20.譲の通訳
「克己、おかえり」
麻里奈と憲人の夕食を持って、るいざ、克己、譲が憲人の部屋に入ると、憲人は久しぶりに会った克己に、笑顔でおかえりを言った。
「ただいま~。顔色良くなったじゃん」
「うん。熱も下がってきたんだ」
「今、何度だ?」
憲人の言葉に譲が聞くと、麻里奈が答えた。
「37.8℃。もう少しってところね」
「そうだな。もう少し大人しく寝てるんだな」
譲が憲人の手首にメディカルチェックのバンドを巻きながら言うと、憲人は不服そうに言う。
「まだ寝てないと駄目? いい加減動きたい」
「今晩は大人しく寝ていれば、明日はもう出歩いて良いぞ」
「ホント!?」
「ああ」
譲がアッサリ許可したので、麻里奈が心配そうに聞く。
「そんな簡単に明日の事、決めちゃって良いの?」
「これが風邪なら話は別だが、特殊ウイルスだからな。統計上、熱が上がるのは一度だけのハズだ。明日は多分、37℃くらいになるだろ」
「なら良いんだけど」
すると、トレイに食事を用意していたるいざが聞いた。
「じゃあ、食事はみんなと同じで良いのかしら?」
譲は、計測し終えたのか、憲人の手首からバンドを外して、ウィンドウを見ながら答えた。
「脂っこい物は避けた方が良いが、同じで問題無いだろ」
「やった! やっとるいざの普通のご飯が食べれる」
「もうほとんど同じだけどね」
そう言うと、るいざは憲人に食事を乗せたトレイを渡す。
「わあ! ロールキャベツだ!」
「味付けは薄めにしてあるから」
「はーい」
「麻里奈はこっちな」
克己がテーブルに用意した食事に、麻里奈が目を輝かせる。
「今日はデザートが豪華だぜ?」
「やったー!」
最近、部屋まで運ぶ都合上、どうしてもクッキーとかプリンとか、そういう物ばかりになっていたので、口に出しては言えないが、ちょっと不満に思っていたのだ。
「デザート、良いなあ。俺もある?」
「えーっと……、譲?」
「アイスくらいなら良いだろ」
「やった!」
憲人が喜ぶ。
その様子を見て、るいざは明日はケーキを作ろうと決めた。
「るいざ、ロールキャベツもリゾットも美味しいわ!」
「そう? 良かったわ」
「ポタージュも美味しい。カボチャも良いね」
「これ、農場で採れたカボチャよ。甘味が強くて美味しいわよね」
「そういえば農場!」
憲人が思い出したように大声を出した。
「安心して。ジョンがちゃんと管理してくれてるわ」
「良かった~」
「ジョン様々よね。明日は憲人が大丈夫そうなら、私は農場へ顔を出そうかしら」
「そうしたら? ジョンが寂しがってるわよ」
「ご無沙汰しちゃったものね」
麻里奈もポタージュを飲みながら言う。
「それじゃ、俺は先に行く」
「はーい」
用は済んだとばかりに、譲は部屋を出て行ってしまった。
「アイツ、部屋に戻ったのか?」
「ううん。多分コンピュータールームだと思う」
「なんで?」
「解らないけど、最近忙しそうにしてるのよ」
麻里奈とるいざが言う。
「また何か厄介事でもあるのかな?」
「かもね。何も言わないから解らないけど」
「ふーん。んじゃ、後で聞いてみるか」
さすがは克己である。躊躇が無い。
「克己が戻ってきてくれて良かったね」
憲人が2人に言うと、麻里奈とるいざはしみじみ頷いた。
譲がいくら打ち解けてきたと言っても、根本的な所が変わるわけではない。馴れ合わないし、余計な事は言わないところも相変わらずだ。
「克己が居ないと、通訳が居ないようなものよ」
「そこまで?」
「あながち間違ってないと思う」
麻里奈の例えにるいざが頷く。さすがにそれはどうかと思った克己だった。
麻里奈と憲人の食事も終わり、るいざと克己でのんびりと後片付けを終えると、克己はコンピュータールームへ向かった。
コンピュータールームのドアは開いていたのだが、中から何やら話し声がする。と言うか、譲の声がする。
克己がドアからヒョイと中を覗くと、いつものようにウィンドウを多数展開していた譲が誰かと通話しているようだった。それも、英語で。
日再となら、日本語のはずだ。他にリモートで通話する相手と言えば、克己に浮かぶのは創平くらいなものだが、彼も恐らく日本語、またはドイツ語で話すだろう。とすれば、相手は誰だ?
