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第5話 不器用な男の熱量と、17歳の特権。〜オレンジ色の街灯の下、二人の関係が静かに熱を帯びる〜

◆ 抑え込んだ衝動と、初めての名前


 繋いだ手から伝わってくる熱に、伊沢は今にも彼女を抱きしめてしまいそうな衝動に駆られていた。


 ……だめだ。まだ、何かが違う。今じゃない。


 必死に警報を鳴らす理性が、ギリギリのところで男の欲望にブレーキをかける。けれど、行き場を失ってパンパンに膨れ上がった熱情は、別の形となって伊沢の口からポロリと溢れ出た。


「……真希ちゃん」


「えっ? は、はい……?」


 突然下の名前で呼ばれ、原田さんは驚いたように顔を上げた。


 伊沢自身もハッとして我に返る。欲望を抑え込んだ反動で、頭の中で何度も反芻していた名前が無意識に漏れてしまったのだ。


「あっ……! あー、いや……その……!」


 慌てて取り繕おうとして、伊沢は言葉を飲み込んだ。


 よくよく考えてみれば、こうして恋人繋ぎまでしているのに、いつまでも「原田さん」と名字で呼び合っているのもおかしな話だ。


 ……いける。この機会だ、聞いてしまえ。


 伊沢は繋いでいる左手にほんの少しだけ力を込め、恐る恐る口を開いた。


「あ、あのさ……『真希ちゃん』って、呼んでいいかな……?」


 心臓の音が外まで聞こえそうな数秒間。


 原田さんは、パチクリと瞬きをした後、半呼吸ほど置いてから――街灯の下で、花が咲くような優しい笑顔を伊沢に向けた。


「……はい、いいですよ」


   ◇ ◇ ◇


「……はい、いいですよ」


 そう答えた瞬間、伊沢さんが「ふぅっ」と、心底安堵したような息を吐き出すのが分かった。


 その分かりやすすぎる反応に、あたしは胸の奥がくすぐったくなって、思わず内側から唇を噛む。


 ……伊沢さん、あたしが気づいてないとでも思ってるのかな。


 繋いだ指先から伝わってくる彼の体温は、さっきからずっとヤケドしそうなほど熱い。それに、あたしの手を包み込む大きな手は、壊れ物を扱うみたいに優しいのに、ほんの少しだけ不自然に力が入っていて……微かに震えているのだ。


 余裕ぶって、大人の男の人みたいに振る舞おうとしているけれど、その必死さが痛いほど伝わってくる。それがなんだかたまらなく嬉しくて、愛おしくて。あたしは伊沢さんの手に、自分の指をもう一度ぎゅっと絡め直した。


「あ、あのさ……」


「……伊沢さん」


 照れ隠しで何か別の話題を探そうとした彼を遮って、あたしは少しだけ背伸びをするように彼を見上げた。オレンジ色の街灯の下で、伊沢さんの顔がまた分かりやすく赤くなる。


「あたしのこと、下の名前で呼ぶなら……ルール違反、だよね」


「えっ? ル、ルール?」


「あたしだけずっと『伊沢さん』って名字で、敬語で話すの。……不公平じゃない?」


 わざと小首を傾げて、下から彼の瞳を真っ直ぐに覗き込む。


 伊沢さんは「あっ」と口を開けたまま、完全にフリーズしてしまった。その隙を突いて、あたしは今日一番の勇気を振り絞って、口を開く。


「だから……あたしも、『尚樹くん』って呼んでいい……?」


 静かな夜道に、自分の声がやけに甘く響いた気がした。


 伊沢さん――尚樹くんの目が限界まで丸くなり、繋いだ手が一瞬、ビクッと大きく跳ねる。


「なっ……! お、おうっ……! もちろん……!」


 裏返りそうな声で頷いた彼を見て、あたしはたまらず吹き出してしまった。


「ふふっ、よろしくね、尚樹くん」


 秋の夜風は涼しいはずなのに、二人の距離だけは、まるで真夏みたいに熱かった。


◆ 彼女の答え合わせ


 夏のあの日から、なんとなく始まったこの関係。


 正直、男の人と付き合うってどういうことなのか、あたしには正解なんて全然わからなかった。


 でも、伊沢さんとのデートを重ねるうちに、「こういうのも悪くないのかな」って思い始めている自分がいた。


 バイクの後ろに乗せてもらった時に見た、知らない景色。風を遮ってくれた彼の背中は、思っていたよりもずっと広く、頼もしく思えた。


 それに、あたしが「チャック・ノリスが好き」なんて言っても変に思わず、笑いもせずに映画に誘ってくれたりして。最初はただ、なんとなく流されるままについていっただけだったのに。


 この人、今まであたしが嫌がるような、変なことは一切してこない。


 たまに「どういうつもりなんだろう?」って不思議に思うことはあるけれど、ただ不器用なまでに、ずっとあたしに対して一生懸命なのだ。


 ……悪くないよね、この人。


 ちょっとだけ、この人にあたしの時間を預けちゃってもいいかな。最近は、本気でそう思い始めている。


 この人はきっと、あたしのことが本当に好きなんだと思う。だって、あんなにわかりやすく、必死になってくれているんだもの。


 何か裏があるの? って疑いたくなる時もあるけど、そんなの今はどうでもいい。


 だって今、あたしは素直に楽しいし、幸せだと感じている。


 このまま、この気持ちに乗ってみてもいいかな。


 この人はこれから先、あたしをどこに、どんな風に連れて行ってくれるんだろう。


 ……好き? あたしは彼のこと、好きなのかな。


 まだハッキリとはわからないけれど……でも、我慢して必死になっている伊沢さんは、なんだかすごく「可愛い」。


 うん、良いんじゃないかな。このまま付き合ってみても。

お読みいただき、ありがとうございます。


1993年のあの頃を思い出しながら、一筆一筆、熱量を込めて書きました。


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