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スローライフ志望の悪役令嬢、英雄化だけは全力で拒否します  作者: 颯音ユウ
第1章 左遷は脱出のはずだった

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第2話 舞台が始まる

 

 フォグランタン。


 その文字を見た瞬間、

 眠りの底に沈めていた映像が、

 こちらへせり上がってきた。


 白い帆。霧に滲む灯。誰かの祈り。

 床には札が散り、積もっていく。

 紙の匂いに、息が詰まる。


 やめろ。

 そう思ったのに、指先が冷える。視界が薄くなる。


 ――嫌なのは“行き先”じゃない。

 夢が、現実と噛み合うことだ。


 喉が鳴った。空気が足りない。

 息を吸っても、身体の奥まで届かない。

 紙から目を逸らせないまま、

 私は小さく瞬きを繰り返した。


 フィオナが、すぐそばにいる。

 紙を持つ手が震える前に、彼女の声が落ちてきた。


「息を。ゆっくり」


「……してる」


「している“つもり”です。もう一度」


 私は言われるまま、息を吸って、吐いた。

 たったそれだけで、少しだけ現実が戻る。

 ……ただし、重みも一緒に。


 疲れている。

 眠ったはずなのに。むしろ眠った分だけ、

 身体が削れている。


 夢を見た朝は、いつもこうだ。

 眠れば眠るほど、眠ったことが“帳尻”として残る。

 頭の奥に鉛が沈むみたいに、重い。


「体温、お願い」


「はい」


 フィオナの指が首筋に触れる。

 冷たくて、心地いい。

 必要な分だけ触れて、すぐ離れる。

 彼女はいつもそうだ。

 私を“起こさない”距離で働く。


「少し高いです」


「……夢のせい」


 私はもう一度、紙に目を落とした。

 フォグランタン。ホワイトセイル・ワード。

 文字面は整っているのに、

 視界に入るだけで胃の奥が冷える。


 