疑問に思いながらも、盗み聞きをする趣味は無いので、克己はドアをノックして、存在をアピールした。
が、譲は気付いていたらしく、チラリと視線を向けただけで、会話を続ける。
『その理論だと、天候の影響で詰む可能性が出てくる。……そう、……そうだ。それと、リターンの計測も……』
克己には何の話かさっぱり解らない。解らない事を承知の上で、譲は通話を続けているのだろうが。
『ああ。それじゃ』
しばらく話をしていたが、ようやく通話が終わったらしく、譲はウィンドウを整理し、通話ログを記入し始めた。
それを確認して、克己は譲の方へ歩いていく。
「議論してたみたいだけど、誰と?」
「お前は関係ない」
「ああそう」
素っ気なく言われて、いつものこととは言えため息は出る。
「最近忙しそうだって、るいざと麻里奈が言ってたぞ」
「そうか」
「今度は何を企んでいるんだ?」
克己が悪戯っ子っぽく聞くと、譲は呆れた顔をした。
「人聞きの悪い。恩を売ってるだけだ」
「後の為にか?」
「ああ。使える駒は多い方が良いからな」
これは相当重要な事に関わっているなと、克己は感じた。そもそも、譲が『使える駒』だと言うこと自体、稀である。とすれば、克己が余り深入りするのは得策ではない。
「で、やってることは1つなのか?」
とりあえず克己は話題を変える。そもそも1つの事で、譲が忙しくなるはずがない。
「『真維』のバージョンアップをしているな」
「へえ。これ以上何を追加するんだ?」
「追加というわけじゃない。どちらかというと、セキュリティの強化だな」
「なるほど」
すんなり答えるところを見ると、克己にも関係あることなのだろう。
すると、今度は譲が聞いた。
「それより、お前はシステム関係は学ばないのか?」
「俺? なんで?」
「なんでって、多少は必要だろ」
そう言われ、克己は少し考えた。
「いや、俺は身体を動かす方が向いてるし、お前に任せるよ。どうしても必要になったら、その時は考えるけどさ」
その答えに、譲は呆れた顔をして、ため息を吐いただけだった。
そんな譲に克己は聞いた。
「で? 隠してる事はまだあるだろ?」
「なんであると思うんだ?」
「聞かれたく無ければ、逆に聞くのがセオリーだろ?」
どうやら先程の質問の裏の意図に気付かれていたらしい。
譲はため息を吐いて答えた。
「以前、日再のシステムを掌握したのは覚えてるな?」
「ああ。お前がうっかりしたヤツだろ?」
「それなんだが、日再のシステムはセキュリティ関係がザルなんだ」
「いや、お前視点で言われても……」
「で、そのザルの部分を、システム掌握に気付かれないように埋めているんだ」
「それって、かなり難易度高くね?」
「高いな。そして無駄だ」
「だよな。もういっそ、システム掌握しましたって言った方が早くねーか?」
「お断りだ。面倒くさい」
「どっちが面倒なんだか……」
「まあ、そんなワケで、このところ少し忙しいんだ」
「ああそう。結構色々してんだな」
「そうでもないと思うが」
どれもシステム関係の事なので、頭の切り替えは最低限で済む。単にタスクが複数あるだけの話だ。
克己は呆れた顔で、譲の空のマグカップを持ち上げた。
「まあいいや。心配するようなことは無さそうで何より」
お前に心配されることはないと言う言葉は、言いそびれてしまった。
克己はコーヒーサーバーからコーヒーをマグカップに注ぐと、ミルクを入れて譲に渡した。
「何事もほどほどにな」
そう言うと、克己は気が済んだのか、コンピュータールームを出て行った。
遅刻しました。すみません。