25.風邪の後遺症
「なんで……?」
泣きそうな声で麻里奈が言った。
「もう、目を開けて良いぞ」
譲の言葉に、麻里奈が頭を振った。
「まって! もう少ししたら見えると思うから!」
「いや、いい。目を開けろ」
「大丈夫! いつもと同じようにやれば出来るハズだから!」
「麻里奈!」
混乱した様子の麻里奈に、譲が強く呼んだ。
「…………」
ビクッと震え、麻里奈の言葉がピタリと止まった。
「目を開けろ。病み上がりなんだ。無理は良くない」
譲が、いつもより優しい口調で、言い聞かせるように言った。
その言葉に、麻里奈はそろそろと目を開ける。
途端に、麻里奈の目から涙が零れ落ちた。
「なんで……?」
「恐らく、風邪の後遺症だ」
「……風邪の後遺症?」
麻里奈は涙を拭いながら、聞き返した。
「風邪の時に、能力を得たときと同じような反応が出ていた。そのせいだろう」
「……私の能力、無くなっちゃったの?」
「それは解らない。当分様子を見ないとだな」
麻里奈は、おずおずと譲に聞いた。
「ここを出てけって言わない?」
その問いに、譲は面食らった。どうやら麻里奈は、能力が無くなったらここを追い出されると思っているらしい。
「少なくとも、ひと月は経過観察させてもらいたいところだ。能力者の風邪なんて、事例が無いからな。ひと月経っても能力が戻らなかった場合はここを出て貰うことにはなるだろうが、さすがにすぐに追い出したりはしない」
麻里奈は譲の言葉が本当なのか伺っていたが、やがて、安心したようにへなへなとその場にへたり込んだ。
「良かったあ……」
「バイタルデータ上は能力がある反応を示して安定しているし、心配しなくてもそのうち戻ってくるだろ」
「本当?」
「多分だ。このままの可能性も捨てきれない」
「……そこは慰めて欲しかった」
「俺に嘘をついて慰められて満足なのか?」
「う……、やっぱいい。事実を教えて欲しいです」
「だろ?」
譲は頷くと、コンソールルームの方へと歩き出した。
「とりあえず、今日のトレーニングはここまでだ。今後は、毎日俺が見ているところで、透視のトレーニングを少しずつしていく。身体はもう大丈夫なハズだから、そのほかの面に関しては、無理のない範囲でいつも通りにして良い」
「わかったわ」
麻里奈は頷くと、持っていたタオルで涙を拭いた。
譲と入れ替わりに、るいざと克己と憲人がコンソールルームからトレーニングルームへと出て行く。
2人の姿に、麻里奈は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「能力、使えなくなっちゃった」
そんな麻里奈をるいざは抱き締めた。
「大丈夫よ、きっと。それに、能力があってもなくても麻里奈は麻里奈だからね」
「るいざ……」
「そうそう。どうせ任務なんて早々無いんだから、しばらくゆっくり農作業してればいいさ。忘れた頃に能力も戻ってくるだろ」
「だと良いんだけどね」
克己が笑って麻里奈の頭を撫でる。
「麻里奈、へーき?」
唯一、憲人が心配そうに麻里奈に聞いたが、子どもに心配をさせるなんて情けない真似が出来るわけがない。
「平気よ。きっとすぐに元通りになるからね。それまでは、憲人と一緒に農作業出来るわよ!」
「一緒?」
「そう、一緒!」
「やったー!」
麻里奈と一緒なのが嬉しい憲人が素直に喜ぶのに、麻里奈だけでなくるいざも克己もどこか救われた気持ちになる。
「憲人が居て良かったな」
克己の言葉に、麻里奈は誇らしげに胸を張った。
「そうでしょ! うちの憲人は世界一なんだから!」
ようやく何時もの調子が戻ってきた麻里奈に、るいざと克己が安堵する。
能力については、解らない事の方が多いし、経過観察でひと月もあるのなら、その間にきっと戻るに違いない。
悩んでも仕方ないことは考えない。
2人はとりあえず、能力について心配するのは止めた。
翌日から、朝の食後の時間を使って麻里奈の能力のリハビリが行われた。
といっても、麻里奈のメインの能力は透視のため、見えるか見えないかであっと言う間に終わるのだが。
むしろ譲が熱心に調べているのは、能力者の風邪についての経過観察の方だ。
関係無さそうなデータまで取って、細かく分析している。毎日メディカルチェックをされている麻里奈は、大した手間ではないが、少し面倒になってきたところだ。
そして麻里奈はというと、るいざや克己のトレーニングの見学はせず、憲人と一緒に農作業に精を出していた。
「そう言えば、そろそろお米が収穫出来る頃よね」
「お米? どこで栽培してるの?」
麻里奈の呟きに、憲人が聞く。農場内では水田は見ない。
「ここの農村ブロックは、部分的に2階があるのよ。その一部で水耕栽培しているわ」
「へー、知らなかった!」
「憲人にはまだ見せてなかったわね。今日は2階を探検しましょうか?」
「する!」
憲人の勢い良い返事に、麻里奈もニコニコと笑い2人仲良く農場の端に向かう。
農村ブロックはかまぼこ型に近い楕円形の筒になっている。その、左右の上部のスペースに、4種類の栽培スペースがある。これは、各スペース毎に気候や条件を変えられるため、年中必要な野菜を栽培したりするのに便利である。
ちなみにこのスペースの小規模バージョンが、植物園に隣接している部屋にあり、実験的な栽培にはそちらが便利だ。
麻里奈は目的に応じて両方を使い分けていた。
農場の端まで来ると、岩肌が露出した崖がある。そこに、エレベーターのドアが隠れていた。
スイッチを押して扉を開き、憲人と一緒に2階へ上がると、稲穂がいい感じに実っていた。
「やっぱり、ここは良いわね。無農薬で虫がつかないから、楽だわ~」
「ここは虫いないの?」
「2階には居ないわよ。農場には少し居るけどね」
虫を完全に排除すると、それはそれで生態系が崩れてしまうため、農村ブロックにはある程度の虫が居るのだ。
それはさておき、麻里奈は稲刈り機に乗って、憲人に手を伸ばした。
「せっかくだから収穫しちゃいましょ。憲人も乗って」
「わーい!」
「新米楽しみね!」
「新米っておいしい?」
「おいしいわよ~」
「わーい! 楽しみだね!」
「それじゃ、落ちないようにね」
「出発、進行ー!」
もし、ひと月経っても能力が戻らなかったら、ここは出て行かないといけない。
そう思うと、怖くなる。
今まで通りの生活に戻るだけだと解っているし、その方が命の危険性は少ない。農作業だってここほどの水準ではないにしろ、思い切りできるし、浩和だっている。
それでも、ここに居たいと麻里奈は思ってしまった。るいざと、克己と、譲と、憲人と一緒に、ここでトレーニングをして、任務をこなして、たまにバカやって、そうして毎日を過ごしたいと思ってしまった。
それでも、能力について、麻里奈に出来ることはない。
戻ってくれることを祈るしかできないのだ。
それなら、みんなに心配をかけないように、いつも通り、笑っていた方がいい。
時間が少ないかもしれないなら余計にだ。
一時一時を大切に過ごそう。
そう思って、麻里奈は笑った。




