36.千鳥の決意
譲が神崎の部屋に行く途中、ちょうど同じく軍部に戻ろうとしていた一條達と出くわした。
彼らは譲を忌々しげに睨むが、譲は我関せずといった表情で相手にしない。
と、一條が口を開いた。
「話が都合良く転がって良かったな」
「……」
譲が無言でいると、小早川空軍大将が言った。
「一般兵士だけでなく、機関長にまで媚びているようだな」
譲は呆れて言った。
「あの御人が色仕掛けに落ちる訳が無いだろう。それより、千鳥がそちらにお邪魔しているようだが、そろそろ戻ると伝えて欲しい」
すると海軍大将である菖蒲政信が難色を示した。
「悪いが、娘を直ぐにそちらにひきわたす訳にはいかない」
「なぜ?」
「貴様が信用に値しない人物だからだ」
そう言って政信は譲を睨み付けた。譲は正面からそれを受け止めるが、相手にはしない。
「信用出来なくとも、千鳥の現在の所属は特殊能力課だ。命令権は俺にある」
「しかし、親としてひきわたす訳にはいかん」
押し問答に、譲は面倒くさそうに溜め息をついた。
「解った。では直接本人に聞くことにする」
「本人が何と言おうと、そっちにやる気は無い」
「……解った」
これ以上押し問答しても意味がないと考え、譲は引いた。そして、陸軍の方へ歩き出すと、後ろから一條の声が響いた。
「何でも思い通りに行くと思うなよ」
随分嫌われたものだと思いつつも、譲は相手にせずそのまま神崎の部屋へと向かった。
元々譲には敵が多かったが、今回の件でさらに日再――特に軍部との関係が悪化したことは確かだろう。
神崎の部屋に付くと、そこには神崎と克己が居た。
「おかえり~」
にこやかに克己に迎えられて、譲の肩の力が抜ける。譲はベッドに座っていた神崎の隣に腰掛けて、早速ウィンドウを起動し、克己に聞いた。
「会議は聞いていたな?」
「ああ。あとは問題は千鳥だけか」
「そうだな」
譲は真維を通じて、千鳥の部屋に強制的にウィンドウを表示した。
すると、泣きはらした千鳥の驚いた顔が写る。
『ゆ、譲!?』
「悪いが時間がないから強制的にアクセスさせてもらった。海軍大将はまだ戻ってないな?」
『まだだけど、譲は無事なの?』
「ああ、問題無い。それより、千鳥、お前の身柄だ」
その言葉に、千鳥はきょとんとする。
『私?』
「今、お前の所属は特殊能力課だ。だが、菖蒲氏はお前をこちらに引き渡す気はないらしい」
『……どういうこと?』
「今日の会議の結果、軍部と特殊能力課が対立したんだ。菖蒲氏はこのまま千鳥を軍部に引き上げさせるつもりだ」
『そんなっ……!』
「俺としては、千鳥の意見を尊重したいと思っている。このまま軍部に残るか、それとも俺と特殊能力課へ行くか」
『そんな事、急に言われても……』
「困るのは解る。が、時間が無い」
『でも……』
途方に暮れる千鳥に、克己が横から口を出した。
「さすがに今すぐ決めろってのは酷だろ。ここから連れ出す方法なんていくらでもあるんだ。少しくらい考える時間をやっても良いんじゃないか?」
「……それもそうだな」
譲は少し考えて、口を開いた。
「とりあえず、今日の夕まで待つ。それまでに結論を出せ。どちらを選んでも俺は構わない」
『解った』
「本部でも『真維』は使えるから、結論が出たら連絡してくれ」
『うん』
千鳥が頷いたのを確認して、譲は通信を切った。
それを確認して、克己が譲に話し掛ける。
「本部でも『真維』が使えるとは思わなかったな」
「大分機能は制限されるがな。実際のところ、本部だけじゃなく、全世界で使用可能だ」
「マジか。すげえな」
「克己。手間だろうが、念の為、千鳥のシールドは展開したままにできるか?」
「ああ、そのくらいなら朝飯前だ。――それよりさ」
「何だ?」
「俺、普通に腹減ったんだけど」
「……神崎さん、コイツを軍部の食堂に連れて行ってやってくれ」
