26.おかしな譲
夕食は譲抜きだったが、それでもとるいざは軽食程度のサンドイッチを作って克己に届けるように頼んだ。食べなかったらどうするんだという創平の問いに、るいざは克己が夜食に食べるわよと、本人に確認もせずにつっけんどんに答えた。
「おい、譲」
コンピュータルームのフロアで、ウィンドウに囲まれている譲に呼びかける。
「なんだ」
「なんにも食べないのはよくないってるいざがサンドイッチ作ったけど、どうする?」
しばらく返事はなかったが、しばらくすると「食べる」という答えと同時にウィンドウが減った。ウィンドウに向かったままの譲の横にサンドイッチを置くと、んじゃあと言って出て行く克己に譲が声をかけた。
「おい」
「ん?」
「創平のこと、お前どう思う?」
「どうって言われてもなあ」
「第一印象とか」
「できる男って感じ、かな。麻里奈と付き合えるということに驚くが。ああ、でも……」
「でも?」
「るいざは嫌いだって言ってた」
「るいざが?」
「そーいうことめったにいうやつじゃないから驚いたけど、るいって男性恐怖症のところがあるからなあ。まあそのへんかな、と思うんだけど」
「男性恐怖症? そうは見えなかったけど」
「年上がダメらしい」
「ふーん……」
「お前、西塔と知り合いだったのか?」
いきなり言われて譲はビクッと振り向いた。
「なんで……?」
「だって今『創平』って言っただろ。今日初めて会った人間の名前を呼び捨てにするとも思えんし」
譲が何も言わずに再びウィンドウに向かうと、克己はじゃーなーと言ってコンピュータルームを出て行った。
変なとこするどいんだな……。
譲は小さく溜息をついた。
コンピュータールームの扉を閉めてロックする。そろそろ千鳥の通話の時間だ。音声のみのため、ピアスをスピーカーモードにして盗聴する。それに加えて、キッチンのるいざと克己の様子と、麻里奈と創平と憲人の様子もモニタリングする。こちらは毎日しているわけではない。気になることがある時だけだ。プライバシーの侵害であることは百も承知だ。
千鳥のたわいもない話を聞きながら明日の予定を立てる。創平と、ついでに憲人の個体登録をしないとな。
そういえばと、存在を忘れかけていたサンドイッチを口に運ぶ。
空腹が紛れると眠気が襲ってきた。思っていたよりも自分は疲れているらしい。
譲は近くの椅子に腰掛け、ウィンドウを全て閉じて仮眠を取ることにした。
「パパ、私のことをあちこちで言うの、止めてくれない?」
『あちこちではないぞ。関係者だけにするよう我慢している』
「それならまあ、仕方ないけど……」
今日の定期通信は、開口一番千鳥の文句から始まった。さすがの海軍大将も、娘が相手では旗色が悪い。
『そう言えば今日、西塔君がそちらへ行ったんだったな』
「そうよ。パパに宜しく言われたって言ってたわ」
『そっちに行く前に顔を出してくれてね、頼まない方がおかしいだろう? 礼儀のようなものだよ』
「そう言うもの?」
『そういうものだ』
「なら仕方ないけど……。恥ずかしかったんだから」
『そうか。それは悪かったな』
こうして先に折れられては怒れない。千鳥は唇を尖らせて溜め息を吐く。
『そういえば、西塔君はどうだったね? なかなか優秀な人物のようだが』
「どうって、まだ良く分からないわ。今日は顔合わせのあと、みんなで雑談したくらいだもの。あ、でも、麻里奈と知り合いみたいで親しそうにしてたわ」
『ほほう。世間は狭いものだな』
「本当よね。珍しい事もあるものだわ」
ESPセクションは珍しい事だらけな気がする。赤ちゃんを拾うなんて事も、普通ならなかなか無い。おもしろくて良いけど。
「あのね、パパ。私、ここに来て良かったわ」
『そうか』
「みんな良い人だし、毎日面白いし」
『それなら良かった。でも、くれぐれも身体には気を付けるんだぞ。危険な任務もあるんだ』
「わかってる。じゃあ、おやすみパパ」
『ああ、おやすみ千鳥』
千鳥はすっかり上機嫌になって、ベッドに転がった。今日は良い夢がみられそうだった。
人の気配を感じて、譲は目を覚ました。
反射的にウィンドウをいくつか展開するが、特に変わったことは無い。コンピュータールームの中も、ロックされているため譲以外は誰もいない。
人の気配は扉の外だ。そして、おそらくこれは――。
譲はロックを解除し、扉を開けた。すると、そこには予想通り、西塔創平が壁を背に立っていた。
「アンタの部屋は、ここじゃないが」
「君を待っていたんだ」
「今何時だ?」
「午前1時だよ。寝落ちしていたのかい? 顔に痕が付いてる」
そう言うと、創平は譲の頬を撫でた。
が、譲は首を振ってその手を払う。
「あいにく、疲れていてね」
「なら、部屋まで送ろう」
譲は大きな溜め息を吐いた。この男と舌戦を繰り広げるほど無駄なことはない。にこやかな笑顔で、喰えない人物。部屋に送るだけのハズが無い。
まあ、今さら構わない……か。
「食器を取ってくるから、ちょっと待ってろ」
「了解」
譲は残っていたコーヒーを飲み干すと、サンドイッチが乗っていた皿に重ねた。
「僕が持つよ」
横から創平が皿とマグカップを奪い、先に立って歩き始めた。
「施設内の設計図が頭に入っているなら、明日の案内はいらなそうだな」
「そこは麻里奈へのご褒美ということで」
「よく言う」
譲と創平は暗い廊下を歩き出した。
