24.麻里奈の風邪②
麻里奈の風邪は2日もすると大分良くなった。
熱も下がり、食欲もある。鼻と喉はこれといった症状は出ていなかったが、やはり軽い咳と喉の赤みはあったようで、こちらがまだ残っている。
麻里奈の寝室で譲が一応診察をする。
「口開けて」
譲に言われ素直に麻里奈は口を開ける。
麻里奈は勢い良く、大きく口を開くので、特に器具は必要無いのが楽で良い。
「OK。ちょっと触るぞ」
「はーい」
耳の下から顎、首筋と譲の指が触れていく。
「一応胸の音も確認するぞ」
診察なのだから問答無用でやりそうな譲だが、案外紳士的だ。そして、特に脱がなくても聞こえるらしく、聴診器をパジャマの上から胸の真ん中あたりと、脇あたりにあてる。
「肺の音はきれいだな。熱は36.4℃。平熱っと」
譲がウィンドウに入力していく。
「じゃあもう、部屋から出ても良い?」
丸2日、自室に隔離されていたので、部屋から出たくてたまらないらしい。
「喉がまだ赤いから、マスクをして、少しならOK」
「やったー!」
まあ、自室に居ると言っても、真維の端末は使えるので、みんなが食事をする時はテラスの自分の席にウィンドウを開いて映像通話したり、トレーニングを観察したりと、そんなに寂しい思いはしていないと思う。
が、麻里奈にしてみれば、やはり映像越しと、実際に会うのとは違うのだ。
「憲人、どこに居るかしら!?」
「さあ? というか、俺が居るのに着替え始めるのは止めてくれ」
「あ、ごめん。忘れてたわ」
ため息を吐くと、譲は立ち上がった。
「憲人を可愛がるのはいいが、まだ風邪が治りきっていないのを忘れるなよ。普通の人間ならともかく、憲人を治療できるかは解らないからな」
「はーい」
一応釘をさして、譲は部屋を出た。
ここ2日、麻里奈の診察があるのと、憲人の世話があるのとで、午前中は全員オフになっていた。
この日も例に漏れず、午前中は全員オフで、憲人は克己と一緒に農場で農作業に行っていた。
譲が器具を片付けて、テラスに行くと、そこにはるいざが昼食の仕込みをしていた。
「随分早くからやってるんだな」
「あれ、譲? どうしたの?」
「飲み物をくれ」
「冷たいカフェオレで良い? 甘いけど」
「ああ。何でも良い」
憲人にでも出した余りなのだろう。甘いミルク多めのカフェオレが出てきた。
それを飲みながら、譲は再度聞いた。
「で、支度をするにしても、随分早いな」
「さっきね、麻里奈が農場に行く前にここに寄って、部屋からでる許可が出たって喜んで報告していったの。だから、ささやかにお祝いしようと思って、お昼はちょっと張り切ろうかなって」
なるほどと、譲が納得する。その光景が目に浮かぶようだ。
「まだ完全に治ったわけじゃないから、大皿料理は避けてくれ」
「うつったら大変だものね。わかった。1人ずつ盛りつけるわ」
「手間だろうが頼む」
「任せて」
るいざもどことなく嬉しそうだ。
麻里奈はESPセクションのムードメーカーでもある。意図してやっているわけではないが、喜怒哀楽がはっきりしていて、笑顔が多く単純でポジティブな麻里奈は、そこに居るだけで場が明るくなる。
克己もムードメーカーではあるが、こちらは性格の明るさと、彼の気遣いのたまものである。
譲はるいざの邪魔をしないよう、カフェオレを持ってテラスの椅子に腰掛けた。そして、ウィンドウを開く。
午後からは克己のトレーニングを予定していたが、麻里奈が居るならるいざのトレーニングに変更しても良いかもしれない。
いや、いっそ、今日は1日オフにするのも良いな。
譲自身のトレーニングもしたいし、他にもやりたいことが溜まってきていた。
――そう言えば。
ふと、譲は先日の麻里奈のバイタルデータを呼び出す。
「炎症反応のその後」
1日毎の炎症反応を表示していく。
すると、頭や喉の炎症反応はおさまっていくのに対し、能力反応は相変わらずかなり高い数値のままだ。
