#8
「弦美。朝だぞ」
長い夢を見ていた気がする。
頭上で自分を呼ぶ、優しい声。ずっと聞いていたかったけど、現実に戻るのは一瞬だった。
仕事しなきゃ!
脳の覚醒と同時に飛び上がる。そのとき、思いっきり唇に何かが当たった。
「んっ!?」
柔らかい。でも視界は暗い。
何だ……。
恐る恐る後ろに退くと、正面には目を見開いてる友悠がいた。
「んん? ……友悠」
「あぁ」
「俺達、今キスした?」
「あぁ」
自分から訊いたものの、しばらく情報を処理できず、固まっていた。
キス。友悠と、キス……。
「おかしくないか? ピンポイント過ぎる」
「奇跡だな。でもお前がいきなり飛び起きるから」
友悠はベッドに腰を下ろし、頭が痛そうに額を押さえた。
「眼鏡掛けてたらお互い怪我したかも。外してて良かったよ」
「そうか。確かに……眼鏡って、普通顔にあるもんな」
俺は何を言ってるんだろう。
動揺してる上に寝起きのせいで、全然会話のキャッチボールができない。
あ。そういえば久しぶりに眼鏡外してる友悠を見た。かっこよ過ぎて直視すんのきついな。
……ってそんなこと考えてる場合じゃないだろ。
ばっちり目が覚めて、ベッドの上に正座した。
「すまん、友悠! まず謝らせてくれ。お前の、多くの女性を魅了した唇を奪ったこと!」
「…………」
友悠は表情を変えず、無言でこちらを見つめている。
謝りつつ褒めたんだけど、全然手応えがない。
むしろ怒らせた? でもいつもこんな反応だし……く、読めない。
「わざとじゃないんだ、それだけは信じてほしい。誠意見せろって言うなら土下座するよ。家の中を土下座で這いずりながら一周する」
「ホラーじゃんか。もういいから顔洗ってこい。仕事するんじゃなかったのか?」
「あぁっ! そうだった!」
高速で顔を洗い、パソコンを開く。持てる力全て注いで作業し、何とか一時間で終わらせた。
ふう。とりあえず出勤には間に合いそうだ。ソファの背にもたれてると、目の前に湯気が立ってる珈琲を差し出された。受け取って、満面の笑みを返す。
「ありがとう、友悠。さっきのキスはマジでごめん。これからは飛び起きたりしない! 静かに起床するって、健やかなる時も仕事辞める時も誓うよ」
「今年健康診断って受けた?」
友悠は俺の話を華麗にスルーし、眼鏡を掛けた。
ていうか何だ、その返しは。
暗に病院行けって言ってんのか? 健康診断で脳の検査はしないぞ。




