初めての失敗を貴方へ
私は駅前の小さな居酒屋で、同僚たちと並んで座っていた。
学生が減り、社会人ばかりになった時間帯。
安い酒と、取り繕った会話が、ちょうどいい温度で漂っている。
その中に、一人だけ妙に浮いている人がいた。
声が大きいわけでも、失礼な言葉を使っているわけでもない。
なのに、なぜか空気が一拍ずつズレる。
冗談を言うタイミング。
距離の詰め方。
いじりと侮辱の境界線。
場が引いていることに、本人だけが気づいていない。
私はすぐに分かった。
この人は、学生時代に「痛い失敗」をあまりしてこなかったのだと。
学生時代というのは、
恥をかいても許される最後の猶予期間みたいなものだ。
空気を読み違えて、場を凍らせる。
好きな人に引かれる。
調子に乗って、後から一人で布団に顔を埋める。
そういう失敗を通して、人は少しずつ削られていく。
自分の輪郭が、他人との摩擦で丸くなっていく。
でも、その工程をすっ飛ばした人は、
大人になってから初めて、その恥をやる。
しかもその頃には、誰も注意してくれない。
周りは笑う。
表面だけ。
「まあ、ああいう人もいるよね」と言って、
距離を一段階下げる。
本人は気づかない。
なぜ自分が輪の中心に入れないのか。
なぜ話を振られなくなるのか。
理由が分からないまま、
「ノリが悪い人たちだ」と結論づける。
それがまた、ズレを深める。
経験が足りないこと自体は、罪じゃない。
問題は、その不足を自覚できないことだ。
自分はもう十分大人だと、
失敗していないことを誇ってしまうこと。
私はグラスを口に運びながら思う。
恥をかいたことがない人より、
恥を覚えている人のほうが、ずっと信用できる。
痛みを知らないまま成長した人は、
無自覚に、他人を傷つける。
しかもそれを「普通」だと思っている。
学生時代の経験は、
武勇伝じゃない。
黒歴史だ。
そして、その黒歴史をどれだけ抱えているかで、
その人がどれだけ他人を想像できるかが、
静かに分かってしまうのだと思う。
本人だけが気づかないまま。
周りは、もうとっくに察している。




