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「王子様、その浮気相手は悪魔でございますけどぉぉぉぉーー!?」〜婚約破棄された光魔法令嬢は、節穴王子を捨てて王太子に溺愛される〜

作者: 雪白めると
掲載日:2026/03/29

「真実の愛? いいえ殿下、それは『真実の悪魔よだれダラダラ』です!」

ポンコツ王子を捨てて、地下に棲みつく超絶美形(※元・瓶底メガネの変人)の王太子殿下と幸せになります!


「セリア・ルーセント伯爵令嬢! 君のような嫉妬深く傲慢な女との婚約は、ただいまこの時をもって破棄させてもらう!」


 きらびやかなシャンデリアが照らす、王立学園の卒業パーティー会場。

 華やかなドレスや礼服に身を包んだ貴族たちが息を呑んで見守る中、この国の第二王子であり、わたしの婚約者でもあるクライド殿下が、堂々と宣言した。


 艶やかな濃い金髪に、自信満々――しかし中身は空っぽ――な緑の瞳。

 彼の腕には、小柄で可憐な令嬢がすがりついている。


 数か月前に突如として男爵家に引き取られたという、漆黒の髪にルビーのような赤い瞳を持つ令嬢、アンジェリカ・ベラドンナだ。


 周囲の令嬢たちは「まあ、クライド殿下……」「あのアンジェリカ様という方、とても儚げで愛らしいわ」とヒソヒソ囁き合っている。

 なるほど、王道だ。

 いかにも王道な、「真実の愛に目覚めた王子様による、悪役令嬢の断罪シーン」である。


 わたし、セリアの薄い水灰色の髪と紫の瞳は「冷徹そうに見える」とよく言われるし、王家の婚約者として厳しく教育されてきたため、愛想笑いも得意ではない。

 悪役令嬢のテンプレートとしては満点かもしれない。


 ――普通なら、ここでわたしは「殿下、どういうことですか!」と泣き崩れるか、「わたしというものがありながら!」と扇子を折るべきなのだろう。


 しかし、わたしはそれどころではなかった。

 わたしの視線は、クライド殿下の顔でもなく、周囲の冷ややかな視線でもなく、ただ一点に釘付けになっていた。


「……殿下」

「なんだ、今さら言い訳か! 貴様がアンジェリカの教科書を破り、階段から突き落とそうとしたことは、すべて調べがついているのだぞ!」

「いえ、そんな身に覚えのないポンコツ冤罪はどうでもいいんです。それより殿下」


 わたしは震える指をそっと持ち上げ、殿下の腕に抱えられている『それ』を指差した。


「その浮気相手、悪魔でございますけどぉぉぉぉーー!?」


 わたしの絶叫が、静まり返ったホールに木霊した。

 貴族たちがポカンと口を開ける。クライド殿下も目をパチクリさせている。

 無理もない。

 彼らの目には、アンジェリカが『涙ぐんで王子にすがりつく、黒髪の可憐な美少女』に映っているのだろうから。


 だが、わたしの目には違った。


 わたし、セリアは王国でも数少ない『光魔法』の使い手だ。

 邪悪なものや偽りを払う、聖なる光の力。

 その稀有な力を持つがゆえに、王家の婚約者として選ばれたのだ。


 そして、わたしの紫の瞳には、真実の姿がはっきりと見えていた。


 クライド殿下の腕に絡みついているのは、可憐な令嬢などではない。

 頭からはヤギのようにねじくれた太い角が生え、背中にはコウモリの羽。

 肌はどす黒く変色し、裂けた口からはダラダラと黄色いよだれを垂らした、正真正銘の『悪魔』だった。

 しかも、悪魔の長い舌が、現在進行形でクライド殿下の頬をベロンベロンと舐め回している。


「ヒィィッ……! ちょ、殿下! 舐められてます! めっちゃ顔面舐められてますってば! 邪悪なオーラがドバドバ出てます!」

「なっ、なにをトチ狂ったことを言っている! アンジェリカの美しさに嫉妬し、ついに頭がおかしくなったか!」

「違います! 現実を見てください! その女の頭、立派な角が生えてますから! あと、生ゴミみたいな臭いしません!? 殿下の鼻は飾りですか!」

「ひどい……セリア様……私、そんな、生ゴミだなんて……っ」


 アンジェリカ――悪魔――が、わたしの言葉に傷ついたように、シクシクと泣き始めた。

 周囲の貴族たちが「ああ、可哀想に」「なんて酷い暴言だ」と、わたしを非難する。

 だが、わたしの目には、悪魔が『ギシャアアアアッ!』と奇声を上げながら、赤い目をギョロギョロさせてわたしを威嚇しているようにしか見えない。

 しかも、よだれが殿下の礼服に思いきり垂れている。

 汚い。


「ほら! 今『ギシャアア』って言いましたよ!? 完全にバケモノの鳴き声じゃないですか!」

「アンジェリカは『ひどい』と泣いているだけだ! ええい、この期に及んで私の愛するアンジェリカを侮辱するとは、不敬罪にも程がある!」


 クライド殿下は顔を真っ赤にして激昂した。

 いや、怒りでそこまで真っ赤にならなくても。

 ていうか、本当にそのよだれまみれの悪魔を愛してるの?

 チョロすぎない?


「衛兵! この嫉妬に狂った女を捕らえよ! 頭を冷やすまで地下牢に放り込んでおけ!」

「ちょ、待っ……!」


 わたしの必死の訴えも虚しく、屈強な衛兵たちが両脇を固めてきた。

 光魔法で蹴散らすこともできたけれど、ここで王族や貴族たちに魔法をぶっ放せば、それこそ本当の大罪人になってしまう。


 引きずられていくわたしの目に最後に映ったのは、クライド殿下の腕の中で、こちらに向かってニチャア……と邪悪な笑みを浮かべる悪魔の姿だった。

 長い舌が、チロチロと揺れている。


「あーあ……あのポンコツ殿下、絶対に魂まで喰われるわ……」


 わたしは大きなため息をつきながら、王宮の地下へと続く冷たい石段を下ろされていった。


***


 ガシャン! という重々しい音とともに、地下牢の鉄格子が閉められた。

 カビ臭く、薄暗い石造りの空間。

 ベッドとは名ばかりの硬い木の板と、水差しが一つ置かれているだけだ。


「はぁ……最悪」


 わたしはドレスの汚れも気にせず、木の板の上にドカッと腰を下ろした。

 薄い水灰色の髪をかきむしり、大きなため息をつく。

 婚約破棄されたこと自体は、実はそこまでショックではない。


 クライド殿下は昔から見栄っ張りで、自分の言うことを聞く取り巻きばかりを重用する傾向があった。光魔法の才を評価されて婚約者になったわたしとは、もともと性格が合わなかったのだ。

