26.白いもや
「どうだ?」
譲の問いに、麻里奈は目を閉じたまま眉間にシワを寄せる。
「……見えない」
「OK。じゃ、メディカルチェックだけするぞ」
「はーい」
目を開いて、麻里奈はしょんぼりと肩を落とした。
最近は、譲がメディカルチェックの機器を改造したため、テラスの椅子に座ったままの状態でも、メディカルチェック出来るようになっていた。その代わり、腕にバンドのような機器を取り付ける必要があるが、移動を考えるとこの方が楽である。
「終わったぞ」
一分程でメディカルチェックは終わった。
分析はこれからだが、パッと見、風邪の前と比較しても変化は見られない。
「すっかり風邪は治ったようだな」
「うん。もう平気よ」
「それは良かった。健康が何より大切だからな」
「うん? そうね」
さらりと言われたわりに、妙に重みがあって、麻里奈は流したが、るいざが思わず聞いてしまった。
「随分、深い言葉ね。誰か健康が気になる人が居るの?」
「……いや、居ない」
譲はそう言うと、メディカルチェックのバンドを外して、麻里奈に聞いた。
「何か思い当たるような変化はあるか?」
これも毎日の問いである。
「うーん……、今日はなんだか、もやがかかってるって言うか、風邪のせいでぼんやりしてるのかと思ってたんだけど、なんだか違う感じがして」
「それは常にか?」
「うん。このところずっと、薄い布がかかっているみたいな感じがするの」
「ふむ」
譲が腕組みして椅子に座り直した。
とりあえずるいざは、譲のコーヒーを注ぎ足しておく。
すると、それを見ていたかのように譲はコーヒーを一口飲んだ。
そして、麻里奈に言った。
「もしかしたらそれが、能力が発現するのを邪魔しているのかもしれない」
「……そう言われてみればそうかも」
麻里奈は少し考えると、言った。
「でもね、このもやみたいなの、日に日に薄くなってる気がするの。もしかしたら、これが完全に晴れたら、能力が使えるようになるのかも?」
「その可能性が高いな」
譲も同意する。
「だとすると、風邪による免疫反応の可能性が高いから、もうしばらくかかりそうだな」
「えー!?」
麻里奈が残念そうに言った。
「可能性が出てきただけで、十分じゃないか。高望みは良くないぞ」
「それはそうだけど~」
麻里奈のもどかしい気持ちも解るが、こればかりは待つしかない。自己免疫が働いている間だとすると、長期戦も視野に入れないといけない。
譲はそう考え、スケジュールについて見直しの検討をしたが、事態は思わぬ方向へ転んだ。
翌日の能力チェックで、麻里奈の能力が少しだけ発現したのだ。
「なんか、うっすらと見えるような見えないような……あ、たまに見える! トレーニングの最初の頃みたいな感じ」
その言葉に、克己とるいざがホッと胸をなで下ろした。
「やっとかよ」
「そんな事言われても、しょうがないでしょ!」
思わず零れた克己の言葉に、麻里奈が勢い良く噛み付いた。
麻里奈が風邪を引いてから3週間、能力が使えない期間は約2週間だった。
その間、麻里奈も苦悩したが、克己とるいざもやきもきしていたのだ。
安堵したるいざは、机に突っ伏してしまった。
「良かった~」
るいざの言葉に、譲が冷静に言った。
「まだ完全に戻ったわけじゃないぞ。元のラインまで戻るかどうかが問題だからな」
「それはそうだけど、でも少しくらい安心させてくれても良いじゃない」
譲の言葉にるいざが唇を尖らせた。
その横で麻里奈は、張り切って言った。
「今日から、また最初みたいなトレーニングをすれば良いのかしら?」
「いや、まだだ」
譲が麻里奈に言った。
「完全に使えるようになるまでは、無理はしないで、能力も使わない方が良い。うっかり暴走したり、思わぬ能力に目覚めている可能性もあるからな」
「そっか。結構危険な状態なのね」
「その通り」
譲が肯定すると、克己が笑って、麻里奈に言った。
「まあ、能力の有る無しに関わらず、ある意味危険な人物だけどな」
「ちょっと、克己、それどういう事よ!?」
「おっと、口が滑った」
ここ数日、麻里奈に冗談を言うこともはばかられていたので、ここぞとばかりに克己が悪のりする。いつもはそれを諫めるるいざも、今日ばかりは、その様子を微笑ましく見ていて、止める気配はない。
やっといつもの日常が戻ってきた気がする。
そう思うと、自然と笑顔になるのだった。
そして、それは唐突に訪れた。
「あ」
麻里奈の言葉に、憲人が麻里奈を見た。
「どうしたの?」
現在は、農作業の真っ最中。牛や豚の餌を出していたところだ。
そんな最中にも関わらず、麻里奈は憲人に答えるより先に、ウィンドウを開いて譲に繋いだ。
『どうし……』
「能力、戻ったわ!」
譲の言葉を最後まで聞かずに、麻里奈は叫ぶように言った。
『は?』
「だから、今、急に能力が戻ったの!」
『……それは良かったな。ちなみに何してたんだ?』
「普通に農作業をしてたわ」
『で?』
「なんか急に、もやが晴れた感じがして、視界が広がるっていうか、良く解んないけど、戻ったって感じがしたの!」
麻里奈自身も、上手く説明出来ないようだ。
が、譲には通じたらしく、譲は時計を見ると、麻里奈に聞いた。
『今からトレーニングルームに来れるか?』
「行けるわ!」
『OK。第2に来てくれ』
「すぐ行くわ!」
通話を切ると、麻里奈はピッチフォークを放り投げて、憲人に言った。
「憲人! 後はよろしくね! お母さんはトレーニングに行ってくるから!」
憲人は目をパチパチさせながら、それでもなんとか頷いた。
「行ってらっしゃい」
麻里奈はそのままダッシュして、トレーニングルームへ滑り込んだ。
第2トレーニングルームへ入ると、そこには譲がすでに居た。
そう言えば今の時間は、克己のトレーニングだった気がする。
譲は、麻里奈の呼吸が整うのを待って、目を閉じさせた。
「俺は見えるか?」
「見えるわ」
「これは何本?」
麻里奈の前に、譲が3本指を立てて見せると、麻里奈はすぐに答えた。
「3本」
「住居ブロックの3階の奥に表示板があるのが見えるか?」
今度は少し間があった。それは、見えないからではなくて、戸惑ったからだ。
「……真維の、『麻里奈ちゃんおめでとう!』ってヤツ?」
「そう、それ。透視は問題無さそうだな」
麻里奈は目を開くと、譲に言った。
「発火も試したいわ!」
「OK。基礎から行くぞ」
「うん」
トレーニングルームに的がいくつか現れる。
それめがけて、麻里奈は炎を繰り出した。




