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温泉は森の中にあるが村からは一本道で来れる。初めて利用する人が迷わないように最低限だが道を整備をしたのだ。
木々の間から見える灯りが近付いてくるのがよくわかる。
その姿を視認できるようになり、こちらへ向かってくるのが二人組だとわかった。
遠目で見たその姿に俺は嫌な予感がしたが、彼等の顔が認識できるようになるとその予感が的中する。
( マ ジ か !!!!! )
俺は顔があからさまに引き攣った。
向こう側から歩いてくる二人組は、数時間前に相対した国王陛下と魔術師団統括だった。
ウィル様やアルバン様がお二人に来村を要請した可能性を考えたが、その場合は誰かの出迎えがあって然るべきだ。
それが無い…
となると、陛下と統括が“ お忍び ”で来ているのはほぼ間違いない。
そしてウィル様達のように認識阻害の魔道具を使用して、モブ顔冒険者のフリをしてる可能性もある。
ここで遭うということは十中八九温泉が目的だろう。
まぁそんなことはどうでもいい。
この人達がここで引き返すことは、まず無いのだから。
この先には村長とジャックがいる。
主な世間の情報は村外から来る人達の話から得ている二人が、自国の王の尊顔を知っているかは微妙だ。
そんな彼等が万が一にも高貴な方々への対応間違えて『不敬罪』になろうものなら、カイロと村長の奥さんに顔向けできない。
(もう一度温泉に戻るか…)
意を決した俺は、松明を地面に置いて正面まで来た二人組の前にひれ伏した。
ズボンが地面の水分を吸収し、じんわりと湿り気を帯びていく。
一応面識があるとはいえ、この世界では平民から高貴な方へ話しかけるのはタブーらしい。
俺は平伏の姿勢を保ちつつ声が掛かるのを待った。
「誰かと思えば…イツキ・サトーか。この魔道具もお前には効かぬか、まあいい。
我々は今は一介の冒険者だ。頭を下げる必要は無い、立つといい」
予想通り魔道具を使ってたらしい。
内心ニヤリとしつつ、お声掛け頂いたので恭しく顔を上げると国王陛下自らが俺に向けて手を差し出していた。
これは『掴め』という意味だろうか?
いくらお忍びとはいえ、国のトップ直々のまさかの行動に動揺してしまう。
「私の手は汚れておりますので…」
「構わん」
平伏の姿勢により俺の手には泥が付着している。一国の王が装備するグローブの値段など考えたくもないし、汚すなんてとんでもない。
遠回しに断ったつもりだったのに、『構わん』といわれてしまうと手を取らないわけにはいかない。
俺は「恐れ入ります」と頭を下げて、さり気なく服の裾で泥を拭ってから陛下の御手を握らせてもらった。
スラッとしたイケオジな見た目を裏切る、ゴツゴツした感触がグローブ越しに伝わってくる。
武術の習得レベルが高そうな手が俺の手を強く握り返し、グイッと腕ごと体を引っ張り上げてくれた。
それが結構な勢いだったせいで、意図せず俺は陛下の胸に飛び込むかたちになってしまった。
「も、申し訳ありません!」
急いで陛下から体を離そうとしたのだが、何故か体が動かせない。
それもそのはず、傍から見れば俺は陛下の胸にガッツリ抱かれている状態になっていた。
ふわりとウッディ系のいい香りが鼻孔をくすぐる。
(いい匂いすんなぁ…)
ふとウィル様と転移した時の事を思い出す。彼からは爽やかさの中に甘さも感じられる香りがした。
元の世界にいた時には女性ウケするというオードトワレを持ってはいたが、陛下と殿下が纏う香りはそれよりも格段にウケがよさそうだ。流石は王族。
(はっ!いい匂いに惑わされてる場合じゃなかった!!)
俺はもう一度藻掻いてみたが結果は同じ。なんで陛下にホールドされてるのかわからないが、いい加減離してほしい。
「あのぉ…陛下、そろそろ離し…」
「父上、イツキが困っております。その手をお離しください」
後方からウィル様の声がした。陛下を諫めてくれたのは有難いが、何故彼が此処にいるのだろう?
もしかして陛下の出迎えだろうか?
「魔道具を着けているのによく私だとわかったな」
「姿を変えたところでその魔力でわかります。そんなことより父上がこちらにいらっしゃるとは聞いておりませんが」
(やっぱりお忍びだったんかーい)
「なに、私も件の温泉が気になってな。聖女絡みともなれば一度来ないわけにはいかぬだろう。
それに魔力持ちに関与する温泉など前代未聞、この目で実際に確かめる必要があろうて。
王都に何か動きがあれば宰相より連絡が入る。転移ですぐに戻ればよい」
「承知いたしました。私としても陛下と魔術師団統括には、一度温泉をご確認頂きたいとは思っておりました。
いい機会ですから温泉までアルバンが案内いたします。
ですのでイツキはお返しください」
どんなイリュージョンかは知らないが、言い終わるやいなや国王陛下に囲われていたはずの俺は、一瞬でウィル様の腕の中に移動していた。
ほぼゼロ距離な為、否が応でもウィル様の香りが鼻腔を満たす。
嗅ぎ慣れた匂いに俺は安心感すら覚えた。