「ああ、わかった。すっかり忘れていて悪かったな」
「いや、それどころじゃなかったしな」
そう言って、神崎と克己は食事を取るために食堂へと向かった。
一方、譲との通信が終わった千鳥は、椅子に座ったまま放心していた。
涙はとっくに止まっていた。考えなければいけないことがあることは解る。けれど、頭が全然動いてくれないのだ。
「軍部に残るか、ESPセクションへ行くか……」
千鳥にとっては大きすぎる決断だった。
軍部に残った場合、このまま政信の娘として、そしてESP持ちとして、特別待遇が待っているだろう。ただ、そこにESPセクションのみんなは居ない。もしかしたら敵とまではいかなくても、裏切り者扱いされるかもしれない。
かと言って、ESPセクションへ行ったら、今度は軍部と対立してしまう。政信とは敵になるかもしれないのだ。
いや、でも、譲が物事を大きく捉えすぎているだけかもしれない。
実際は今まで通りの毎日が続くのかもしれない。それは、政信が戻ってこないとわからない。
一方だけの主張で物事を決めるのは良くないと、学んだばかりではないか。
そうして千鳥は問題を先送りにして、政信が戻ってくるのを待つことにした。
が、政信はなかなか戻ってこない。
時間は刻々と過ぎてゆく。
昼食には戻るかと思ったのだが、1時を過ぎても戻ってこない。
千鳥は、焦りながらもじっと待った。
そして、時刻が3時を回った頃、ようやく政信が部屋に戻ってきた。
「パパ!」
「おお、千鳥。すまなかったね、放置してしまって」
「ううん、それは良いの」
「昼食がまだだろう? 今持ってこさせるから少し待ってくれ」
「それより、会議はどうなったの?」
その言葉を聞いた途端、政信はドサッと音を立てて椅子に座った。
「特殊能力課を軍部に入れるのには失敗した。あの若造も特にお咎め無しだ」
その言葉に千鳥はホッと胸を撫で下ろす。
が、続けられた言葉に耳を疑った。
「お前の所属は軍部に移ることになった」
「え?」
「あんな小僧のところになど、やれん。今、軍部で会議をして決まったところだ。新しい所属先はまだ未定だが」
「それって、特殊能力課じゃなくなるってこと?」
「そうだ。荷物は手配すれば良い。もう、あそこには戻らずに、元の通りここで暮らしなさい」
「でも、挨拶とかは……」
「そんなものは要らん。もう特殊能力課の連中とは関わるんじゃない。これは決定だ」
「そんな……」
「さあ、昼食にしよう。少し待っておくれ」
そう言う政信は、千鳥の言葉など聞く気は無い。ましてや意見など言ったら怒るに違いない。
やっぱり甘かったと、千鳥が後悔する。
今まで通りなんて、そんな都合の良い選択肢は存在しなかった。
千鳥が選べるのは、父親か、ESPセクションかのどちらかだけ。
どちらも欲しい。
だからこそ悩む。
自分はどうしたいのか。
考えれば考えるほど解らなくなってくる。
その間にもタイムリミットは近付いてくる。
いや、政信はもう千鳥は軍部に異動だと言っていた。
もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない。
政信の言うとおり、千鳥の所属は軍部になって、特殊能力課にはもう戻れないのかもしれない。
そう思った瞬間、涙が零れた。
もう、会えないかもしれないと。
ESPセクションのみんなに、そして譲に――。
万が一会ったとしても、冷たい目で見られるのかもしれない。
そんなの、嫌だ。
嫌だと、ハッキリ思った。
政信に二度と会えないかもしれない事よりも、譲に二度と会えない事の方が嫌だと千鳥は思った。
なぜかは解らない。
でも、心でそう思ったのだ。
千鳥は、決めた。
そして、口を開いた。
「パパ。私、ESPセクションに帰るわ」




