33.すき焼き
「あれ? 憲人は?」
湯気の上がる鍋を持ちながら、克己が麻里奈に聞いた。
農場から戻ってくるときは2人一緒だったはずだが、部屋に着替えに戻った後、テラスに来たのは麻里奈1人だった。
すると麻里奈は、少し心配そうな顔をして言った。
「身体が痛いから、夕食はパスするって言うのよ。風邪かなあ? それとも成長痛かな?」
「どっちだろうな。熱は?」
「熱は無いわ。農作業もこなしてたし」
「なら成長痛かもね」
おたまと追加の野菜を持ったるいざがそう言った。
「最近の身長の伸び方は異常だもの。身体に負担がかかって当然だわ」
「そうよね。毎日、数センチずつ伸びてるものね」
「そのうち、俺も追い抜かれたりして」
克己が携帯用のガスコンロに鍋を置いて言った。今日の夕食はすき焼きだ。
「いくらなんでも克己ほどは伸びないんじゃない? 今いくつだっけ?」
るいざが聞くと、克己は肩を竦めた。
「182。そこまで高いわけじゃないから、追い抜かれても不思議はないぜ?」
「それもそうね」
るいざの中では、克己は190越えてるイメージがあったが、そうでもなかったらしい。体格と姿勢が良いから、実際よりも高く見えるのかもしれない。
「克己と創平ちゃんって、どっちの方が背が高いの?」
「どっちだろうなー。少し俺のが高い気もするけど、靴のせいかもしれないし」
そう言って克己は靴を見せる。克己が履いているのはランニングシューズで、走ったときに脚に負担が少ないようクッションが入っているため、その分底が厚い。対して創平は革靴を履いているが、底の厚さは不明である。
「それより、せっかくのすき焼きなんだから、憲人にも食べさせてあげられるように、部屋に持っていける用意をするわね」
「ありがとう。多分、食べられるとは思う。でも、みんなが食べてからで良いわよ?」
るいざの提案に麻里奈が返すと、るいざは小さな鍋を用意しながら言った。
「そんな事言ってたら、お肉は全部無くなっちゃうわよ? 先に1人分取り分けておくわ」
「すき焼きの肉は旨いからなあ」
主に食べる克己がしみじみと言った。しかも、今日の肉は天然物だ。人工肉も悪くはないが、やっぱり天然物には敵わない。
「つーか、牛を捌けるって、何気にすごいよな」
克己が麻里奈を見ると、彼女は胸を張った。
「農場に関することなら一通りはね! まあ、ジョンが手伝ってくれたからだけど」
聞き慣れない名前に、克己とるいざが首を傾げた。
「ジョン? 誰?」
すると麻里奈は、当たり前の事を言うように言った。
「農場の親父っさんよ」
「あの人、名前あったのか!」
初耳である。
が、麻里奈が否定した。
「ううん。無かったわよ」
「どっちなんだよ!」
「えーっとね、名前が無くて不便だなって思ったから、譲に言ったら、好きな名前を付けて良いって言うから、つい先日から、農場の親父っさんは『ジョン』さんになったの」
「なんつーアバウトな。しかもなんで英語名」
「何となく? 顔立ちとか、日本人っぽく無いし」
確かに、農場の夫妻のロボットはアメリカの方の人間っぽい気はする。
「にしても、ジョンって……」
「ちなみにフルネームは、『ジョン=ブラウン』よ」
「安直だな!」
突っ込んだ克己の隣で、るいざが聞いた。
「女将さんも名前があるの?」
「もちろん! 女将さんは『マリア=ブラウン』よ」
「そ、そう……」
別に悪い名前ではないが、良くある名前過ぎて、逆にインパクトが強い。
と、るいざがはっとした。
「今度、農場に女の子のロボットが配置されるのは聞いてる?」
「聞いてるわよ?」
「その子の名前は……?」
恐る恐る聞いたるいざに、麻里奈は首を横に振った。
「そこまでは分からないわ。多分、譲が付けるんじゃない?」
「そ、そう。それなら良いんだけど……」
「いや、譲のネーミングセンスを知らないから安心は出来ないぞ」
克己とるいざはボソボソと話している。
と、そこにちょうど、譲と創平が来た。
「何してるんだ?」
「な、何でもないわ!」
「そうそう! すき焼きを運んでただけ!」
「すき焼きか。良いね」
創平が嬉しそうに微笑むと、テラスの洗面台で手を洗い、席に座った。
麻里奈は2人分、卵を割ると、片方を創平へと渡す。
「はい、創平ちゃん」
「ありがとう、麻里奈」
「どういたしまして」
ラブラブの2人は放置して、克己はもう一つの鍋をキッチンから運んでくる。
人数が多いのと、食べ盛りの年齢ばかりなのとで、鍋は大きい物が2つ用意されていた。
譲はキッチンへ歩いてくると、手を洗い、そこに置かれた1人分の鍋に目をとめた。
「これは?」
「ああ、憲人の分よ」
るいざが答えると、譲は眉をひそめた。
「具合でも悪いのか?」
「うーん、多分成長痛だと思う」
「ああ。あの速度じゃな」
「だから、後で部屋で食べられるように、取り分けたの」
「良いんじゃないか」
そう言うと、譲は小鉢に卵を割って、キッチンを出て行った。るいざは、鍋に蓋をすると、追加の肉を持って、譲を追うようにキッチンを出る。
「ねえ、譲。農場の女将さんたちの名前なんだけど」
「ああ。聞いたのか」
「娘さんの名前は譲が付けるの?」
「付けたければ、るいざが付けてもいいぞ?」
「え。それはちょっと、自信が無いわ」
唐突に振られて、るいざは戸惑う。
「俺に付けさせても、麻里奈とそう変わらないぞ?」
「ええ……。せめてもう少し、もう少し……」
「……わかった。善処する」
「頼んだわよ!」
肉を放り出して肩を掴みかねない勢いのるいざに、譲は、真面目に考えようと思うのだった。