通常この数値は、全世界に蔓延している30歳以上の人間の致死率が高い、例のウイルスに感染したときに一気に上がる。そして、抗体との関係か、それとも遺伝子の関係かは解らないが、能力を持つ物はこの数値が、普通の人間よりは高い状態のまま止まるのである。
これが無ければ能力者探しなど、出来はしなかった。
そして現在の麻里奈の数値は、感染したときの跳ね上がった状態である。
ここからこの数値がどう変化するかは、誰にも解らない。そして、結果を急ぐ余り、今の状態で能力を使わせるのは危険だ。
「安定するまで、能力は使わないよう言っておかないとな」
譲は小さく呟いた。
その頃、農場では、久しぶりの長距離移動に麻里奈は息切れしていた。良くなったと言ってもまだ完全ではないし、病み上がりである。
農場ブロックは、中央に大きなサイロのある農家が建っているが、入り口からそこまでは結構距離がある。そして足元も舗装されておらず、悪い。4分の1ほど歩いたところで、麻里奈は休憩する事にした。
ちょうど小さな小川に石の橋が架かっている場所である。その手すりに腰掛け、小川を覗くと、小さな魚が数匹泳いでいるのが見えた。
「ここの魚は本物なのよね」
眺めて和んでいると、農家の方から走ってくる人影が見えた。
その人影は、あっと言う間に近付いてくる。
「麻里奈! もう良いの!?」
「憲人! 元気だった?」
「うん、元気! それより麻里奈は、もういいの?」
「外出許可は出たわ! まだ完治じゃないから、マスクは必須で無理もできないけど」
「でも会えて嬉しい! 良かった~!」
憲人は麻里奈に抱きつくと、頭をグリグリと押しつけてくる。どうやらよほど寂しかったらしい。
麻里奈は、そんな思いをさせてしまったことを反省しつつ、憲人のためにももっと体調管理に気を付けないとなと、改めて思うのだった。
「顔色も大分良いじゃん。でもこの道は堪えるだろ?」
「そうなのよ。すっかり体力が落ちちゃって」
憲人と一緒に来た克己が、麻里奈を見て言う。
「まだ病み上がりだろ? 無理は禁物だぜ」
「ホント、その通りだわ。ところで、憲人の農作業はどうだった?」
「俺の出番は無いくらい、英才教育が行き届いてた」
「でしょー! さすが、私の子だわ!」
麻里奈は憲人の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
憲人は誇らしげに胸をはると、麻里奈に言った。
「1人でも、教えてもらった通りに出来たよ! 農場の親父もほめてくれた!」
「偉いぞ、憲人!」
「えへへ。でも、また早く麻里奈と農作業したいな」
「嬉しい事言ってくれるわね! 頑張って早く治すからね!」
麻里奈はニコニコと笑い、憲人を抱きしめた。
その数日後。
それはトレーニングの時だった。
今日のトレーニングは、午前は久しぶりの麻里奈だった。病み上がりと言うことを考慮して、基礎トレーニングを中心に、ここに来たばかりの頃のメニューに近いトレーニング内容だった。のだが。
的が、現れるが、何も起きないのだ。
「……?」
違和感を感じて麻里奈が困惑した表情を見せた。
そして、改めて集中して、炎を出そうとする。だが、何も起きない。
「……え?」
見学していたるいざと克己も、難しい表情をしている。
譲が席を立って、トレーニングルームに入る。
「え? なんで?」
「麻里奈」
「譲? なんか、おかしいんだけど……」
譲は落ち着いたまま、麻里奈に言った。
「炎は止めて、落ち着いて、目を閉じてみろ」
「う、うん」
「その状態で、俺の姿が見えるか?」
「……」
麻里奈は集中した。最近は意識なんかしなくても近くの物は見えた。
それが、今は――。
「……見えない」
泣きそうな声で、麻里奈は答えた。
やっぱりか。
麻里奈の能力が、――消えていた。