 だが、まさかあんな分かりやすい悪魔に骨抜きにされるとは。


「よりによって、あんなよだれダラダラのバケモノに負けるなんて……わたしの女としてのプライドが泣くわ」


 いや、勝っていたとしても嬉しくはないが。

 問題は、あの悪魔の目的だ。

 ただ一人の貴族をたぶらかすだけならまだしも、王族の側に入り込んだということは、国そのものを乗っ取る、あるいは破滅させる気かもしれない。


「誰かに知らせないと……でも、わたしの目以外にはただの美少女に見えてるんじゃ、誰も信じないわよね。そもそも、わたし以外にあの不自然さに気づく人間なんて……」


 ブツブツと独り言を言っていると、ふと、牢の奥からガサリ、と物音がした。

 ネズミだろうか。

 わたしは眉をひそめて、薄暗い鉄格子の向こう、地下牢のさらに奥へと続く通路に目を凝らした。


「……うるさいな。静かにしてくれないか。計算が狂う」


 低く、少しかすれた男の声だった。

 ビクッとして立ち上がると、通路の暗がりから、ユラリと一つの影が近づいてきた。

 看守ではない。

 手には分厚い古文書と、羽ペンを持っている。


 鉄格子の前に姿を現したその人物を見て、わたしは思わず呆気に取られた。

 身にまとっているのは、いつから洗っていないのか分からないほどヨレヨレのローブ。

 頭には、鳥の巣のようにボサボサに乱れた薄い金色の髪。

 そして顔の半分を覆い隠すような、恐ろしく分厚い瓶底メガネ。


「えっと……どなたかしら?」

「それはこちらの台詞だ。ここは王宮の最下層、特別地下牢から続く旧書庫の入り口だぞ。こんなところに令嬢が放り込まれるなど、前代未聞なんだが」


 男は分厚いメガネを中指でクイッと押し上げながら、不機嫌そうにわたしを見下ろした。

 どう見ても、地下書庫に住み着いているヤバい変人学者である。


 しかし、わたしはこの時まだ知らなかった。

 このボサボサ頭の変人こそが、数年間、隣国に留学に出たきりになっていた第一王子――クライド殿下の兄である、エルネスト王太子殿下その人であるということを。


「旧書庫……」

「その地下牢も囚人のものではなく、父王が幼少期にいたずらをした僕たち兄弟を懲らしめる目的で作ったものだ」

「えっ……!? 父王って、あなた、まさか……!?」

「この国の第一王子、エルネスト・ウィランド・アルジェントである。弟の学園卒業を祝うため戻ってきたばかりなのだが……一体、何があったのかな?」


 分厚いレンズの奥で、彼の目が面白そうに細められた。

 わたしは信じられない思いで、その鳥の巣ヘアーとヨレヨレのローブを二度見、いや三度見した。


(う、嘘でしょ!? 数年間も我が国を空けて、隣国のシルバード王国に留学していたはずの、あの超優秀と噂の王太子殿下!? 完全に地下に棲みつく妖怪の類だと思ってたのに!)


 ツッコミたい気持ちをグッと飲み込み、わたしはこれ幸いとばかりに、鉄格子越しに事の顛末をぶちまけた。


 二年前に光魔法の才を見出され、クライド殿下の婚約者に選ばれたこと。

 突然婚約破棄されたこと。

 クライド殿下がご執心のアンジェリカ男爵令嬢に陥れられたこと。


 ……わたしの言葉を聞き終えると、エルネスト殿下は声を落とした。


「そうだったのか……。弟の非礼を詫びたい、セリア嬢。大変申し訳なかった」

「わたしの話、信じていただけるのですか? ……誰も、信じてくれなかったのに……」

「君は嘘をついているようには見えない。それに弟、クライドの性質は私が一番よく知っている。外見は美しいが、少々浅はかなところがあってね……。他人を見かけで判断する悪い癖もあり、私とはあまり反りが合わない部分があるんだ」


「そうだったんですね」とわたしは返しながらも、(でも確かに、エルネスト殿下のその見た目は、めちゃくちゃツッコミたくなるかも……)と内心で悶絶する。


 鳥の巣のようなボサボサ頭に、ヨレヨレのローブ。

 おまけに顔の半分を隠す分厚い瓶底メガネ。

 いくらなんでも王太子としての威厳が迷子すぎないだろうか。


 しかし、わたしは意を決して告げることにした。

 この方なら、聞いてもらえそうな気がしたのだ。


「あいつの正体、邪悪な悪魔ですよ。わたしには見えます」

「……なんだと……?」


 エルネスト殿下は分厚いメガネの奥の目を大きく見開き、猛烈な勢いで食いついてきた。


「悪魔だって……!? ……なるほど、君のその稀有な光魔法の適性ならば、高度な隠蔽魔法や幻惑を透過して真実の姿を捉えられるというのか……!」

「ええ。角が生えてて、よだれダラダラでした」

「素晴らしい! いや、状況は最悪だが、学術的――もとい、国家危機的観点から言えば非常に興味深い! 君の言葉が真実なら、数か月前に突如として現れたアンジェリカ男爵令嬢……その不自然さの辻褄が完全に合う。君のその目と光魔法があれば、確固たる証拠が掴めるかもしれない」


 先ほどまでの落ち着いた態度はどこへやら、特大の好奇心と使命感に火がついたエルネスト殿下は、壁に掛けられていたのであろう鉄格子の鍵を開け放った。

 こうして、わたしとボサボサ王太子殿下の奇妙な共同戦線が幕を開けた。


 わたしたちは、特別地下牢から繋がる王家秘蔵の地下書庫を拠点に据え、役割を分担した。


 殿下はその驚異的な頭脳をフル回転させ、アンジェリカの偽造された経歴や戸籍の矛盾、周囲の記憶操作の痕跡を徹底的に洗い出す「裏付け調査」を担当。

 一方のわたしは、殿下が書庫の奥底から見つけ出してきた『王家の秘められた古文書』を読み解き、悪魔の隠蔽魔法を強制的に引き剥がし、正体を大衆の前に暴く超高等魔法『真実の光』の会得を目指して猛特訓を開始した。


