デウ
柚猫先生と、「秘密基地」のサイト管理人様に捧げます。
いい音がした。
人を動かないものに変えちまうときの銃声ってのは、いつも乾いた重い、渋い音がする。
ただ、この音を聞くシチュエーションが、いつもとは違った。
恥ずかしながら、撃たれたのはこの俺だ。
右の下っ腹――へその斜め下あたりか――に弾が当たってる。幸い、貫通しているようだ。痩せててよかった。
左手で腹を、右手でその裏っかわの背中を押さえる。
ひざが折れる。吸ってた煙草が口からこぼれる。
地面に倒れる。
どうやら動けそうになかった。
ちっ、アスキートのドジがいつかこんな事態を招くんじゃないかって思ってたぜ……。
気が遠くなる。アスキートが動揺した声で何か叫びながら走り出すのが聞こえる。
まいったな……。ガキの頃遊んでた裏通りの景色が浮かんだぞ。――仲間の顔が見える。走馬燈ってやつか、これが……。
まあいい。28年間分のフラッシュバック。楽しむとするか…………
…………と思ったが、一向に走馬燈の続きは展開しなかった。
その代わりに、今朝の出来事――仕事のクライアントの声が、遠くから聞こえてきた――――
* * *
「ブランク。これでなんとか引き受けてくれ」
「……その条件じゃ受けられんな。俺たちは3人で仕事をする。一人30万。計90万だ」
俺が、仕事を持ってきた体格のいい眼鏡の男にそう答える。
「ブランク。云っとくが本当に全部で40万しか用意がないんだ。それで嫌ならよそ当たるぜ?」
いい気になってもみあげを伸ばしている男の濁った眼を睨みながら俺が云い返す。
「よそに行ってくれ、割が合わん。だいたい俺たちは一般的な“デウ”だ。殺し専門じゃない」
「殺しも何度か請け負ったことがあるってのは知ってるんだよブランク。じゃあ40万で頼んだぜ」
「話は良く聞けよハッシュ。俺たちは、その条件じゃ受けない」俺は短くなった煙草をもみ消し、吸い殻容れにしまう。「……ハッシュ、お前さん、監獄の方に知り合いがいたよな」
「……なんでそれ知ってる」
「企業秘密だ。……ま、弟のアスキートの野郎が顔が広くてな、いろいろとうわさ話やら隠し事なんかを集めてくるんだ。それで知った。そこにぶち込まれてるテューシーって娘を免罪にして逃がしてくれ。そしたら60万に値引いてやる」
「だれだ、そのテューシーって女?」
俺はその日の朝俺にすがってきたアスキートの顔を思いだす。
ばかばかしい。なんで仕事の交渉に、弟の惚れた女の釈放なんていう条件を盛り込まなくちゃいけないんだ?
* * *
「ブランク兄さん」
はしゃいでなくてもはしゃいでるように聞こえる妹の声が背中からした。
「ララ、めしは食ったか」
ばさばさの髪で起きてきたララに聞く。
「おいしかった。あれ好き。なんていうのあれ?」
ヒョウ柄のパジャマ姿のララ。14歳の子どもにしてはかなりずれたセンスと思うが、それ以外はただの子どもだと、いつも思う。この133番街で“死の女神”の通り名で呼ばれている彼女のこんな無防備な姿を街のやつが見たらなんとコメントするのだろう。
はちみつ色のまっすぐな髪の毛。目のまわりとくちびるはさくら色で、淡い、儚い印象もある。だが実際は毎日欠かしたことのない筋力トレーニングと日々の過酷な――簡単なときもあるが――デウの何でも屋としての仕事で、ララの体躯は小振りのマシンガンのように鍛え上げられている。
「パンにコーンポタージュをしみ込ませて油で揚げただけだ。それより、もう4時だぞ。日が暮れる前には出かける。準備を急げ」
「あたし、ゆで卵は半熟がやっぱ好きだな。兄さんのはいつもかちかちに固まってて黄身がぱさぱさするよ」
「何度も云わせるな、ゆで卵はきちんと茹でてこそゆで卵だ。それより、本当に急げ。今日は殺しの依頼なんだぞ」
