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協議の結果、今の宿屋を増改築することで話が纏まった。
職人の助言を得ながら宿屋夫妻が思い描いた建物は、建築面積は今の宿屋のほぼ倍、そして2階建てから3階建てに拡張したものだった。
1階はフロント、食堂兼酒場、調理場、宿屋一家の住居というのは変わらないが、王都の宿屋では一般的という“ 浴室 ”を設けるらしい。
そして今後を見据えて、住み込みの従業員用の部屋を何部屋か作るようだった。
2階は今までと同じ一般の客室だが、もちろん部屋数は増える。
宿屋夫妻は俺専用の一室を作ろうとしていた為、全力で阻止しておいた。
そして新たに増築する3階は、一組限定で貴族や金持ち向けの貸切フロアにするという。
俺からスイートルームの話を聞いて触発された女将さんが「もしも王太子殿下が泊まるんなら必要だろう?それに王国きっての温泉に入りに来るお貴族様も一人や二人いるだろうさ。代金もそれなりに貰うから、年に一組でも泊まってくれれば御の字だよ」と力説してご主人を納得させていた。
そんな3階はフロアをぶち抜きはしなかったものの、VIP客が過ごす客室はフロアの二分の一を使った広々としたものになるようだ。
あとの半分は侍従や従者、護衛など供回り向けの客室を複数設置して、御一行の利便性を図るらしい。
この辺はアルバン様が助言してくれたようだった。
…とまぁこんな感じで、予算オーバーを承知の上で宿屋夫妻は要望を伝えていき、ギルドの職人は随時図面を起こしていった。
その図面を元に、職人が砂を操って建物模型を作り出すと、それはまあ立派なものが出来上がった。
部外者の俺ですら値段の心配をするくらいの建物だ。
「すごい…立派な宿屋ですね」
「本当にそうね…、思いつくまま私らの要望をつぎ込んだからね。
でもここからが本題だよ。予算に少しでも近づける為に交渉と変更あるのみだ。
それではギルドの方、見積もりをよろしくお願いします」
俺の驚愕の声に、女将さんは『なるほど』と思える返しをくれた。どうやら今から出される見積もりを見て、縮めたり削ったりして修正していくようだ。
夫妻の予算は知らないが、諦めなければならない要望がなるべく少ない事を祈ろう。
職人が「お手柔らかに」と言いながらザラ紙を取り出して、怒とうの勢いで文字と数字を羅列していく。
そして職人が提示した金額を見て、宿屋夫妻のみならず、村長まで驚いているようだった。
俺は背後からこっそり覗き見たが、白金貨6枚…元の世界で言えば600万くらいか。
そもそもの相場を知らないし、物価の違いはあると思うが、元の世界じゃこの規模の増改築だとウン千万はしそうだ。
コレはかなり安いのでは?
