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機械の娘と心のレシピ

作者: kirabosi_y

 思うことなく、それは運命だった。始まる前から決められていること、それを運命と呼ぶのであれば、最初からそうだったのだ。どんな突飛なことであっても、信じられない事であっても、事実起こったことに対して疑問を持ったところで仕方がない。

 機械仕掛けの少女が存在することも、時間を跳躍することも、事実それは存在した。しかしそんなことは、僕にとってどうでもよいことなのだ。そんなものよりもすばらしいものを知った人間にとって、そんなものに何一つ価値は無いのだから。

 さて、前不利としては十分だ。語るに足ることを語るべきだと知るのならば、それを語るべきなのだろう。僕は彼女と出会った、それは僕がまだ高校生の頃の話であって、まだ無自覚な、無知で無謀な子供だった頃のことだ。愛も、アイデンティティも知らず、何を考えるべきであるかを知らなかった。

「はじめまして」

 初めて会った時、彼女はそう言った。今でもその時のことを覚えている。5年たっても、昨日のことどころか、一瞬前の出来事であるかのように、僕はその光景を思い描くことが出来る。

 彼女は、何も知らない、無自覚で、無表情な、当たり前に機械でできた少女だった。顔を見ても、きっとそのことは分からなかっただろうが、肩をはじめとしたいくつかの関節は彼女が人でないことを示していたし、感情の欠落した声は人ならざる者が持つ無機質な感触を僕に伝えた。

「わたしのしゅじんにあなたとのいっしゅうかんのたいわをとおしてこころというものをまなぶようにいわれました」

 その意味がその時は解らなかった。ただ、その平坦な声が怖かったような気がするし、もしかしたらその瞬間から僕は変わり始めていたのかもしれない。しかしとにかく、彼女は心というものについて学ぶためだけにやってきたのだ。どこでだって学べるはずのものを、わざわざ、未来から時間の壁を突破して。その意味を正しく理解したのは、その出会いからずっと先のことだ。

「え……」

 僕の第一声は間抜けなもので、どうにもこうにも恰好がつかなかった。その差異化において、もっと気のきいたことでも言うことが出来ればよかったのに。

「わたしは、メビィといいます。あなたのなまえをきかせてください、わたしにこころをおしえてくれるひと」

 繰り返すが、その出会いは運命だった。奇跡など介在する余地もなく、彼女が生まれるよりも前から決まっていた出会い。僕とメビィは、その出会いのために回り続けるのだろう。くるくると、狂狂と。狂うべくして狂う物語を紡ぐその出会いは、きっと、遥か遠く見果てぬ場所を目指し続いて行くのだろう。


 ともかく、その出会いから数日の間、僕の彼女に対する接し方はぎくしゃくしていたと思う。僕は彼女が動くときに時折聞こえる駆動音や、人の心を解さないがゆえに生じるちぐはぐさに、一種の恐怖心を抱いていたのだと思う。まあ、そんなのも最初の二日だけの話だった。三日目には、僕は彼女に順応し、その間に彼女は自分で人という存在に順応していた。

「人は恐怖というものを感じるのですね」

「君に怖いものは無いの?」

 僕は言った。人の心を理解しないからと言って、恐怖を感じないわけではないだろう。おそらく、人ほどの知性を持たないのだとしてもある程度それを理解していれば、自身の生を喪失することに対して恐怖を抱くはずだ。彼女は機械だが、機械だって壊れることはある。彼女は明らかに僕が知っているものよりもずっと進んだ技術を使用していたが、水に濡れることは避けていた。それはつまり、彼女はそれによって壊れるという事であり、そしてそれを避けるということはそれを恐れているからだと僕は思っていた。

「残念ながら私に恐怖心はありません。例えば私が水に濡れることを避けているのは、その結果自分の機能が十分に発揮されなくなることを避けるようにあらかじめプログラムされているからです。あるいはそれは、あるいはそれは………」