「は〜い」
ララがあくび混じりの返事をしながら部屋へもどっていく。
女の支度は男の俺たちの10倍以上時間がかかる。さて、その間に俺は銃の手入れをしておくか……。
窓の外を、高架鉄道の電車が走り抜け、安い椅子と机をぎしぎしきしませた。
* * *
「ブランク。今度の報酬でオレ、しばらく77番街に行ってきていいかな?」
23歳には見えない、まだ未成年のような頼りない顔の弟を睨みつける。
「そんな目で見んなよ兄貴! ここんとこ忙しかったろ? オレだって休暇がほしいよ」
「テューシーって娘としっぽり楽しもうってことだな」
……ふぅ。煙草が吸いたくなってきた。
「い、いやあ、まぁ、あの、あれだ。……まぁぶっちゃけて云えばそうだけどさ。――きれいなんだぜあのコ!! なめらかなコーヒー色の肌! カールした琥珀色の長い髪! まっ赤でぷっくりした唇と純白の白い歯!! 今度会わせてやるよ!」
「刑務所にいたんだろ。長い髪はたぶん短く刈り上げてるし、唇が赤かったのは口紅を塗ってたからだ。それに“純白の白い歯”っていう云い回しは馬鹿っぽいからやめろ」
俺は煙草を取り出し、火をつけた。
「なんでそんな不機嫌なんだよ〜! いいだろ? ブランク」
「77番街か……」
俺もまだ光画でしか見たことないが、77番街にはある季節だけに花を咲かせる「さくら」って樹がずらりと並んでて、花びらが散るときにはめっぽうきれいだという話を聞いたことがあった。
――その景色は、見てみたいかもな。
「……勝手にしろ。それに不機嫌なんじゃなくて、集中してるだけだ。お前もそろそろ集中しろ。情報収集だけがお前の仕事じゃないんだぞ」
「……了解」
アスキートの表情が、すっ……と締まっていく。この顔になってれば、仕事はうまく行く。……はずだ。
132番街のループスクエア通り。通称“腰抜けアベニュー”で獲物がやってくるのを待つ。
アスキートの情報どおり、時間ピッタリに店の裏口のドアから誰かが出てきた。
「…………ちがう。ヤツじゃない」
アスキートがそう云った。
確かに、特徴と違う。3人のたっぱのある男たちに囲まれて、辺りをきょろきょろ見渡しながらヤツ――今回の標的であるジェブという男――が姿を現した。
「まずいな、どうする?」
アスキートが俺にたずねる。
「様子を見る。俺が近くに回り込む。お前は連絡を待て」
アスキートにそう告げると、俺は階段を音が鳴らぬよう静かにおりていく。
下まで降り立った。
月明かり。今日はほとんど満月だ。
建物の上に、黒い革の、マントのように長いコートを着たララの姿が見えた。
標的とその取り巻きたちが移動をはじめる。
なにか違和感がある。なんだ?
原因不明の不安が頭をよぎった。何かまずい。
直感的に引き返した方が良さそうだと思い、俺はアスキートとララにそのことを伝えようと思った。
そのとき。
いい音がした。
銃弾が放たれる音。
音のした方を振り返る。
女が立っていた。手には銃が握られているのが見える。
撃ったのは――琥珀色の短い髪、コーヒー色の肌、唇にはまっかなルージュ――
女は笑った。白い歯が街灯の灯りに光ったような気がした。
人を動かないものに変えちまうときの銃声ってのは、いつも乾いた重い、渋い音がする。
撃たれたのはこの俺だ。
右の下っ腹――へその斜め下あたりか――に弾が当たってる。幸い、貫通しているようだ。……痩せててよかった。
左手で腹を、右手でその裏っかわの背中を押さえる。
ひざが折れる。吸ってた煙草が口からこぼれる。地面に倒れる。
どうやら動けそうになかった。
「テューシー――どうして……?!」
アスキートが震える声でつぶやいているのが聞こえた。……なに? こいつがさっき云ってた“きれいなあのコ”なのか?