「…私らは建物建てることに関してはさっぱり分からんが、この数字、間違っちゃいないか?本当にこんな金額でいいのか?」
戸惑いながら確認するご主人にギルドの職人は、
『経験が浅いが腕は確かな職人や魔力持ちを使うので安価』
『別案件がキャンセルになった為、建築材料などが通常の価格より安く入手できる予定』
など、提示した金額の根拠を説明していた。
もっともらしいことを言っているが、これは多分裏でアルバン様が絡んでるんだと思う。きっと後援の一環なのだろう。
その証拠にアルバン様と目が合うと、意味深な笑みを浮かべていた。
元々宿屋夫妻は、白金貨8枚分位を借り入れて増築を考えていたようだ。この見積もりならば、建築模型そのままに建てることができる。
ご主人と女将さんは、もう一度金額に間違いがない事を確認すると、職人に何度も頭を下げてお礼を言っていた。
そして借り入れの金額はそのままに、残りは客室の備品の購入に充てるようで、良いものが揃えられると女将さんが喜んでいた。
その後はギルド職人と宿屋夫妻の間で擦り合わせがスムーズに進み、然程時間が掛からずに増改築工事の請負契約を交わす事となった。
アルバン様と領主様の立ち会いの下で行われたので、宿屋夫妻にとっては心強い事この上ないだろう。
工期については明日の朝から着工して、明後日には完成するらしい。
3日で建つってマジすごいわ。
(…と、この時は思っていたが、3日で建つのは異例中の異例で、本来なら最低でも1ヶ月は掛かるという事を後で知る事になる…)
この契約を見届けた後、アルバン様は「また来る」と言いギルド職人を伴って王都に戻っていった。
宿屋夫妻もその後すぐに領主様から退席の許可をもらい、宿屋へ帰っていった。
一刻も早く、息子たちと宿泊客に説明する為だろう。
宿泊客に関しては、確か連泊の客は居ないので混乱はないはずだ。息子二人も増築を賛成していたので問題はないと思う。
宿屋一家は増改築中は、村内の身内宅にお世話になるらしいのでその準備もあり、今日は多忙を極めるだろう。
俺も宿に戻ったらチェックアウトの準備をしなければ。
ちなみに俺も身内宅へ誘われたが、流石に遠慮しておいた。
そんな訳で増改築期間中の俺の寝床の件だが、気兼ねなく過ごせる場所として『温泉の脱衣場』に寝泊まりさせてもらえないか村長に訊いてみた。
王太子殿下を迎えるために温泉は一時的に閉鎖するようなので、見張り番としても丁度いいと思う。
村長から色よい返事が貰えると思っていたら、先に口を開いたのは領主様だった。
「それなら私も視察を兼ねて、今晩は『温泉の脱衣場』で泊まることにしよう。
サトー殿、私も同宿よろしいかな?」
「はいぃ??」
「りょ、領主様!?」
多分村長は、領主様を歓待するつもりだったろうから困惑するのはわかる。
そして俺は、それ以上に困惑してる。
なんでどうしてそうなる?
領主は村長んちで、もてなしを受けていればいい人間だろう?
「その…脱衣場では床に直に寝る事になりますので、領主様がお休みになるような場所ではございません。
ですので、同宿は同意致しかねます」
「わはは!雨風凌げる床で寝れるなど、野営と比べれば天国でしかない。だから気遣いは無用。
ついでと言ってはなんだが、温泉について話を訊かせてもらいたい。同意してくれるな?」
一見、俺に同意を求めているようだが、言葉の端々に有無を言わせぬ圧があった。
ぶっちゃけ脱衣場宿泊は明日からのつもりだったのだが、どちらにしろ領主様相手に二度も断れるはずもなく、今夜一晩辛抱するしかない。
「…畏まりました。謹んでお受けいたします。
しかしながら私は平民ゆえに、何か失礼があるかもしれません。その際はどうかご容赦ください」
「昨夜はガーランド小公爵一行をガイドしたと聞いている。そんな者が無礼な振る舞いをするとは思えんが、まぁいい。
何があろうが責を負わせぬと約束しよう」
「ご配慮いただきありがとうございます」
領主様から言質を取った後、「宿の荷物を整理しなければならないので…」と村長宅を後にした。
俺の荷物の殆どはアイテムボックスに入っているので、本来ならカバン一つで移動できる。
だが、今夜は領主様と一緒なので日常使いの物は、あらかじめアイテムボックスから出しておく必要があった。
(一泊分の荷物は、無理にでもカバンに詰め込むか…)
そう思っていたけれど、帰り道になんとなく立ち寄った村のよろず屋で、汎用性が高そうなボンサックが売られていたので思わず即買いしてしまった。
このよろず屋、俺が『あればいいな』と思った物がちょいちょい置いてあるので侮れないのである。
店主のおばさん曰く、今回もたまたま仕入れたとの事。
“ さすてん(さすが店主)”だわ。
増改築の費用の返済は、勿論分割払いです。