「獲得した言語能力を開陳してくれるのはありがたいけれど、例え話をするなら思いついてからにした方がいいと思うよ、僕は」

「………」

 もしもその機能が備わっていたならば、彼女は頬を染めただろう。言うまでもなく、彼女は感情というものを獲得しつつあるのだった。僕が何かをするまでもなく、最初から彼女はそうなったのだろう。しかし、心を持っている存在が、心を理解しているわけではない。

 彼女は心を学ぶために来たのだ。そのうえで、心を手に入れて成熟させることは一つの段階を突破したと言えるのだろうけれど、しかし、その一つの段階を突破したところでそれを理解するには程遠いことは明らかである。

 人だって自分の心が何でできているのか、知っていると言えはしない。電気信号で構成されているのだとか、そんな無機質な答えをしたり顔で提示する奴は、それこそそれを理解していないに違いない。僕だってそういう人間ではあったが、それを口にしないだけの分別はあった。無分別な人間でない事だけが、僕の自慢だった。

 虐められているわけでも、仲間外れにされているわけでもなかったけれど。しかし、人の輪というものに加わるのが下手な奴だった。友達を作るのが下手だったし、人付き合いは面倒なだけだと思っていたし、イベントに対して盛り上がる雰囲気を面倒くさいと思っていた。一口で言えば、つまらない人間だった。

 人の心について当然誰かに教えられるような人間ではなかった。人として大切な機能が自分には欠けているのだとか、そんな事を思っている子供が教えられるのは、人には忘れたほうがいい過去が存在するのだということくらいのものである。


 しかし、考えてみればどうだろうか。恐怖心を知らないということはともかくとして、それすらも彼女の在り方の一部だと考えるならば、それも一種のアイデンティティと言えるのではないだろうか。

「アイデンティティ……」

 彼女は噛みしめるようにしてそう呟いた。もしかしたら、彼女は彼女なりに自分らしさというものを見つけたのではないだろうか。そして見つけた自分らしさというものは、きっと魅力的なものなのだろう。

 僕には分からないけれど。

「あなたのアイデンティティとはなんですか?」

 アイデンティティ。わかりやすく言えば、おそらく自分らしさなのだろう。木端学生の僕が、そんなもの持っているとでも思ったのだろうか。そんなこともわからないあたり、彼女はまだ僕ほど人間らしくないのだろう。まあ、あるいは、僕の方こそ自分にプライドを持っていないのかもしれない。

 アイデンティティ。それについて考えてみることにしよう。つまるところそれは自己の人格形成における立脚点のようなものだと、僕は思う。例えば子供ならば、自分の弟や妹が出来た時にある種の不安を感じ、それはそれまでの自分の立場が変化することを察知しているからだ。可愛がられるばかりの立場から追い出されることは、それまでの自分では居られないという事であり、アイデンティティの危機ともいえるはずである。可愛い、可愛いなんとかちゃん。その立場から急にお姉ちゃん、お兄ちゃんという立場になり、可愛がられる立場から可愛がる立場に変わる。

 子供を例に挙げて語って見せたものの、さりとてだからと言って僕が僕のアイデンティティに関して語ることが出来るかと言えば、そんなことは無い。

 ただの学生で、つまらない人間で、友達がいない。数学と物理が得意で、英語と国語に興味がない。しかしそんなことが僕のアイデンティティと言えるだろうか。僕が僕を特別だと思うかどうかはともかく、そんなことが僕のアイデンティティであってほしくない。少なくとも、大人になるまでは。

 機械のアイデンティティ。学生のアイデンティティ。

 確かにメビィは機械としてのそれを自分のアイデンティティであると認識したようだが、しかしそれがすなわち彼女のアイデンティティとなるのだろうか。例えば、学生としてのそれが勉強であるとして、そのアイデンティティがすべての学生に当てはまる事は無い。勉強が嫌いな学生だっているし、青春を満喫することを本文とする学生だっている。