***


 王宮の最下層に位置する、忘れ去られた旧地下書庫。

 カビと古い紙の匂いが充満するその薄暗い空間が、わたし、セリアとエルネスト王太子殿下の秘密基地となってから数日が経過していた。


「セリア嬢! こっちだ、この『建国期における魔物分布図』の裏側に、君の光魔法を当ててみてくれないか!」

「はいはい、当てますよー……『光よ、真実を暴け(ルーチェ・ヴェリタス)』っと。……うわっ、なんか気持ち悪いウネウネした古代文字が浮かび上がってきましたけど!?」

「素晴らしい! やはり僕の仮説通りだ! ああ、なんて美しい隠蔽術式なんだ……いや、術式自体は極めて邪悪だがね!」


 わたしの手のひらから放たれる柔らかな光に照らされ、エルネスト殿下は分厚い瓶底メガネを押し上げながら、羽ペンを猛烈な勢いで走らせている。

 鳥の巣のようにボサボサの薄い金髪には蜘蛛の巣が絡まり、ヨレヨレのローブは埃で真っ白。どう見ても不審者だが、この数日でわたしはすっかりこの光景に慣れてしまっていた。


 殿下の頭脳は、まさにバケモノじみていた。

 彼が長年の魔導留学で集めていた断片的な情報と、わたしの「悪魔が見える目」から得た事実。

 それをパズルのように組み合わせ、膨大な古文書の山から必要なピースだけをピンポイントで引き抜いていく。


「解読完了だ。……セリア嬢、笑えない事実が判明したぞ」


 羊皮紙から顔を上げた殿下の声が、急に一段低くなった。


「あのアンジェリカという令嬢に擬態している悪魔の正体は、『魂喰い(ソウルイーター)』の変異種だ。高濃度の魔力を持つ人間に取り憑き、その生命力と魔力をチューチューと吸い尽くして抜け殻にした後、肉体を乗っ取る性質がある」

「チューチューって……蚊じゃないんですから」

「笑い事ではないぞ。クライドの魔力と生命力が完全に吸い尽くされるのは、おそらく次の満月の夜――すなわち、明日の『新たな婚約発表夜会』の直後だ」

「えっ」

「悪魔はクライドの肉体を乗っ取った後、王位継承権を利用してこの国の中枢に入り込み、最終的には国全体を己の苗床にする気だろう」


 わたしは絶句した。

 あのポンコツ第二王子、骨抜きにされているだけではなく、物理的に命の危機――しかも国ごと破滅するおまけ付き――に瀕していたのだ。


「……あいつ、本当にどこまでバカなんですか。真実の愛とか寝言を言ってる間に、干物になる寸前じゃないですか」

「弟ながら情けない話だ。だが、これで我々が明日、奴らの婚約発表の場で悪魔の正体を暴かなければならない理由が、より強固になった」


 殿下はそう言って、ドサリと分厚い魔導書をわたしの前に置いた。


「君が会得を目指している超高等魔法『真実の光』。これが完成しなければ、悪魔をあぶり出すことはできない。……いけるか?」


 試すような、それでいて確かな信頼の籠もった声。

 わたしはドレスの袖を乱暴にまくり上げ、両頬をパンッと両手で叩いた。


「やりますよ! あんなよだれダラダラのバケモノに国を乗っ取られるなんて、わたしの美意識が許しません! それに……」

「それに?」

「いくらわたしを地下牢にぶち込んだ憎き元婚約者とはいえ、干物にされて乗っ取られるのは、さすがに寝覚めが悪いですからね。……助けてから、思いきりビンタしてやります」


 わたしが鼻息荒く宣言すると、殿下はポカンと口を開け……次の瞬間、口元を押さえながら笑い出した。


「くっ……ふふっ、あはははは! 君は本当に、最高だな!」

「な、なんですか急に。人が真面目に決意表明してるのに!」

「いや、すまない。……ただ、少し感動していたんだ」


 殿下は笑い涙を指で拭いながら、分厚いレンズの奥の目を優しく細めた。


「君は、クライドからあんなに理不尽で屈辱的な婚約破棄をされたというのに。不敬罪を着せられ、冷たい地下牢に放り込まれたというのに……私怨に囚われず、この国を、そして愚かな元婚約者を救おうと必死に戦っている」


 その真っ直ぐな言葉に、わたしは思わずドギマギして視線を逸らした。

 クライド殿下から向けられていたのは、いつも「お前は可愛げがない」「理屈っぽくて冷たい」「もっとアンジェリカのように儚く振る舞えないのか」という否定の言葉ばかりだったからだ。


「……別に、そんな立派な理由じゃありません。ただ、見過ごせないだけです」

「クライドの目は完全に節穴だな。君のように聡明で、飾らず、気高く美しい令嬢を手放すなんて。……私なら、絶対にそんな愚かな真似はしない」


 ドキン、と心臓が大きく跳ねた。


「君のその強さも、美しい光魔法も、悪魔を見抜く真っ直ぐな瞳も。すべてが愛おしいほどに素晴らしいと、私は思うよ」


 埃まみれの地下書庫で。

 ヨレヨレのローブを着た、ボサボサ頭の変人学者から向けられた、これ以上ないほどストレートで甘い肯定の言葉。

 わたしの顔は一気にカッと熱くなり、耳の先まで茹で上がっていくのが自分でも分かった。


(ちょっと待って。なんでわたし、こんな見た目モップみたいな人に褒められて、こんなにドキドキしてるの!?)


 王宮の令嬢たちが憧れるような、白馬に乗ったキラキラの王子様でもない。

 甘い言葉でエスコートしてくれるわけでもない。

 でも、彼はわたしの能力を誰よりも認め、対等な相棒として頼りにしてくれている。

 わたしが「可愛げのない悪役令嬢」ではなく、「わたし」であることを、全力で肯定してくれる。


「……っ、そ、そんな口説き文句みたいなこと言ってる暇があったら、早く次の古文書の解読を進めてください! ほら、光、当てますから!」

「おっと、そうだった。照れ隠しで光魔法の出力を上げないでくれ。眩しくて文字が見えない」

「上げてません! 通常営業です!」


 ワーワーと文句を言い合いながら、わたしたちは再び机に向かった。


 山積みの本が崩れてきそうになれば、殿下が――不器用ながらも――わたしを庇ってくれて、結局二人して本の下敷きになって大笑いしたり。

 疲れてうたた寝してしまったわたしの肩に、埃っぽいけれど温かい殿下のローブがそっと掛けられていたり。


 そんなドタバタで、けれど不思議なほど居心地の良い時間を重ねるうちに、わたしはもう、自分でもはっきりと自覚していた。


(わたし、この変人殿下のこと……結構、いや、かなり好きになってるわ)


