雪女と冷し中華
この話は、十二月のテーマ小説『雪』に参加している作品です。また、他に参加している皆さんの作品は『雪小説』で検索できます!私は、今回が初参加になりますが、よろしくお願いします!
今日は、雪が滅多に降らない私の街に、雪が降り積もった。
テレビのニュースでは、何年ぶりの大雪だと言っている。
大雪と言っても、数センチ積もっただけの話しだ、雪国の人が聞いたら、そのくらいで…と言ったとこだろう。
日曜日の為、会社に行くこともない私は、テレビの前で静かな休日を過ごすことにした。
私は、いつも雪を見ると、ある記憶が甦ってくる。とても不思議な思い出だ。
私の名前は、井口智。今は、とある会社の営業マンだが、数年前の私は自殺志願の男だった。
当時、長年付き合っていた女性を会社の同僚に奪われ、会社も辞めた私は欝状態だった。
部屋に引きこもり続けたあげくに私は、死ぬつもりで旅に出た。
ちょうど夏頃だったので、避暑地がいいと思った私は、北に行けば涼しいだろうと、安易な理由から東北地方に向かった。
私は、北に向かう電車に乗り。適当な駅で降り、山の方向に向かうバスに乗ると終点が来るまで、ぼんやりと外の景色を眺めた。
私が乗ったバスは、小さな温泉街が終点だった。
幾つものスキー場の看板が目立っていた。
冬は賑わうのだろうが、今は夏のせいか人は疎らだった。
私はとりあえず、民宿に宿を取る事にした。
この時期の客は珍しいのか主人らしい男が、私を怪しい物を見るように見ていた。民宿の玄関にあった鏡で自分を見てみると、のびた髭に青白い顔、私はこれでは仕方がないと納得した。
その夜、私にとっては最期の晩餐と言うべきなのか、民宿ならではの家庭料理が目の前に並んだ。
翌日私は、最後くらいと髭を剃り落とし身仕度を整えた。
私は昼過ぎに宿を出た。
暗くなっては、山道は歩けなくなってしまう。
私は死に場所を探すために山に入った。歩くにつれ、ずいぶんと山深くなった。昨日泊まった街が、遠くに見える。日暮れが近いせいか、蝉の声が鳴き止み始めていた。私は、手頃な木を見つけると、旅行カバンに乗り上がり、ロープを木に首を括る輪を作った。
『よし…。』
私は、靴を揃えて下に置きその上に遺書を置いた。
私は、背伸びしながら、首にロープを巻き付けた。途端に全身が震えてきた。
だが私は、意を決して足を乗せていたカバンを蹴ろうとした。
『あんた、死にたいの?』誰か声がする。私は、辺りを見回した。
『死にたいんなら、私が殺してやるよ。』
目鼻立ちがはっきりとした女が姿を出した。
年は五十過ぎたくらいだろうか。
肩くらいまで伸びた髪は、綺麗な黒髪で、年の割には美人に見えた。
『放っといてくれよ!関係ないだろ!』
私は、感情的だった。こんな所を見られた、恥ずかしさもあったからだ。
『でもあんた、死にたいんだろ?あたしが殺してやるよ。』
女は、怖じけることもなく私に言ってきた。『はっ?あんた何言ってるんだ?』
『殺してやるから着いておいで。』
その女は、歩きだした。
『…。』
私が、黙って見ていると女が振り返った。
『いいからおいでっ!』
女は、怒鳴ってきた。
『わかったよ!』
私は、警察に通報されても困ると思い、しぶしぶ女の後を追った。
女は、その山の麓にある家に入って行った。
『ご飯処、ゆきんこ』
どうやら店らしく、そんな看板が掛けられていた。私も、その店に入った。
やけに、冷房の効いた店だった。
店の中を見渡すと『冷し中華、常にあります。七百円』と言うのが見えた。
変なお品書きだ、『冷し中華始めました。』じゃないのかよ!と思わずツッコミそうになった。
他のメューも『冷奴』『冷製パスタ』『冷やしラーメン』…など、やたら冷たい料理ばかりだった。
さっきの女が、出てきた。『ちょっと、おばちゃんこの店、冷房効きすぎだよ!ちょっと下げたほうがいいよ。』
『そこに座っててね〜今、殺してあげるからね〜!』
この女は、まったく人の話なんて聞いていないようだ。少し興奮しながら、準備運動みたいな事をして、上機嫌の様子だった。
