10.憲人の熱
譲を納得させられるだけの理由が見つからないまま、数日が過ぎた。
そんなある日、麻里奈が血相を変えてテラスへ来た。
「おはよう、麻里奈。早いわね。まだ準備出来てないわよ?」
「おはよう、るいざ。って、そうじゃなくて、大変なの! 譲は!?」
「まだだけど……。大変って、どうしたの?」
るいざが聞くが、それどころではない麻里奈は、ウィンドウを開いて譲を呼び出す。
「Morning。って、麻里奈はどうしたんだ?」
ちょうどそこに現れた克己が、ただ事ではない様子の麻里奈を不思議に思って、るいざに聞く。
「それが、私にも何が何だか」
2人が話していると、通話がつながり、ウィンドウに譲が表示された。
『朝から何の用だ?』
まだ支度の最中だったのか、譲はいつものワイシャツを着てはいるが、メガネは無く、髪も結っていない。
「それが、大変なの!」
『……何がどう大変なんだ?』
譲が一瞬通話を切りそうになったのは、克己とるいざの気のせいではないはずだ。
すると麻里奈は、慌てて説明しようとする。
「あのね、朝になったら、憲人が熱を出してて、しかも高くて!」
「憲人が、熱?」
克己が聞き返す。
「そうなの! でも熱だけっていうか、風邪かもしれないけど、もしかしたら例のウイルスのせいかもしれないって思って!」
麻里奈が慌てるのも無理はない。全世界的に未だ蔓延している、例の特殊ウイルスの影響だとすれば、若くても運が悪ければ命を落とす可能性がある。それは風邪でも同じことが言えるが、確率でいったら、特殊ウイルスの方が致死率は上だ。
『……憲人は部屋か?』
「そう! 寝てるんだけど、苦しそうで!」
『わかった。今から行く』
「お願い!」
そう言うと、ウィンドウは閉じた。
麻里奈はるいざと克己を見ると、部屋に戻りながら言った。
「私も部屋に戻るわ! また後でね!」
言葉の最後の方は、麻里奈の姿は見えず、声だけが響いた。
「俺も……って、付いて行き損ねた」
克己が呟くと、るいざははっとしたようにフライヤーを見た。
「あー……。焦げちゃった」
麻里奈に気を取られて、タイマーが鳴ったのに気付かなかったのだ。るいざが網を引き上げるのを見て、克己は言った。
「そのくらいなら平気だろ。たまには良いんじゃね?」
「そうかしら?」
確かに、黒こげまでは行っていないが、やや揚げすぎたのは一目瞭然である。が、食材がもったいないのも確かなので、とりあえず良しということにする。
「けど、憲人が熱を出すなんてね」
「年齢的に、風邪かウイルスの影響か、微妙なところだな」
克己はキッチンに入ると、るいざに聞いた。
「で、これ持って行けば良い?」
「ええ。お願い」
どちらにせよ、2人に出来ることは無いため、克己とるいざは朝食の準備を進める事にした。
一方、麻里奈の部屋では、譲が憲人を診察していた。
「熱は40.3℃か。意識も無いな。ちょっとメディカルチェックかけるぞ」
「お願い」
何時もより時間のかかるメディカルチェックに、麻里奈は気が気ではない。
これまで憲人は、何だかんだ言って、成長痛以外の病気はしてこなかったので、初めての事態にオロオロしている。
「昨日の寝る前の様子は?」
「え? えーと、普通だったわ。特に風邪っぽくも無かったし、ご飯も食べたし話もちゃんとしてたし」
「ふむ……。この状態なのに気付いたのはいつだ?」
「さっきよ。朝いつも起きてくるのに、今日は寝坊したのかしらって思ってて、でもそろそろ朝ご飯だからと思って、起こそうと思ったらこの状態で」
「少なくとも、熱が出て少し経ってるな。乾いたタオルと、氷嚢を用意してくれ」
「わかったわ」
バタバタと部屋を出ていく麻里奈をよそに、譲はウィンドウを開くと克己に繋いだ。
『ほいよ? 憲人の具合はどうだ?』
「今メディカルチェック中だ。それより、医務室から点滴のバックを取ってきてくれないか?」
『OK。どの点滴だ?』
「場所と番号を送る。ああ、ついでにスタンドも頼む」
『了解』
譲は水分と栄養剤を克己に頼み、分析結果を見る。
「これは、風邪じゃないな……」
と、そこにちょうど麻里奈が戻ってくる。
「おまたせ! これ、タオル。氷嚢は乗せちゃうわね」
「ついでに汗も拭いてやれ」
「私がやって、嫌がらないかしら?」
年頃の男の子なので気にしているらしい。が、憲人からすれば、麻里奈は親同然だ。気にはしないだろう。
「平気だろ」
「そう? なら良いんだけど。でも、体を拭くなら濡れタオルの方が良かったかしら?」
「今は汗がすごいから、とりあえず身体を冷やさない方が良いな」
「ってことは、風邪?」
麻里奈が譲を見て聞いた。
「いや」
譲は短く答えた。
「能力反応が出ている。これは間違い無く、特殊ウイルスの影響だ」
憲人の汗を拭く手が止まる。
「何、その能力反応って?」
「ああ。前回は麻里奈は聞いていなかったか。特殊ウイルスにかかったときに、出る反応の事だ」
「そんなものがあるのね。……ってことは、憲人も能力者になるってこと?」
「いや、それは分からない。今の時点では特殊ウイルスにかかったってことだけだな。このウイルスは人にも寄るが、一週間程度で治まる。そこで初めて、能力者になったかどうかが分かることになる。まあ、その前に命を落とさなければだが」
「不吉なことを言わないでよ! 憲人は大丈夫よ!」
「まあ、ここの医療設備は整っているから、平気だろ」
「うん。……うん」
麻里奈は自分に言い聞かせるように頷いた。
そこにちょうど、克己がやってきた。
「おっじゃまー」
「克己? どうしたの?」
「譲から、点滴を頼まれて持ってきた」
「汗は出ているが、意識が無いから、水分補給が出来ないからな。とりあえず、点滴で補給しておけば、少しはマシだろ」
「譲……、ありがとう」
「別に」
譲は長期戦を見込んで、留置針を憲人の腕に刺すと、水分と栄養剤を繋ぐ。
「あとは、意識が戻るのを待つんだな。俺は朝飯に行ってくる」
「あ、俺も」
譲の言葉に、克己も部屋を出る。が、麻里奈は部屋から顔を出しただけで、言った。
「私は憲人の様子を見ているわ」
「OK」
「なら、後で俺が飯を持ってくるよ」
「ありがとう、克己」
麻里奈はそれだけ言うと、部屋に戻ってしまった。
「にしても、ウイルスの影響とはね」
「憲人の外見からすると、遅いくらいだが、もっと身長が伸びるのかもしれないな」
「げ。俺より高くなったりして」
「有り得るな」
克己と譲は憲人を心配しつつも、軽口をたたきながらテラスへ戻っていった。