追い剥ぎの村
洗練された、その笑顔は歓迎では無い。
夜が更けるほど、山の闇は厚みを増した。
街道から外れた細い獣道を辿り、旅人はすでに半日以上を歩いていた。地図には載らぬ小径だった。
霧が低く垂れ込め、木々の枝葉に纏う闇が重々しく頭上にのしかかる。足を止めれば、背後で誰かが息を潜めている気がしてならない。
やがて、谷の奥にぽつりと明かりを見つけた。
茅葺きの家が十軒ほど寄り添う、小さな集落だった。道はそこで途切れ、外の世界との繋がりは完全に断たれていた。
旅人が近づくと、家々の障子が次々と開き、顔が覗く。誰もが同じように、静かな笑顔を浮かべていた。
「まあ、こんな遅くまで…よくぞ迷わずに辿り着いた」
白髪の老婆が最初に声をかけた。その言葉は温かく、しかしどこか練習された響きを帯びていた。
村人たちは争うように旅人を家に招き入れ、囲炉裏に薪をくべ、温かい粥をよそった。
強い酒も勧められた。旅人は湯気の立つ茶碗を両手で包み、長い旅の疲れを溶かそうとした。
だが、家の隅や縁側の暗がりに、いくつかの人影が動いているのが見えた。
足を引きずる男たちだった。どの男も、膝から下をひどく不自由にしている。
ゆっくりと、痛々しく歩きながら、草鞋を編んだり、薪を割ったり、屋根の茅を整えたりしている。
まるで、言葉を発することすら許されぬ奴隷のようだった。喉も潰れているのだろう。誰ひとり声を立てない。
ただ、時折、苦しげに息を詰まらせる音だけが、囲炉裏の火の音に紛れて聞こえた。
旅人は違和感を覚えた。しかし、山奥の寒さと空腹が、その違和感を薄めていく。
「ここでは誰も、外の噂など気にせぬ。ゆっくり休まれよ」
老婆が笑いかけ、さらに酒を注いだ。粥には、体を芯から温める何かが入っているのか、飲み込んだ直後から指先がほのかにしびれ始めた。
屋根の隙間から、時折、山の風が忍び込む。その風に乗って、どこかで子供の笑い声がした気がした。
だが、集落に子供の姿は見えなかった。夜が更け、旅人は用意された布団に身を横たえた。障子の向こうで、村人たちの低い話し声が続いている。
「また一人、来たな」
「持ち物は、それなりにありそうだ」
「明日の朝までには、片付けねば」
声はすぐに止んだ。代わりに、屋根の上で何かがゆっくりと動く音がした。鼠ではない。もっと重い、意図を持った足音だ。
旅人が目を開けた時、部屋の隅に人影が立っていた。影は動かなかった。ただ、闇の中で白い歯だけが、静かに光っていた。
「おやすみ」
誰かが囁いた。声は部屋の外からではなかった。旅人の耳元から、直接届いたのだ。
翌朝、集落はいつものように穏やかだった。
囲炉裏の火は消え、布団はきちんと畳まれていた。しかし、そこにいたのは、昨夜までの旅人ではなかった。
気がついた時、両足のアキレス腱はすでに断ち切られ、立てば激痛が走り、まともに歩くことなどできなかった。
喉も内側から潰されたように熱く腫れ、声を出そうとしても、わずかな吐息と、血の味のまじる喘ぎしか出ない。
旅人は、いや――かつての彼は――縁側の隅で、震える手で草鞋を編んでいた。
他の足の不自由な男たちと、同じように。村人たちは誰も、昨夜のことを口にしなかった。
ただ、若い男が裏山の方へ、重い包みを担いで消えていくのが見えた。
包みの端から、旅人が身につけていた羽織の裾が、風にひらりと揺れていた。
外の世界では、また一人、旅人が行方知れずになったと噂されるだろう。だが、この山奥では、それすらも、ただの日常だった。
道はまだ、外へは通じていない。
そして夜が来るたび、集落の障子は静かに開き、同じ笑顔が、次の迷い人を待つのだ。
読んで頂き有り難う御座います。