時々、『殺してやる』と言っていたが、自殺しようとしてた私を和ませようとしているのだと、私は勝手に解釈した。
『よ〜し!!やるかね!』女は、私に近づいてきた。『やるって?何をです?』
『おとなしくしてな、今、楽にしてやるからね!』
女は、息を吸って、口を膨らませていた。
『ふ〜〜!!!』
女は、私に向かって勢い良く息を吹きかけてきた。
少し、涼しい空気が流れてきたが、私は女が何をしたいのか解らず戸惑った。
『ゲホッ!ゲホッゲホ!』突然、苦しそうに女がむせだした。
『大丈夫ですか?』
私は、女の背中を擦ってあげた。『あ〜やだやだ、歳は取りたくないもんだねぇ…。昔は、私が一息かけたら皆、凍っちまったもんなんだよ…。』
『よくわかんないけど、無理しちゃダメですよ。』
私は、背中を擦り続けた。
『あれっ?白髪?これ白髪じゃないかい?』
女は、むせていた時に乱れた髪の中に白髪を見つけたらしく私に聞いてきた。
『えっ?あぁ、確かに白髪ですね。でも、そんな深刻な顔するほど珍しいものじゃないよ。』
『白髪が生えた、妖怪なんて洒落にならないよ。』
女は、やけに落ち込んでいた。
『妖怪!?また〜!おばちゃん変な事言うね。』
『冗談なんかじゃないよ!私はね雪女の、せつこって言うの。』
『せつこ!?俺の母ちゃんの名前と同じだ!うちの母ちゃんなんて、髪の毛真っ白だぜ!まぁ、元気出して!』
『自殺しようとしていた、くせに割りといい奴じゃないか。いいかい!私は、雪の子って書いて、せつこだからね!間違えちゃ、いけないよ!
殺せなくて、ごめんよ。代わりに、なんか食べるかい?』
『変なおばちゃんだな。じゃあ、冷し中華でも貰おうかな!いいかい?』
『あいよ〜!あたいの得意料理だ、ちょっと待ってな!』
雪子は、厨房に入っていった。
しかし変な女だ、今時、雪女は無いだろう。そんなんじゃ、子供だって騙されないよと笑った。
『バタバタバタ!!』
大きな雨音が、響いてきた。外を見ると、滝のような雨が降り始めていた。
隙間の無いくらいに、雨粒が、辺り一面に跳ねていた。
『はいよ〜出来たよ〜!』雪子が汗びっしょりになりながら、冷し中華を持ってきた。
『どうしたんだよ、その汗!?』
『汗?あぁこれか、麺を茹でる時に、火を使わなきゃいけないだろ雪女には重労働なんだよ。』
『ははっ…雪女ね、じゃあ頂きます!』
私はこの女が、やたらに雪女だと言ってくるので、さすがに対応に困ってきた。
『なんだ!うまいじゃない!冷し中華!いい味してるよ。』
『だろ〜!雨も降ってきたしゆっくりしてきな。』
雪子は、得意気な様子だった。
『あの〜さっきも言ったんだけどさ、この店、冷房効きすぎだよ。温度上げてくれますか?』
『うちには、クーラーなんかないよ。雪女がいる所は寒いもんさ。昔はもっと寒かったんだから。』
雪子は、白髪を抜きながら答えた。
『あんたねぇ、いつまでそんなこと言ってんの!誰も信じないよ!』
『わかんない男だねぇ、なんなら、クーラー探してみな!何処にも無いからさ!』
そう言うので、私は少し頭にきながら、店の至る所を捜し回った。
だが、どこを探してもクーラーらしいものは、見つからなかった。
『あんた…。ほんとに雪女なの…?』
『だから言ったろう。雪女だって。』
私は初めて、たじろいた。今までの変な行動は、本当に俺を殺そうとしてたのかと、不覚にも思ってしまった。
『ちょ、ちょっと待てよ!今、夏だぜ!夏に雪女って、ありかよ!』
『雪女は、夏が一番暇なんだよ。夜になると、たまに暇つぶしで店を出すんだよ。』
『マジかよ。俺は雪女に会っちゃったのかよ。』
『あんた、自殺しようとしてたね…。私もね、人里に降りだしてから、急に老けだすようになってね。
白髪まで生えちゃったよ。すっかり、能力も落ちちゃって、私も死にたくなるよ!ハハハ。』
『ハハハって、笑えないよ…。』
私は、すっかり動転していた。
『じゃあ、雪子さんは、今までいっぱい殺してきたの?』
『そりゃあ若い頃は、大学の山岳部を遭難させたり、スキー客だったり登山家だったりね、やっぱり若い子が一番だね。私、面食いだから!アハハ!