 完璧な外見なんて、もうどうでもよかった。

 このボサボサ頭の下にある、彼の聡明で優しい内面に、わたしはすっかり惹かれてしまっていたのだから。


「……くそっ、魔導灯の光だけでは調査資料の細かい文字がかすんで見える。これでは裏付けが間に合わない……いたっ」


 そんな矢先のことだった。

 徹夜続きで目を酷使していたエルネスト殿下が、突然眉間を押さえて苦しげに呻いたのは。


「殿下、かなり目を酷使されていますね。少し休憩なさっては?」

「いや、明日にはクライドとあの悪魔の新たな婚約発表夜会がある。ここで手を止めるわけには……」


 痛みに顔をしかめる彼を見て、わたしは居ても立ってもいられなくなった。

 こんなにわたしのために、国のために頑張ってくれている彼に、何かわたしからお返しがしたい。


「あの、殿下。わたしの光魔法の応用で、目の細胞を活性化させて眼精疲労……というか、近眼そのものを治せるかもしれません。少し、触れてもよろしいですか?」


 徹夜続きで目を痛ませるエルネスト殿下を見かねて、わたしはそっと両手を差し出した。


 殿下は少し驚いたように瞬きをした後、「……君の魔法なら、信じよう」と、おもむろに分厚い瓶底メガネに手をかけた。


 薄暗い地下書庫の中で、わたしの手のひらから淡く温かい光がこぼれ落ちる。

 『癒やしと再生の光よ』――心の中で小さく詠唱しながら、殿下の目元をそっと光で包み込んだ。

 長年の酷使によって疲弊していた視神経や細胞が、魔法の力で本来の健やかな状態へと一気に書き換えられていくのを感じる。

 時間にして、ほんの十秒ほどだっただろうか。


「……よし、これでどうでしょうか」


 わたしがゆっくりと手を離すと、殿下は数回、ゆっくりと瞬きをした。

 そして、手に持っていたあの分厚い瓶底メガネを見つめ、机の上へと無造作に放り投げた。


 カチャ、……ポイッ。


 その、気の抜けるような音のあと。

 邪魔なメガネがなくなり、前かがみになっていた彼が背筋を伸ばし、バサリと前髪を払いのける。

 今まで分厚いレンズとモサモサの髪に隠されていた彼の『素顔』が、書庫の魔石ランプの灯りに照らし出された瞬間。


 わたしは、息を呑むことすら忘れて完全にフリーズした。


 薄暗い埃まみれの空間に、そこだけ神の祝福が降り注いだのかと錯覚するほどの、圧倒的な美。

 無造作に払いのけられた薄い金髪の隙間から現れたのは、磨き抜かれたアクアマリンよりも深く、透明で、宝石のように澄み切った水色の瞳だった。

 すっと通った高い鼻筋、知性を感じさせる涼やかな目元。

 今まで「鳥の巣」だと思っていたボサボサの髪すら、今は計算し尽くされた無造作な色気を醸し出す完璧なフレームとして機能している。


「……驚いた。文字がはっきりと、いや、世界が鮮明に見える」


 彼が歓喜の声を漏らし、こちらを振り返ってふわりと微笑んだ。

 その破壊力たるや、凄まじかった。

 わたしの心臓は、かつてないほどのけたたましいアラートを鳴らし始めた。

 ドガン! バクン! と肋骨を突き破りそうなほどの激しい動悸。


(……えっ!? 誰!? 嘘でしょ、さっきまでのボサボサ変人どこ行った!?)


 わたしの頭の中で、盛大なツッコミが鳴り響く。


(視力を治したはずなのに、どうして種族値まで限界突破してるの!? 顔面偏差値がカンストどころか、メーター振り切って宇宙まで飛んでいってるんですけどぉぉぉ!? なにこの国家最高機密レベルの美顔! 凶器! これは完全に歩く凶器!!)


 ついさっきまで、「中身が好きだから見た目はどうでもいいわ」などと殊勝なことを考えていた自分を小一時間問い詰めたい。

 外見の暴力とはこのことだ。

 今まであの分厚いメガネは、視力を補うためではなく、この恐ろしいほどの美貌を封印するための魔道具だったのではないだろうか。


 わたしが口をパクパクさせながら大パニックに陥っていると、至近距離にいる超絶美形――中身はさっきまでのエルネスト殿下――が、わたしの顔をじっと見つめてきた。


 その青い瞳が、驚きに見開かれる。


「……セリア嬢」

「は、はいぃっ!?」

「視界がクリアになったせいだろうか……いや、今まで私の目が節穴だったんだ」


 殿下は、まるで壊れ物に触れるかのように、そっとわたしの頬に手を伸ばした。

 長い指先がわたしの髪をすくい上げ、宝石のような青い瞳が、熱を帯びた視線でわたしを真っ直ぐに射抜く。


「君のこの、透き通るような薄い水灰色の髪。そして……知性と強い意志を宿した、美しい紫の瞳。君がこんなにも綺麗で、魅力的な女性だったということに……私は今、初めてはっきりと気がついたよ」


 甘く、低く囁くようなその声に、わたしの顔は一瞬にして沸騰した。

(嘘でしょ、顔が近い! 見つめないで! その顔でそんな甘いこと言われたら、こっちの理性が吹き飛びますけど!?)


 しかも、彼の言葉はただの外見への賛美ではなかった。


「この数日間……埃まみれになりながらも、文句一つ言わず私を支えてくれた。国を救うため、愚かな弟を救うために、誰よりも一生懸命に戦う君の姿を、私はずっと傍で見てきた」

「で、殿下、あの……っ」

「君の心根の美しさは知っていたつもりだったが……今はもう、君のすべてから目が離せそうにない」


 熱い。

 視線が、声が、触れられた指先が。

 ドタバタとコミカルな捜査を繰り広げていたはずの地下書庫が、突如として極上のロマンス劇場へと変貌してしまった。

 彼の真摯な言葉と、カンストした美貌から放たれる甘い雰囲気に当てられ、わたしは茹でダコのように真っ赤になりながら後ずさった。


「ち、近いです! 殿下、顔が良すぎます! 心臓に悪いです!」

「顔? ……ああ、そういえば昔からよく見目ばかりを褒められて煩わしかったが。君が照れてくれるなら、この顔に生まれてよかったと心から思えるな」

「そういうことサラッと言えちゃうあたりがもうダメです! ほら、感動してる場合じゃないですよ! 古文書! まだ解読が終わってません!」


 わたしはパタパタと両手で自分の顔を扇ぎながら、無理やり話題を逸らして机の上の羊皮紙を指差した。

 これ以上あの青い瞳に見つめられていたら、魔法を完成させる前にわたしが灰になってしまう。


「……ふふっ、そうだな。君の言う通りだ。明日の夜会に間に合わせなければ」


 殿下は優しく微笑むと、気を取り直して再び古文書へと向き直った。

 そして、そこからの彼の集中力は、まさに鬼神のごとき凄まじさだった。


「……なるほど、そういうことか! セリア嬢、この六行目の古代文字はフェイクだ! その下に隠された魔力紋の配列こそが真の詠唱キーになっている!」

「えっ、本当ですか!? ……あ、見えました! 光の波長をそこに合わせれば……っ!」


 視力が完全に回復したエルネスト殿下の解読スピードは、文字通り爆上がりしていた。

 今まで目を凝らしても見えなかった細かいルビや、紙の繊維に隠された暗号までを瞬時に読み取り、わたしに的確な指示を飛ばしてくる。

 わたしもその驚異的な頭脳のペースに食らいつき、魔力を極限まで練り上げていく。


「最後の術式、繋がります! 『隠されたる澱みを払い、すべてを白日の下に晒せ』……!」

「完璧だ。その魔力回路に、僕が弾き出したこの座標式を組み込んでくれ!」


 二人の息は、恐ろしいほどにぴったりと合っていた。

 彼の論理的な解析と、わたしの魔法の直感。

 それがパズルの最後のピースのようにカチリとはまり込んだ瞬間――


 カァァァァッ……!!


