39.クッキー
昼が過ぎ、夜になっても、克己はコンピュータールームから動かなかった。
いい加減、場所だけでも移動してもらいたいものだが、事情が事情なだけに、譲も様子を見ていた。
夕食のあと、るいざが今度はサンドイッチを作って持って行ったが、結局手付かずのおじやを持って帰ってきた。
麻里奈も気にはなっているようで、夕食の片付けを終えた後も、憲人とテラスでだらだらとお茶をしている。譲も、今は秘密裏に行わなければいけない作業も無かったので、テラスでウィンドウをいじりながら、のんびりとクッキーをつまんでお茶を飲んでいた。
るいざは見た目、そこまで落ち込んでいる様子は無いが、やはりため息は多い。
「ねえ、るいざ。そのおじや、明日の朝ご飯に食べたいわ」
麻里奈がるいざに言うと、るいざは少しだけ心配そうな顔をした。
「でも、冷蔵庫にも入れないで半日置いてるから、大丈夫かしら?」
「コンピュータールームなら涼しいから平気でしょ。お出汁から取ってるから、絶対に美味しいもの。棄てるなんて勿体ないわ」
「そう? なら、明日の朝ご飯にするわね」
そう言うと、るいざは土鍋ごと冷蔵庫にしまった。ここの冷蔵庫は業務用のものなので、大きくて沢山入るのが嬉しい。
後片付けをするつもりだったるいざは、手が空いてしまい、どうしようかと少し考えたが、結局、麻里奈たちと一緒にお茶をする事にした。
ティーカップに注がれる鮮やかな赤色に、るいざはふと、思い付いて、キッチンへ行くと、角砂糖とブランデーを取ってきた。そしてスプーンに乗せた角砂糖にブランデーを染み込ませると、麻里奈に言った。
「ねえ、麻里奈。この角砂糖に火をつけてくれない?」
「え? 良いけど」
そう言うと、麻里奈は発火でろうそくくらいの火を角砂糖につけた。するとキレイな青い炎が角砂糖に染み込んだアルコール分を燃やす。
「わあ……」
「キレイだね」
「でしょ?」
感嘆の声を上げる麻里奈と憲人に、るいざは微笑むと、火が消える前に紅茶にスプーンを沈めた。
「一瞬だけのキレイさなんだね」
「キレイな物は儚いのよ」
憲人の言葉にるいざはそう返すと、紅茶をくるくると混ぜた。
そして、小さくため息を吐くと、紅茶を一口飲んだ。
と、同時に、譲の所にメールが届いた。普通のメールなら、静かに受信ボックスに入るので、届いた事が解るメールは緊急メールだ。
「こんな時間に任務?」
麻里奈が聞くと、譲はメールを開きざっと目を滑らせる。
「そのようだな。所属不明の小隊が、北から進軍しているらしい。陸軍がメインで対応に当たるが、特殊能力者が居る確率が高いことから、ウチにも出撃要請が来た」
「所属不明かあ……」
麻里奈が言うと、譲はウィンドウを閉じて紅茶を飲んだ。
「出るのは俺と麻里奈だ」
「え、私は?」
名を呼ばれなかったるいざが聞くと、譲はるいざを見た。
「精神的に落ち着いているか?」
克己の件があって、少しでも精神的に不安要素があるなら、特殊能力は使わない方が良い。そう考えた譲に、るいざは立ち上がり答えた。
「平気よ。そこまでやわじゃ無いわ」
はっきり言い切ったるいざに、譲はクッキーを摘みながら言った。
「なら、準備が出来次第、車に集合だ。憲人は留守番頼むぞ」
「了解」
そう言うと、憲人の隣に真維が現れる。
『お留守番は任せて。気を付けてね』
「ありがとう、真維」
「すぐに片付けて帰ってくるわ」
るいざと麻里奈が返事をし、3人は一旦準備の為にテラスを離れた。
譲の運転で北に向かって車で出撃した3人は、暗い中を、陸軍との集合地点へ向かって走っていた。
「それにしても、所属不明が多いわね」
麻里奈が不満を漏らすと、譲は肩を竦める。
「仕方ないさ。どこの敵も、基本は隠密行動なんだ」
「そう考えると、アメリカ連合軍は堂々としてるのね」
「そうだな」
譲が答えると、思い出したように麻里奈はるいざに聞いた。
「ていうか、克己は何か言ってたの?」
その言葉に、るいざは俯く。
「特に何も……」
「そう」
少しの沈黙が落ちる。車が音を立てるガタガタという音だけがしばらく響く。
「一発ぶん殴れば、少しは冷静になるかしら」
唐突に麻里奈が物騒な発言をする。
「麻里奈の力で殴ったところで、ダメージは少ないんじゃないか?」
譲も特に止めることはなく、答えた。
「じゃあ譲がやっちゃってよ」
「面倒くさい」
そんな2人のやり取りに、るいざは小さく吹き出した。
クスクスと笑うるいざに、麻里奈は満足そうな表情をして、前方を視た。
「あ、譲。あれじゃない? 陸軍との合流地点」
麻里奈が指差す方向を、譲も透視を使って視る。
「ああ。そうだな」
まだ肉眼では視認出来ない距離に、陸軍の車両が数台固まっている。
譲はそこを目指して、アクセルを踏んだ。
陸軍との合流ポイントに到着すると、譲は1人で車を降り、顔を出しに行った。任務の詳細もまだ聞いていないため、それも含めてだ。
麻里奈とるいざは車で大人しく待っていたが、窓の外を見つめてぼんやりしているるいざはともかく、麻里奈は暇に耐えきれず、持ってきたカバンの片方を開け、何やらゴソゴソしている。
「探し物?」
「うん。これをね」
そう言うと、麻里奈は小さな包みを取り出した。中を開けてみると、クッキーの入ったタッパーが入っている。
「譲が戻ってくるまで暇じゃない?」
そう言うと、タッパーを開けて、クッキーを食べ始める。
「こんな時間に食べると、太るわよ?」
「これから運動するんだろうし、平気平気」
そう言う彼女は、農作業のせいか、トレーニングのせいか、全く太ってはいない。食べた分だけ動けばいいを体現しているような麻里奈である。
「るいざもどうぞ?」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。夕食もあんまり食べてなかったみたいだから、栄養取って」
そう言われて、るいざはクッキーをサクリと食べた。元々るいざは食の細い方だが、このところ、克己の事が気になって余計に食欲は落ちていた。
それに気付かれないとは思っていなかったが、どうやら気を使うほどだったらしい。
「もう一枚良いかしら?」
「もちろんよ!」
るいざはクッキーを嚥下すると、2枚目のクッキーに手を伸ばした。