冷徹ボスの甘い独裁(2/3)
重厚なオーク材の扉が閉まる音が、静寂の中に響いた。そこはオペラハウスの最上階に位置する、ルーク・サリバンのプライベート・スイートだった。ボストン市街の夜景が巨大な窓一面に広がり、眼下には冷たいチャールズリバーが黒い帯のように横たわっている。
ルークはレイチェルを抱えたまま、深いチャコールグレーのソファへと彼女を降ろした。
「……離してって言ったのに」
レイチェルの抗議は、自分でも驚くほど力なく響いた。工事現場の冷気から一転して、部屋の中は暖炉の柔らかな熱に満ちている。急激な温度変化のせいか、それとも彼に抱き上げられていた緊張の反動か、全身の筋肉が意志に反して弛緩していく。
「口を動かす元気があるなら、まずはこれを着ろ」
ルークが彼女の肩に掛けたのは、最高級のカシミアのブランケットだった。肌に触れた瞬間、驚くほど滑らかで、吸い付くような質感が彼女の震えを鎮めていく。
「汚れるわ。私、石膏の粉だらけよ」
「クリーニング代の心配を投資家にさせるつもりか?」
ルークは冷ややかに言い捨てると、キッチンへと向かった。完璧に仕立てられたスーツのジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を無造作に捲り上げる。その無防備な動作でさえも、計算された彫刻のように美しい。
やがて、部屋の中に香ばしい香りが漂い始めた。ルークが持ってきたのは、小さな磁器の器に入った温かいコンソメスープだった。
「飲め。君の体温は氷点下に近い」
「自分で飲めるわ……」
レイチェルが手を伸ばそうとしたが、指先は相変わらず言うことを聞かず、ブランケットを掴むのが精一杯だった。そんな彼女を嘲笑うこともなく、ルークは静かに彼女の隣に腰を下ろした。
「言ったはずだ。今夜は私の支配下だと」
彼はスプーンを彼女の唇に運んだ。拒絶しようとしたレイチェルだったが、彼の瞳に宿る、抗いがたい力に射すくめられた。
スープは驚くほど優しく、滋味に溢れていた。喉を通るたびに、凍りついていた感覚が一つ、また一つと溶け出していく。
「……どうして」
一口、また一口と与えられるままに飲み干した後、レイチェルは掠れた声で呟いた。
「どうして、こんなことをするの?あなたにとって私は、計画を遅らせるだけの厄介な建築家でしかないはずよ」
ルークはスプーンを置き、彼女をじっと見つめた。近すぎる距離。彼の体温が、カシミア越しに伝わってくる。あの冷たく鋭い香りが、今度は温かな熱を帯びて彼女を包囲した。
「厄介なのは、君のそのプライドだ」
ルークの声が、耳元で響く。その心地よい響きが、レイチェルの理性を甘く麻痺させていく。
「君は昔からそうだ。事務所で隣り合っていた頃から、誰の助けも借りず、ただ一人で頂上を目指そうとする。……だが、レイチェル。脆い鋼は、一度折れれば二度と元には戻らない」
「折れたりしないわ」
「今夜、私が抱きとめなければ、君は冷たい床の上で瓦礫になっていた」
ルークの大きな手が、彼女の頬を滑り、耳元のピアスのキャッチを止めるのさえもどかしかった細い指先を包み込んだ。彼の掌は驚くほど熱く、力強い。
「君を壊していいのは、世界中で私だけだ。他の誰にも、ましてや過労などに君を奪わせるつもりはない」
それは独占宣言だった。冷徹なビジネスマンの仮面の裏側に潜んでいた、剥き出しの執着。
レイチェルは反論しようと彼を見上げた。だが、彼の瞳の中に、かつてライバルとして競い合っていた頃には気づかなかった「熱」を見つけ、言葉を失った。
窓の外では、ボストンの霧が深く立ち込め、街を白く塗り潰していく。外界から完全に遮断された密室。カシミアの毛布、温かなスープ、そしてルークの重厚な声と、嵐の前のオゾンのような香り。
「今夜は眠れ。明日の朝、君が最高の修正案を提示できないなら……私はこのプロジェクトから君を降ろす」
「……卑怯よ。そんな言い方」
「独裁者と呼ばれても構わない」
ルークは彼女をソファに横たわらせると、その額に、羽毛が触れるような軽い、だが所有を刻印するかのような熱いキスを落とした。
「おやすみ、レイチェル」
その声が消える頃、レイチェルは深い眠りの底へと沈んでいった。彼という名の、逃れられない檻の中へ。