 地下書庫全体が、昼間のようにまばゆい純白の光に包まれた。

 わたしの手のひらの上に、複雑に幾何学模様を描く光の魔法陣が浮かび上がり、静かに、しかし圧倒的な力を秘めて回転している。


「……成功、だ」

「ええ……やりましたね、殿下」


 息を切らしながら光の魔法陣を見つめるわたしに、殿下が満足げに頷いた。

 悪魔の隠蔽魔法を強制的に引き剥がし、その醜悪な正体を大衆の前に暴き出す超高等魔法――『真実の光』が、ついに完成したのだ。


 証拠は揃った。

 魔法も完成した。

 あとは明日、クライド殿下とあの悪魔の「新たな婚約発表夜会」に乗り込むだけだ。


「さあ、行こうかセリア嬢。我々の手で、この国に巣食う害虫を駆除し……そして、君の雪辱を晴らすとしよう」


 超絶美形へと覚醒した王太子殿下が、自信に満ちた笑みを浮かべてわたしに手を差し出す。

 わたしはその手を取り、今度こそ真っ直ぐに彼の青い瞳を見つめ返して、力強く頷いたのだった。



 ***



 王宮で最も豪奢な『太陽の間』は、鼓膜を打つような華やかなオーケストラの調べと、着飾った貴族たちのざわめきで満ちていた。

 まばゆいばかりの輝きを放つ巨大なクリスタル・シャンデリアの下、部屋の中央で得意げに胸を張っているのは、王族の特徴とも言える金髪を持つ第二王子――わたしの元婚約者であるクライド殿下だ。


 彼の腕の中には、漆黒の髪とルビーのような赤い瞳を持つ「儚げな美少女」、アンジェリカ男爵令嬢がすがりついている。

 数日前の卒業パーティーでわたしを不敬罪として地下牢に叩き落とし、晴れて「真実の愛」を証明したつもりのクライド殿下は、集まった貴族たちに向けて声高らかに宣言していた。


「皆の者、集まってくれて感謝する! 本日は私、クライドと、この愛らしくも純真なアンジェリカとの新たな婚約を祝う、記念すべき夜会である! 嫉妬に狂った悪辣な令嬢セリアはとうに地下牢の奥深く。これからは、私とアンジェリカがこの国の輝かしい未来を……」


「まあ、クライド殿下ったら頼もしいわ」

「アンジェリカ様も、なんと可愛らしいことでしょう」


 魔法による認識操作を受けている貴族たちは、よだれを垂らす醜悪な悪魔を「可憐な令嬢」だと信じ込み、うっとりとしたため息をつきながら拍手を送っている。

 ……しかし、そんな茶番劇は、突如として鳴り響いた轟音によって木っ端微塵に打ち砕かれることとなる。


 バーーーーーーンッ!!


 太陽の間の重厚なオーク材の扉が、弾け飛ぶような勢いで左右に大きく開け放たれた。

 あまりの音にオーケストラの演奏がピタリと止まり、会場中の視線が一斉にエントランスへと釘付けになる。

 静まり返った大広間に響くのは、コツン、コツン、という落ち着き払った優雅な足音だけ。


「……輝かしい未来、か。ずいぶんと寝言のスケールが大きいじゃないか、我が愚弟よ」


 冷ややかで、けれど王者の風格を纏った低くよく通る声が、広間全体を震わせた。


 そこに立っていたのは、一組の男女。

 エスコートされる女性――すなわちこのわたし、セリアは、この数日間の埃まみれの地下書庫生活が嘘だったかのように、王家専属の侍女たちの手によって完璧に磨き上げられていた。

 わたしの薄い水灰色の髪は真珠の髪飾りで美しく結い上げられ、瞳の色と同じ深い紫を基調とした最高級のシルクドレスが、歩くたびに星空のように瞬いている。


 だが、会場の度肝を抜いたのはわたしではない。

 わたしの隣で、わたしの腰をそっと抱き寄せるようにして立つ、一人の男性だった。


「な……なんだ、あの圧倒的な美丈夫は……!?」

「どこかの大国の王族か!? いや、神話の太陽神の生まれ変わりでは……っ!」

「あんなお美しい方がこの世に存在したなんて……息が、息ができないわ……!」


 貴族の令嬢たちが次々と扇を取り落とし、ご婦人方はあまりの美しさに目眩を起こして倒れかかっている。

 無理もない。

 今のエルネスト殿下は、まさに『美の暴力』そのものだったからだ。


 鳥の巣のようだった薄い金髪は、一流の美容師の魔法(物理)によって、動くたびにサラサラと金の糸のように輝く完璧なスタイルへと整えられている。

 分厚い瓶底メガネという最硬の封印から解き放たれた素顔は、彫刻家が一生をかけても到達できないほどの黄金比。

 知性と色気を同時に放つ、射抜くような淡いスカイブルーの瞳。

 そして、第一王位継承者のみが袖を通すことを許される、純白と濃紺を基調とし、金糸の刺繍がふんだんに施された豪奢な王太子としての正装。


 誰がどう見ても、物語の中から抜け出してきた完璧な『王子様』。

 いや、それすらも超越した、国家最高機密レベルの超絶スパダリがそこに降臨していたのだ。


「セ、セリア!? 貴様、なぜ地下牢から抜け出している!」


 祭壇の上からわたしを指差し、素頓狂な声を上げるクライド殿下。

 彼はわたしの隣に立つ神がかった美貌の男性をまじまじと見つめ、ギリッと歯ぎしりをした。


「それに、お前のような罪人をエスコートしているその無礼な男は誰だ! どこの馬の骨かは知らんが、私の許可なく王宮の夜会に足を踏み入れるなど……衛兵! その男とセリアを直ちに捕らえよ!」


 あまりのポンコツぶりに、わたしは思わず頭を抱えそうになった。


(ちょっと! いくら数年間国を空けていて、姿が激変したからって、実の兄の顔も分からないの!? あなたの目は本当に何のためについてるの!?)