 私は“ユメ”だった。


 前世の名前。

 こっちの世界では口にしたことがない。

 口に出したら、本当に戻れなくなる気がして、

 喉の奥に沈めてきた。


 けれど――思い出してしまった。


 ここは、乙女ゲームの世界。

 私はその中の悪役令嬢、ユメリア・アルカディア。


 そして私は知っている。

 破滅ルートより前に、

 人が壊れる場所があることを。


 王都の公務。

 あれは“仕事”の形をした処刑だ。


 書類の山。会議の連続。責任の押し付け合い。

「急ぎ」の札を貼り替えながら、

 今日と明日の境目を失っていく。

 正しさの名を借りて、人が人を眠らせない。


 ゲームでは、そこは描かれない。

 せいぜい「多忙な令嬢」の一文で済まされる。

 でも私は知っている。

 ――“ユメ”として、似た地獄で身体を壊しかけた。


 だから結論は最初から決まっている。

 破滅回避より先に、過労死回避。

 眠れる暮らしを、私の権利として確保する。


 そのために――私は、行き先の条件を選んだ。


 王都から遠く、名目だけ立派で、仕事が薄い場所。

 そこなら私は、呼ばれない。

 悪評はそのための道具だ。

 嫌われれば要職から外れる――それでいい。


 ……そういうはずだった。


 なのに、紙の上の地名が夢と重なる。

 偶然の断片が、意味を持ちはじめる。


 私は紙をそっと伏せ、目を閉じた。

 閉じれば戻る――そういう種類の目眩じゃない。

 目を閉じても、白い帆は残る。霧の灯は残る。

 祈りの声は、まだ耳の奥に貼りついている。



「……今日は、夢を見た」


 自分に言い聞かせるように呟くと、

 フィオナが答えないまま頷いた。頷きだけ。

 言葉は増やさない。


 私は布団の端を握り、思考だけを起こした。

 起きたくない。けれど起きなければ、

 私の代わりに誰かが起こしに来る。


 机の上の正しさは、体調を見ない。

 書類は眠らない。――だから、人が壊れる

 そして、真面目な人間から壊れていく。


 私は、その結末を知っている。

 だから私は、最初から逃げると決めていた。


 私は、ここで壊れない。――それだけだ。



「フィオナ。今日の予定」


「……面会要請が二件。書面が三件。

 『至急』が一件」


「いつもの地獄ね」


 私は息を吐いた。

 今日の“至急”が、なにであれ。

 私が窓口になった瞬間、仕事は増殖する。


 ――英雄化だけは、絶対に嫌だ。


 英雄になれば、願いが届く。

 願いが届けば、頼まれる。期待される。

 やらないと言えば悪になる。やれば次が来る。

 その繰り返しで、眠りは削られ、

 最後には“善意”が自分を殺す。


 私は善意で死ぬつもりはない。


 机の端に置いた紙

 ――フォグランタンとホワイトセイル・ワード。


 あれが夢と一致するということは、つまり。


「……始まる」


「お嬢様?」


「いや、独り言」


 独り言で済ませるしかない。

 説明したら、確定させる。

 確定させたら、逃げ道が閉じる。


 私は紙を指で軽く押さえた。

 封蝋の色も、言い回しも、

 いかにも“処分”の体裁を整えている。


 ――ああ、そうか。


 私はようやく合点がいった。

 今日の“至急”は、机の上の雑務じゃない。

 私の椅子そのものを、外へ動かす類の仕事だ。


 そうでなければ、こういう封の重さにはならない。


 私は笑いそうになって、やめた。

 笑ったら目が冴える。


「……フィオナ。私、嫌われてる?」


「“好かれて”はいません」


 フィオナは言い切って、すぐに続けた。


「でも、それでいいです。お嬢様が眠れます」


 私は頷いて、紙を押さえ直した。

 それで十分だった。


 嫌われているなら、話が早い。

 嫌われているなら、要職から外される。

 外されるなら、眠れる。


 ――そのために、

 私は嫌われるように振る舞ってきた。


 優しくしない。

 必要以上に助けない。

 功績を作らない。

 中心に立たない。

 “好かれない”ことを、私は設計してきた。


 それが、逃げ道になる。


 ただし――

 夢と一致するのは、別だ。


 夢と一致した瞬間、そこは“舞台”になる。

 舞台になったら、私は役を振られる。

 振られた役は、放っておけば勝手に進む。


 私は紙を見下ろし、内心で訂正した。

 嫌なのは左遷じゃない。

 “舞台に立たされる”ことだ。


「……フィオナ」


「はい」


「これ、封を切った?」


「宛名と行き先だけです」


「それで十分。十分すぎる」


 私は起き上がろうとして、いったん止めた。

 立ち上がると、会話が増える。

 会話が増えると、決裁が増える。


 だから私は、まず手順を思い出す。

 眠るための手順。

 生き残るための手順。


 窓口を作らない。

 言質を取られない。

 返事は書面。必要最小限。

 ――功績の匂いを残さない。


「フィオナ。これから言うことを、紙にして」


「承知しました」


 私は目を閉じたまま、言葉を組み立てる。

 直接の拒否は争いを生む。争えば、私が表に出る。

 だから拒否は“形”でやる。


「体調不良で面会不可。用件は書面で。

 返答期限は明日」


「……はい」


「それと――『本件は家令を通して』

 私は窓口にならない」


「承知しました」


 フィオナのペンが走る音が、ほとんどしない。

 音がしないのに、紙だけが増えていく。


 私は薄く目を開け、彼女の動きを見た。

 フィオナは感情を動かさない。

 動かさないまま、

 私の生活のために世界を削っている。


「お嬢様」


「なに」


「……これで、今日の『至急』は一度止まります」


「一度でいい。止まれば寝られる」


 眠りは、贅沢じゃない。

 私にとっては、戦略だ。生存だ。


 私はもう一度、紙を見た。

 フォグランタン。ホワイトセイル・ワード。

 夢と一致する場所。


「――ここで英雄になったら終わる。」


 私は喉の奥で、決意を固めた。

 善意で頑張るのではない。

 眠るために、仕組みを作る。


 ゲームの筋と、夢の断片が重なる。

 放っておけば港が止まり、人が死ぬ。

 そうなれば王都が介入して、私は引き戻される。


 だから私は、先回りして“私が戻れない形”を作る。

 戻れないのは私ではなく、命令の方。

 命令が通れば、王都のほうが困る形。


 眠れる暮らしは、まだ遠い。

 でも――逃げ道は、もう作った。


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