 ならばどうだろう。意志を持った機会であるメビィが、機能を十全に発揮すること以上に重視する何かを本分とすることがないとは言えないだろう。それが何であるかはともかくとして、しかし、そうでなければ心を持ったとは言えないのではないだろうか。機械として性能だけを重視するというのならば、そこには自由がない。

 雨の中で傘を差さない人間がいても良い。それが自由というものだ。とか何とか。

 ふうむ。

 他人に対してあれこれ口をはさむ前に、自分について考えるべきだろう。僕らしさとはなんたるか、なーんて。いかにも青春めいているのだが、どうにもこうにも、自分の中にその辺りの甘酸っぱいにおいを探すことが出来ない。

 寂しい限りである。何かに打ち込むこともせず、何一つ熱中することなく、何も愛していない。そんな人生に、自分らしさと呼ぶべきものはあるのだろうか。それともあるいは、開き直ってそのどうしようもなさこそ自分であるとでも言い張るべきなのか。だがそんなつまらない開き直りこそ、つまらない自分を認めてしまうことになりそうでもある。

 つまらない人生。

 それが悪いとは思わないが、進んで選ぶほどのものとも思えない。何一つ成すことなく、何一つ勝ち取らない人生。其処に何一つ価値がないとは言わないが、そこに魅力を感じることが出来るだろうか。

 僕のアイデンティティ。

 それともそれは、今僕が感じるそれはただ感じるだけで確たる実態を持たない幻のようなものにすぎず、これからの人生と日々の中で確立するものなのだろうか。これからの人生の中で何かに打ち込み、僕はそれを自分らしさだと認識するべきなのだろうか。あるいは、打ち込んだその結果を自分らしさの立脚点にするべきなのか。

 打ち込むべきものを探し、打ち込むべきものに打ち込む。それともそれそのものが、人のアイデンティティたり得るのかもしれない。

「そうですか?」

 彼女は言った。

「結果を出してこそ、それはより明確な立脚点だと思います」

「そりゃそうだ」

 結局のところ、全て彼女が正しい。何かをやるよりも、それどころか何かを見つけてさえいない状態から、何かに打ち込んだだけで動向を語るべきではない。取り組むからには成功を目指すべきだし、成功を目指さず自己満足だけを求めているのならば最初からそんなものは想像の中だけにとどめておけばいい。誰だって成功指定のだから、失敗した時にもっともらしく持ち出すための言い訳を用意しておく必要はない。

「諦めないことはきっと立派なアイデンティティだ」

「だったら、貴方のアイデンティティにしたらよいのでは?」

 一考に値するアイディアである。その道行きが険しいことは誰に言われるまでもなく明らかで、それをアイデンティティとするのならば、ありきたりな逃げ道としての諦めていないだけというズルもできなくなる。考えただけで、それは茨の道だった。

 しかし。

「確かに、言うとおりだ」

 僕は頷いたのだった。


「ではあなたは、人が人たるためには愛が必要であるというのですか?」

 数日たって、僕が言ったことに彼女はそう反応した。もしかしたら、初めて僕が価値のありそうなことを言ったから驚いたのかもしれない。しかし、だとしたら心外である。僕は別に、特別意気込んでそれを言ったわけではないのだから。

「愛というのは、他者へ感じる執着の事ですか?」

「たぶん違うと思う……」

 いや。自身な下げになってしまったが、それが愛とは思えない。それを愛だとはき違えている人間がいるとしても、決してそれは愛でないと思う。

「人を思いやることが愛ですか?」

「うん、そういうとそれっぽい」

「では、思いやりは愛なのですね」

 飛躍していた。論理はつながっているような気がするが、発想が飛躍している。微妙なニュアンスの違いとか、そういう事を一切考慮していない。人は愛がなくても他人を思いやることが出来ることを考えれば、思いやりが即座に会いにつながるとは考えないだろう。