 ざわめく衛兵たちが槍を構えようとした、その瞬間。

 エルネスト殿下は、フッ、と冷酷な、それでいてひどく優雅な笑みを浮かべた。


「……私の顔を忘れたか、クライド。他人の外見しか見ていないから、数年離れただけの実の兄の顔すら見失う。相変わらず、その緑の目はただのビー玉のようだな」

「あ……あ、兄上……? そ、そんな馬鹿な! 兄上はもっとこう、髪がモサモサで、瓶底メガネをかけた冴えない本の虫で……っ!?」


 エルネスト殿下の言葉に、会場中に雷に打たれたような衝撃が走った。


「だ、第一王子のエルネスト殿下だと!?」

「留学先からお戻りになられたのか! しかし、あのように神々しいお姿になられて……!」


 誰もがひれ伏したくなるような圧倒的な覇気を放ちながら、エルネスト殿下はわたしの腰に添えた手に少しだけ力を込め、ゆっくりとクライド殿下たちの前へと歩みを進めた。

 モーセの十戒のごとく、貴族たちが慌てて道を空けていく。


「な、なぜ兄上が、その女をエスコートしているのですか! そいつは私のアンジェリカに嫉妬し、暴力を振るった大罪人で……っ」

「黙れ」


 エルネスト殿下の静かだが絶対的な一言に、クライド殿下はビクッと肩を震わせて口をつぐんだ。


「嫉妬に狂っているのは、お前のその空っぽの頭脳だ。いいかクライド、その女――アンジェリカ男爵令嬢などという貴族は、この国のどこにも存在しない。私が数日かけて裏付け調査を行った結果、この者の戸籍も、男爵家の養女という経歴も、すべて数か月前に偽造されたものであると確定した」


 エルネスト殿下が指を鳴らすと、後方から彼の直属の部下たちが、台車に山積みにされた膨大な証拠書類を運び込んできた。


「加えて、お前を含めたこの会場の者たちは、強力な認識阻害と記憶改竄の魔法をかけられている。……お前が愛の言葉を囁いているその女の正体は、人間の魔力と生命力を吸い尽くして国を乗っ取ろうと画策している変異種の悪魔、『魂喰い(ソウルイーター)』だ」

「あ、悪魔……? 兄上、何を狂ったことを! アンジェリカはこんなにも美しく、私を愛してくれているのに!」


 証拠を突きつけられてもなお、現実逃避をして悪魔――アンジェリカを強く抱きしめるクライド殿下。

 悪魔はクライド殿下の腕の中で、「ひどい……エルネストお義兄様まで、セリア様の嘘に騙されているのね……」とポロポロ嘘泣きを始めた。


「……なるほど、言葉や証拠だけでは、その腐ったビー玉の目を開かせることはできないらしいな」


 エルネスト殿下はやれやれと肩をすくめると、わたしの方へと振り返り、あの宝石のような青い瞳で、とろけるように甘く微笑んだ。


「さあ、セリア嬢。君の素晴らしい魔法で、この滑稽な喜劇に幕を下ろしてやってくれ」

「はい、エルネスト殿下。喜んで」


 わたしは彼に向かって優雅にカーテシーをすると、クライド殿下と悪魔に向かってスッと右手を突き出した。


(さあ、覚悟しなさい。わたしを地下牢にぶち込んだ恨みと、殿下を徹夜させて目を痛めさせた恨み……まとめて百倍にして返してあげるわ!)


 地下書庫での猛特訓、エルネスト殿下の完璧な魔力計算、そしてわたしの光魔法のすべてを乗せて。


「――『隠されたる澱みを払い、すべてを白日の下に晒せ』!」


 わたしが力強く詠唱した瞬間。

 太陽の間を照らしていたシャンデリアの光すら霞むほどの、圧倒的で純白の極光オーロラが、わたしの手のひらから爆発的に放たれた。


「キャアアアアッ!?」

「うおおっ、眩しいっ!」


 会場中が光に包まれ、全員が目を庇う。

 それが、エルネスト殿下と共に完成させた超高等魔法『真実のルーチェ・ヴェリタス』。

 あらゆる虚飾と隠蔽の魔法を焼き尽くし、強制的に本性を暴き出す絶対の審判。


 数秒後、光の奔流が収まると……。

 会場の真ん中には、もはや「黒髪の可憐な美少女」の姿はどこにもなかった。


「……ギ、ギシャァァァァァァッ!!」


 鼓膜を破るような、ガラスを引っ掻いたようなおぞましい咆哮。

 黒髪は抜け落ちてどす黒い灰色の皮膚が剥き出しになり、頭頂部からは山羊のような太くねじ曲がった角が突き出している。

 背中を突き破って現れたのは、コウモリのような巨大で不気味な羽。

 ルビーのように愛らしかった目は、黄色く濁った爬虫類のような眼球へと変貌し、耳まで裂けた巨大な口からは、どろどろとした緑色のよだれが絶え間なく滝のように流れ落ちていた。


「「「ヒィィィィィィィィィッ!!?」」」


 真の姿を現した悪魔を見た瞬間。

 会場は、一瞬の静寂の後、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 ご婦人方は次々と泡を吹いて卒倒し、貴族の当主たちは情けない悲鳴を上げながらクモの子を散らすように逃げ惑う。


 そして、誰よりも悲惨だったのは。

 今までずっと、その悪魔の腰を「愛しのハニー」として力強く抱きしめ続けていた、クライド殿下その人である。


「えっ……? は……? あ、れ……?」


 クライド殿下の腕の中には、先ほどまで彼に甘えていた令嬢の代わりに、身長二メートルはあろうかという巨大で醜悪なバケモノがすっぽりと収まっていた。

 生ゴミが腐ったような強烈な悪臭が、彼の鼻孔をダイレクトに強打する。


 悪魔は、ゆっくりと首をクライド殿下の方へ向けた。

 そして、ズルリ……と、カエルのように長くぬめった舌を伸ばし、クライド殿下の整った顔面を下から上へと、ベロンチョォォォ! と景気よく舐め上げたのだ。


「……ッッッ!! ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 王宮の歴史に残るであろう、情けなくも壮絶な悲鳴。


「うわああああっ! 無理無理無理無理ィィィ! なんで君の背中からコウモリの羽が!? なんで顔から生ゴミの匂いがするのぉぉぉぉ!?」

「ギシャアアアアッ♡(愛しいクライド様ぁ♡)」

「来るな! その舌で僕を舐めるなァァァ!! え、嘘!? 俺の愛しのハニー、こんなバケモノだったの!? 誰か! 衛兵! 兄上ェェェェ!!」


 腰を抜かしたクライド殿下は、大理石の床に這いつくばり、涙と鼻水と悪魔のよだれで顔をぐちゃぐちゃにしながら、ズルズルと後ずさっていく。

 しかし悪魔は「逃ガサナイ……チュウチュウ吸ウ……!」とばかりに、よだれを撒き散らしながら彼に迫っていくのだった。


「フフッ……あははははっ!」


 わたしは思わず、扇子で口元を隠すことも忘れて大爆笑してしまった。


(最高。地下牢に叩き込まれた時の何倍もスカッとするわ! ざまぁみなさい、ポンコツ王子!)