女はちょっと低めの声で話しはじめた。
「いろんないきさつでさ、スマートじゃないけどあんたにこの仕事頼んだら免罪がうまく行くって知ってさ」テューシーは短髪の頭をごしごしさすりながら話を続ける。
「あんたたちが狙ってたジェブって男はあたいの前の男でさ。まだ利用価値があるから殺させない方がいいかなと思って。んで、――ブランクさん。あんたが2年前殺した男、いたでしょ。覚えてないだろうけど。あれ、あたしの兄貴だったんだよね。ま、それはいいんだけど、あのあとあたい生活に困って苦労してさ。なんだかんだで捕まって監獄行きになったから、一応お礼しときたくてさ」
赤い唇をゆがませて女は嗤った。
「んだもんであんたの弟に近づいたってわけ」
淡々とテューシーは俺たちに説明しながら、さらに銃口をこちらに向けて構えた。
ちっ、アスキートのドジがいつかこんな事態を招くんじゃないかって思ってたぜ……。
気が遠くなる。アスキートが動揺した声で何か叫びながら走り出すのが聞こえる。
まいったな……。ガキの頃遊んでた裏通りの景色が浮かんだぞ。――仲間の顔が見える。走馬燈ってやつか、これが――――
気が、遠くなる――――
遠くで……、いや、すぐ近くで乾いた渋い音が聞こえた。
目を開く。
俺は、生きているようだ。
「ぐう……!」
嫌な声で女がうめく声が聞こえた。
テューシーが、地面に崩れ落ちていくのが見えた。その向こうに――
膝上まであるロングブーツ。黒い短いスカート。黒い革のコート。黒ずくめの“死の女神”の姿があった。
* * *
しばらく気を失っていた。
目を開けると、アスキートと見たことのない男がいた。
俺はベッドの上に寝ていた。
「兄貴、気がついたか!」
アスキートが涙声で叫んだ。
「出血は止めました。当たり所が良かったので1週間もすれば包帯もとれるでしょう」
男は医者のようだった。
「腕のいい外科医だ。オレの情報ではこの街一番の医者だ」
アスキートが自慢げに――懲りない男だ――紹介する。
「で、あのテューシーって女とジェブはどうした」
「ああ、それなら問題ないよ。ララが――」アスキートの声をさえぎってドアが開く音が響いた。
「おにいちゃん!! 大丈夫?!」
ララだ。そういえばララはあわてると俺のことをおにいちゃんと呼ぶってことを思いだした。
「俺は大丈夫だそうだ。――ララ、うまく処理してくれたみたいだな」
「うん! ジェブは殺した。お兄ちゃんを撃った女も殺したよ」
黒い革のコートに、黒い短いスカート。膝上まであるロングブーツ。黒ずくめの死の女神の格好をした14歳の少女が、仕事の報告をしていた。
「よくやったな」
俺はララの髪の毛をくしゃくしゃとかき回してほめた。
「えへ。ララえらい?」
「偉い。アスキートにも見習ってもらいたいもんだ」
「……あのお。治療は終わりましたので私はこれで失礼いたします」
医者が会話に割り込んだ。俺が礼を云うと、医者は退席した。
「アスキート。治療費は渡したのか?」
「渡したよ。17万8千って、ちょっと高すぎるけどよ。命には代えられねぇしな」
「17万……?! ――アスキート。今回のお前の報酬は2万2千だ。交渉は受けつけないぞ」
「げぇ?! ……まぁ、仕方ねぇか」
アスキートは落ち込むのもはやいが、立ち直るのもはやい。
「アスキート兄さんはお金持ってても無駄遣いしかしないからいいじゃん」
ララが楽しげにそう云った。
「――ララ。今回は特別に俺がごほうびをやろう。なにがほしい」
「ごほうび? やったあ!! そうだなぁ、なにがいいかなぁ……!」
ララはさくら色の唇をすぼませて数秒考えたのち、俺に答えた。
「――半熟たまごが食べたい!!」
…………なんだか無性に煙草が吸いたくなってきた。
この作品は、「小説になろう〜秘密基地〜」サイト様の、「小説のヒント」のコーナーで、柚猫先生の方から提供して頂いた原案を元に執筆いたしました。主要メンバー三人の設定や独特な世界観の設定をいただき、「魔法とかの類でなく、銃などのハードボイルド系作品」というご指定の中で作成しました。わたくしの物書き人生の中では初の「ハードボイルド(もどき)」の小説です。いかがだったでしょうか?
よろしければご感想をお寄せください。続編執筆の参考にさせていただきます。よろしくお願い致します!