 いや。もしかしたら、人は他者に対して少なくとも愛を感じているからこそ、その人を思いやることが出来るのだろうか。だとしたら、確かにそれは愛だということになる。

 シンパシーだとか、愛着だとか、同情だとか、そういう事が愛なのだろうか。それとも愛は全くそれらとは別物で、それらは愛への入り口なのだろうか。あるいは、愛は愛だけで完結し、それらが入口だということは錯覚にすぎないのかもしれない。

 ならば僕たちは、人に対していったい何を感じることが正しいのか。

「愛を感じない人間は人として欠陥ですか?」

 彼女は言った。そして僕はそれに肯いた。否定しようのない事実として、人が生物として真っ当にその生涯を終えるためには愛が不可欠である。愛し愛され、その結果子孫を残す。理性というものを身に着けた結果、本能だけでは立ち行かない社会。愛することと愛されることは決して同義ではないが、しかし、愛さないことには始まらない。

 愛されるだけだった人生というものは、きっと、愛されることがなかった人生よりも味気ないだろう。それは、何一つ愛着というものを感じなかったという事なのだから。

 そんな事を云いながら、僕という人間はどうだろうか。人を愛したことがあるのだと、誰かを愛しているのだと、言えるだろうか。答えははっきりしている。そんな事は無いかもしれないと、言葉を濁すことしか僕には出来ないのだ。両親を愛することと、これから誰かを愛すことはきっと別次元の話であって、それはおそらく、ナイフがフォークの代わりになるかという事を言っているに等しい。無理をすれば代わりになるが、周囲から見れば痛々しいことこの上ない。

 何かの代替品たり得るものなど、世の中にはそうそう存在しないという事である。

「それは私もそうなのですか?」

「そうだろうさ」

 きっと。

「人の心を持つのならば、そして、君がいつか誰かに愛された時、きっと君はかけがえのない存在になる」

「……愛とは、かけがえのない存在になる事なのですね」

 愛されることでかけがえのない存在になるように、愛することでもきっとそうなる。愛されなくとも愛することに意味があり、愛されたうえで愛することにも意味がある。愛し愛され、きっとそこには価値があるのだろう。

「でも愛することは、そうじゃない」

「まだ私にはわかりません」

「僕にも分からん」

 ほっとしたのは、何故なのか。僕のつまらない自尊心が、ほんのつい先日までただの機会にしかすぎなかった彼女が知っているものを僕が知らないという事を回避して、喜んでいるとでも言うのか。

 いや、そんな事は無い。

 僕はそもそもそういう意味で自分が、今の自分が欠陥じみていることを自覚しているし、それ以上に自認すらしている。それが思春期特有の歪んだアイデンティティであることも、アイデンティティというにもおこがましい代物であることも理解しているが、しかし、青春の裏側をひた走るような人間に得ることが出来る自己認識なんてものは、所詮そんなものだと思う。

 愛を知る。

 誰かを愛するときが、きっと僕たちにもやってくる。誰かを本気で好きになったことのない人間であっても、いつかその日がやってくる。成就するのかどうかは分からないにしても、愛することだけはできるのだから。

 初恋は叶わないものだというのならば、僕たちが知る最初の愛は成就しないのだろうか。しかしそれが必ずしも成就しないわけでもないだろう。世の中にはきっと、小さなころから抱いた愛を大切にしたまま、死ぬまでそれを抱き続ける人だっている。

 僕たちの初恋はいまだ至らず、僕たちはその甘さも何もかも知らない。初恋を知った僕はどうするのだろうか。きっと僕は、それを大切にするのだろう。死に物狂いで成就させようとするのかもしれない。他者から見た良し悪しを置き去りにして、きっと自分のためだけにすべてを費やす。

 彼女の初恋は、どうなのだろうか。いつか経験するその時、彼女はそれに対してどう思うのだろうか。人を相手に恋するのか、自分と同じような境遇の存在に恋をするのか。恋し恋され恋い焦がれるその時。