翌朝。いつも通り食堂に一番早く現れたのはるいざだった。昨日はトレーニングがなかったおかげでゆっくりできたので、いつもより早く目が覚めてしまったのだ。鼻歌まじりにのんびり準備をしていると――。
「おはよう。朝からごきげんなんだね」
いきなり背後から声をかけられたのでビクッとして振り返ると、にっこり笑った創平がいた。
うわあ、気配がない……。
「お、おはようございます……。ずいぶん早いんですね。もっとゆっくりしてもよかったのに。できたら呼びますよ?」
まくしたてるように言ったが、そんなことはおかまいなしにゆっくりとした口調で創平が答えた。
「うん、昨日の今日だからね。神経が高ぶっているのか、ずいぶん早く目が覚めてしまってね」
「……ああ、そうですか」
とそれ以上何も言えなくなってしまったので、なるべく創平を気にしないようにして手元の作業にとりかかった。
20分ほどは沈黙のままだったが、創平は椅子から立ちあがって、キッチンに立っているるいざに近寄って、コーヒーを頼んだ。思わず2歩ほど離れて、はい、と言ったが創平はそのままそこにいる。
「あの……、テーブルに持って行きますよ」
「もしかして僕のこと嫌い?」
「え? 別に……、その、あの……」
「だとしたら残念なんだけどね」
と、さらにるいざの顔をのぞきこむように近づく。るいざが動けずに困惑していると、
「うちの大事な女性職員に手を出さないで欲しいんだけど」
という声がとんできた。振り向くと克己だった。
「手は出してないけどね」
「せまっているように見えたけど? るいも困っているし」
「それは失礼」
と創平はスッとその場を離れ、入れ替わるように克己がるいざに近づいた。
「あ、ありがと」
小さな声でるいざが言うと、克己は何もいわずにるいざの肩をポンポンと叩いた。るいざは2人にコーヒーを持ってった後、再び朝食の準備にとりかかった。
「よく眠れたか?」
「おかげさまで」
おだやかな笑顔をくずさず創平が言うと、克己も少し挑戦的に笑って言葉を続けた。
「どこで?」
「さあ?」
……動じないか。
別に昨夜の譲とのやり取りを知っていて言ったわけではなく、ほとんどかまをかけたような形なのだが、否定はしないという結果に、克己はなんとなくいい気分にはなれなかった。
「克己、みんなを呼んでくれる?」
「ほーい」
最初に食堂に現れたのは麻里奈だった。
「おっはよー!」
「なんだかご機嫌だな、お前……」
「えー、いつもと一緒よお。あ、るいざもうこれ運んでいーの?」
「うん、OKよ」
どうみてもルンルンオーラが飛び交っているとしか思えない。克己は呆れ、るいざは笑った。そこに千鳥が現れた。
「……おはようございます」
「おはよう」
千鳥がいつもの席に座ると同時に、譲が姿を見せた。
「おす、譲」
「おはよ」
「具合でも悪いのか?」
「別に」
とだけ言って椅子に座ると、黙り込んでいる。昨日よりさらに、無口になっているような態度であった。
「疲れているんじゃないのか?」
と創平が言うと、譲は創平を一瞥しただけでそれに答えなかった。
千鳥が心配そうに譲を見たが、そこに大皿を持った麻里奈がやってきて、その話はそこで終わってしまう。
「創平ちゃん、今日はよろしくね!」
「麻里奈の案内、楽しみにしているよ」
上機嫌な麻里奈を横目に、克己は譲に聞いた。
「今日のトレーニングの予定は?」
「10時から克己、13時から西塔と憲人の個体登録、14時から千鳥だ。全部第1トレーニングルーム。るいざは今日はオフ。麻里奈は西塔の案内」
その言葉にみんなそれぞれ了承の返事をした。
食事が終了し、片付けをしているるいざ以外は部屋に戻った。と思ったがテーブルに静かに座っている譲に気がつかなかっただけで、振り返ったるいざはあまりにも驚いてしばらく声が出せなかった。
「なんだよ……」
「びっくりしたあ……。なにしてるのよ」
「お茶飲んでちゃ悪いか」
「そうは言ってないけど……」
いつも真っ先に部屋かコンピュータルームに行ってしまうので、いるとは思わなかったのである。
「るいざ、もう一杯」
「はいはい」
珍しいこともあるのね、なんて思いながらるいざはお茶を入れた。ふと昨日の克己のセリフを思い出した。
『譲、おかしくないか?』
あながち、でもないかも……。
「るいざ」
「はいはいっ」
あわててコップを差し出すと、譲はるいざの顔をじっと見た。
「どうしたの? 愛の告白?」
「……お前って」
「何?」
「変だな」
譲に言われたくないけど、と思ったがそうは言わず別のセリフを返した。
「譲、眠いの?」
「いや」
「もしかして、昨日寝てないんじゃ…」
「別に」
答えになってないと思ったが、譲が席を立ってしまったので何も言わずにいた。るいざは再び片付けにとりかかると、食堂を出ようとしたところで譲が声をかけた。
「るいざ」
「はい?」
振り返るとまた譲は、じっとるいざの顔を見た。なんなのよ、もうと口を開きかけたところで、譲がぼそっと言った。
「お前、そ…西塔のこと嫌いなんだって?」
不意をつかれた質問だったので、るいざは目を見開いた。
「克己に聞いたの?」
「ああ」
「う、うーん……、どうもその近づきたくないってゆーか……」
「あ、そ」
それだけ返して、譲は食堂をスタスタと出て行った。その後ろ姿を見ながら、るいざは呆気にとられていた。
「おかしいって……確かにおかしいかも」




