41 ウィリアム視点
温泉に身を浸したイツキが「ふぅ~」小さく声を漏らす。私達に背を向けているのでその表情は窺い知れないが、その声色から『至福』の感情が伝わってきた。
城にも王族専用の贅を尽くした浴場がある。
広さや湯量はこの温泉とは引けを取らないし、もう慣れたがこの独特な匂い(イツキ曰く、害は無いらしい)ではなく、浴場全体にはリラックス効果のある香りが湯気と共に立ち込めている。
湯船に浸かれば疲労回復の効果はあるが、当然湯船の湯はただの湯だ。
(さて…噂の温泉はどれほどのものか…)
私は側近達の制止を無視して温泉に片足を浸した。
普段ならテオバルドやアルバンが湯の安全を確認するまで私は待機なのだが、既に湯にはイツキが入っているのでその必要はない。
…というか、イツキでなければ通例どおりのはずだった。
出会ってからほんの数日しか経っていないが、イツキが側近達と同列の扱いになっていることに我ながら驚いている。
信頼できる者が増えるのを喜ばしく思いながら、私はもう片方の足を湯に入れて全身を温泉に滑り込ませた。少々熱めの湯だが、予想以上の心地よさに「ふぅ…」と息を吐く。
湯の効果なのか、一日の疲労が回復し身体が軽くなるのが如実にわかった。
「なかなかいい湯だ。貴方が進める理由がわかる」
「有難うございます、王太子でん…ウィル様にそう言っていただけると村長を始め村の人達も喜びます」
私がジト目でみるとイツキは堅苦しい呼び方を改めた。分かってくれたようでなにより。
イツキは私の称賛に謝意を表したが、寧ろ礼を言うのはこちらの方だ。源泉を見つけ整備し、これほど素晴らしい【野天風呂】を作ってくれたのだから。
それにこの温泉の効果は目を見張るものがある。影から報告は受けていたのである程度想定はしていたが、正直ここまでとは思っていなかった。
この温泉の噂が旅人を通じて瞬く間に広がったのも頷ける。
更には報告には無い【魔力回復】の効果を意図せず知る事となった。魔力持ちである私達3人がもれなく実感したのだから間違いはない。
王家の影は全て魔力持ちだ。
これだけはっきりと分かる効果を影が見逃すとは思えないので、当時はこの効果は『無かった』と考えるべきだろう。だとするとこの【魔力回復】の効果も聖女絡みの可能性がある。
一時的なものかもしれないが、それでも体力・魔力共に回復し癒やし効果がある湯など前代未聞だ。
国家としては温泉を放置するわけにはいかず、陛下や宰相達を交えて対応を講じる必要がある。この件は持ち越しとし、今はやるべき事を済ませてしまおう。
「アルバン、私の属性に変化はあるか?」
「御手を失礼します。そうですね…殿下がお持ちの属性以外は感じられません」
私の後に、テオバルドの魔力も調べたが光属性が混ざっているということは無かった。
こうなると村長の二男の光属性は温泉が原因なのかは現時点で不明。いずれにしろ彼の光属性が一時的なものか恒久的なものかは神殿で判定してもらったほうがいい。
そもそもついひと月前までは、我が国を含め近隣諸国に【温泉】というものは無く、文献でその名を知るのみだった。その文献も温泉の詳細は記載されておらず、我々は興味すら無かったのだ。
ハジメリ村に湧き出た温泉は、発見された当初はこの臭いのせいもあり村長の指示で周囲を閉鎖していたときく。辺境の村故にイツキがいなければ、我々が温泉の存在を認知するまでにかなりの時間を要していたに違いない。
「イツキに訊きたいことがある。貴方が読んだという温泉の文献には、入浴した際の人体への影響が記載されていたのだろうか?」
「う〜ん、そうですね…。温泉が湧き出ている場所、というか環境によって湯の成分が違うので効果も様々なようです。
詳細は覚えてはおりませんが温泉の効能をざっくり申し上げるとすれば、疲労回復に血行促進、皮膚や内蔵の病気の改善、関節痛や神経痛の緩和、美肌効果など様々な例が書かれてあったと記憶してます」
イツキは湯を弄ぶように両手で掬いながら、文献に書かれていたという温泉の詳細を教えてくれた。
湧き出た場所で効果が違うというのは興味深いが、聖女が関わるこの湯を超えるものは現時点ではないだろう。
「温泉が体に良いのはわかったが、魔力にも影響を及ぼすことはあるのか?例えば湯に入ると体力が回復するように魔力も回復するとか」
「魔力が回復するのは記載がなかったような気がします。ただ、私の見落とし、もしくは忘れている可能性もありますので断言はできません。そもそもご存知とは思いますが私には魔力がないので回復云々はわかりかねます」