 きっとその時、彼女の心は誰に恥じるところのない心なのだろう。


 過ぎ去った日々、彼女と出会って一週間という時間は、まさに光のように過ぎてしまった。そして僕が、それを自覚した時には、分かれは目の前に迫っていた。そして、なぜそうなり、そこにどんな運命があったのかを知ることになるのは、彼女と別れてしばらくたってからのことである。

 僕は言った。

「僕はいつか、君に逢えるだろうか」

 別れを前にしてそれを惜しむ僕は、世の中できっと、一番情けなかっただろう。しかし、あの時惜しんだものを惜しんだことに対して、僕は何一つ恥ずべきところは無い。あのときの別れの先にこそ、何かがあったのだとしても、僕は彼女と別れたくなかった。別れたくなかったし、失いたくなかった。

 僕たちの間に横たわる時間という致命的な隔絶を思えば、いつかまた会うことが出来るはずだという楽観は、僕の中に欠片ほども存在しなかったのだから。

 そしてそんな僕に、彼女は言った。

「いつか必ず。あなたが、諦めない限り」

 人よりも人らしく、誰よりも人間味にあふれた心を手に入れつつあった彼女は、どこまでその言葉を理解していたのだろうか。真実を述べたのか、夢を述べたのか、それともそれは慰めに過ぎなかったのか。

 もしかしたら、その答えは彼女にすらわからないのかもしれない。所詮すべては、今となっては過去にすぎず、自分の過去の行動に対して、人は案外明確な答えを見つけることが出来なかったりもするのだから。

 僕が諦めない限り。出会うためには、僕の力が必要なのだという意味で彼女が言ったのかどうかは、定かではない。しかし、それでもその言葉は、それ以降の僕を支える力を持っていた。

「君は――――」

 言いかけてから、僕はほんの少しだけ迷った。恥ずかしいことを言おうとしているのは自覚していたし、もしかしたら、自分はただ酔っているだけなのかもしれないとさえ思った。狂うのならばともかく、酔った挙句の言葉など、そのどこに価値があるものか。

 しかしこう思い直した。酔っているにしても、酔いつぶれるまで寄ってしまえば、それはそれで、狂うに等しい話なのだ、と。本当に狂っているにしても、狂っているように見えるだけにしても。

 そして、本物と偽者との間に、いったいどれほどの違いがあると言えるのか。そう生れついたものと、そこまで高まったもの。いったいどこまで、そこに差があり続ける。いったいどちらに本当の価値がある。

「君は、人の心を手に入れたかい?」

 本物に肉薄する偽者と、偽物じみた本物。

「理解には程遠いですが、きっと私は人らしくなりました」

 あなたは何か変わりましたか?

 彼女はそう言って、首をかしげた。思いのほかかわいらしいその仕草に、僕は面食らうと同時に、ようやく理解した。つまり僕は、とっくに狂っていたのだ。

「ああ、人らしくなった気がするし、自分らしさだって見つけていける気がする」

「私もきっとそうです」

 そう言って、彼女は消えた。まるで最初からそこに存在しなかったように、ただ、僕の行き場のない感情だけが宙に浮いたまま、ぽっかりと空虚な穴だけが残された。タイムトラベルが絵空事ではないのだと、その時証明されたわけではないのだが。しかし、僕はもしかしたらそれに興奮しているべきだったのかもしれない。

 でも、それどころじゃなかった。僕にはもって、考えるべきことがあって。考えることこそが、諦めないことの証明だったのだから。


 そして5年の月日が流れた。

 他人には無為だと笑われても、絵空事だと嘲られても、立ち止まることなく走り続けた道。稀代の天才と呼ばれたところで達成感のない結果。世にはばかることなく邁進した結果、僕の全てはそこに収束する。

 彼女を作り上げたのは誰なのか。

 彼女を過去へと送り出したのは誰なのか。

 彼女と出会い、彼女に恋をする運命にあったのは、いったい誰であったのか。

 それらの答えは共通する。それが僕の導き出した答えであり、物語における当然の帰結である。僕が駆け抜けた5年間は、社会的には奇跡とさえ言われている。しかし、僕にとってみれば、当たり前のことだった。

