1.憲人の健康診断
「でも、子どもなんだし、成長はこんなものじゃない?」
るいざが言うと、譲は否定した。
「その子どもを拾って、まだひと月くらいしか経ってない。拾ったときに首は座っていたから4・5か月だったとして、今の大きさは1歳に近いだろ」
「え、でもまだハイハイしないんじゃない?」
るいざが麻里奈を見ると、麻里奈は言いにくそうに言った。
「実は寝返りはもちろん、ハイハイもしてるの」
「え!」
るいざと克己は初耳の事実に驚く。
それもそのはず。ここしばらく創平の件があって、るいざと克己は麻里奈と少し距離を取っていたからだ。
「あとね、掴まり立ちもしてたわ」
「じゃあ、すぐに歩くわよ」
るいざが呆然と言った。譲の言った1歳に近いという言葉が真実味を帯びてくる。
「とりあえず、その子どもを一旦メディカルチェックしてみよう」
譲の言葉に、麻里奈は渋い顔をする。
「何だ? 不服か?」
「不服って言うか、……メディカルチェック自体は良いけど、言い方がなんだか実験動物っぽくてイヤだわ」
「……わかった。憲人の健康診断をしよう」
「それなら良いわ!」
麻里奈はあっさりと言った。本当に言い方の問題だけだったようだ。
「変な薬が使われていたりしないか調べるために、血液も採取するが」
「良いわよ。て言うか、そこは重要だからちゃんと調べて欲しいし、お願いするわ」
「わかった。あと、予防接種の類も調べておこう」
「ここで受けられるの?」
「抗体が手に入ればな」
その話を聞いて、るいざが感心したように呟く。
「譲って、本当に何でも出来るのね」
その言葉に、譲は苦々しげな表情をした。
「何でもは出来ないぞ」
「でも、私たちよりは色んな事が出来ると思うわ」
「単に、今までの生活環境の差だろ」
そう言うと、譲は真維を呼び、準備に必要な物を打ち合わせている。
克己がそれを見て、やれやれと言った様子で言った。
「どんな生活環境なら、こう育つのか謎だな」
「本当よね」
るいざは頷いて、キッチンへ向かった。
そろそろお昼の準備をしておこうと思ったのだ。
克己は特にする事がないので、自主トレをしようかとも思ったが、普段見られない健康診断の方に興味を惹かれて、譲に聞いた。
「なあ、俺も健康診断見てて良いか?」
「構わないが、うるさいだけかもしれないぞ」
「うるさい?」
「注射や検査は、子どもは泣くもんだろ」
「ああ。そのくらいなら平気。1人だけだしな」
さすがにたくさんの子どもに一斉に泣かれたらうるさいかもしれないが、1人くらいなら限度がある。
「麻里奈、準備に少し時間がかかるから、午後あけておいてくれ」
「解ったわ」
譲はそう言うと、医務室へ向かった。
医務室では真維の指導の元、譲がテキパキと準備をする。大人用の器具を子ども、しかも赤ん坊に使うわけだから、落ちないための柵や、動かないようにする固定具などが必要になる。そして、血液検査の試薬は予め用意して置かなくてはならない。子供用に用意など無いので、一つ一つ手作りせざるを得ない。
「理科の実験みたいだな」
「面白がってないで、そこの棚の右の引き出しを丸ごと持ってきてくれ」
「おう」
少人数用なのであろう。引き出しの中身は種類こそ多いが、一つ一つの量は少ない。
「お前、良くこんな作業出来るな」
克己が感心して言うと、譲は何でもない事のように答えた。
「真維が指示してくれるからな。さすがに俺も、医療は専門外だ」
とても専門外とは思えない知識量と手付きだ。
「専門外とか言う割に、慣れてるように見えるぜ?」
一瞬、ピタリと譲の動きが止まる。が、すぐに動き出して、言った。
「……身近に、看護が必要な人間が居たからな」
「へえ……」
それが誰なのか、とか、どういう関係なのかとか、聞きたいことは山ほどあったが、こういう事は興味本位で聞いて良いものでもない。克己は結局、相槌を打つに留めた。
譲は一通り準備を終えると、チェックリストを作り、手順を確認していく。
するとちょうど、るいざから昼食の呼び出しがかかった。
『お昼よー』
「行くか」
「ああ」
2人は後を真維に任せると、そのままテラスへ向かった。
午後になって、憲人の健康診断が始まった。
メディカルチェックの機器で測定出来るものはしてしまう。ただし、出力は赤ん坊用に抑えられている。
「栄養状態がやや悪いな」
「ミルクはよく飲んでるんだけど」
譲は言ったが早いか、麻里奈が抱いている憲人の口に指を突っ込んだ。
「譲!?」
「歯が生え始めている。ミルクじゃなく、離乳食に切り替えていった方が良いな」
口内を確認して譲はリストにチェックを入れていく。
「歯磨きもしてやれよ」
「解ったわ」
「血液検査の結果は後でだな。成長促進剤系の反応は出ていないが、そうなると逆に成長速度の理由がわからない。……念の為、遺伝子も調べておくか。時間がかかるからな」
「お前、本当に専門じゃないのかよ……」
「だから違うと言っているだろ」
思わず克己が聞いてしまう。そのくらい、譲は手際が良い。医者だと言われれば信じてしまいそうだ。
「言葉はまだか?」
「うん。あーとかうーとかは言うけど」
「身体の成長が先行しているのかもしれないが、一応こまめに話しかけてやれ。言葉は聞いて覚えるからな。なんなら真維にベビーシッターを頼んでも良い」
「そんな使い方もできるのね!」
「ひとまず、これで一通り終わりだ」
「予防接種は?」
「受けているとは思えないが、抗体があるから今のところ必要無い。もう少し調べてみるが、もしかしたら必要な抗体は既に持っている可能性が高いな」
「そんなことあるの?」
「普通は無いな」
「普通は……」
そう言うと麻里奈は憲人を見た。すると、憲人も麻里奈をじっと見た。
「こんなにかわいいんだもの! ちょっとくらい普通と違っても当然よね~!」
神妙になった譲と克己が、あっけに取られる程能天気に言われ、力が抜ける。
麻里奈にとって、『普通』はそこまで重要では無いらしい。
「後は時間待ちだ。夕食までにはほとんど結果がでるはずだ。遅くとも明日の朝には全部出揃うだろ」
譲はそう言うと、席を立った。
「ねえ、譲」
「なんだ?」
「今更、棄ててこいなんて言わないわよね?」
麻里奈が心配そうに言う。それにため息を吐いて、譲は言った。
「言うならとっくに言ってる。ついでに、こんな成長速度の子どもを普通の里親になんて託せないだろうし、もう諦めてる」
「それなら良かったわ!」
麻里奈は安心したように笑って、憲人を抱きしめてほおずりした。




