第1話 彼女って、何したら良いんですかね? 〜秘密の帰り道とチャック・ノリス〜
【プロローグ】
1993年、夏の終わりに。
伊沢尚樹、18歳。
だけど高校2年生という、ちょっと訳ありなプロフィール。
そんな彼に……
原田真希、17歳。高校2年生の彼女ができました。
これは、そんな二人が付き合いはじめた、
甘酸っぱくて、ちょっとくすぐったい、日常のお話です。
◆ 「彼女って……何したら良いんですかね?」
「あの、伊沢さん……」
「ん? なに?」
「彼女って……何したら良いんですかね?」
「え……? そ、そりゃ、その……」
伊沢の彼女になった原田さん。
だが彼女には恋愛の経験なんてないし、「誰かと付き合う」という発想すら持ち合わせていなかった。
ほとんど成り行きで彼女になった原田さんは、こてん、と首を傾げて、素朴な疑問を彼氏の伊沢にぶつけてきた。
「あー……あはは、まあそれは、これから? 考えよう!」
伊沢は内心、色々と(よからぬことを)思っていたが、原田さんが恋愛にウブなのは百も承知だ。
変に警戒されてはいけない、余計な心配をさせてはいけない。そう謎の紳士センサーが働き、ここは本性を現すことをグッと堪えた。
……内心は、煩悩の塊なのだが。
「自然にしていたらいいですか?」
「う、うん! 勿論! 自然なままでいて!」
必死に爽やかな笑顔で取り繕う伊沢。
さてさて、この二人のピュアで危険な関係、今後の展開やいかに。
◆ 余韻に浸るための、丁度良い散歩。
1993年、9月。
二人は同じバイト先。高校は二学期がはじまった。
お互い、付き合うまで過ごした夏休みのような、時間の余裕はなくなってしまった。
彼氏である伊沢は、彼女にバイト終わりに「家の近くまで歩いて送らせてもらえないか?」と提案した。
自転車でバイト先に通う原田さんだったが、帰りは自転車を押して一緒に歩いて帰るという提案を、見事受け入れてくれた。
伊沢はバイクでバイト先まで来ているため、原田さんを家の近くまで送った後は、駐輪場まで徒歩で引き返すことになる。
しかし彼にとっては、それも「送り」というプチデートの余韻に浸るための、丁度良い散歩だと考えていたのだ。
◆ 距離を縮めたい夜道と、チャック・ノリスが好きな彼女。
はじめての、バイト終わりの送りの一コマ。
「今日もお疲れ様〜」
「はい、伊沢さんもお疲れ様ですー」
「学校始まっちゃったね。これから夏休みみたいに遊べなくなるなあ……」
「そうですね。でも、伊沢さん、これからこうして送ってくれるんでしょ? もしかして面倒くさいですか?」
「そんなことないよ!……俺は……」
ちょっと躊躇う伊沢。
「え? 俺は? なんですか?」
伊沢は戸惑ったが、何を躊躇う必要があるんだ、男なら言ってしまえと腹を括った。
「ちょっとでも……少しずつ、原田さんと距離を近づけたいし……」
その言葉に少し驚きながらも、
「何言ってんですか……? あたし達、付き合ったんですよね?」
と、彼女は無邪気に微笑んだ。
「あはは、そうだな……でも俺、原田さんのこと、チャック・ノリスが好きってことくらいしか、まだ知らないよ」
そう言って笑う伊沢。
「あははは! そうでしたっけー? 確かにチャック・ノリスが好きだとは言いましたけど」
――付き合う前。初デートは映画だった。
原田さんが映画好きで、好きな俳優はなんと「チャック・ノリス」だと聞いた伊沢。女子にしてはあまりにも破天荒なセンスに興味の火が付き、思わず映画に誘ってしまったのが、二人の始まりのキッカケだったのだ。
「それからだって……デート? になるんですかね? 色々連れてってくれたじゃないですか」
夜道の下、笑顔で問いかけてくる原田さん。
◆ 1993年8月。たった三回の、濃密すぎる軌跡
「そうだけどさー……ははは……あーでも、映画以外は二回しかデートしてないよ」
「あーでもそうかぁ……でも、一日が濃くって、凄く楽しかったんです」
「ほんと?」
伊沢の胸の奥が、じんわりと熱くなった。
そうだ、たった三回。すべて、先月八月中の出来事だ。