 なぜ、彼女は5年前にタイムトラベルが可能だったのか。答えは簡単で、それは、時間というものは可能性が存在する限りどこまでも寛容なものであるから、だ。彼女を構成する物質は、過去へとさかのぼったところで世界のどこかに存在している。未知の物質であっても、存在しなかったわけではない。人も機械も、所詮原子の集合体なのだから。

 そして、彼女という個体を作るだけの科学技術は5年前僕と彼女が出合った時点で存在している。あるいは、誰かが彼女を作っていてもおかしくなかった。ただ、誰も作っていなかっただけなのだとすら言えるくらいには。だからこそ、彼女はそのタイムトラベルが可能であり、だからこそ5年という期間で僕は彼女を作り上げた。

 機械は時を跳躍する。可能性が許す限り、どんなに遠い時空の中においても、それは変わらず存在する。そしてだからこそ、時間は精神に対して不寛容なのだ。意志を持つからこそ何かをなし、矛盾を生む。人は時間に対して欠片ほどの反逆も許されることなく、僕の生み出したタイムトラベル技術はそういう意味で人々を落胆させた。

 喜んだのは、一部の軍事関係者たちだけである。彼らはきっと、兵器開発の時間を短縮することが出来るとでも考えているのだろう。まあ、好きにするといい。どうせそんなことは、たいして上手くいかないものなのだから。人を殺すという結果に対して、そこにどれほどの矛盾があるのか、彼らは理解していない。そんな事は、なるようにしかならないというのに。

 世間の期待がどうあれ、僕は僕のためだけに進んだのだと言える。恥じることなく、憚ることなく。彼女と出会い、それを再現するためだけにすべてを費やし、その中で多くのものを犠牲にした。世間では僕のことを悪魔のように罵る人間もいるが、案外、僕はそのことを否定しようという気にならない。

 運命という名の円環。始点を失い廻り続ける因果。彼女という存在は時間の中であの一週間を起点として、幾度となくその存在を重複し続ける。

 僕のやったことに意味はあるだろうか。僕のやったことを、ただの自慰行為だと言う人もいるだろう。自作自演の演劇に価値は無いと言い切る人もいるだろう。あるいは、そこには何一つ意味がなく、ただ狂った男が一人で車輪を回し続けているだけだと思うだろうか。そして、空転し続ける車輪をどれだけ回したとことで意味は無いのだと。

 だが、偽物で何が悪い。自分の運命を自分で切り開き作り上げることのどこに、欺瞞が存在する余地がある。

 狂っていて、何が悪い。僕はずっと狂っている。あの日彼女に出会ってからずっと、恋に狂い、愛に狂い、狂おしいまでに彼女を愛している。

「―――――やあ」

 帰ってきた彼女に、僕はそう声をかけた。相変わらず、気のきかない言葉しかかけることが出来ない事を恥じつつも、それでも自分があのころと変わることなく彼女に再会できたことが、僕には嬉しかった。

「どうだろう、僕は自分らしさというものを手に入れた気がするけれど」

 歩んできた道は、矜持と誇りと自信を生む。それらを立脚点とした確固たる自己は、気骨を持ってこの先も歩んでいくことが出来ると断言できるほどだった。誰に恥じることなく、誇って生きてゆくことが出来る。それだけは、あの日の僕と違っているだろう。そしてそれは、きっと、成長と呼ぶべき変化だ。

「ええ、見違えるくらいです」

 彼女はそう言った。

 人の心を手に入れた証明として彼女は帰還し、僕たちは互いに愛を告げる。愛のために何を作ろうとも、それは僕の愛のためだけのことだ。それをどう利用したところで、文句を言われる筋合いはない。

 僕は彼女に再会した。その結末は僕にとって美しく、物語のおしまいがここであるのなら、僕はその結末をこう結ぼう。

 僕たちは、これから幸せになる。


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