「さて」


 わたしの隣で、エルネスト殿下が完璧な笑顔のまま、静かに魔力を練り上げ始めた。


「愚弟の目を覚まさせるという目的は十二分に果たせたようだ。国を救い、そして何より……私の愛しいセリア嬢を貶めた罪、ここで万死をもって償ってもらおうか、悪魔」


 圧倒的な美貌の奥に、絶対零度の怒りを秘めた青い瞳。

 こうして、わたしと超絶美形王太子による、悪魔祓いという名の痛快な「フィナーレ」の幕が切って落とされたのだった。



 太陽の間の中心で、今まで「愛しのハニー」と呼んでいた巨大なバケモノに押し倒され、緑色のよだれを顔面で受け止めているクライド殿下。

 そのあまりにも無惨で自業自得な姿に、わたしは同情するどころか、清々しいほどのカタルシスを覚えていた。


「ギシャアアアアッ! モウ誤魔化セナイ! ナラバ、コノ場デ全テノ魔力ヲ吸イ尽クシテヤルゥゥゥ!」


 化けの皮を剥がされた『魂喰い(ソウルイーター)』は、もはや令嬢の演技などかなぐり捨て、巨大なコウモリの羽を羽ばたかせた。

 シャンデリアの光を遮るほどの巨体が宙に浮かび上がり、狙いを定めるのはただ一人。足腰が抜けて床を這いずる、高濃度の王族の魔力を持つクライド殿下だ。


「ヒィィィッ! 来るな! 誰か、誰か助けてくれ! 兄上ェェェ!」


 鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、醜態を晒して命乞いをする第二王子。

 だが、エルネスト殿下は焦るそぶりすら見せず、静かに、そして流れるような動作で右手を天へと掲げた。


「……五行目の術式展開。座標固定。魔力回路、接続完了」


 殿下の美しく通る声が響いた瞬間。

 クライド殿下と悪魔の間を分断するように、床の大理石から青白い光を放つ巨大な魔法陣が幾重にも重なって展開された。

 それは、あの薄暗い地下書庫で、埃にまみれながら彼が不眠不休で組み上げた、対悪魔用の絶対防壁。


「ガァァァァッ!?」


 悪魔が張られた防壁に激突し、バチバチと凄まじい閃光が弾ける。

 物理的な巨体の突進を、エルネスト殿下は涼しい顔で、ただ一本の指を立てただけで完全に押し留めていた。

 その圧倒的な魔力量と、狂い一つない精密な術式構築。

 まさに、次期国王にして魔導の秀才たる彼の真骨頂だった。


「防壁の維持は私がやる。セリア嬢、いけるか?」


 振り返った殿下のスカイブルーの瞳が、わたしを射抜く。

 その整いすぎた美貌に一瞬だけ心臓が跳ね上がったが、わたしはすぐに深く息を吸い込み、両手を悪魔へと突き出した。


「はい、エルネスト殿下! 私たちの徹夜の成果、見せてやります!」


 わたしは己の中にある魔力のすべてを解放した。

 先ほどの『真実の光』はあくまで隠蔽を剥がすためのもの。ここから放つのは、純度百パーセントの物理・魔力浄化による一撃必殺だ。

 わたしの薄い水灰色の髪が魔力の風でフワリと舞い上がり、紫の瞳が強く発光する。


「地下書庫の埃よりチリチリに燃えカスにしてやりますわ! 『極光の大鉄槌アウローラ・ジャッジメント』!!」


 わたしの両手から放たれたのは、もはや魔法というより、凝縮されたレーザー兵器に近い特大の光の奔流だった。

 エルネスト殿下が瞬時に防壁の一部を開閉し、わたしの魔法だけを悪魔の巨体へと誘導する完璧なアシストを決める。


「ギ、ギギギギギギギギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 聖なる光の直撃を受けた悪魔は、断末魔の叫びを上げながら、その醜悪な巨体をボロボロと崩壊させていった。

 浄化の炎に焼かれ、邪悪な魔力と瘴気がチリとなって宙に消えていく。

 ものの数秒で、巨大なバケモノはこの世から完全に消滅した。


 ……静寂が、太陽の間を支配した。


 オーケストラも、貴族たちの悲鳴も止んだ。

 ただ、圧倒的な美しさを放つ第一王子と、その隣で特大の魔法を放ち終えたわたしだけが、静かに息を吐いている。


「見事だ、セリア嬢。君の魔法は、太陽よりも眩しく美しい」

「殿下のアシストのおかげですわ。……それにしても、あっけない幕切れでしたね」


 わたしたちが微笑み合っていると、ふと、足元から情けない呻き声が聞こえてきた。

 よだれまみれのまま大理石の床に這いつくばっている、クライド殿下だった。


「あ、あ、兄上……。た、助かった……。ありがとう、ございます……」


 震える声で礼を言いながら、縋るようにエルネスト殿下を見上げるクライド殿下。

 だが、彼を見下ろすエルネスト殿下の青い瞳は、北極の氷よりも冷酷だった。


「……勘違いするな、愚弟。私が救ったのはこの国と、君のような愚か者に巻き込まれた哀れな令嬢だけだ」

「え……?」

「己の欲望と見栄だけで真実を見失い、正しき言葉を告げた婚約者を不敬罪で地下牢に叩き落とした。あまつさえ、国を滅ぼす悪魔を王宮の中枢に招き入れ、あわや王位を簒奪されかけた。……これが王族として、どれほどの万死に値する大罪か、よもや分からぬほど脳まで萎縮してはいないだろうな?」