映画の日、彼女から「バイトを辞めるかもしれない」と打ち明けられた時、伊沢の中に妙な焦りが生まれた。だから残りの二回は、愛車のバイクを使い、なりふり構わず気合いを入れたのだ。
二回目の夜は、街の光が滲む海遊館と、潮風の匂いがする海へ。
三回目は、澄んだ空気が肺を満たす奈良の天河神社へ。
目的地に着けば、あっさりと時間は過ぎていく。けれど伊沢が本当に彼女に伝えたかったのは、そこへ向かうまでの道のり――タンデムシートで背中越しに伝わる体温と、切り換わる景色、風を切り裂くバイクの爽快感だった。
「はい。ほとんどバイクの上でしたけどね」
彼女はクスリと笑って、愛おしそうに言葉を繋いだ。
「知らない景色ばかりでしたから。すっごく楽しかったんです」
◆ 偶然のハモりと、底をつきそうなデートプラン
「へへ……嬉しいな。そんな風に感じてくれて。そういうの、感じてほしかったんだ」
伊沢の胸に、してやったりの達成感と、それ以上の安堵が広がった。思い切って誘って、本当によかった。
「また、一緒に……」
「また、一緒に……」
夜道に、二人の言葉がぴたりと重なる。
ハッとして顔を見合わせると、お互いに目を丸くしていた。数秒の空白のあと、照れくささが弾けるように、どちらからともなく思いっきり笑い合ってしまった。
「……一緒に行ってくれるの?」
「勿論ですよ! 今度はどこへ連れて行ってくれるか楽しみです!」
街灯の下、原田さんは花が咲いたような満面の笑みで答えてくれた。
「よーし、わかった! ……でもな、意外とそんなに行くとこないんだよ。割ととっておきのカードを出しちゃったから」
頭を掻きながら、伊沢は苦笑いする。
「そうなんですか? でも、同じところでも構いませんよ。行ったとこ、すごく良かったですもん」
「そうかい? そりゃあ良かった! でもレパートリー増やしとかなきゃな。頑張るよ」
威勢よく請け負ったものの、内心は少し焦っていた。
事実、伊沢は自分の中の「とっておきの場所」を、あの八月で二箇所も矢継ぎ早に切ってしまったのだ。他にも候補はあるにはあるが、このハイペースで消費してしまっては、あっという間に手札が尽きてしまう。
◆ タイムリミットの交差点と、不意打ちの鼓動
手札は残りわずか。どこに行こうかと思考を巡らせていた時、不意に落ちた涼やかな声が、その空回りを断ち切った。
「伊沢さん」
カラカラと鳴っていた自転車のチェーンの音が止まる。いつの間にか、彼女の家の近くの小さな交差点まで来ていた。今日という時間の、実質的なタイムリミットである。
「ん、どうしたの?」
「別に、無理して遠くに行かなくてもいいですからね」
「えっ」
図星を突かれた伊沢は、思わず間抜けな声を出してしまった。原田さんは自転車のハンドルを握ったまま、街灯の光を浴びて柔らかく微笑む。
「近くでも全然楽しいですし。伊沢さんと遊びに行くまで、丁度なんだかする事なかったんですよね。バイトも何となくやってただけだし。お小遣いは欲しいけど……。でも、伊沢さんが彼氏になってくれたおかげで、楽しみが増えましたよ?」
伊沢の心臓が、ドクン!と大きく跳ねた。
胸の奥で燻っていた見栄や焦燥感は、その純粋な一言であっさりと瓦解した。彼女がそう言ってくれただけで、伊沢の胸は弾けそうなほどの歓喜に包まれた。
「……へへっ……無茶苦茶嬉しいんだけど」
「えへ、そうですかー?」
原田さんはいたずらっぽく笑う。
「じゃ、ここで帰ります。ありがとうございました! これからも送ってくれるんですよね?」
「うん、そうさせてほしい」
「はい! お願いします! じゃ! お疲れ様です!」
にこやかにぺこりと頭を下げて去っていく小さな背中を、伊沢は見えなくなるまで見送った。
九月の夜風が、火照った頬を優しく撫でていく。
熱狂の夏は終わったけれど、甘酸っぱくて少しだけ不器用な二人の日常は、まだ始まったばかりだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
1993年のあの頃を思い出しながら、一筆一筆、熱量を込めて書きました。
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