人間達は、凍死は気持ちいいなんて言うだろ?あれは、雪女のおかげなんだよ。あたし達は、優しいからねぇ。特にいい男には!イヒヒ!』
『じゃあ、雪子さんみたいな雪女、今でもいっぱい居るの?』
『最近は、そうでもないよ。この辺りじゃ、私が最後だよ。』
私は、あまりのリアルな話に、おとなしく冷し中華を啜る事しか出来なくなってしまった。
すこしの間、沈黙が続いた。
『あんた、そろそろ帰ったほうがいいよ。』
いきなり、雪子が私に言ってきた。
『えっ?』
『最近、今日みたいな夕立が多くてね。裏の山が、崩れる気がするんだよ。雪女が山の事を言うんだ、間違いないよ。』
『わかりました。帰りますね。
あっ!冷やし中華ごちそうさまでした!ええっと確か、七百円ですよね?』
『お金はいらないよ。雪女にお金が、あっても仕方がないからね。私の奢りにしておくよ!
それよりあんた!自殺するくらいだったら、私に任せな!命は粗末にしちゃいけないよ!
死にたかったら、冬においで、冬なら必ず殺してやるから!わかったね!』
『は、はい。わかりましたよ。ハハハ』
私は、客の忘れ物だと言う傘を貰い、店を出てた。
雪子は、妖怪らしくない笑顔で見送ってくれた。
雨は、少し小降りになっていた。すっかり暗くなった道を歩いていった。
『この傘の持ち主は、殺されていたりしてな…ははは。』
私は、やはり雪女と言う事を信じれなかった。
だが、いつの間にか私の中にあった、死にたいという気持ちが弱まり、どこか気持ちが軽くなっていた。
『これも、雪女のおかげってか?アハハ!』
『ガラガラガラ!ドドーン!!』
いきなり、後ろかは激しい音が聞こえてきた。
『今度はなんだよ!?』
私は、少し泣きそうになってしまった。
『そう言えば、あの、おばちゃん、山が崩れるとか言ってたな!!まさか本当に…!?』
私は、来た道を慌てて、掛け戻った。
しばらく走り、店のあった場所に戻ったが、既に景色は変わっていた。
土砂や大きな岩が、道を塞ぎ、店もその下敷きになっているようだった。
『おばちゃ〜ん!!せつこさ〜ん!!』
だが、いくら呼んでも、応答はない。
私は、傘を投げ出し、土砂に埋まった店を掘り出すように必死に手を動かした。だが、どれだけ探しても呼び掛けても、彼女の姿は無く、物音一つしなかった。
そんな時、私の目の前に花びらのような白いものが降ってきた。
『ん?』
無数に降ってくる、その白いものを一つ手に受けとめた。
だがそれは、手の平の上に乗るとすぐに溶け去ってしまった。
『雪?嘘だろ…。』
その時に私は、いままで降っていた雨が、雪に変わっているのに気が付いた。
七月だというのに、自分の周りだけ雪が降っていた。『なんだよこれ?あの人本当に雪女だったのかよ!』
私は信じたくはなかったが、目の前の出来事が、雪女の仕業としか思えなかった。
すると、またゆっくりと雪から雨に戻っていった。
私は唖然としたまま、その場に立ち尽くしていた。
この事実は夢ではないと言うように、
「食事処、ゆきんこ」
という看板が、砕け地面に散っていた。
しばらくして私は、携帯を取出し警察に電話し、土砂崩れが起きた事を伝えた。しばらくして、警察がやって来た。警察官は、私の汚れた姿を見て、驚いた様子だった。
確かに、ここには昔、飲食店があったらしいが、今は、空き家だったらしい。
翌日の新聞には、土砂崩れの記事が載ったが、怪我人は無しとなっていた。
私はその年の冬、同じ場所を訪れたのだが、結局、雪子さんには、会う事は出来なかった。
その時の私に、死にたいという気持ちが無かったからだろうか。
今日、久しぶりに雪を見た私は、この不思議な体験を思い出していた。
誰も信じてはくれないが、私の命の恩人は雪女なのだ。
『大雪情報に続いて、ニュース速報です。奥羽山脈に入っていた、東慶大学の山岳部が行方不明になっています…。』
テレビから、いきなりこんなニュースが飛び込んできた。
『雪子さんか?まさかな…。』
私は、苦笑いを浮かべながら、テレビのチャンネルを変えた。 完