「そうか…情報提供感謝する。さて、属性の検証も終わったことだし堅い話はここまでにしよう。
イツキ、貴方には色々教えて貰った。その労に報いたいのだが、何か要望があれば言ってほしい。出来る限り善処しよう」
「あ、それならこの温泉を気に入っていただけたウィル様に私からお願いしたいことがあります。
是非ともこの温泉を“王太子殿下も入った湯”としてPR…、宣伝させていただきたいです。
勿論、お名前を使わせていただくからには返礼を考えております。恐らく温泉事業全般の売り上げの何割か…という話になると思いますが、このような辺境地でも王国初の温泉ともなれば集客は右肩上がりでしょう。
私の“要望”として検討だけでもしていただけるとありがたいです」
「ふむ…」
私は重々しく考えるふりをする。
私の名を使うことは“王家のお墨付き”と同義だ。私の権限でイツキの申し出は今すぐにでも『許可』できるが、懇願と期待が混ざった彼の表情をもう少し見ていたくて、勿体ぶってみる。
本音はこの温泉に私の息がかかるのは願ったり叶ったりと言える。
強制的に国の管理下に置かれるよりも、自然な流れで私が“後ろ盾”になれば、温泉の利権に群がろうとする貴族達からハジメリ村自体を守ることができるだろう。
要は“イツキ”と同じだ。
「貴方のたっての頼みだ、私の名を使う事を許可しよう。詳細は村長を交えて改めて協議する事になるがそれでいいか?」
「もちろんです!有難うございます!!」
頃合いを見てイツキに許可する旨を告げると、彼は花が綻ぶような笑顔を私に向けた。万人を魅了する笑顔に不覚にも硬直してしまう。眼福ではあるが困ったものだ。
「ウィル様から頂いた許可のお礼…、というのも何ですが、異文化を一つご紹介させてください」
イツキはそう言うと洗い場から桶を持ってきて湯に浮かべた。その突拍子もない行動に私と側近達は『?』となる。
そんな私達をよそに、イツキは空中に手を伸ばした。
指先から手首にかけて空間収納に消えていく様は何度見ても不思議だ。
アルバンはイツキの腕を『ガン見』し、テオバルドは「ほぅ…」と面白いものを見るように観察している。
イツキはアイテムボックスから小振りなカップを4つ取り出して湯に浮かぶ桶の中に置き、更に空間から木製のデキャンタを取り出した。貴族が使うようなガラス製ではない為中身はみえないが、おそらくは酒の類だろう。
「本当は日本酒の方がここの雰囲気に合うんですが…」
そう言いつつデキャンタの中身をカップに少量ずつ注いでいく。
リンゴの仄かな香りが鼻腔を掠め、それが果実酒だとわかった。
「これは“湯舟酒”といいます。これには他の言い方もあり、空に浮かぶ月を愛でながらだと“月見酒”、雪の降る中だと“雪見酒”という“乙”な異国の文化です。どうぞ召し上がってください」
デキャンタをアイテムボックスにしまったイツキは我々に“月見酒”を勧め、自身もカップを手に取って『くいっ』と呷った。どうやら酒はイケる口のようだ。
イツキに続いて我々もカップの中身を口に含むと、今まで飲んだどの果実酒より美味で、りんご飴とはまた違った風味が口内に拡がった。
長時間食事を取っていないせいか、酒が五臓六腑に染み渡る。
元々酒や毒の類に耐性をつけている為、滅多に酔うことはない私だが、今はとても気分がいい。
酒を片手に湯に浸かりながら、空に浮かぶ月を眺めればイツキの言う“乙”が理解できた。
◆
「そういえば先程貴方が言っていた“ニホンシュ”というものは、この果実酒よりもさらに美味いのか?」
酒杯を傾けながら、私は気になっていたことを訊ねた。聞いたことのない名称だが一体どういった飲み物なのだろう。
私の問いに、イツキは湯船の中で居住まいを正してから徐に口を開いた。
「ウィル様達は“米”というものをご存じですか?日本酒は米から作られるお酒です」
「コメ、か?聞いたことが無いな。テオ、アル、お前達はどうだ?」
「残念ながら…」「私もです」
「そうですか、残念です…」
先程まで期待に満ちていたイツキの表情が落胆に変わっていた。コロコロ変わる彼の表情は見ていて飽きないが、このような顔を見るのは私の本意ではない。
「我が王国は他国との交流、交易も盛んだ。コメというものについて機会があればきいておこう」
「え、本当ですか?有難うございます!よろしくお願いします!」
━ 今ないた烏がもう笑う ━
今日一番のイツキの笑顔に、ふと異国のことわざが頭を過る。余りにもこの状況にしっくりで思わず私も顔が緩む。
イツキの笑顔で硬直しなかった事に気付いたのは、それから暫く経ってからだった。