 静かに、淡々と紡がれる事実の羅列。

 それは、クライド殿下のちっぽけなプライドを根底から粉砕する、完璧な論理の刃だった。


「ち、違うんです! 私はあの女に騙されて……魔法で操られていただけで……!」

「言い訳など聞きたくもない。セリア嬢の忠告に耳を貸さず、見下し、己の浅はかな『真実の愛』とやらに酔いしれた結果がこれだ」


 エルネスト殿下は、まるで汚物でも見るかのような目で弟を一瞥した。


「クライド、お前の王位継承権は本日をもって永久に剥奪することを父王に進言する。そして国境沿いの最果ての修道院にて、厳しい再教育を受けてもらう」

「なっ……! そ、そんな……! 兄上、どうか慈悲を! 私には王族としての暮らししか……っ」


 泣き叫ぶクライド殿下から、エルネスト殿下は興味を失ったように視線を外し、今度はわたしの方を見た。


「セリア、お前からも口添えしてくれ! お前は私の婚約者だっただろう!? お前が最初に、もっと分かりやすく悪魔だと証明してくれていれば、こんなことには……!」


 まだそんな責任転嫁の寝言をほざく元婚約者に、わたしはドレスの裾を翻して一歩近づき、満面の笑みで告げた。


「あの時、わたしははっきりと『角が生えた悪魔でございます』と申し上げましたわ。それを『嫉妬に狂った女の妄言』と切り捨てたのは、他ならぬクライド殿下ご自身です。あなたのその節穴の目には、一生、真実の愛など見えませんわよ。……せいぜい、修道院で冷たいパンでも齧りながら、己の愚かさを悔い改めることですわね。さようなら、わたしの元婚約者の王子様」


 わたしの冷酷な――そして心からの――宣告に、クライド殿下はついに白目を剥き、その場にガックリと崩れ落ちた。


 愛した女はバケモノで。

 見下していた兄は、自分など足元にも及ばない圧倒的な美貌と知性を持つ次期国王で。

 自分が捨てた女は、国を救った光魔法の淑女として、その完璧な兄の隣で輝くように微笑んでいる。


 すべてを失い、己の愚かさという真実に打ちのめされたクライド殿下は、そのまま駆けつけた衛兵たちに両脇を抱えられ、ズリズリと無様に引きずられて退場していった。

 会場の貴族たちからは、彼を憐れむ声すら一つも上がらなかった。


 ***


 悪魔騒動の後処理で大わらわとなった夜会は中止となり、気絶した貴族たちの介抱や事情聴取で王宮はてんやわんやとなった。

 そんな喧騒から逃れるように、わたしとエルネスト殿下は、王宮の最上階にある月見のバルコニーへと抜け出していた。


 夜風が、火照った頬を心地よく撫でていく。

 眼下に広がる王都の夜景は宝石箱のように瞬き、夜空には満月が静かに輝いていた。


「……終わりましたね、殿下」


 わたしがポツリと呟くと、隣に立つ彼が優しく微笑んだ。


「ああ。君の勇気と魔法のおかげだ、セリア嬢。君がいなければ、この国は今頃、あの悪魔の胃袋の中だっただろう」

「殿下の頭脳と調査がなければ、わたしは一生地下牢でカビを養殖する羽目になっていましたよ。それに……」


 わたしはチラリと、月明かりに照らされる彼の横顔を見上げた。

 薄い金髪が風に揺れ、長いまつ毛に縁取られた水色の瞳が星のように輝いている。

 何度見ても、いや、見れば見るほど、溜め息が出るほどに恐ろしい美貌だ。

 これがつい数時間前まで、鳥の巣ヘアーに瓶底メガネの変人学者だったとは、国中の誰も信じないだろう。


「それに?」

「……いえ。殿下のそのお顔立ちの破壊力が凄まじすぎて、まだ直視するのに慣れないな、と」


 わたしが正直に白状すると、エルネスト殿下は「フッ」と吹き出し、それからとても柔らかく、甘い声で笑った。


「その言葉、最高の賛辞として受け取っておくよ。……だけど、私にとっては君の存在の方が、よほど目に毒だ」


 殿下がゆっくりとわたしに向き直り、一歩、距離を詰めてくる。

 彼の大きな手がわたしの右手をそっと取り、ひざまずくようにして、わたしの指先に恭しく唇を落とした。

 チュッ、という小さな音が響き、わたしの顔が一瞬にして沸騰する。


「で、殿下!?」

「地下書庫の薄暗がりの中で、私はずっと真理を探し求めてきた。だが、私の世界を本当に照らし出してくれたのは、君がくれた光だった」


 見上げられた湖面のような瞳には、隠しきれないほどの熱烈な愛情と、誠実な想いが満ち溢れていた。


「セリア嬢。私は今まで、誰かに自分の身なりや外見を見せたいと思ったことは一度もなかった。だが今は……君にだけは、私を一番格好良い男だと思ってほしいと、そう願ってやまないんだ」

「それは……もう、十分に……っ。というか、格好良すぎて心臓が持ちません……」


 わたしが蚊の鳴くような声で答えると、殿下はふわりと立ち上がり、わたしの腰をそっと抱き寄せた。

 月明かりの下、二人の距離がゼロになる。

 香草と、古い羊皮紙の少しインクめいた匂い。地下書庫で共に徹夜した時と同じ、わたしを安心させてくれる、彼の匂いだった。


「君のその飾らない言葉も、美しい光魔法も、悪魔を見抜く気高い瞳も……すべてを、私が独占したい。私の生涯の伴侶として、そして、国を導く王妃として……これからもずっと、私の隣で、私の進む道を君の光で照らしてくれないか?」


 それは、この国で最も美しく、最も聡明な次期国王からの、あまりにも甘く完璧なプロポーズだった。


 わたしは、もう誤魔化すことも、ツッコミを入れることもやめた。

 火照った頬のまま、彼の背中にそっと腕を回し、その胸に顔を埋める。


「……仕方ありませんね。殿下がまた暗い書庫で目を悪くしないように、わたしが一生、傍で光を当てて差し上げますわ」


 わたしの答えを聞いたエルネスト殿下は、世界で一番幸せそうな顔をして、わたしを強く抱きしめた。

 頭上から降ってくる、優しくて温かいキス。


 もう、わたしの視界には醜い悪魔も、愚かな元婚約者も映らない。

 映るのはただ一人、わたしだけを真っ直ぐに見つめ、愛してくれる、最高の王子様だけだ。


「愛しているよ、私のただ一つのセリア

「……わたしも、愛しています。わたしの、殿下」


 こうして、婚約破棄から始まったわたしの理不尽な悪役令嬢ライフは、国家最高機密レベルの超絶美形な王太子殿下による、極甘な溺愛ライフへと塗り替えられたのだった。





 そしてその光は、もう二度と、わたしの未来から失われることはなかった。












【――完――】





ここまでお読みくださり、ありがとうございました!

今回は悪役令嬢×婚約破棄×ざまぁをぎゅっと詰め込んだ、短編を書いてみました。


エルネスト王子は連載作「黄金の檻」ヒーローの学友なので、もしかしたら今後登場人物たちがクロスするストーリーがお出しできるかもしれません。

コメディ色強めで、勢いよく楽しく読めるお話を目指したのですが、少しでも楽しんでいただけていたらとても嬉しいです。


ご感想やブックマーク、とても励みになります。

また別のお話でも、お会いできますように。

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