第一話 不本意に幕は閉じて、開く
駅のホームで、背中を強く押された。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
足が前に出て、次の瞬間にはもう、踏みしめるはずの地面がない。
身体が傾く。
視界がぐらりと回る。
警笛が鳴った。
やけに近い音だった。
線路。
こちらに向かってくる列車。
やたらと大きくて、やたらと速い。
――あ、やばい。
頭に浮かんだのは、そんな間の抜けた感想だった。
「……これ、死ぬやつじゃない?」
妙に冷静で、妙にどうでもいい言葉。
恐怖よりも先に、納得が来てしまったのが腹立たしい。
日本に生まれて、特別でも不幸でもない人生を送ってきた。
学校に行って、働いて、年を取って、そのうちおばあちゃんになる。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
それがまさか、人身事故で終了。
……雑じゃない?
もうちょっと、こう、段階とかさ。
心の準備とかさ。
そう思った瞬間、視界が歪んだ。
音が遠ざかり、世界が引き延ばされる。
次の瞬間には、何も分からなくなった。
⸻
「……お目覚めですか。よかった……」
知らない声だった。
柔らかくて、少し震えている。
その声に引っ張られるみたいに、意識が浮かび上がる。
重い。
まぶたが、やたらと重い。
ゆっくり目を開ける。
――天井?
白い布。
刺繍。
無駄に凝った模様。
(……病院、じゃない)
身体を少し動かすと、ふかりと沈む感触が返ってきた。
ベッド。
しかも、かなり高そうなやつ。
「エルナ様、まだ起き上がってはいけません」
名前を呼ばれて、思考が止まる。
エルナ?
誰それ。
そう思ったはずなのに、口から否定の言葉は出なかった。
それどころか、違和感もあまりない。
……それが、一番おかしい。
視線を動かす。
見覚えのない部屋。
見覚えのない家具。
窓の向こうには、石造りの街並みが広がっていた。
(……いや、待って)
状況が追いつかない。
脳が、現実を拒否している感じがする。
夢。
そうだ、夢だ。
高熱で倒れたとか、そういうやつ。
よくある。
……よく、ある?
視線を落とす。
小さな手。
細い腕。
自分のものなのに、しっくりこない。
(……小さくない?)
胸が、嫌な音を立てて軋む。
その瞬間、理解が追いついた。
(――死んだ)
言葉にした途端、妙に現実味が増した。
逃げ場がなくなる感じ。
否定したいのに、否定できない。
前の身体じゃない。
前の場所じゃない。
ここは――続きだ。
望んだ覚えなんて、ないけど。
頭の奥が、じわりと冷える。
既視感。
ゲーム画面越しに見ていた景色。
聞き覚えのある世界。
『星冠のアルカディア』。
前世で遊んでいた、乙女ゲーム。
王太子と平民の少女の恋物語。
選ばれるヒロイン。
祝福される未来。
――そして。
その物語を盛り上げるために用意された存在。
王太子の婚約者。
ヒロインの邪魔役。
最後には断罪される、悪役令嬢。
エルナ・フォン・ヴァレンティア。
(……待って)
いや、待って待って待って。
胸の奥が、急に騒がしくなる。
(それ、私じゃん)
思い出してしまった瞬間、先が見えた。
努力しても、頑張っても、選択肢を間違えなくても。
最後に待っているのは、断罪。
最初から詰んでる役。
しばらく、何も考えられなかった。
そして、ぽつりと浮かんだのが、
(……無理じゃない?)
悟りでも決意でもない。
ただの本音。
恋とか王妃とか、今はどうでもいい。
それ以前に、生き残れる気がしない。
視線を窓の外へ向ける。
整った街並み。
広い空。
画面越しじゃない世界。
足を運ばないと、何も分からない場所。
(このまま、話の駒で終わるのは嫌だ)
理由はそれだけだった。
この人生では、物語の中心に立たない。
誰かの恋を盛り上げるために生きない。
じゃあ、どうする?
答えは、思ったより素直に出た。
(……外に出たい)
安全でも正解でもないけど、
少なくとも、自分で選べる。
「……冒険者、とか?」
声に出してみると、少しだけ現実味があった。
胸の奥の重たいものが、ほんの少しだけ緩む。
「……悪くないかも」
そう呟いて、もう一度ベッドに身を沈める。
まだ体は動かない。
まだ準備も足りない。
でも、決めるのは今でいい。
この人生では、
私は私の都合で生きる。
窓の外で、星がひとつ、瞬いた。
――逃げるなら、ちゃんと逃げよう。
誰の物語でもない場所へ。




