をがっしりと掴み、捲くし立てる。
「は、はい……多分そうかと……」
「行くぞ安藤! では失礼する!」
千登勢の迫力におどおどしつつも、何とか応えた泰人を尻目に、千登勢は安藤に一度だけ目配せをし、先程まで通って来た廊下を早足で掛けて行った。
「ちょ、待って下さい千登勢さん! 悪い泰人、また後で!」
「え? う、うん……」
仁は急いで千登勢の後を追いながら、泰人と軽い挨拶を交わしてその場を後にし、千登勢に声を掛ける。
「どうしたんですか千登勢さん!?」
「祭ってのは俺の娘だ! 早くいかねぇとやべぇッ!」
早口で捲くし立てる千登勢の言葉を聞いて、仁は千登勢の言いたい事を悟って顔色を変えた。
今朝、千登勢は「娘がヘルメッターに興味を持っている」と言っていた。それと先程の話を照らし合わせれば、嫌でも分かる。
つまり彼の娘は、今それを探すために危ない場所へ行っている可能性が高いという訳だ。
「急ぎましょう!」
「分かってる! 一応奴の出そうな場所は見当が付く!」
矢継ぎ早に会話を交わし、二人は門松高校から出て行った。
「一体どうしたんだろ?」
「何の騒ぎですか高峰先生?」
泰人が首を傾げながら二人の刑事が消えて行った廊下の先を見ていると、背後から通勤鞄を携えた谷崎が怪訝そうな眼差しで泰人に話し掛けてきた。
「あ、谷崎先生。今お帰りですか?」
「ええそうですけど……私の目に狂いがなければ、今ここに生徒ではない誰かが居たような気がするのですが……」
泰人が社会的なあいさつとして谷崎に訊ね返すと、彼は眼鏡のブリッジを持ち上げながら、ここから居なくなった人間について再び訊ねる。
「お二人の刑事が来てましたよ。なんでもこの学校の生徒の誰かが問題を起こしたとかで……」
「……何とも嫌な訪問者ですね。それで、そのお二人はどちらへ?」
泰人からの返答に、如何にも嫌そうに顔を顰める谷崎。教師……特に生徒指導担当でもある谷崎にとっては、実に由々しき問題であろう。
「さっき江本先生と話していた祭っていう生徒の事を話したら、刑事さんの一人が急に踵を返して帰って行ってしまいました」
「? 何故刑事さん達の前で千登勢さんの名前が?」
谷崎の知る限りでは、祭はそれほど問題のある生徒ではない筈だ。だのにそれを刑事に話すのはおかしい。
「いえ、祭さんについてはあくまで補足的に話してただけで、実際に話題にしていたのは未央さんの方なんです」
「……なるほど、確かに彼女だったら何かしそうだ」
泰人からの説明を聞いた谷崎は、嘆息してそのまま泰人の横を通り過ぎ、廊下を歩く。
「私はもう帰ります。今日はもう刑事さん達も来ないでしょうし、今日中に胃薬でも買って覚悟しておきますよ」
「あ、はい。その、何と言いますか……お疲れ様です」
「ハァ、ホントですよ……」
谷崎の気苦労の念が肉眼で見えたような錯覚を感じつつ、泰人はせめてもの気遣いとしてそう投げ掛けると、溜め息で返されてしまった。
そんな背中をしばらく見送り、泰人は一人誰にでもなく小さく呟いた。
「それにしても、未央さん達って何処に行ったんだろうな?」
彼女達の安否が気に掛かるものの、自分にそれを知る手段はない。
しかしまぁ、先程居た中年の方の刑事の様子からすれば、探しに行ったと考えて問題ないだろう。こういう場合は専門の人間に任せるのが一番だ。自分の出る幕ではない。
「まぁ、僕もそろそろ帰ろうかな? 家に食材残ってたっけ?」
そうぼやきながら、自宅の冷蔵庫の中身が殆ど空だった事を思い出し、買い出しの為に近くのスーパーに寄る事に決めたのだった。